慰問会にようこそ 3
音楽団が楽器を奏でて、それに合わせて男女が軽快にステップを踏んで舞踏を披露する。この場に慣れていない男もいてか、辿たどしい足取りで舞踏をする者もいた。
幾つもある丸テーブルには、豪華とまでは言わないものの、この地で振る舞える最高級の料理が並べられていた。色味こそ良くはないものの、芋系を主体とした料理と、獲れたての川魚の焼き物が並べられ、中には鶏肉と種類も豊富にある。
ルショスク城中央の大ホールには、大勢の近衛騎士達と数十人に及ぶ傭兵達、そして、彼らを慰労する女性達が舞踏を舞い、また、テーブルの周りで会話を交わしていた。
そんな中にアストールはドレスを着て、ふてぶてしい顔でホールの端にある机に肘をついて、椅子に腰をかけていた。
「ち、また、なんで俺がこんなトコに来なくちゃいけねーんだよ……」
明らかに不機嫌そうな態度を取っているアストールの横で、メアリーが小さく溜息をつきながら答える。
「それは仕方ないじゃない。ゲオルギー様が態々慰問会に招待されたんだし、断る理由でもあった?」
「ああ、十分にあるね……」
アストールはその理由を目線を向けて答えていた。
彼女の視線の先には、大勢の近衛騎士達が群がるようにしてテーブルの前に佇んでいる。ただし、オーガキラーの異名があるアストールが不機嫌そうな表情をしていて、なおかつ数歩でも近づけば本気で殺しかねない目つきで睨みつけるため、それ以上は近づいては来ない。
しかし、それでも近衛騎士達は彼女に対して、多くを語りかけてくる。
「エスティナ殿はどうやって上級妖魔をお倒しになられたのですか?」
「よければ死闘の話をあちらの部屋でお聞かせ願えないか?」
「ルショスクにはいつこられたので?」
などなどと口説き文句をたれてきたり、疑問を投げかけられたりと鬱陶しい事この上ない。近衛騎士として確かに腕は立つ男たちであり、けして振る舞いが下品というわけではない。だが、時折見え隠れする下心が、アストールにとってはこの上なく不快だった。
「さっきも申し上げましたけど、今日は私、そういう気分じゃないのです。失礼……」
アストールはそう言って席を立って、他のテーブルへと移動する。この行動をこの慰問会に来てから行うのはこれで四度目だ。メアリーもお辞儀をして、すぐにアストールの背中についていく。
バックリと背中が開いた際どいドレスで、明らかに男を誘惑しているとしか言いようのない格好である。もちろん、これはアストールが選んだドレスではない。
「ああ……。マジ疲れる。これなら、まだ黒魔術師や妖魔と戦ってる方が楽だ」
歩きながらアストールは大きく溜息を吐いていた。
「アストールも大変ね。こんなトコまで来て着せ替えられるんだからね」
メアリーは言葉とは裏腹に、明らかに楽しそうな表情を浮かべている。
「俺の身にもなってくれよ。なんで、ゲオルギーはこんな服に着替えさせたんだよ!」
アストールのドレスは高貴さと妖艶さを交えたシルクのドレスだった。そして、これを用意したのは他でもないこの慰問会の主催者のゲオルギーだった。彼は慰問会のゲストに、今回の事件解決の立役者のアストールにお礼のつもりでこのドレスを贈呈していたのだ。
シルクで仕立てられたドレスは、そんじょそこらの貴族では到底手には入らない高価なものだ。聞けばこのシルクは遥か東方の国で誂えた物で、ハサン・タイが台頭する以前に輸入したものだという。シルクは情熱の赤色で仕立てられており、背中は空いているのだが、地肌が見えるように敢えてコルセットも背中は紐だけで止められている特殊なものを用意されていた。
値段だけならアストールの給与の数年分に匹敵する高価さだ。だが、それは彼女にとって、大きな迷惑以外の何ものでもだった。この挑発的なドレスのせいで、近衛騎士のみならず、傭兵にまで声をかけられる始末だ。
