抵抗の結末 1
アストールはメアリーとアルネを引き連れて来た道を急いで戻っていた。
ジュナル達があの窮地を本当に乗り切っているのか、少しだけ心配になっていたのだ。
王の間を抜けて広い廊下を進んでいると、右脇のドアが開いていた。アストールはその扉に妖魔がいないか警戒しながら剣をぬいて近づいていく。だが、その警戒もすぐに解かれた。
部屋の中を覗き込むと、そこにはエメリナが佇んでいたのだ。それだけではない。武器庫だったのか、錆び付いたハルバードが何個も立てかけてあるラックの横で、ジュナルがぐったりと壁にもたれて座り込んでいる。傍らにはレニが付き添っており、ジュナルが何かしらの手傷を負っていることがわかった。
アストールは慌てて剣をしまうと、即座にジュナルの元へと駆け寄っていた。
部屋に入ってきたアストールを見て、エメリナは驚きの表情を浮かべていた。
「ジュナル! 大丈夫!?」
アストールがいつになく慌てた様子で、ジュナルに近づいていく。エメリナとレニはそれを見て驚き、ジュナルは苦笑しつつ頷いて見せていた。
「心配するでない。拙僧は怪我はしておらぬ」
アストールはジュナルの横まで来ると、即座に膝をついて彼を見据える。ぐったりと壁にもたれかかったジュナルは、顔面は蒼白で明らかに体調は良くない。
「でも、顔色が悪い……」
アストールが心配そうに表情を歪めると、ジュナルは苦笑したまま答える。
「少々魔力を使いすぎましてな……。少しだけ休めば、すぐに魔力も回復して歩けるようにはなるであろう」
アストールは今の今までここまで弱ったジュナルを見たことがなかった。普通の魔術師が扱えないような高等魔術も、容易に使いこなしている彼が、ここまで疲労する状況になった。
そうせざる負えなかったとはいえ、彼をここまで追い込んでしまったのは主人である自分の責任だ。
「ジュナル……。なんで、なんでそんな無理をしたんだ!?」
いつになく怒気が含まれた声に、ジュナルは虚を突かれて目を丸くする。
「あの魔術を使わねば、全滅は免れなかったかもしれぬからな」
ジュナルの言葉から、アストールはすぐに彼が相当に追い詰められた状況にあった事を察する。従者を信頼しての前進だったが、ここまで無理をさせたのは自分自身である。
アストールはそれに気づき、すぐに表情を暗くしてジュナルに語りかける。
「いや、謝らないといけないのは私だ。こんなになるまで無理をさせてしまってすまない……」
ジュナルに無理をさせたことを、アストールが心底後悔している事に、彼は驚きを隠せなかった。男のアストールではここまで追い詰められる状況には陥らなかったかもしれない。そのため今まで謝罪されることもなかった。
だからこそ、こんなに気を使って素直に謝るアストールに違和感を持たずにはいられなかった。
「ふふ、主人が従者に謝るものではないぞ?」
ジュナルの優しい言葉に、アストールはそれでも表情を暗くしたままだ。
「拙僧らはアストールを信頼してここまで付いてきている。お互いにできると信じた上で任されたまでの事。その結果で拙僧が死んだとしても、拙僧は恨まぬ。何より、拙僧はこうして生きているであろう」
ジュナルの言葉にアストールは静かに首を横に振る。そして、彼の冷たい手を握っていた。
「でも……」
「なに、心配なさるな、すぐに歩けるようになりますぞ」
アストールを元気づけるために、ジュナルは笑みを浮かべていた。アストールはそれでも心配そうな表情を変えることはない。明らかに疲労が大きいのが見て取れるからこそ、アストールは言葉を続けられなかった。
ジュナルは小さく嘆息して、彼女に真摯に語りかける。
「拙僧が今まで嘘を言ったことがありますかな?」
ジュナルは相変わらずの笑みを浮かべると、アストールは目に涙を浮かべて頷いて見せていた。
「そうであろう。拙僧を信じよ」
アストールはその言葉を聞いて、ようやく表情を明るくする。
「わかった。死んだりなんかしたら、絶対に許さないからな」
アストールの言葉にジュナルは頷いてみせた。
「であれば、拙僧の心配は無用! 貴公にやれる事をしてくるのだ」
ジュナルがアストールに言うと、彼女は立ち上がっていた。
「私が付いておくから、リュード達を見てきなよ!」
メアリーが後ろから声をかけると、アストールは真剣な表情で彼女にいう。
「ああ、頼む。アルネはメアリーとここを守ってくれ。エメリナ、レニ、すまないがもう一仕事あるかもしれないから、一緒に来てくれ」
ジュナルの横で控えているレニとエメリナに、アストールは付いてくるように言う。彼女は後ろ髪ひかれる思いで、その場を後にしていた。
部屋の外に出ると来た道を戻っていく。ジュナル達が戦っていた広間には血だまりと、無数の妖魔の肉塊が散乱していた。オーガも含めた大量の妖魔達の死体を見て、アストールはジュナルがどれほど強力な魔術を使用したのか直ぐにわかった。
