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ルショスクに陰る雲 1


 ルショスクの街から外れた郊外の森、その中でアストール達一行とアルネが向き合っていた。アルネの後ろにはヴァイムが控えている。

 アストールは少しだけ寂しそうに表情を暗くして、アルネに問いかけていた。


「本当に行くの?」


 彼女かれの言葉に、アルネは真剣な表情をして頷く。


「うん。フェルード司祭様が新しい土地を見つけたので私にも戻ってくるようにって言われたの」


 アストールはそれを聞いて、キリケゴール族も集落を復興させようと尽力していることがわかった。


「そっか。そっちも新しく足を踏み出してるんだね」


「うん」


 正直に言えば今回の事件では、アルネに助けられた部分が大きい。とは言え、キリケゴール族の事を国王に報告する気にもなれない。何よりも伝承だけの存在が実在したと言った所で、ルショスクの領民以外はこんな話を信じはしないだろう。馬鹿にされて終わりだ。


 だからこそ、アストールはアルネに悪いと思いつつも、彼らとの口外しないという約束もあって敢えてゲオルギーにはアルネの事を報告していなかった。ただし、ルスラン達の実験はキリケゴール族ありきの成功であったから、そこを曖昧にして報告するのは少々骨の折れる作業ではあった。


 調査隊が到着するよりも前に、アルネにはキリエとその他のキリケゴール族の痕跡を持ち帰るように言っていたのだ。だからこそ、調査隊はキリケゴール族の死体やその痕跡は見つけられていない。


 人間とキリケゴール族、双方が干渉しないためにも、その方が良かったのだ。


「でも、寂しくなるよ。貴方には沢山助けられたし、良かったら本当に仲間として残って貰いたいくらいだよ」


 アストールが笑顔でアルネに言うと、彼女は優しく笑みを浮かべていた。


「そう言って頂けるのは、本当に嬉しいです。私もエスティナさんにこの命を助けて貰いましたしね。あ、そうだ!」


 アルネは思い出したかのように、懐に手を入れるそして、綺麗な水玉の様な透明な結晶を取り出す。そして、アストールに手渡していた。


「こ、これは?」


 アストールがその結晶を見つめて、アルネに問いかける。


「フェルード様からの贈り物です。その水晶の名は地竜の涙です。もしも、大きな壁が立ち塞がった時、これを握って助けを呼んでください。そうすれば私達眷属が助けに来ます」


 アルネはそう言って笑みを浮かべてアストールを見据えて言葉を続けた。


「本当にありがとう。私はエスティナさんのお陰で、人間が悪い人ばかりでないって分かったし、何より貴方達と過ごした時間は忘れられない……」


 少しだけ表情を暗くしたアルネを見たアストールは、彼女に黙って近寄っていた。彼女が姉の事を思い出しているのがわかり、アストールは彼女を抱きしめていた。アルネも黙ってそのままアストールの背中に手を回す。


 暫く黙ったまま二人は抱きしめ合う。


 お互いに温もりを感じ合うと、どちらからでもなく手を放していた。

 目に涙を浮かべたアルネは、手でその涙を拭う。


「ありがとう! 私、お姉ちゃんの分も絶対に生き抜く!」


 アルネはそう言うと、自分を奮い立たせせるようにして、笑顔を浮かべていた。どことなく痛々しさは抜けてはいたが、それでも彼女の心の傷は一生癒されることはないだろう。


 だが、前に進まなければならない。死んだ人を弔い語り継いでいくこと、それこそがここで生き残った者の定めなのだ。アルネはその定めを受け入れて、足を前に一歩だけ踏み出したのだ。


「ああ! 私もこれからしっかりと生きていくよ」


 アストールもアルネに笑顔を浮かべて答えていた。


「皆さんもお元気で!」


 アルネはそう言うとヴァイムに飛び乗っていた。そして、振り返ることなく、ヴァイムと共に森の中へと、颯爽と駆け出していた。その後ろ姿は一瞬で見えなくなっていた。


「行っちゃったね」


 エメリナがアストールの横まで来て、腰に手を当ててアルネの駆けていた方を見据える。


「少し寂しくなるな……」


 アストールはそう言って、アルネの駆け出した方を見据える。彼女が前に踏み出した事はいいことではあるが、いざいなくなるとどことなく寂しくも感じられた。あの大金を渡された一件から、まさか一大事を解決する一大パートナーになるとはアストール自身想像もしていなかった。