相手の悪気のない好意を素直に受け取った以上は、このドレスを着ざるをえず、アストールは結局この慰問会の前に城の侍女達に半分無理矢理にこのドレスを着せられていた。
「似合ってるし、いいんじゃない?」
軽く受け流すメアリーは、当のゲオルギーの方へと目を向けていた。
彼はベルナルドとその忠臣カヴェスと談笑している。また、この慰問会には近衛騎士のみならず、ルショスクの騎士達も参加していてゲオルギーの周辺にはトルチノフやアズレトもいる。騎士の礼服を着用していて、甲冑姿とはまた違う印象を受けた。
それ以外にも傭兵団の団長や幹部クラスの人間も、楽しそうに女性達と話をしていた。
「ふう、こうやって端っこで誰にも見つからずにいるのが一番ね」
アストールは壁際の柱に隠れるようにしてもたれ掛かり、ワイングラスを片手にホールを見据えていた。彼女としては誰にも見つからずに、男に口説かれることもなく時間をやり過ごしたいのだ。
だが、真紅のドレスを着た異質な美貌を持つアストールを、男達が見逃すわけがない。少し時間が経てば、すぐに彼女の周りには人だかりが出来始めるのだ。
最初は一人だけ男性が声をかけてくるも、それに気づいた他の男性が言い寄ってきて、あれよあれよと人だかりができるのだ。柱の前に再び人だかりが出来てきて、いよいよアストールも鬱陶しくなる。
「あの、私、疲れてますの。それでは」
そう言ってアストールはその場を離れていく。メアリーもその後に続いていた。
「ああ、こんなの繰り返しじゃ、精神的にきついわ。いっそのことあそこ行くか」
そう言ってアストールはゲオルギーの元へと足を運んでいた。
机を囲む面々はゲオルギー、アズレト、トルチノフ、ベルナルド、デュナン、ギルムと重要な役職に就いている人員ばかりで、他の場所とは違って容易に人が近寄っては来ない。
「お話中失礼いたします。ここは空いていますか?」
ゲオルギーの横が空いていて、アストールが声をかけると机の面々が一斉に顔をアストールに向けていた。一瞬誰が来たのか分からず、全員がアストールの美貌に目を奪われる。髪を結い上げていて、顔はうっすらと自然なメイクをしている。それに加えてシルクのシンプルではあるが真っ赤なドレスは、彼女を最高に品のある女性へと引き上げていた。
「あ、エスティナ殿……。どうぞ」
言葉を奪われるとはこのことなのだろう。ゲオルギーは美しいアストールを見て、言葉を詰まらせながらも答えていた。ゲオルギーは立ち上がって椅子を引いて、アストールに座るように促していた。
「ありがとうございます」
アストールは流麗にその椅子に座ると、ゲオルギーもすぐに自分の席へと戻っていた。
「とてもお似合いです」
ベルナルドが口を開いてアストールに声を掛ける。
「ありがとうございます。殿方は何をお話なさっていたので?」
アストールは自分に話題が振られるよりも前に、自分から彼らに話題を振っていた。
「ああ、今回の遠征で起きた珍事を話していたのです」
ベルナルドが笑顔で答えると、アストールもまた笑みを浮かべていた。
「そうですの、どのような珍事がありましたの?」
アストールが聞くとベルナルドは饒舌に話し始める。内容は大して面白味のある話ではないものの、彼の話の持って行きようは中々上手く、笑いを誘うものだった。その間にもカヴェスの元に傭兵団の団員が何度か挨拶に来ているのをアストールは見逃さなかった。
(ほほー、傭兵団員もベルナルドに挨拶に来るんだな……)
その話の間に現れたのは二つの傭兵団のみらしく、他の団員達は女性との話で夢中になっていたりと、それほどベルナルドに気遣っているようには見えなかった。明らかに傭兵の中でもベルナルドに対する態度に温度差があるのが見て取れた。
それをゲオルギーも同じ様に見ていたらしく、横に控えているアズレトにゲオルギーは小声で声をかけていた。ベルナルドは話に夢中になっていて気づいていない。タイミングを見てアズレトは席を立っていた。
