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似て非なる合わせ鏡 2


 浴場に続く廊下は、肢体を露わにした様々な女性が行きかっている。だが、意外にもアストールはその女性達よりも、他の事に目が向かっていた。それは……。


(へー、女風呂ってこうなってんのか)


 廊下一つをとっても造りが男風呂と違っている。

 男性用の廊下はもう少し広々と取られていて、日の光が入る所にはベンチが置かれていた。たが、女性用の廊下には何も置かれることはなく、本当にただの通路として機能を果たしているに過ぎない。


「お、こっちは蒸気風呂と書いている。ここに行こう」


 フランチェスカが指を差した方向には、蒸気大浴場と書かれている。


「そ、そうね。入ってみましょう」


 アストールもつられるようにして、足を踏み入れていく。

 中の天井の脇にが穴があけられていて、日の光が入って適度な明るさを保っている。蒸気風呂というよりは、多少湿度と温度の高い石風呂と言った所だろう。天井の窓にはガラスが嵌められているため、外に熱気が逃げる事はない。何よりもここは談話の場所らしく、くつろげる様にそこかしこに壁の備え付け腰掛けや、ベンチが置かれていた。


 フランチェスカはアストールの前を歩き出すと、ふと彼女の後ろ姿に目を引かれた。


 前こそタオルで隠していて気づかなかったが、彼女の首から下の体のつくりはかなり筋肉質であった。背中には一切無駄な脂肪はなく、男性のような筋肉が女性の滑らかな骨格に張り付いている。

 腰からヒップにかけても相違なく、また、乗馬をしているというだけあって、足も美しい肌の下に、動くたびに隆起する筋肉が見え隠れする。対する自分はどうかというと、確かに周囲を行きかう女性よりは筋肉質ではあるものの、腕を触ると筋肉の上に適度な脂肪が乗り、その触り心地も一級品の滑らかさだ。


(相当に筋力トレーニングをしているな……)


 フランチェスカの尋常でない筋肉を見て、彼女が普段どれだけ過酷なトレーニングを行っているかが、容易に想像がついた。男性よりも筋肉がつきにくい女性、特に年頃を迎えると体質上余計に筋肉はつかない。


 普通の男性の倍以上のトレーニングと、食事管理をしなければ、あのような体は手に入らないだろう。

 そんな、芸術的な体に見とれていたが、ふと、腰の所にある大あざに目がつく。

 アストールが見とれている間にもフランチェスカは空いている腰掛けを見つけて腰をかける。アストールもその横に座っていた。


「ここで汗を流すという事か」

「少し時間がかかりそうだけどね」


 アストールはそう言うと、さっき気になった腰の痣の事を聞いていた。


「その、さっき後ろから見たんだけど、その腰の痣はなに?」

「ん? ああ、これか。ここに来る前にちょっと戦でな……。落馬してしまったのだ」


 さも、当然と言ったように平気で答えるフランチェスカに、アストールは目を丸くする。


「いやいや、それってちょっとって言わなくない?」

「ん? まあ、そうか。試合でも落馬などあまりしないからな」


 フランチェスカは笑みを浮かべて答えるが、アストールは怪訝な表情で切り返す。


「いや、そうじゃなくてさ。戦で落馬って、大事じゃないの?」

「確かにあの時はやばかった。ギリアムが助け出してくれなかったら、私はハサンに連れていかれていたかもしれない」


 フランチェスカは目を細めて、天井を見上げる。


「な、何があったの?」

「敵のはかりごとにはまってしまったのだ。父上の様に危うく死ぬところだった」


 フランチェスカは静かに告げるが、アストールは一つ疑問に思ったことをきいていた。


「ハサン・タイとは国交交渉中で、攻めてくることなんて……」

「そうなのだがな……。奴ら国交が結ばれるまでは我らを敵としか見ていない。父上が奴らに殺されてからと言う物、東部の均衡と盟約が崩れかけて、危うく内紛が起こる所であった。そこは私に爵位と権限を下さった陛下と、側近のダルコのお陰で持ち直せたが……。いまだハサンの脅威が去った訳ではない……。事実私を狙って国境での小競り合いを、ハサンはつい二か月前に仕掛けてきた」


