策謀 1
馬の吐く息と、蹄鉄が地面をたたく音が早朝の靄の中に消えていく。
一頭の早馬が寝静まっているルショスクの町中を颯爽と駆け抜けていた。その背中に乗る兵士の顔色はけしていいものではなかった。
(全く、朝早くからこんな事件が起きるとはな……)
伝令の役目を担っているこの傭兵は、南区の野営地区から朝一番に叩き起こされて町の中を駆け抜ける。その身に重要な報告を抱いている。
早朝見回りから帰ってこない二名の兵士の捜索に当たっていた所、その二名が殺害されて発見された。傭兵隊の幹部や部隊長の全員がルショスク本城に留まっているせいもあってか、野営地内は混乱をきたす一歩手前だったのだ。
だが、幸いにも野営地に帰ってきていた近衛騎士達が、その混乱をすぐに鎮めており大事には至っていない。
心配事を抱えた彼が目指すのは背後を山で守られたルショスク本城だ。城下を抜けると大きく湾曲した坂道が見えてくる。そこを駆け上がると、ルショスク城の正門が見えてくる。門は閉められていて、その前には番兵が二人佇んでいた。
「とまれええ! 何事か!?」
番兵は仕事とはいえ、こんな早朝から早馬を走らせている兵士に、奇異な視線を送っていた。彼はそんな二人に動じることなく、馬を門の前で停止させる。
そして、焦った様子で番兵に叫んでいた。
「門を開けよ! 私はベルナルド殿への緊急の伝令である!」
番兵は顔を見合わせていた。傭兵ではあるものの、ベルナルドは傭兵を雇入れている以上、彼が伝令でないと判断できないのだ。だからこそ上の指示を仰ぐべきか二人は迷う。
「少し待たれよ! 上に確認を取る」
「ええい! 緊急である! 急務なのだ! その様な暇はない!」
馬の上で傭兵は焦った様子で、伝令を怒鳴りつけていた。真剣そのものな表情を見て、番兵二人は顔を見合わせたあと、渋々門を開けていた。
伝令の兵士は二人とすれ違いざまに聞く。
「ベルナルド殿はいずこへ?」
伝令の兵士の言葉に、番兵はすぐに返答する。
「本城の兵に聞けばどこにいるかはわかるはずだ」
「忝い!」
番兵の言葉を聞いて、伝令の騎兵は即座にルショスク城へと駆け込んでいた。
一番最初の門を潜ると、再び坂道があり両脇は城壁で囲まれている。もしもここに攻め入った場合、上部から弓などの飛び道具で攻撃されるだろう。
侵攻してきた敵の足を鈍らせるために、L字型の回廊となっていて攻め落とすには相当な犠牲を強いられるかもしれない。
伝令はそんな事を考えながら進んでいくと、その先にまた内門を目にする。そこにも番兵が配置されていたが、門は開けられているため、伝令は気にすることなく城内へと進入していた。
一つ目の城門を潜ると、そこには厩舎等の施設がある広い区画へと出てくる。本丸の外側に位置するこの区画では、馬の世話のほかに、歩兵たちの戦闘訓練等が行われている。それから幾度か内城門を越えて、ようやく所々損壊し黒焦げになった本丸の城壁へとたどり着いていた。
目の前には大きな広場と、その奥に聳え立つルショスク城が目に入る。
「これが、ルショスク城の本丸か……」
伝令はその難攻不落の城の本城を見て、言葉を奪われる。ここに来るまでに入り組んでいた城の構造は、できるだけ攻める側に出血を強いるような構造になっていた。その守りの固い城壁の最も奥に、ルショスクの本丸が聳えたっている。本丸は岩盤をくり抜いたような窪地に作られており、四角い城壁に守られていた。さらにその内側に大きな砦が見える。それがルショスク城だ。
「それよりも早くベルナルド殿に急報をお伝えせねば!」
伝令はその本丸の城門を馬で一気に駆け抜ける。城門を潜った後、城の前までくると馬を降りていた。そして、城の入り口を警備する番兵へと駆け寄っていた。
「ベルナルド殿はどこにおられるか!?」
慌てた傭兵に対して番兵は鋭い目つきで彼を見据える。
「貴様、何者だ!?」
「私は遠征軍の伝令だ! 緊急の報せをベルナルド殿に届けなくてはならんのだ!」
番兵は少しだけ考えた後、伝令の格好を見てから口を開いていた。
「そうか、なら私が案内しよう! ついてこられよ!」
