公爵からの挑戦 2
平民区を抜けると、大きな城壁が現れる。その向こう側には貴族たちが住む貴族区が広がっている。
アストール達、三人が歩いているのは王ヴァイレルの中でも、一際高級な宿や宮殿の様な大きな建物が立ち並んでいる地域だ。王城の麓にある貴族達が住む区画である。
この区画内では露店は禁止されており、一般人居住区とは違って到って静けさを保っていた。通りを行き交う人々も貴族の御付きであったり、従者や侍女、執事、また、宝石商など、高貴な身分の関係者ばかりだ。
ライルはとある高級な宿の前で立ち止まっていた。
周囲を鉄柵で囲まれて、その内側は生垣があって中は覗き見れない。正門前には警備の衛兵が立っていて、見るかぎり要人用に宛がわれた御殿だとわかった。
「さて、行きましょうか」
ライルは軽く衛兵に一礼して通行証を見せる。
「後ろの二人は私の連れだ。通してやってくれ」
ライルの一言で難なく宿の中に入ることができた。正門入って右奥には厩舎が並び、その横にはこれもまた、貴族達が使用している馬車が並べられていた。
(あー、とんでもないとこに来ちまったぁぁぁあああ!)
アストールは今更ながらに後悔していた。
声をかけられた時は、体を戻せるならという思いから即承諾していた。だが、よくよく考えれば、公爵は最高位の爵位であり、ディルニア公爵は元王族である。
そんな貴族と密会紛いな会談を行うのだ。
どこであらぬ噂を立てられるか分かったものではない。
正面玄関よりホールに入り、中も想像以上の広さで内心驚く。
ライルはつかつかと二人をホールから階段を上がって、三階へと案内していた。
その中の一際広い一室の前まで来ていた。
ライルは部屋をノックすると、姿勢をただして声を上げる。
「ライルです。お二人をお連れしました」
暫くして両開きのドアが開き、三人は部屋の中へと入っていく。
部屋には赤を基調とした模様の美しい絨毯が敷かれ、テラスの近くに丸机が置かれている。
ふと入り口を入って両脇を見れば、腰に剣を着けた衛兵が二人控えていた。
丸机の横には優雅に足を組んで、椅子に腰をかけた男性がいた。
黒い髪の毛を肩まで伸ばし、口元と顎に髭を生やしている。御上品に整えられた髭に合うように、顔も線が細く、眼光も鋭い。それでいて、何処と無く優しい雰囲気を出していて、ダンディーな紳士と言って間違いない。
「よくおいでになった。さあ、その椅子にお掛けください」
二人は促されるまま、男性に近づいて椅子に腰をかける。
ライルはいつの間にか入り口付近にまで後退していた。
物腰柔らかく言う男性は、傍らに控えていた侍女に目を向けた。
「ティフアニア、御二人にお茶を入れてあげなさい」
「はい」
軽く一礼した侍女は、机の上の二つのティーカップに紅茶を注ぐ。どれを取っても、自分には場違いだ。そんなアストールの思いを他所に、二人の前に紅茶の入ったティーカップが差し出される。
「さぁ、傍らにあるマルスンから取り寄せたお菓子と一緒に召し上がって下さい」
柔和な笑みを浮かべる男性に、アストールとメアリーはなすがままに紅茶を飲んでいた。
一杯口に含むと同時に、爽やかな紅茶独特の風味が広がる。
ティーカップを置くと、男性は柔和な笑みを浮かべたまま聞いていた。
「どうですか? 我がディルニアのガーベル産のお茶は?」
「あ、言葉がでない位に美味しいです」
アストールの言葉を聞いて、男性は爽やかにだが、快活に笑っていた。
「それは良かった!」
エドワルドはどう見ても、噂の武勇を誇る人間には見えない。何よりも、本当にゴルバルナに関係する情報を持っているのかそれすらも信じられなくなる。何よりも、ここに長居はあまりしたくはない。アストールは少しだけ申し訳なさそうに答えていた。
「あの、不躾で申し訳ないのですが、兄の行方に関する情報があるとか……」
「まぁ、そう急くでない。見なさい。この眺めを」
エドワルドはアストールの言葉を遮ると、ゆっくりと立ち上がる。そして、テラスに続く大きなガラス戸の前まで歩きだした。すかさず、ティフアニアが先回りしてドアを開ける。彼はそのままテラスへと出ていた。