ここにいた妖魔やホールにいた妖魔諸々を魔術で葬ってしまったのだ。
アストールは唖然としながら、広間を歩いていた。ある意味ではここまで強力無比な高等な魔法を扱ったジュナルこそ、黒魔術を扱ったと言ってしまってもおかしくはないように思えてしまう。
だが、アストールはそんな思いを首を振って振り切っていた。
(何思ってんだ! ジュナルは黒魔術なんて使わないんだ)
アストールはつかつかと足を速めて、広間より早々にホールに出ていた。
ホールにつくと、ボロボロに崩れた手摺の方まで駆け寄る。ホールの吹き抜けのど真ん中には、ヴェヘルモスが倒れこんでいる。その上で、大斧ヴァルバロッサを立てて座るコズバーンがいた。息をついたコズバーンの傍らには、負傷したリュード達が力なく座っている。
明らかに重傷を負っているリュード、そこからも死闘が繰り広げられたのが容易に想像がついた。
アストールはエメリナとレニを引き連れてホールに降りていた。
「三人とも大丈夫?」
リュードはクリフに肩を支えられて、苦笑を浮かべていた。
「ああ、どうにかな……」
リュードは言葉でそう言うものの、体中から血を流しており、見た目からして明らかに重症だった。流石のアストールも心配を隠せないでいた。
「……とにかく座って! レニ、すぐにリュードを診てあげて」
アストールはリュードを崩れた石柱に座らせると、すぐにレニを呼んでいた。
レニは両手をリュードに翳すと、すぐに表情を歪めていた。
「よくこんな傷を負って立てましたね……」
レニは目を瞑ったまま、リュードに話しかけていた。
「ああ、肋骨の二、三本折れたって怪我の内に入らねえよ」
「何言ってるんですか! 重症も良いところですよ! 脊椎を軽微ですけど損傷してますし、肋骨四本骨折、普通の人なら痛みでショック死しててもおかしくないですよ!」
レニはリュードがかなりの重傷であることに驚きを隠せないでいた。
だが、彼はそれでも笑顔を浮かべている。
「へへ、かもな。でも、命は助かった。今回は本当にコズバーンに助けられたよ」
リュードが珍しく弱気になって答えていた。ここまで弱気な彼を見たことがないアストールは、リュードを心配して声をかけていた。
「レニに任せるから、絶対に安静にしてるのよ!」
「……へへ、エスティナちゃんに心配されるとはな」
苦笑するリュードに、アストールは即座に答えてた。
「そこまでけがをしてるのに、心配しないわけないだろ」
即答はしたものの、そこに恋愛感情は一切含まれてはいない。
胸がどきどきと高鳴る事さえなかった。ただ単にリュードがあまりにもズタボロになっていて、見知らぬ人が見ても心配をするほどに傷ついているのだ。
一先ずはレニに治療を任せて、アストールは周囲を見渡していた。
クリフも治療が必要そうな怪我をしており、コズバーンはヴェヘルモスの上で誇らしげに腕を組んで感傷に浸っている。
唯一無傷のコレウスも少しだけ疲労の色が見て取れた。
コズバーンの感傷を邪魔しては悪いと、アストールは敢えて彼に声はかけなかった。何よりも前衛三人の中で、明らかに一人だけほぼ無傷の軽傷程度で済んでいる。ある意味では妖魔よりも、妖魔らしい男といってもいいかもしれない。
「これから、どうするんだ?」
痛みに顔を歪ませながらリュードがアストールに聞くと、彼女はすぐに答えていた。
「まだ行方不明になった生存者がいるかもしれない。エメリナとコレウスさんの三人でここを調査するわ」
城である以上どこかにあの行方不明者がいるかもしれない。
そう思うと行動を起こさずにはいられないのだ。
「私も行くの?」
エメリナが気だるそうに聞いてくると、アストールはさも当然と言う。
「当たり前でしょ。あなたのスキルが役に立つかも知れないじゃない?」
アストールの問いかけに、エメリナは嘆息していた。こうなってしまってはいくしかない。
「コレウスさんも大丈夫ですよね?」
アストールが笑顔で問いかけると、彼は快く引き受けていた。
「もちろんですよ」
アストールは安堵の溜息をつくと、すぐにコレウスに問いかけていた。
「コレウスさん、魔力の流れを見ることはできる?」
「ええ、できますよ」
「じゃあ、この城の魔力の流れをみれるかしら?」
「やってみないとわかりませんが……。やってみます」
コレウスは集中して目を瞑る。
城全体に強力な魔力が宿ってはいるものの、魔力の流れを作った術者が死んだためか、流れは乱気流の如く乱れていた。そのおかげで城の地下から強力な魔力が漏れ出していることが見て取れた。
奇妙な魔力の流れからして、地下に何かがあることは間違いない。
更に集中力を高めて、地下から漏れ出る魔力をたどっていく。その先には……。
(これは恐らく、地下牢か……)
これだけ大きな城なら、牢獄を地下に作っていてもおかしい話ではない。
「どうやら、この城には地下牢があるみたいで、そこから不自然な魔力が湧き上がっているように見えました」