 アストールがフランチェスカのいたオストンブルカに行ったのは丁度一年前の事だ。あの時は今ほど状況は悪くなく、大方敵と言えば森から出没する妖魔くらいのものだった。

 だが、現状は違う。

 フランチェスカは偉大な父親と世継ぎの兄二人も失っていた。これにより盟約の名手であったハーフナー家が衰退することで、東部は一気に混乱したのだ。


 東部の武人達をまとめ上げていたハーフナー家が、窮地に立たされる事になったのはつい半年前の事。

 ハサン・タイからの防壁の役割を果たすための武人達の盟約は、新たな盟主を決めるための謀と小競り合いによって崩壊しかけたのだ。そこで国王トルアが王権を盾に盟主の任命を行った。それが奇しくもフランチェスカだったのだ。爵位を持たなかったフランチェスカに、急遽法整備をさせて臨時の女爵という爵位を与え、フランチェスカに東部をまとめ上げさせた。


 ハサン・タイの狙いは東部の盟約の崩壊による混沌であり、その混沌に紛れて一気にヴェルムンティアを攻め落とすつもりでいた。だが、その目論見も潰えていた。フランチェスカが死ぬこともなく、ハサンの軍勢を追い返したのだ。結局、ハーフナー家の武功だけが東部に知れ渡る結果となる。勿論それはダルコによる情報戦略によるものであり、実際は痛み分けといった結果だ。


 それも全てが紙一重の出来事だったのが、彼女の体が如実に体現していた。


「大変だったのね」

「ああ、とはいえ、私もそろそろ身を落ち着けたい。この爵位にずっと収まっているわけにもいかないのでな。何よりも盟約をもっと確たる物にしなければならない」


 そう、彼女の爵位はあくまでも中継ぎのために臨時で作られた爵位だ。

 婿養子を貰えば、その爵位は消滅して、彼女の婿は自動的に侯爵位を貰えることになる。

 だからこそ、東部の武人集団は、表面上は団結しているが、内側では自分たちの息子を、フランチェスカの婿に継がせるための、謀や駆け引きが行われているのだ。


「そう言う事もあって、私より強い男を探しに来たのだ。婿にするなら、力のみならず、知略に長けて、泥臭い者でなければ、我がハーフナー家は継がせられぬからな」


 フランチェスカが少しばかり焦っていた。逸早く婿に相応しい男を当主として迎え入れて、東部の盟約を安定させたい。そうでなければ東部の領主達の争いが表面に出て盟約が自壊しかねないのだ。

 ハサン・タイは狡猾であり、少しでも隙を見せればすぐにでも攻め入ってくるだろう。

 それをフランチェスカは身をもって体験した。


「だから、今回の馬上槍試合に出るの?」

「ああ、王国で行われる最大規模の馬上槍試合だ。私に相応しい婿の一人や二人はいるはず」


 フランチェスカはそこでぎゅっと拳を握りしめていた。

 実際自分は過去に何度となく、地方の馬上槍試合で優勝を飾ってきた。けして東部や地方の騎士達が弱いわけではない。フランチェスカが女の身でありながらに、武の才能に恵まれすぎているからだ。

 最初は兄や父の真似事で、ロバから始めた馬上槍の遊び。だが、何時しかその遊びは本格的になり、体格が成人女性になる頃には、鎧を着けて馬を操りながら槍を自在に振るっていた。


 武人の名家として名を馳せていたハーフナー家の娘として、この位の遊びは大目に見てやろうという父のちょっとした優しさが、彼女を完全なる武人として仕立ててしまった。

 それが幸と不幸の両方をもたらした。


 既に述べた様に彼女はそこらの騎士より余程優秀な騎士、武人として育ち、ハサン・タイの襲撃も退けた。だが、その武功が逆に婿選びを難しくしていた。何よりも今や経済の要所ではなく、防衛の要所となる盟約の当主となるのだ。


「……正直思うんだ。私が男に生まれていればどれだけ良かったか……と」


 そう、全ては彼女が女性であるが為に出た弊害だ。男性であれば、さほど悩まずとも当家に近しく力のある家の娘を嫁に迎え入れれば、それで事が済んでいたであろう。だが、彼女は女性だ。

 夫となる男に領地の全権を渡さなければならなくなる。それはハーフナー家を背負わせる事。

 だが、他の領地の婿候補に挙がる名は、どれもこれも貴族の次男、三男であり、ハーフナー家を吸収してしまおうという魂胆が丸見えであった。だからこそ、彼女は悩み続けているのだ。


(俺も早く男に戻りたいんだよなあ……)