番兵はそう言って伝令を引き連れて城の中へと歩みだす。伝令もその後ろにぴったりとくっつき、歩き続けていた。
ルショスク城の中に入ると、大ホールへと足を踏み入れることになっていた。昨日の慰問会の片づけが済んでおらず、丸テーブルの上には白いクロスが敷かれていた。そんな丸テーブルの間を縫うように進み、階段を登っていく。
この先には客人が泊まっている部屋が多くあり、傭兵隊の幹部や近衛騎士の騎士長クラスの人間もここに居ると言う。
その中で番兵は最も奥にある大きな両開きの扉までくる。そして、扉を二回ほどノックしてからゆっくりと扉を開けていた。
番兵は伝令の兵士に入るように促すと、彼はすぐにつかつかとその体を歩みいれていた。
薄暗い部屋の奥には天井付きのベッドがあり、ベッドの周囲には薄い布地のカーテンで囲われていて薄らとしか中を窺い知れない。だが、目を凝らせば体の半分をベッドの布団の中から出したベルナルドと女性が寝込んでいるのが見えた。
伝令の兵士はこれが失礼にあたることを重々承知の上で叫んでいた。
「朝早くから失礼いたします! 緊急の伝令であります!」
ベルナルドは大きな声で起こされた事に不機嫌そうに目を覚ます。折角の朝を美女ともう一しきり楽しんでから起きようと思っていたのだ。だが、その願いは虚しく阻まれていた。女性の甘い喘ぎ声の代わりに聞こえてきたのは、男の野太い叫び声だ。
ベルナルドは気だるそうにベッドから上体を起こして伝令の兵士を見つめる。
「私の許可なく部屋に押し入るとは、無礼にも程があるぞ」
「は、お許し下さい!」
伝令の兵士はその場で片膝をついて、頭を下げてみせる
「で、何かあったのか?」
ベルナルドは特に焦った様子を見せずに、立ち上がってベッドから出る。そして、ベッド横にかけていたローブを手に取って、裸の体の上から羽織っていた。相変わらず伝令の兵士は俯いたまま答えていた。
「は! 警らの傭兵が何者かに殺害されました!」
その言葉を聞いた瞬間に、ベルナルドは顔色を変えていた。
「なんだと!?」
「現在も犯人を捜索中であります」
ベルナルドは少しだけ焦りの色を見せるものの、すぐに顔を引き締めていた。
「そうか……。被害にあったのは誰だ?」
「は、紅孔雀団の警らの兵士が二名、巡回中に殺害されたと思われます」
伝令の兵士の話を聞いてから、ベルナルナルドは一瞬だけ口元を釣り上げる。だが、すぐに顔を真剣なものへと変えていた。
「そうか、分かった。すぐに各騎士長と傭兵隊長をこのルショスクへと集めよ。緊急の会議を開く」
ベルナルドがそう言うと、伝令は立ち上がって一礼して見せる。そして、足早々に部屋をを立ち去っていく。
「ベルナルド様? 何かあったのですか?」
ベッドの上の掛け布団で上体を隠した女性が、上体を起こしてベルナルドに聞いていた。
「何、大したことではありません。私はこの後急用ができたのでね。暫くここでごゆるりとされていられるといい」
「まあ、そうですの、残念ですわ……」
情婦はベルナルドの背中を口惜しそうに見据える。だが、彼の意志は変わりないようで、朝からもう一度体を交えようとはしなかった。
ベルナルドは歩みだすと、扉の方へと顔を向けていた。
「侍女はどこか!」
ベルナルドが叫ぶと、暫くした後に扉を開けて侍女が次々に入ってくる。侍女達はその手にベルナルドの服を持っていて、あれよあれよという内に彼の身支度を済ませていく。
(これで舞台は整ったな。あいつらは上手くやったようだし、あとは下準備に移るだけだな)
ベルナルドは更に考えをまとめ上げていく。折角遠路はるばるこの辺境の地にやってきたのだから、手ぶらで帰るわけにはいかないのだ。何よりも彼がここまで強気になっているのは、とある書状をその手に持っているからに他ならない。
その書状の効果は絶大であり、どの様な領主でも逆らうことはできない。
「……さて、やるか」
身支度を済ませたベルナルドは、その腰に剣を帯びて部屋を後にする。
その顔には自信と余裕が満ち溢れていて、まるでこれから起こる事全てを知っているかのようのだった。