コレウスは透視を終えると、アストールに向き直っていた。
「……行きましょう。じゃあ、道案内をお願い」
アストールはそう言うとエメリナを見つめた。
「え? 私?」
「地下牢がどこにあるか。入口がどこにあるか、エメリナが一番分かりそうだからね」
エメリナは今まで幾度となく領主の根城や砦に侵入してきた。言わば、盗賊の中でもエキスパートな実力者だ。城の基礎的な構造をある意味では知り尽くしていると言っていい。
「まあ、大体ならわかるけどさ……。絶対じゃないよ?」
エメリナは暫し考えながら、周囲を見渡していた。
一人でブツブツと何かを呟きながら、城の構造を見ながら歩き出す。
アストールとコレウスはその後に続いていていた。
ホールから廊下に出ると、そのまま外へと足を踏み出す。踏み出したその先からは崩れ去った城壁の間から廃墟となった一大都市ショスタコヴィナスが見えた。
既に日は暮れ始めており、流流石に廃墟というだけあって不気味さばかりが目立っていた。
「多分、こっちだよ」
エメリナはそう言って城から出ると、そのまま外城壁の方まで歩いていく。ショスタコヴィナス城は崖の頂きに造られているため、外に出るための城壁をぐるりと回ってから城下に降りなければならない構造となっている。
外城壁から一望できる街の光景に、エメリナとアストール、コレウスは足を止めていた。
夕日の沈む山々の手前に広がる城下町、複雑に入り組んだ通りに、至る所にある小さな広場、更に奥にはこの街を守るための城壁が構えられている。だが、建ち並んでいる家々の屋根は崩壊し、中の構造が丸見えになっていた。何よりも人がおらず、下から吹き上げる冷たい風の音だけが、ここが廃墟であるということを意識させていた。
哀愁漂わせる街並みに見とれていたが、エメリナはすぐに歩き出していた。
城壁を進むと階段があり、外から見ると城壁が凹んでいるように見える。その凹んでいる部分の真ん中に、地下へと続く入口がポッカリと口を開けて待っていた。
「ここだと思うよ」
エメリナはそう言うと、中を覗き込む。
もしかするとまだ妖魔の残党がいるかもしれない。
身構えたエメリナに、コレウスは魔法を詠唱して杖の先に明かりを灯していた。瞬時に廊下の中が照らし出され、エメリナとアストールはそれぞれ得物をぬいてその階段を降りていた。
地下に続く階段を下りていくと、地下の牢獄は原型をとどめぬまでに姿を変えていた。広い一室には多くの実験器具が並び、その奥には人ならざるものが瓶詰めされている。髪の毛の生えた犬のようなよくわからない生き物や、人の生首の横からコルドの頭が生えた人型の物体。そのどれもが、瀕死であったり死んでいたりと、とても目を向けられたものではなかった。
「……これは酷すぎる」
コレウスはしばしショックで言葉を発せなかったが、人と妖魔の融合体を見て一言だけ発していた。
悍ましいと思える物体全てが、人と妖魔の融合実験で生み出されたものだ。ここではつい最近まで、このおぞましい実験を繰り返されていたのは明らかだ。
奥に進むと原型をとどめている牢獄へとたどり着いていた。
アストール達はその牢獄の中に、絶望に打ちひしがれている数名の生存者を見つける。体は衰弱した様子はないが、それでも精神的にはかなり追い詰められている様子だった。
アストール達が来た瞬間に、数名の人が信じられないと口を開けて三人を見つめる。
「助けに来た……」
アストールの言葉を聞いて、一斉に人々が声を上げていた。
「そ、そんな、うそ……」
生存者は全部で四人、男性三人に女性が一人、いずれも二十代で肉体的にしっかりとしている。ボロボロの麻布の服を着せられていて、四人が元々何をしていたのかはわからない。
アストールは優しく牢屋越しに声をかけていた。
「本当だよ」
「……助かったのか」
男性の一人がその場で安堵の溜息をついて座り込んでいた。
「エメリナ、カギを開けて」
エメリナはアストールの言葉を聞いて、牢獄の錠を針金でいじる。かちゃりと音がして、一瞬で鍵は空いていた。それと同時に、拘束されていた人々が立ち上がる。扉を開けると彼らは安堵の表情を浮かべる。
「救助の本隊が来るまでは、ここにいてもらうが、大丈夫かい?」
アストールはそういうと、生存者たちはうなだれていた。
「夜の移動は妖魔も出るし無理だ。こっちも満身創痍でね」
アストールは生存者たちに一応の安全は確保している事を告げると、牢屋から開放していた。エメリナに四人を引き連れて外に出るように言うと、コレウスと共に他の牢屋にも人がいないかを確かめていた。
だが、どの牢屋も結局は空になっている。どうやら生存者はあの四人だけだったらしく、アストールは小さく嘆息していた。
「もっと早くに犯人が分かっていれば……」
アストールは暗い牢屋の中で拳を握り締める。彼女の呟きが虚しく牢獄に響くのだった。