ルショスクに陰る雲 2
高原の日中の寒暖差は計り知れないものがある。夏でも夜になると長袖の上着は手放せなくなる。
この寒暖差もあってか、ここらに原生する植物は背が低い。また、低地の植物は育ちにくく、食料も年中を通して変わり映えがない。それでも高原の西奥の方には大きな木々で覆われた森林地帯が広がっていた。
気候を無視した植物の成長は、この山奥の地に含まれている木と土の魔力が豊富に含まれているからだという。鉄鋼資源を採掘している東側の山岳地帯は禿げ山でも、西側の高原に広がる原生林は、人の手が入る余地がないほどに深い。
そのお陰か、色野菜こそ育ちにくいが、元々この地で伝統的に生産されている芋類は種類が豊富だ。そして何よりここもかつては王国で最も栄えた一大領地、低地から運ばれてきた野菜も王都よりも高い値段で取引されていた。
露店が広場に建ち並び、大勢の人々が行きかう盛況な場へと姿を変えていた。戒厳令が解かれたルショスクがこれほどまでに賑わっている事に、アストールは驚きを隠せなかった。人通りがあれだけまばらであったのに、今や殆どお祭り騒ぎに等しいほど活気がある。
かつての活気を取り戻しつつある領都ルショスクに、彼女は少しだけ安堵する。昨日まで絶望に打ちひしがれていた人々が、上級妖魔の討伐の知らせを受けて元気を取り戻している。
アストールは町中を歩きながら、今日の夕食の食材を探してさ迷い歩いていた。露店に並ぶ色野菜はどれも新鮮味にかけていて、それでいて値段も王都で買うよりも三倍近い値段がする。それだけこの地では色野菜の食糧事情が良くないことが窺えた。
それとは対照的にこの高地に適した食材と言うのは、かなり安価で売られていた。どれもこれもが新鮮で、見た目こそどろどろしく地味だが、それらの食料がここの領民の生活を支えていた。
(前よりも大分、明るくなったな……)
上級妖魔を倒し、黒魔術師も倒したアストールは、久々に与えられた休暇をこのルショスクで過ごす事にしていた。あの事件も表向きは、妖魔の被害という事にされて黒魔術師は関係ない事となっている。
これ以上無用な混乱を避けるための、苦肉の策でもあった。
ルショスクの人々に再び笑顔が戻った事に、アストールは近衛騎士としての仕事のやりがいを感じずにはいられなかった。
露店には町の人々が戻ってきていて、あの静まり返っていた街は嘘の様に人通りが戻ってきている。城門では領内の村々から買い出しに来た馬車や、納税、食糧販売、その他諸々の所要の為に、多くの人々が訪れ往来している。
これが本来あるべき領都の姿なのだ。
王都ほど賑やかではないが、それでも活気があることに変わりはない。
「さてと、今夜のご飯を探さなきゃな……」
アストールは露店街を歩いて、食料品を見て回る。
「おお、お嬢ちゃん! 綺麗だね、どうだい、獲れたての川魚だ一匹サービスするから買ってかないか?」
最初の鮮魚を売っている露店商が、アストールにサービスを良い事に魚を勧め……。
「久々の市だ。安くしとくよ! 君は可愛いから、名産のミトルを特別にサービスするよ」
横の果物屋がアストールに名産品のフルーツを手渡してくる。
「あら、あなた、可愛いわね。どう? このブローチなんか似合うわよ? おまけするわよ?」
更には少し足を止めた細工屋のお姉さんが、アストールを見て余分な品をサービスすると言う。
アストールが足を止めれば、店の人々は言葉巧みに売り文句をたれてくる。
とはいえ、アストールは女になって初めて、男との扱いの差を思い知った。
男の時ではありえないほど、露店商から声を掛けられる上にそのサービスの質も格段と良い。いくら彼女の身なりが、値のはる服に剣を腰にぶら下げていて、それ相応の身分の女性と見られるからと言って、男の時はここまで声をかけてくることはなかった。
男の時は露店に行っても、よくて愛想のいいおばさんが、売れ残りの物をあげると言って手渡されたくらいの物。最初からここまで、営業トークとはいえ褒めちぎって、物をサービスすることなど有りえなかった。
アストールは苦笑して断ったりと、気を使って愛想振りまいていたが、いつしかそれさえも億劫になり、営業トークは聞こえないふりして素通りしていた。
