新たな特訓 1
「それでは、お気を付けください」
ティファニアと呼ばれた小奇麗な侍女は、二人を宿の門まで送ると小さな麻袋を手渡していた。
「あ、えとこれは?」
メアリーが聞き返すと、ティファニアは微笑を浮かべて答えていた。
「これは殿下からの餞別でございます」
メアリーは袋のにおいを嗅いで、すぐに中身を言い当てる。
「さっきのガーベルティーの葉っぱですか?」
「そうです。公爵殿下はああ見えても根は良い人なので……。けしてあの言葉は真に受けないでください」
ティファニアの答えに、メアリーは苦笑する。ふと正門から三階のテラスを見ると、笑顔で小さく手を振るエドワルド公がいるのが見えた。
彼女の言葉が事実である証明でもあった。しかし、アストールは先ほどの侮蔑の言葉が気に食わないのか、歯ぎしりしてエドワルド公爵を睨み付ける。するとそれに気づいたエドワルドは、わざと身を縮こまらせて怯えたような仕草を見せる。
「絶対倒してやるからなああああ!」
アストールはテラスのエドワルドに叫ぶと、向こうからも叫び声が帰ってくる。
「ああ、望むところだ!! さあ、頑張って私のとこまで勝ち上がって来いよー!」
まるで友人を見送るかのように、エドワルド公爵は大きく手を振る。対するアストールは更に怒りを露わにしていた。メアリーとティファニアは、主人二人の精神年齢が低い事に気づいて、苦笑して顔を見合わせる。
(お互いに苦労する主人に仕えてますね)
(全くよ!)
と言葉にせずとも、表情だけで二人の会話が成立する。
「さあ、行こう! アストール!」
メアリーはそう言ってアストールの腕を持って、正門から歩き出していた。ティファニアはその後ろで、慇懃に礼をして正門から二人を見送った。
「あーーー。あいつ、腹立つ! 絶対ぶったおす!」
アストールはそう言ってぎゅっと拳を握りしめていた。
「でも、アストール、馬上槍試合なんてできるの?」
メアリーの疑問は尤もだった。アストールは女体化してから、鎧を着込んで、ランスで突撃をした所を見た事がない。幾ら競技用の木の軽いランスと言えど、女性で馬上槍試合をするのは、体力的にキツいだろう。何より鎧を着てランスを振れるのか、そこが最大のネックだ。
「フランチェスカだってやってるんだ! 俺にだってできるさ!」
そこでアストールは、東方の武人諸侯の一人、ハーフナー家の長女の話を出していた。
ハサン・タイとの戦いを繰り広げている武人諸侯の愛娘と言うだけあって、その美貌からは想像もできない男顔負けの戦いぶりを見せているという。
アストールが男の頃に東方の妖魔退治に行った時、ハーフナー家の世話になることがあった。その時にフランチェスカが、馬上槍試合に出場しているのを彼女は見ていたのでその噂も納得がいく。
フランチェスカはその華奢な見た目とは裏腹に、馬上槍試合では無頼の強さを見せた。巧みな馬捌きと走りの揺れを物ともせずに、ランスを体の一部のように操る様は、正に女騎士と言って良い。
尤も甲冑に身を包んでいるため、女性とは誰も思わないが、バイザーを上げればまさしく美女の顔がそこにあるのだから、負けた相手はかなり悔しい表情を浮かべていた。
あれを見れば、自分とて体は女だが、馬上槍試合ができると確信できた。
「でも、アストールが槍試合してるの見たことないよ」
だが、メアリーは従者になってから、彼が男の時よりまともに馬上槍試合の練習している姿すら、見たことがなかった。
「ああ、最後にしたのは近衛騎士の正式採用試験の時だったもんな」
「あれ、近衛騎士になる時にしたの?」
メアリーは意外そうに聞くと、アストールは即座に答える。
「当たり前だろう! 騎士の嗜みだ。とはいえ、あれから槍なんて握ってないからなぁ」
アストールはそう言うと表情を暗くする。
「うう、また、あのエロ師匠の元に行くしかないか……?」
実際腕と勘を取り戻すためには、何らかの訓練をしなければならない。
今のところ稽古をつけてくれると言えば、あのエロ師匠ことアレクサンドだけだろう。
「だけど、開催まであと2週間しかないからね」
だが、実際この王都からアレクサンドの所までは、片道で5日ほどかかる。練習はわずかしかできず、即帰らなければ大会には間に合わない。
「てことは、練習なしのぶっつけ本番か……」
「流石にそれは……ねぇ」
悩ましげに歩く二人は、エドワルドの居た宿から離れていく。ちょうど二人が十字路を横切ろうと、宮殿宿の壁から出た時だ。突然横から一人の女性が現れて、アストールと衝突する。
二人は互いに尻をついてこけていた。
「いったぁ」
「くぅー、頭ぶつけた」
ほぼ同時に発言した二人は、お互いのおでこを押さえながら相手を見る。
「よそ見してんじゃねえよ!!」
「どこ見て歩いている!?」
ほぼ同時に口先をそろえてお互いに怒鳴りあう。そこで二人は顔を見合わせて、驚きの表情を浮かべていた。
「あ、貴方は、もしかして、エスティナ!?」
「あ、フランチェスカ!?」
指をさしあって名を呼びあう二人。だが、実質、アストールはフランチェスカとは初対面になる。
(まずい、ついくちばしちまった)
名前を呼ばれた肩まで伸ばした綺麗な赤毛の美人ことフランチェスカは、アストールを見据えて問いかけていた。
「なぜ、私の名をしっている?」
「あ、いや、私と同じ女性騎士だから……」
フランチェスカの疑問はとにかく的を射ていた。初対面のしかも、ぶつかったばかりで、即座に名前を言い当てたのだ。また、その言い訳も苦しいものがある。
(ん? まてよ!?)