「でも、いつかはこうなってただろうからね」


 メアリーがエメリナの反対側にたっていう。


「そうだな。所詮、住む場所が違うからな」


 アストールはそう言うと、森に背を向けてルショスクへと戻りだす。一行もそれに続いて行くのだった。





 時は少しだけ遡り、アストール達が出立してから二週間ほどたったヴァイレル城……。


 肩で息をするほどの荒い息遣い、金髪の短い髪の毛からは汗が滴り落ちる。汗も滴るいい男とは言うが、新人騎士のウェインは見事にそれを体現していた。


 武道場にて真剣を構えて型を練習して剣を振るう。既に二時間近く素振りをして、自分を研鑽している。だが、一向に彼の気持ちが晴れることはない。


(なぜだ! なぜ私の剣は迷いを見せる!)


 傍から見れば鋭い太刀筋に見えるかも知れない。だが、ウェインからすると、その太刀筋はけして良いとは言いえなかった。そして、剣を振るえば振るうほど、ある気持ちが彼を悩ませた。


(エスティナ殿、果たして貴方はご無事なのか……)


 そう、エスティナに対するどうしようもない気持ちだ。彼女がルショスクに向かってからかなりの日数が経っている。あそこは荒廃して近衛騎士の間の噂では、黒魔術師が多数潜んでいると言われている。また、その被害が拡大し、今は上級妖魔まで居座っている状況だ。


 だが、ルショスクは辺境の土地で中央の人間はすぐに行けない。だからこそ、ウェインは余計にエスティナの身を按じていた。


(そんな所に居ては、エスティナ殿は……。いかんいかん! 研鑽を積まねば)


 ウェインは首を左右に振ると、無心になろうと努力しながら剣を振り続けていた。そんな色男の元に、線の細い若い騎士が近づいていく。ウェインの同僚の騎士であり、同じ師の元で切磋琢磨した間柄の青年騎士マルコス・ベッカリオだ。


「おい! ウェイン! 聞いたか!」


 ウェインは剣を止めて同僚の騎士マルコスへと顔を向ける。


「なんだ? マルコス」


 近衛騎士の中でもウェインと共に同時期に叙任した騎士だ。

 茶色の髪の毛は耳まで掛かり、そのパッチリとした目つきの顔に笑顔を浮かべれば、愛想のいい男で王城の中では年上の女性からもてている。ただし、本人は自身の童顔をコンプレックスに思っている。


「ルショスクへの遠征軍が出ることが決まったってよ!」


「なんだと!?」


 ウェインは顔色を変えて、すぐに剣を鞘に収めていた。


「ああ、何でも第一近衛騎士団の1000名を派遣するって話だ!」


 栄誉ある第一近衛騎士団は、従卒を合わせて3000人で構成されている。その三分の一を派遣するというのだ。ただ事ではない。


「しかも、宮廷魔術師も10名付いてくるらしい! 規模からして大規模な妖魔討伐の作戦だろうな」


 そう言って笑みを浮かべるマルコスは、右に左にとジャブを打ってみせる。


「待ちに待った実戦だぜ!」


 威勢のいいマルコスをよそに、ウェインは少しだけ不安になる。

 その栄誉のある討伐軍の中に、果たして自分は含まれているのだろうか。

 不安が彼を苛んでいた。その不安を取り払うために、ウェインはすぐにマルコスに問いかける。


「マルコス、それだけを言いに来たわけではないのだろう?」


 ウェインの問いかけに対して、マルコスは笑みを浮かべて答えていた。


「勿論さ。今回の遠征軍の百人隊の一隊を、ウェイン、お前が受け持つ事が決定したんだと!」


「わ、私が百人騎士長を!?」


 無邪気に言うマルコスの言葉に、ウェインは唖然とする。まだ経験が浅く、百人とは言え騎士隊を率いて戦わなければならないのだ。普通ならば経験の豊富な騎士をこの職に着かせるのだが、新人がいきなり百人騎士長をすることなど、異例中の異例だ。自分にその職務が務まるかという不安がウェインの胸を駆け巡る。