眼下には緑の芝と整備された道が正門まで続く庭が広がり、三階と言うこともあってか、更にその外の街並を見渡すことができた。
「美しい街並みだ!」
アストール達も自然と後ろについてきていて、彼のマイペースな態度に狼狽していた。
閑散とした通りは、整備されて石造りの側道がある。側道に沿うように幾つもの立派な御殿、宮殿が立ち並んでいる。他の都市ではまず見られない光景だ。
「こうして私がここで感傷に浸れるのもトルア陛下のお陰だ。生きているとは素晴らしい。そう思うだろう?」
エドワルド公爵は笑顔で問いかけてきて、アストールも苦笑して頷くことしか出来なかった。
黒獅子、黒い貴公子、黒公爵、黒い疾風、非情の黒龍と様々な通り名がある。
その全てが武に関する功績を称えたものだ。
だが、目の前にいるエドワルドは、到底それを感じさせる武人には思えなかった。
一言で表すならば、「変人」である。
「あの殿下は武勇に秀でているとお聞きしています」
アストールの言葉にエドワルドは誇らしげに、両腕を組んで頷いていた。
「ああ、如何にも」
「僭越ながら、殿下からはその様な気配が全く感じられません」
アストールはきっぱりと言ってのける。だが、エドワルドはそれに気分を害した様子もなく、むしろ好意的な態度で答えていた。
「それはそうだろう。私だって常に武に浸っている訳ではない。それよりも、美味しい物を食べ、美しい物を愛で、傍らの美人とお茶を楽しむ。その方が余程好きだ」
エドワルドはそう言うと右手を顎にやって、テラスを歩き出す。つかつかと靴が石の床を叩く音が響き、それが止まると同時にアストールに向き直る。
「とはいえ、それだけでは国を治められないのも事実」
そう言った瞬間にエドワルドの目付きが変わる。先程までの柔和な雰囲気は消え、鋭い眼光がアストールを捕らえていた。
「私も公爵という爵位だ。ある程度の武術をこなさねばならない」
今までとは打って変わって、エドワルドの雰囲気は一変していた。それまでのおおらかな態度は消えていて、彼が自然と放つ覇気からは元王族らしい威厳すら感じ取れる。
エドワルトはアストールの実力を値踏みするように見据える。
顔はこの世に二人といない美人と言うに相応しい。体型は女性らしさが目立ち、とても鎧を着て動けるようには見えない。言わば華奢な体つきだ。腕は細いが引き締まった筋肉がついていて、腰の剣くらいはふれるだろう。
「君の噂は聞いている。オーガキラーの異名を持つ美人騎士、エスティナ・アストールさん」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮してついお礼を言ってしまったが、実際その名で呼ばれるのを正直アストールは好きではなかった。どうせ女性の体なのだから、もう少しましな呼び名が欲しいくらいだ。
アストールがそんなことを考えているうちに、エドワルドはこれまでの彼女の功績を語りだす。
「オーガを撫で切りにしてしまう剣技に、騎士隊を指揮する才を持ち、ガリアールでは活躍したという。その上、ルショスクの黒魔術師も倒したとかいう噂も聞いている。それほどの実力の持ち主であるから、もっと筋肉質であるのかと期待したのだが……」
エドワルドはそこで言葉を区切ると、突然アストールを鋭い視線で射抜きながら辛辣な言葉を口にする。
「いざ実際に合って見れば貧相な体つき、とてもその華奢な体でオーガの首を落としたとは思えん!」
エドワルドの急な態度の変わりように、アストールは狼狽して見せる。
「まぁ、夜のお供を頼むなら、君以上の美人はいないだろうがな」
エドワルドの言葉は明らかな皮肉であり、流石のアストールも気付いて怒りを露にする。
「さっきから黙って聞いてれば、好き勝手言いやがって!」
「ほほう、公爵に対してその口の聞き方、態度を弁える事を知らぬか?」
エドワルドは余裕の笑みを浮かべて、アストールを見下すような視線を向ける。
「ぬかせ! お、いや、私にだって騎士の誇りがある! あんたは騎士の誇りを貶したんだぞ!?」