「そ、そういうあなたこそ、何で私の名前がわかったの!?」
アストールの問い掛けに対して、フランチェスカは即座にアストールの腰を指さす。
金色のドラゴンが描かれたメダルから、細長い紫の布が垂れ下がっていて、それが近衛騎士の証だと示していたのだ。
「だって、それは近衛騎士にしか与えられないものだろう? 何より、貴方の格好は明らかに武を意識した格好だ」
そう今のアストールはスカートを履くことなく、レギンスとブーツを着用して、腰にはバスタードソードを下げている。貴族の婦女子がこのような物々しい格好などはしない。
「あ、貴方だって同じでしょ!?」
アストールもまた、フランチェスカの格好を見て指摘する。
同じようにレギンスにブーツ、細剣を腰に下げているのだ。それを見れば、また、彼女が明らかにただの貴族の女子でない事が分かる。
「そ、それだけで私の名を言い当てたのか!?」
「東方の女爵と言えば、有名ですから」
「そうなのか?」
「ええ、勿論です」
フランチェスカは特例で現在は、貴族爵位の一つの女爵を得ている。ハサン・タイの襲撃と近隣の所領の謀略にによって父親と兄たち全てを失った末っ子のフランチェスカが、婿養子の縁談が決まるまでは男爵に準ずる女爵として家督を引き継いでいるのだ。
だが、気の強い女性ゆえに、彼女の隣に座れる男がいるものか、アストールは甚だ疑問に思う。
アストールはふと東方から態々この王都にやってきたフランチェスカを見て、ふと思った疑問をぶつけていた。
「それよりも、貴方も武道大会に出るんですか?」
「ああ。無論だ。得意の馬上槍試合で、私を負かした男を娶るつもりだ」
何とも無茶苦茶な婿の選び方をするのだと、アストールは冷ややかな目で彼女を見つめた。
「な、なんだ!? その眼は!?」
「あ、いや、人にはそれぞれ事情がありますからね」
アストールは顔を反らすと、すぐに立ち上がる。そして、フランチェスカに手を差し伸べていた。彼女はその手を掴むと、ぐっと力を入れて立ち上がる。
「改めて自己紹介しましょう。私はエスティナ・アストール近衛騎士代行です」
「私はフランチェスカ・デュ・ハーフナーだ」
二人は互いに名乗りあうと、握手を交わしていた。女の身でありながら武に身を置かなくてはならない境遇は似ていて、二人が親近感を抱いているのは確かだった。
「そういえば、なぜあなたはここに?」
フランチェスカに聞かれたアストールは、すぐ横の宮廷の様に大きな宿を指さしていた。
「ここの主に呼び出されてね。ちょっとした野暮用ってやつかな」
アストールは苦笑しながら答えると、フランチェスカは顔色を変えていた。
「な、く、黒公爵に野暮用って! 貴方は一体何をしたんだ!?」
フランチェスカは慌てた様に聞いてくるが、アストールとしてはそこまで深い事は話せない。
「馬上槍試合で試合を申し込まれた。ただそれだけよ」
それを聞いて彼女は余計に声を荒げていた。
「な、なんてこと! あの黒公爵に馬上槍試合を申し込まれるとは! 貴方は相当な腕前なのだな!」
フランチェスカにそう言われたものの、アストールは苦笑して答えていた。
「いやーそれが、ちょっとねえ。私、馬上槍試合なんてほとんどしたことないのよね」
アストールの言葉を聞いたフランチェスカは、今度は唖然として彼女を見据えていた。
「あ、え……?」
「あ、そうだ! 貴方、槍試合の名手って噂を聞いてるし、私の練習に付き合ってよ!」
アストールは丁度いい自分の練習相手を見つけたと、半ば強制的に申し出る。フランチェスカに有無を言わせぬ何か言い知れぬ圧力をかけながらの願い入れだ。
「あ、私だって忙しいのだ」
「え、何に忙しいの?」
「私も試合に向けて研鑽したいのだ」
フランチェスカはそう言って、アストールの申し出を拒否する。
「ちょうどいいじゃん! 私が練習相手になれば、実戦さながらの練習もできるわけだし」
アストールはそう言って意地でも食い下がるが、フランチェスカは少しだけ怒りながら答えていた。
「素人の貴方が、私の練習相手が務まるものか!」
そう言って彼女は二人の前から立ち去ろうとする。アストールはその前にすっと立ちはだかって、行く手を阻んでいた。右に行こうとすれば、それに合わせてアストールも動き、左もまたしかり。今度は後ろに向いて歩こうとすると、その方面へと走って回り込む。
フランチェスカはアストールを睨み付けるも、彼女はにんまりと笑顔を作っていた。
「私が本当に練習相手にならないか、試してみたら?」
自信満々に言うアストールに、フランチェスカは小さく嘆息していた。
「わかった。貴方の根気には負けた。すぐに支度をして、南にある試合場に来い」
強引に出てくるところを見れば、彼女もまた兄と同じように一度言い出すと絶対に引かない性格なのだと感づいた。父親と上級妖魔を倒しに行った時も、援軍無用と断りを入れた父に、また、同じように食い下がってけして放そうとはしなかった。
フランチェスカは観念して告げると、アストールはガッツポーズをとっていた。
「おっし! ではまた後ほどね!」
アストールはそう言うと、メアリーを連れて即座に王城に向かうのだった。
その二人の背中を見送ったフランチェスカは、苦笑して呟いていた。
「全く、兄妹そろって無茶な事ばかりする……」
彼女の笑みはどことなく昔を懐かしんでいて、まるで女性のアストールにエスティオを重ねてみているかのようだった。