 フランチェスカの話を聞いていて、アストールも何故か他人事のようには聞き流せなかった。

 似て非異なる悩みではあるが、近いような悩みをもっているのは事実だ。

 実際アストールも男になりたい、否、戻りたいと思い続けている。


「そういえば、貴方は兄上が行方不明と……」

「え? あ、ああ。うん。そうなんだよね」


 アストールもまた、自分の体が元に戻れなければ、フランチェスカと同じ境遇にならなけれならないのだ。それを考えただけでも、身の毛もよだつ。


「あ、あのさ、疑問なんだけど、お婿さんって強かったら誰でもいいの?」


 アストールはふと疑問に思った事を、フランチェスカにぶつけていた。


「ん? まあ、強いに越した事はないし、知略にたけて、武人としての最低限の礼節を知っていれば、私は一向にかまわない。何より、領民を想い、我が領地に尽くしてくれるとあれば、私も尽くしがいがあると言う物だ」


 毅然とした態度で言い放つフランチェスカに、アストールは目を丸くしていた。


「そ、そうなの? て、私が聞きたいのはそうじゃなくて、貴方のお婿さんに、恋愛感情なんてものは関係ないのかなって事」


 アストールの言葉に今度はフランチェスカが不思議そうに彼女かれを見る。しばしの時をおいて、彼女はくすりと笑みを浮かべていた。


「私はオストンブルカを治めるハーフナー家の娘だぞ? それ相応の器量の男が婿になってくれれば、恋愛感情など後からついてくるものであろう。その様な些細な事気にして居ては婿など選べぬさ」


 貴族の婚姻は領主間の結束や利害が絡んでくるのが当然だ。自分の意志で相手を選ぶことなど稀な事だ。フランチェスカの達観した考え方は、貴族の娘として当然の事だった。

 だが、その彼女を前にしてもアストールは釈然としなかった。アストール自身は嫁を迎え入れるとなれば、自分の愛した女性でなければならないと考えていた。それはこの貴族の世界の中では、極めて異端な事ではある、だが、アストール自身、その考えを曲げるつもりはない。


「かく言う貴方も、もしかすれば私と同じ境遇になるやもしれぬのだろう?」

「そうだけはなりたくないよ」


 アストールは顔を背けると、暗い表情を浮かべていた。それに対して、フランチェスカは怪訝な表情を浮かべて聞いていた。


「私達はまだ相手を選べるだけマシであろう? それとも、貴方は顔も名前も知らない相手を受け入れるのか?」


 実際フランチェスカはまだ恵まれている。

 力があるだけに、自分で相手を品定めする事ができるのだ。

 だが、大多数の貴族の娘は、政略結婚のためにその身を捧げる運命にある。だからこそ、素養を養うために修道院に入って花嫁修業をさせられるのだ。

 それを思い出したアストールは、すぐに言いつくろう。


「あ、ああ、いや、私は兄上が戻れば、また町に戻ろうと思っているんだ。どうせ私は秘蔵子だし、貴族に嫁ぐほどの素養もないし。できるなら、また暮らしなれた町に戻りたいの」


 アストールは尤もらしい言い訳をしていた。


「それなら、そう言うのも頷けるか」

「それよりも、ギリアムさんはどうなの? 恰好も悪くないし、何より腕利きでしょ?」


 アストールは話をそらすために、彼女の側近の事を話に持ち出す。すると、フランチェスカは慌てるように即否定する。


「ギ、ギリアムを婿に!? それは無理な事だ!」

「なんで?」

「あれは、確かにいい男だし、知略にも長けていて、礼節もわきまえている。だが、ギリアムは所詮一騎士にすぎない。家督がいいわけでもないから……。例え、盟主になっても他の領地の人間はついて来ないだろう……」


 現実を淡々と語るフランチェスカは、あくまでギリアムを一部下としてしか見ていない。オストンブルカは東部を纏め上げる役目を持つ領地である。そこを治めるには器量のみならず、家督さえも考慮しなければならない。東部の結束を確実なものに、地位も必要なのだ。

 そうなるとオストンブルカの一騎士に過ぎないギリアムは、残念ながら候補には選べない。


「そうなのね……」

「ああ、残念ながらな……」


 フランチェスカは溜息を吐くと、立ち上がっていた。


「さて、そろそろ湯船につかりに行こう」

「え? ん、ああ。そうね」


 気が付けば体中が汗をかいていた。湯船で体を洗い流せば、かなり気持ちも良いだろう。

 アストールはフランチェスカについていく。

 二人はこの後も暫くこの大浴場を満喫するのだった。


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