それ以降、アズレトは席に戻ってくることはなく、そのまま慰問会の時間は流れていった。
アストールとしては変に男に口説かれるよりは、ここでつまらない話を聞いていた方が気分的に楽であり、いよいよ慰問会が終わる頃合いで最後まで男達が近寄ってこなかった事に、アストールは安堵の溜息を吐いていた。
「さて、今宵の慰問会もそろそろお開きと致しましょう。各人には我が城の部屋をお使いになられたい方は、申し出てください。私からもできるだけの事はいたしましょう」
ゲオルギーが慰問会の終焉を告げると、傭兵や騎士達は仲良くなった女性を連れ帰る姿がチラホラと見られた。アストールもそれに紛れて席を立ち上がろうとする。その時だった。
「エスティナ殿、今宵、この後時間が空いているのであれば、もう一杯、私に付き合ってはくれないか?」
声をかけてきたのはベルナルドだった。
正直アストールとしては、親の七光りで遠征軍を率いているベルナルドがとてつもなく不快でこの上ない存在だった。テーブルの席では自分の財で多くの傭兵を雇入れたと意気込みを自慢するなど、人を不快にさせる才能はかなりのものだった。
「私、明日も用事があるので、今日はお暇させていただきますね」
アストールはベルナルドの誘いを断って、席を立っていた。
「そうですか、それは残念です」
ベルナルドは見事に撃沈されたことに、明らかに落胆の色を見せていた。
「エスティナ殿、貴殿らだけでは夜道は危険でしょう。護衛をお付け致します」
ゲオルギーはアストールとメアリーに声掛けをすると、アストールは苦笑して答えていた。
「お気遣いありがとうございます。でも。この服を脱げば、私は近衛騎士です。大丈夫ですよ」
アストールはそう言って早々にその場を立ち去っていた。
この慰問会が何の意味があったのか、アストールには今一わからなかったが、とにかくここを一刻も早く立ち去りたい。その気持ちだけが今の彼女を突き動かすのだった。
◆
南区内の傭兵の野営地、夜もすっかり更けており、傭兵達は寝静まっていた。
唯一起きているのは、街中を巡回する傭兵だけだ。治安維持と傭兵自身の狼藉を防ぐために真夜中の街の巡回を続けていた。
「ああ、いいよなあ、幹部と団長は今頃ルショスク城で女とイチャイチャしてんだぜ」
「それは仕方ないだろう。幹部連中だけでも慰問に参加させただけ、ここの領主はすげえよ」
巡回する二人は愚痴を交えつつ、街の目抜き通りを歩き続ける。
たかだか傭兵ごときを、一貴族が慰問会に招待すること自体が異例中の異例といっていい。傭兵達もその出来事に喜ぶというよりは、驚嘆する人間の方が多かった。西方でどんなに功績を上げようとも、表彰されることもなく、貰えるのは報奨金が関の山だ。尤も傭兵としては契約上の報奨金さえきっちりと支払われれば、それで十分なのだ。
「でも、俺たちみたいなのがそんな大層な所に行ったって萎縮しちまうだけだ。俺は働きに応じて、ちゃんと金さえ貰えればそれでいいよ」
傭兵はそう言って苦笑する。これが傭兵の一般的な感覚だ。慰問会に行くよりは金が手元に入ってきた方がよほどありがたいのだ。それが命を生業とする者達の感覚であるのだ。
「にしてもよお。ベルナルドは何を考えてんだろうな」
「ん? 何が?」
「もう、上級妖魔もいないんだろう」
その言葉に頷いてみせると、相方の傭兵も怪訝な表情を浮かべる。
「ああ、そうだったな。何でもあのベルナルド殿隷下にある傭兵隊に大砲やバリスタの準備の命令が降りたって話か?」
「そうそう。それだよ」
傭兵はそう言って頷いていた。
慰問会の出立前に傭兵達には各団長より命令が下されていた。常に厳戒態勢を取り、警備を万全なものへと整えよという命令だ。同時に元より大砲やバリスタを扱う予定であった傭兵団にも、いつでも兵器が使用できるようにとの下命がくだっていた。
