ルショスク騒乱 4
ルショスクでは既に双方が戦闘準備を終えて、いつ戦端が切り開かれてもおかしくない状態となっていた。ルショスク本城の城壁の上にいる正規兵と、城下町に展開する傭兵達、双方が手出しせずにらみ合いを続けていた。
ゲオルギーが拒否権を発動してから、既に8日目に突入している。今日より査問会が開かれてその結論が出るまでの二月以上は、この緊張状態が続くだろう。
そう考えると、ベルナルドの気は遠くなりそうになっていた。念のため、査問会の会議を優位に進めるために、カヴェスを派遣しており、全権はベルナルドの手に委ねられている。
その間はルショスク城に配給する食料の供給は停止できない。物資の搬入は自由に行えるのが、この拒否権の最も厄介なところだ。
いくらルショスクの交通網を制限しようとも、毎日のようにゲオルギーの補給物資が次々にルショスク城へと運び込まれている。だが、その妨害すらも行えない。このまま二か月が過ぎれば、いざ籠城されたときに不利になるのは、明らかにベルナルドの方なのだ。
(できるなら、短期決戦に持ち込みたいところだ)
当初の予定では既にルショスク城攻めを行い、落城させているはずだった。だからこそ、ベルナルド軍には兵糧の残りが少ない。既に輸送の手配は済ませているものの、このまま二か月が過ぎるのは、資金的にもきついものがある。
そんな折にゲオルギーがベルナルドに対して、ある提案を持ちかけてきていた。だからこそ、ベルナルドはルショスク城へと足を踏み入れていた。
本城の難民がいる地区を歩いて抜けていく。その時に難民からは憎悪の視線を浴びせられ、ベルナルドは内心では恐怖を抱いていた。いくら護衛の傭兵十人を連れているからとはいえ、この数の難民が一気にゲオルギーの元に殺到すれば、一瞬で命を取られかねない。
だが、彼らが襲ってこないのは、ゲオルギーの顔を立てるためでもあった。ベルナルドが良家の出身で、ここで彼を殺してしまうと不利になるのはゲオルギーであると理解しているのだ。
冷や汗をかきながら、ようやくゲオルギーのいる謁見の間へとたどり着く。
ゲオルギーはベルナルドが部屋に入るなり、席に着くように促していた。
「まあ、楽に座り給え」
長机の上座に座するゲオルギーの口調には余裕が感じられた。ベルナルドは苛立ちながら席につく。
「それで、私に提案とは何だ?」
ゲオルギーはベルナルドに対して余裕綽々と告げる。
「大したことではない。城下町にいる住人をこのルショスクの外へと一時的に避難させるだけだ」
「なに?」
ベルナルドが怪訝な表情を浮かべる。
ゲオルギーが何かを企んでいるのではないかと思えて仕方なかったのだ。現にベルナルドは彼に対して避難民を押し付けて篭城戦を不利にする先手を打ったのだ。その仕返しをしようとしているのではないかと疑ってしまう。
「次期領主が領民を戦に巻き込んでしまっては、それこそ後々の領地の統治に響くことになる。だからこその措置さ」
ゲオルギーはそう言うも、ベルナルドはすぐに警戒を解こうとしない。
じっと彼を見据えて、その真意を見極めていた。
「何も疑うことはないだろう? これは双方にとって利のある話だと思うんだがな」
ベルナルドはそこですぐにゲオルギーに返していた。
「外に避難させるとして、街の外には妖魔がいる。避難させた難民の護衛はどうする?」
鋭い質問にゲオルギーは静かに答えていた。
「我が城からは正門の近衛騎士を百名ほどと、城壁の兵士ニ百名ほどをだそうと思っている。だから、貴公らも……」
「断る。我が方からは一兵も護衛には出さない」
ベルナルドはゲオルギーの魂胆が見えたのか、即座に彼の申し出を断っていた。攻める側は守る側の三倍の兵力をもってしてようやく城を攻略できるというのが常識だ。そんな中、自軍の兵力を護衛に回せるほど、ベルナルド軍に余裕はない。それを見据えての申し出だったのだ。
「そうか、それは残念だ。だが、ルショスクの住民が一時避難するのは認めていただきたい」
ゲオルギーは顔をしかめつつもベルナルドに懇願する。
「それは認めよう。だが、我が軍には護衛に出せるほどの余剰兵力はない。これは貴公らの提案であり、護衛をするなら貴公らの兵力のみでやられるが良い」
兵士の数が減ればそれだけ城壁の守りも手薄になる。その分勝率は確実に上がってくる。ベルナルドは勝利を確信した顔で、ゲオルギーに告げていた。死の宣告を突きつけられたゲオルギーは、それでも領民の事を一番に考えて、その条件を飲んでいた。
「……分かった。では我が軍は避難民に護衛をつけさせて貰うぞ……」
「ああ、構わん。好きにしろ。要件はそれだけか?」
ベルナルドはゲオルギーを睨みながら言うと、彼は落胆の溜息をついて答える。
「……ああ」