そんな人通りのある露店の中、二人の男が露店商と言い合いをしている。よくよく見ると、あのリュードとコレウスであった。重傷を負ってはいたが、レニの応急処置のお陰か、今では普通に外に出歩けるまでに回復している。レニが言うにはリュード自身の生命力が高く、回復が尋常でないほど早かった。
そんなリュードは露店商の中年男性に、何やら得体のしれない蝶々の装飾品を手にして強めに言い寄っていた。
「おいおい! 勘弁してくれよ! これがこんな値段するわけないだろ! 俺の地元じゃ、5分の1の値段で売ってるぜえ?」
「じ、地元って、こいつを手に入れるのにどれだけ手間と時間がかかったと思ってるんだ? 俺だって命張って商売してんだ! 諸経費つけたら、妥当な値段だぞ!?」
露店商の店主は、リュードの言葉に食い下がらない。
彼も商売でここに居るのだ。早々すぐに値段を値切るわけがない。
「それでも5倍は暴利だぜ? まあ、確かに道のり大変だってのは、俺たちにもわかるけどよ。やっぱりこの値段じゃいくらなんでも、買えないぜ?」
二人の後ろでアストールは腕を組んでやり取りを見つめる。どうやら、リュードが買おうとしているものは、彼の地元の装飾品の様だった。よくよく見れば、それが髪飾りであることが分かる。
「じゃあ、二割引きにしよう!」
店主もようやくリュードに食い下がり、値引きを提示する。
「いや、半額だ!」
だが、リュードもただでは引かない。すぐに希望金額を提示していた。
「それじゃあ俺の儲けが出ねえ! せめて3割引きだ」
「もう一越え」
リュードの鳴きの一言に、店主は唸りながら答える。
「3.5割引く、これで買わないなら、他行ってくれ! っていっても他には売ってないがな」
「わかった。買うよ」
リュードは渋々それを承諾して貨幣袋を出して、銅貨3枚を手渡す。
「おつりだよ」
店主は細かい種類の違う銭を手渡し、麻袋と木箱を用意していた。
「あんたさんコイツを買うってことは、想い人でもいるのかい?」
店主がリュードに聞くと、彼は快活な笑顔を浮かべて答えていた。
「ああ、必ず振り向かせたい女がいるんだ!」
「そうかい、頑張れよ兄ちゃん!」
リュードと店主が意気投合して話しているのを見て、アストールは見つからない内にその場を去ろうと背を向けていた。その時だった。
「あ、れ~? エスティナちゃんじゃないか?」
「見つかったか……」
アストールはリュードがきづいた事に嘆息していた。
リュードは笑顔でアストールに近寄っていき、先ほど買ったばかりの髪飾りを手にして近寄っていく。
「まさか、ここで会うとは! これも神が導いた運命だ! エスティナさん! こいつを受け取ってくれ」
リュードは彼女に近寄るなり、髪飾りを差し出してくる。
アストールはどうすればいいのかわからず、戸惑いながら助けの視線をコレウスに向けていた。
「偶然は偶然ですけど、リュード、いきなりそんな渡し方したから引かれてますよ」
リュードの後ろからひょっこり顔を出したコレウスに、アストールは安堵していた。彼がいれば一応はリュードの暴走も酷くはならないだろう。
「ふふ、大丈夫だ。エスティナちゃんは、照れているだけだから!」
「違うし……。そんなの貰っても、困るだけだから……」
アストールは率直に自分の素直な気持ちを口にしていた。髪飾りを貰った所で、自分を着飾るつもりは毛頭ない。第一に自分は男なのだと言うプライドが、髪飾りを着ける事を良しとしない。
「ははは! 照れる事はない! さあ、受け取ってくれ!」
リュードはそう言ってアストールの手を握って、髪飾りを手渡していた。
「……別に要らないんだけど」
「ふ、大丈夫さ、君になら必ず似合う。気が向いたらでいいからつけてみてくれよ」
「……あとで質屋に売るかもしれないよ?」
「君はそんな事しないさ!」
リュードが真っ直ぐに見つめて来て、アストールはうんざりとして溜息を吐いていた。戦いの時は背中を任せられるほど頼もしい男ではあるが、いざこうやって言い寄られると一気に気持ちも冷めてしまう。
後ろの細工屋の露店商のおじさんは、リュードが見事に空ぶっていることに首を振っているのが見えた。
遠くまで行って手に入れた髪飾りが、あのような扱いを受けてしまっては、商売をしている身としては残念で仕方ないだろう。アストールはそれを見て、店主が居た堪れなくる。
手に握るのは赤いルビーの嵌め込まれた髪飾りだ。全体が金で装飾されているものの、けして出来が悪いわけではない。アストールは小さく嘆息すると、髪飾りを頭部の左上に着けて見せる。リュードはようやく自分の想いが届いたと思い、アストールの両肩を掴んでいた。