「なぜ、私なんだ……?」


「ガリアールで妖魔討伐を経験してるからだろう」


 マルコスがウェインの疑問にすぐに答えていた。王城に常駐している近衛騎士は三百人で、各地より徴兵された近衛兵が隷下に配属されている。近衛兵は常に戦闘の訓練をしており、普通の領主が騎士として領民を徴兵して戦地に向かうのとはわけが違う。その練度、知識、戦術、ありとあらゆる方面に長けた兵士たちであり、給金は王国政府が払っている。近衛騎士軍団は言わば王の常備軍なのだ。


「ちなみに俺はお前の副官の第三騎士長だ!」


 マルコスは十人騎士隊の長を務める。十人騎士隊は1名の騎士が9名の近衛兵を指揮する分隊であり、分隊十個で百人騎士隊を構成している。そして、その長が第一騎士長である。副官は第二騎士長と第三騎士長が務めるのが慣例となっている。


 新人で副官に任命されたマルコスも異例ではあるが、ウェインほどではなく噂にはならないだろう。


「マルコスが副官か……? それでもう一人は?」


「第二騎士長はデュナン殿だよ」


「デュナン殿って……。私達の師匠ではないか」


 近衛騎士になるには、正式に騎士爵位を授与されてから数年は騎士としての業務を経験しなければならない。例外として近衛騎士の騎士見習いをしていた場合は、その近衛騎士から推薦があればそのまま近衛騎士に上がることができる。アストールは後者の方で、推薦されて近衛騎士になっていた。


 だからこそ、風当たりが強かった。それに対してウェインとマルコスは二年の騎士業務を得て、近衛騎士の叙任試験を受けて受かったのだ。そこから近衛騎士として教育を受け、正式に近衛騎士になったのが六ヶ月前だ。そして、その教育をしていたのがデュナンだった。


「ああ、そういう事、今回俺達は師匠と一緒に実戦に出るってこと」


「そうか……。師の上に立って指揮をするとは、気が引けるな……」


 不安そうにするウェインに、相変わらずの屈託ない笑みを浮かべてマルコスは答えていた。


「安心しろ。今回お前を騎士長に抜擢したのは、デュナン殿本人だから」


「そ、そうだったのか」


 それを聞いてウェインは少しだけ気を取り直していた。

 デュナンが推薦したという事は、何かしら彼としても考えがあってのことだろう。ウェインはそう思うと逆に期待に答えねばと、使命感が胸の内から湧き出していた。


「それよりも、お前、あのエスティナの所に行けるからって、少し安堵してないか?」


 不意をついたマルコスの言葉を聞いて、ウェインは急に仕草が慌ただしくなっていた。まさかマルコスからエスティナの話が出るとは、思ってもいなかったのだ。


「ま、そ、そそそ、そんな事! ある訳無いだろう!」 


 ウェインが狼狽する姿をみて、マルコスは呆れていた。


(ここまで女の事で分かり易い奴は中々いないよな)


 マルコスの白けた目を見たウェインはすぐに自分が狼狽していた事に気づく。そして咳払いして、すぐに彼に答えていた。


「マルコス、大丈夫だ! 私は近衛騎士で一度任務につけば、他の事は気にならない」


「ま、それならいいけどなー。俺はあの女の事は認めてねーし」


 かつて、マルコスは近衛騎士代行をかけた真剣試合の時に、ウェインと同期ということもあってあの場に彼の陣営で立ち会っていた。女如きが代行とは言え近衛騎士の爵位を持つことを嫌悪していて、未だにアストールに対してはあまり良い感情をもっていない。


「だが、彼女は完璧だ。オーガを倒すほどの実力の持ち主でありながら、美しく流麗で女性らしい振る舞いができる。女傭兵の様な粗雑な面もありながら、反面では高貴な面も併せ持つ。不思議で魅力的な女性だ」