それを見たベルナルドはほくそ笑み、席を立っていた。
これで開戦する決意が持てたのだ。相手の兵力は1000にも満たない。なおかつ、場内に1000名の難民を抱えたまま籠城戦を強いられるのだ。
開戦すればベルナルド軍の勝利は確実なものになる。
「要件がないのなら、私はこれで失礼させて貰う。私も急がしいのだ」
ベルナルドは勝ち誇ったかのように笑みを浮かべ、踵を返して立ち去ろうとした。部屋を出ようと扉に手をかけたときだった。突然、ゲオルギーが声をかけてベルナルドを呼び止める。
「ああ、そうだ、少し耳に挟んだだが、今回、開かれる査問会」
「ん?」
ゲオルギーの言葉が気になって、ベルナルドは足を止める。
「今回の案件を審査する貴族は、全てレイナード家と懇意にしている貴族ばかりと聞いた」
ゲオルギーの言葉にベルナルドの動きが一瞬にして止まる。まるで、触れてはいけない逆鱗に、手をかざされたかの如く、動けなくなっていた。ベルナルドはそのままゲオルギーに聞き返す。
「何が言いたい?」
「いやいや、何か言いたいわけではないよ。ただ、大豪族の息子は親の七光りで何でも出来て羨ましいと思ったまでのことだ」
ゲオルギーは皮肉を込めて笑みを浮かべて答える。それにベルナルドは全身の毛が逆立つかのごとく、激高して振り向いていた。
「何だとおお!?」
鬼の形相とはこの事かと思える程の、激しい憎悪をむき出しにして、ベルナルドはゲオルギーを睨みつけていた。それでもゲオルギーは一向に引くことなく続けていた。
「今回のこの勅令書も全てレイナード家が国王に近しい貴族に働きかけたものだろう?」
ゲオルギーはそう言って鋭い視線でベルナルドを射抜く。それに、ベルナルドは逆に動けなくなる。
如何にも事情の裏を知っているかのように語りかけてくるゲオルギーが、本当は全てを知っているのではないかとさえ思えたのだ。だからこそ、つい、ベルナルドは口にしていた。
「な、なぜそれを?」
ベルナルドの言葉を聞いた瞬間に、ゲオルギーは一瞬にして表情を崩していた。満面の笑みを浮かべた彼は、ベルナルドを嘲笑するように言う。
「ほほう、図星だったか。だったら、査問会も出来レースと見ていいな。私は拒否権を行使しようとも、勝ち目はなく、当然のようにこの地を追放されるわけか」
ゲオルギーは一頻り言い終えた後、自嘲気味に笑みを浮かべる。
ベルナルドはそこでようやくゲオルギーがカマをかけたことに気づく。彼は本当のことは何も知らなかったのだ。だが、それをあたかも知ったかのように語りかけることで、ベルナルドから真実を引き出していた。
「き、貴様ああ!!」
ベルナルドは自分がはめられたことに激高して叫んでいた。だが、ゲオルギーは何一つも動じることなく、自嘲気味に笑いながら言葉を続けていた。
「いやはや、参ったよ。豪族様の息子に生まれれば、何番目の息子であろうと待ってれば勝手に領地が手に入るのだからな。羨ましいものだよ」
ゲオルギーはなおも挑発を続けて、ベルナルドを焚きつけていく。ベルナルドは激高して思わず口を開く。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ!! 貴様がそれ以上言うと!」
だが、そこでベルナルドは一気に冷静さを取り戻していた。ここでゲオルギーの挑発に乗って、この後の言葉を口にすれば禍根を残しかねない。それに気づいたのだ。
ゲオルギーはその言葉を引き出すために尋ねていた。
「それ以上言うと? なにかね?」
ベルナルドはこれ以上口を開けないことに苛立つ。もしもこの言葉を言ってしまえば、それは宣戦布告をしたも同じなのだ。そうなれば、いくら戦に勝ったとしても、公に手を出しましたと追求されて爵位さえ剥奪されかねない。
「この侮辱が何を意味するか、しかと覚えておけ!」
ベルナルドはそう叫ぶと、怒りに身を任せて扉を思い切り開け放って出て行った。残されたゲオルギーは、落胆の溜息をついていた。
「あと一歩だったが、あの言葉を引き出せなかったか……」
だが、すぐに表情を真剣なものへと変えていた。
「でも、これで、奴は確実に戦を仕掛けてくるだろう。そうなれば、審議では充分有利な材料になる」
ゲオルギーはそう呟いて、席を立っていた。これで確実に戦になることは間違いない。狡猾なベルナルドの事だ。住民の避難を終わらせて、警備に割いた兵力が完全に外に出た瞬間から戦端を切ってくるだろう。
「……大丈夫だ。必ず勝てる」
ゲオルギーは自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいた。ベルナルドが来た時からかけてきた保険、それが今ようやく発動しようというのだ。
彼は自分を奮い立たせた後、部屋を後にするのだった。