怒りに任せて男口調で反論するのを、どうにか押さえてエドワルドを怒鳴りつける。
「はは、女風情が騎士の誇りを語るとは、片腹痛いわ!」
「な、なにぃ!」
エドワルドは余裕綽綽とアストールに告げる。
「お前の様な売女が騎士爵位に着いている事自体、例えそれが代行であれ、騎士の品性を下げる行為よ!」
エドワルドの言葉にアストールは遂に激高していた。
「な、何を! その言葉取り消せ! これ以上の侮辱はいくら公爵といえど許せんぞ!」
怒りで剣を抜きそうになるも、アストールは少しだけ冷静になって手を剣柄より離す。
後ろにいた衛兵が一瞬動きかけたのを察し、冷静さを取り戻したのだ。
一連の動きを見たエドワルドは、すぐに言葉をかけていた。
「悔しければ武道会に参加して、私と戦って勝って見せろ!」
「何だと!?」
「勝ちあがって私にその実力を示せ! 私に勝てば、今の言葉前言撤回しよう。その上で、貴公の追っているエストルの行方を教えてやる!」
エドワルドの言葉に、アストールはすぐに目の色を変えていた。
今までの怒りの目の色は消え去り、代わりに多くの疑問が彼女の表情に現れる。
「エ、エストルだと? なぜ、あんたがそいつの居場所を?」
「ふふ、私にも色々事情があるのだ。私は馬上槍試合にでる。お前も出場して、私に勝って見せろ!」
エドワルドは得意げに腕を組んで見せる。それにアストールも鼻息を振舞いて力強く答えていた。
「は、はん! 望む所だ! 絶対にあんたに勝ってやる!」
「ふふ、宜しい! ティフアニア!」
エドワルドはそう言って侍女を呼びつける。
「お二人を玄関までお連れしろ!」
「はい、畏まりました」
ティフアニアはアストールとメアリーを連れて部屋を出ていく。
三人が出ていきドアが閉まると、入り口で控えていたライルがゆっくりと近づいてきていた。
「あの様な挑発、必要でしたか?」
ライルは懐疑的な表情で聞くと、エドワルドは笑みを浮かべていた。
「なに、ああでも言わぬと、彼女は私と戦わないだろう」
エドワルドはそう言って、馬上槍試合の感覚を思い出す。
「あぁ、あいまみえた敵と槍を交えるあの一瞬、血が沸き立ち、全身を沸騰させるかの様な高揚感が最高なのだ。だが……」
感傷に浸っていたかと思うと、突然素に戻ってライルに顔を向ける。
「我はその高揚感を暫く味わっとらん!」
不満そうに言うエドワルドに、ライルは首を左右に振って答えていた。
「確かに殿下と当たった相手は、貴族間の利害を考えたり、殿下に敬意を払って棄権する騎士ばかりですからね」
エドワルドは幾度となく名前を隠して、馬上槍試合に出場している。だが、相手の素性を調べ上げて、癖を掴んでそれなりに対応しようとする騎士が多く、大抵は出自がばれてしまう。
何よりも彼自身、出場するときは黒い甲冑に身を包んでいるのだ。
(誰が見ても公爵殿下ここにありって言ってるもんだ……)
ライルはエドワルドが本当に正体を隠すつもりがあるかを疑問に思う。呆れかえるライルを他所に、エドワルドは再び笑みを浮かべる。
「だが、彼女は違う。利害や敬意など考えておらん! あるのは目の前の敵を倒すことだけ! あれぞ余の求めてた逸材だ」
ライルはそんなエドワルドに、呆れの混じった視線を向ける。
「殿下、まさか腕前を見極めるのは建前じゃあ、ありませんよね?」
「ば、馬鹿者、当たり前だ! 噂だけでは、その御仁の実力など分かるまい!」
必死に言い繕うエドワルドの様子は、正に忠臣ライルの言が図星であることを体現していた。
「あー、はい。そうですか。殿下」
ライルは聞き流すように言うと、エドワルドは胸を張って答える。
「分かればよいのだよ! ライル君」
呆れたライルを背に、エドワルドはテラスに出ていく。
「さあ、我と試合を楽しもうではないか!」
彼の歓喜の声は青空の中に消えていく。
眼下には今まさに会話を交わした好敵手の、エスティナ・アストールがティファニアに連れられて敷地から出ていこうとしている。
エドワルドは胸の中で高揚感を思い出しながら、アストールを見送るのだった。