「……まるで戦支度でもしてるみてえだ」
「敵もいないのにな」
言葉を区切った傭兵に対して、相方の傭兵はすぐに言葉を返していた。
「いや、それが噂じゃ、このルショスクに反乱を企てている連中が居るとか」
「なるほど、そういう事か……。それで俺たちには厳戒態勢が敷かれたわけだ」
二人はそう言いつつも、この街にその様な兆候があるのか甚だ疑問に思えて仕方が無かった。ルショスクにきてからまだ一日も経っていないが、傭兵達が野営準備をしている時に、住民達が食料や小物を売りに現れることがしばしばあったのだ。
それも女性や子どもが目立ち、傭兵達はそんな彼らに優しく接していた。住民に対する掠奪行為は禁止されてはいるが、住民との交流そのものが禁止されているわけではない。
「……本当に反乱なんて起こるのか?」
「何がだ?」
「考えても見ろ。今日来た連中の殆どが女子どもだ。話を聞けば、妖魔の襲撃で父親や夫をなくしたってのが殆どだったじゃないか」
傭兵は思い返してから、ここの住民達で本当に反乱が起こせるのか疑問に思った。ルショスクの南区には女子どもが多く、ここで反乱を起こしたところで被害が大きくなるばかりだろう。何よりも近衛騎士や傭兵達を駐屯させておきながら、反乱を起こそうという気概のある人間がどこにいるのか。考えればすぐにわかることだ。
「まあ、何があっても俺達は言われた事やるだけだ」
「そうだな……」
傭兵は少しだけ暗い顔を浮かべて、街を見据えていた。
そんな時、二人の前に傭兵が四人ほど現れる。
「お~い! ちょっと来てくれ!」
「おお、狼の牙の奴らじゃねえか」
狼の牙、ベルナルドの御用達の傭兵団であり、妖魔や賊の討伐にも一番に駆り出されていた。今回遠征に来た傭兵団の中では最も金回りがいい傭兵団だ。
「どうしたんだ?」
二人が聞き返すと団員は不安そうな表情で答えていた。
「ああ、あっちで不審者を見つけてな……この人数じゃ不安なんだ。一緒に来てくれないか?」
団員の言葉に二人は顔を見合わせる。そして、笑みを浮かべて団員に答えていた。
「ああ、分かった。もし不審者を捕まえたなら、その時は報酬は分けてくれよ」
「よし、決まりだ。ついてきてくれ」
四人の団員は二人を連れて誰もいない街の路地へと足を踏み入れいていく。
「あ、あいつだ! 追うぞ!」
団員の一人が指をさして、入り組んだ路地に逃げ込んだ人影を追いかける。
二人もそれに続いていた。人影はどんどんと路地裏の中へと入っていき、遂には袋小路へと追い詰められていた。
「何者だ! お前!」
団員は剣を抜いて、その不審者を取り囲む。当然傭兵二人もそれに加わり、不審者は計六人に取り囲まれていた。
不審者は後ずさりし、傭兵二人は報酬欲しさからか、団員達よりも足を前に勧めていた。
そこで不審者はフードを取り、口に被せていた布切れを取る。そして、不敵な笑みを浮かべていた。
「ふふ、やれ!」
不審者の男は腕を振り上げると、後ろの団員四人が傭兵二人の背後から突然襲いかかる。二人はあっという間に剣で体を貫かれて、力をなくして剣を地面に落としていた。
「な、お前ら」
後ろを振り向いた傭兵に対して、団員は不敵な笑みを浮かべる。
「悪く思うな……。これも金のためだ」
突き刺した剣を握る手を捻り、体を抉っていく。それに傭兵は口から血を吐いていた。
「ぐふ」
足で蹴倒して剣を引き抜くと、四人は止めと言わんばかりに倒れた傭兵に、もう一度心臓に剣を突き立てる。完全に止めを刺した後、四人は剣の血を布で拭って鞘に収めていた。
「本当にこれで良かったんだよな?」
団員の一人が少しだけ戸惑いながら、不審者だった男に聞いていた。
「ああ。手はず通りだ。巡回が回ってくる時間も狂いがなかったからな。とにかく報告だ」
男はそう答えると四人を引き連れて、その場を後にするのだった。
残されたのは路地に倒れる傭兵の骸の二つだけだった。