「おおおお! 似合う! 似合うよおおお! いい、いつもより数段美しさが増したああ」
アストールはリュードの両手の上に、自分の両手を重ねるように持っていく。そして、思い切り、つねっていた。
「いででで!」
「気安く触らないでくれるかしら?」
顔こそ笑ってはいるが、明らかに目は笑っていない。明らかにリュードを嫌悪した目だ。
「別にあんたの為に着けてるわけじゃないから。この広間から出たら、外すから」
リュードに小声で宣言すると、アストールは後ろで苦笑するコレウスに声をかけていた。
「コレウスさん。今日は何をしているんです?」
リュードの魔の手から逃れたいとコレウスに声をかけると、彼もそれを察してリュードの横まで歩み出て来ていた。
「リュードと気分転換に散歩ですよ。それに今日は記念市ですから」
「記念市?」
コレウスの言葉を聞いて、すぐに聞き返す。
「そう、あの上級妖魔を倒した記念に、領主が露店市を解禁したんですよ」
「そうだったんですか」
アストールはリュードをおいて、コレウスと共に歩みだしていた。そして、人込みであの露店の店主が見えなくなると同時に、歩きながら髪飾りを外していた。
リュードはその行動に口を開けて、エスティナに歩み寄っていた。
「ななな、なんではずしたの!?」
「言ったでしょ、あんたの為に着けてるわけじゃないって。それにこんなの貰ったって困るの! 返す」
アストールはすぐにリュードの手を取って、髪飾りをリュードに握らせていた。リュードは見事に振られたことに、肩をガックシと落とす。
「く、やはり髪飾り程度では、君は振り向かないか! これは神が与えた試練だああ!」
後ろで一人盛り返しだすリュードを他所に、コレウスとアストールは会話しながら歩いていた。
「本当にここに来た時が嘘みたいに賑わってますね」
「ええ。今までは戒厳令でてましたから、露店も少なかったですし、何より街を行き来する人も少なかったですからね」
コレウスと何気なく会話をしていて、もう一人頼りになる兄貴分が居ない事に気づき、アストールはクリフの行方を聞いていた。
「へーなるほどね。そういえば、クリフは?」
「ああ、彼なら領主と会談して、お金を請求してますよ」
彼らも探検者であり、三人一組で伊達にここまで来たわけではない。普段の言動こそ好きではないが、戦いに関してはピカイチの腕を持つリュード。ジュナルもその実力を認めた魔術師のコレウス、そして、二人を上手く取りまとめる兄貴肌のクリフ。
二人の裏方を務めているのが、クリフであることが分かり、アストールは彼に感心していた。
「探検者も大変なのね」
「はい。交渉も正直難しいですからね。僕は魔術しかありませんし、リュードは腕は立ちますけど馬鹿ですから。もっぱら交渉役は元傭兵のクリフが引き受けてくれてるんです。彼としても交渉は一番得意としてることなんで、上手く住み分けができてるんですよ」
コレウスが笑みを浮かべてアストールを見る。爽やかな青年の笑顔に、ついアストールも笑みを浮かべていた。
「そう! てことで、クリフのネゴが終わるまで、俺達はこのルショスクに留まるぜ」
その間にリュードが割って入る。
「あ、そ!」
リュードを押しのけて、アストールはコレウスに声をかける。
「コレウスさん」
「はい?」
アストールは笑顔でコレウスに頼み込む。
「お暇なら、一緒に回ってもらえませんか?」
リュードが明らかに嫉妬の視線をコレウスに向けていて、彼の笑顔は少しだけ引きつる。
「良いですけど、リュードも一緒ですよ?」
もし、リュードを置いてアストールと一緒に街を回ると、後でリュードに何を言われるかわからない。実の所、コレウスもアストールに気が無いのだが、変な誤解で三人の仲を裂きたくはない。
「大丈夫ですよ。コレウスさんがいるなら、リュードも変なことしませんから」
アストールはそう言って、リュードを無視したまま答える。それにリュードは満面の笑みを浮かべて、コレウスに声をかけていた。
「がはあ! また、そんな俺と二人だと照れるから、お前、ダシに使われてるぜ」
「明らかに違いますよ」
苦笑するコレウスの腕を引いて、アストールは走り出していた。
「そんな馬鹿放っておいて行きましょう」
こうして、奇妙な三人の露店巡りが始まるのだった。