 ウェインは今までの事を思い出しながら、アストールについて語っていた。それにマルコスは小さく嘆息して首を左右に振っていた。


「はぁ、そんなに好きなら、告白してみろよ」


 マルコスの言葉にウェインは再び慌てて否定する。


「ばばば、馬鹿者! 私はただ、彼女の魅力について語っただけで! 私は彼女に惚れてなどいない!」


 まるで自分に言い聞かせるようにウェインが叫ぶも、その言葉には何の説得力もなかった。


「そうかい。なら、他の男がさらっととっていくかもなー」


 マルコスはそう言って両腕を頭の後ろに持っていき、武道場を見回していた。

 近衛騎士達が自らの腕を研鑽しており、その中には女性によく持てる騎士もいる。もしかすれば、エスティナをその騎士が持っていくかも知れない。そんな心配事が、なぜかウェインの頭をよぎっていた。


「か、彼女は、別にそんな尻の軽い女性ではない!」


 だが、彼は自分に言い聞かせるようにして、マルコスに告げていた。


「ああ、そうかいそうかい。わかったよ。それよりもだ……」


 マルコスは既にその話から興味をなくし、話題を変えていた。


「ん?」


「今回のこの遠征、何かキナ臭いんだよな」


 マルコスはぼんやりとした目つきで天井を見つめる。こうなった時の彼は、何かしらの情報に対して猜疑心を持っている証拠だ。それは近衛騎士見習いの時から変わらない。


「何かあったのか……?」


 ウェインがマルコスに目を丸くして聞くと、彼は言葉を続けていた。


「いやーな。今回派遣されるのは、俺達近衛騎士だけじゃなくて、あのレイナード家の三男坊もくるって言うんだ」


「レイナード家? あの陸運を牛耳っている貴族の?」


 マルコスの言葉を聞いた瞬間に、ウェインでさえも疑問をもっていた。レイナード家は王国西部の貴族であり、王国の陸上物流の実に5分の1を牛耳っている。また、彼らの支配する領地はかなり広大であり、東部の武人諸侯を覗くと、唯一王国に所有兵員数の縛りを受けていない言わば豪族だ。


 中止が発表された西方遠征でも、その多大な財力で占領地域のインフラ整備を行い、そこで得られた莫大な利益を貪っているという噂さえある。

 そんな豪族の三男が、態々東の辺境に向かおうというのだ。疑問に思わない方がおかしいだろう。


「ああ、しかも俺達はその隷下で妖魔討伐を行うって言うんだ」


「じゃあ、我々の大将は……」


「そう、あそこの三男、ボンボンのベルナルド・レイナードだ。なんでも私兵と傭兵合わせて五百人を連れて行くって話だと」


 ウェインはその言葉を聞いて、マルコス同様に胸騒ぎを覚えていた。

 なぜ、陸運業で幅を利かせているレイナード家の人間が、態々この討伐に大将を名乗り出たのか。ウェインには想像もつかなかった。ただ一つ、これには何か裏があるのだろうという事が、ウェインにも感じられた。


「グラナ騎士団長はお断りにならなかったのか」


「なんでも、国王からの勅令書付きらしくて、逆らえなかったらしい」


 ウェインはグラナが断れなかった理由を聞いて、再び疑問に思う。武人でもないベルナルドが国王に任命された証を、容易く手に入れられたのか。


 レイナード家は王国唯一の豪族である。国王と対等とまではいかないが、貴族院を動かせるほどの影響力がないわけではない。そこまで思案したところで、ウェインはベルナルドが長であることが覆せない事が分かった。そこで気になったのが、今回千人隊を率いる千人騎士長である。


「……ちなみに千人騎士長は誰なんだい?」


「ギルム殿が着く予定になっている。だから、無茶なことにはならないと思うぞ」


 ギルムは近衛騎士としての経験が豊富であり、騎士達からの信頼も厚い。何よりも現場の空気を呼んで、兵士達を勝利に導くことを得意としている。何よりもこの様な状況であれば、ベルナルドの様な他所者と騎士団の間を上手く取り持つのに最も長けている。


「ふむ。確かにギルム殿ならば……問題はなさそうだ」


 ウェインはそう考えてはいたが、マルコスはそれに対して付け加えるようにしていう。


「ま、何かあっても、俺たちの方が数が多いからな」


 マルコスはウェインにタオルを差し出し、彼はタオルを受け取って滴る汗を拭いていた。そして、二人で武道場を出ていく。


「そうだといいが……」


 マルコスの言葉にウェインは何故か一抹の不安をなぜか拭えなかった。

 こうして、二人はルショスクへと旅立ちの支度をはじめるのだった。 




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