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黒い抵抗 3

 アストールとメアリー、アルネは、ヴァイムの背に乗って最後の一室へと辿り着いていた。領主の間と呼ばれる広い一室。ドーム状になった天井からは、かつてここに相当の富があったことを示していた。その広間の奥に玉座が取り付けられている。

 玉座に座るのは一人の老人だ。その傍らには騎士のルスランが控えている。

 ルスランは剣の鋒を地面につけて、両手を柄の上に乗せたまま佇んでいた。そして、三人を見据えてつぶやくように言う。


「ここまで来るのが予想以上に早かったな……」


 何かを仕掛けてくることもなく、ただ単にそのまま一行を見据える。老人もまたその場から動くことなく、アストール達に顔を向けていた。


「貴公らが私の野望を阻んだ者共か」


 アストールはヴァイムの背中から床に降り立つと、老人を見据えて答えていた。


「そう、私は第一近衛騎士団騎士代行エスティナ・アストール! 国王の名代として、お前を捕まえる! 名を名乗れ!」


 アストールは叫ぶと静かに腰の剣を抜刀して老人に鋒を向ける。


「我が名はイヴァン。イヴァン・ガリツィニヤだ」


 イヴァンが名乗るのを聞いてから、アストールは彼を睨みながら聞いていた。


「お前が誘拐した人々はどこだ?」


 アストールが聞くとイヴァンは不敵に笑っていた。


「ああ、あの実験材料達か。殆ど使ったよ。とはいえその大半は妖魔共の魔力に耐性を得ることなく死んでいった。だが、そこのキリケゴール族のおかげで研究は一気に完成間近までたどり着いたのだよ」


 誘拐された人々のほぼ全てが失われている事実を告げられ、アストールは胸の内から熱い想いが湧き出してくるのを感じた。

 誘拐した人々の無念の思いを考えると、居ても立ってもいられない。

 怒りを顕にして、アストールは叫んでいた。


「貴様は絶対に許さねええ!」


 アストールは剣を構えて駆け出していた。それと同時にルスランも抜刀して、アストールに向かって素早く駆け出す。二人の距離が一気に縮まって、次の瞬間に二人は剣を交える。

 二、三度互いに斬り合い、その全てをお互いに受け合っていた。

 上段からの一撃をアストールは受けると、彼を見据えて口を開く。


「ルスラン! 最初はあんたがこんな事しているなんて、考えもしなかったよ」


 彼女かれと目を合わせたルスランは、笑みを浮かべて答えていた。


「ふ、それもこれも全てはイヴァンの親父のためさ」


「その爺さんが親父?」


 アストールがルスランに問うと、彼は相変わらずの笑みを浮かべたまま答える。


「ああ、俺にとっては、父親同然の人さ」


 アストールは剣を弾いて、一旦ルスランから距離を取る。

 二人はお互いに体の正面を向けたまま、距離を保って部屋の中をゆっくりと回りだす。メアリーも我慢ならないとヴァイムの背中から降りて、弓を構えてルスランに狙いを定める。しかし、アストールは軽く彼女をなだめていた。


「メアリー、手出しは無用だ。アルネの援護に向かってくれ」


 アストールがそう言うと、メアリーは頷いて見せていた。


「いいだろう。俺も騎士の端くれだ。この勝負、魔法は使わずに貴様を倒す」


 ルスランはそう言って 剣を構え直していた。

 顔の横に剣柄を持っていき、まっすぐにアストールを見据える。


「私はあんたを許すつもりはないから」


 アストールもまた正眼に剣を構える。互いに向き合ったまま、間合いを詰めていく。無闇に詰めると確実に斬られる。慎重になるのに越したことはない。そんな心情が二人の心の中で静かな攻防を繰り広げる。

 双方に手合わせこそしていないが、騎士と名を冠するだけに実力はそこらの賊とは比べるまでもない。しかし、このままジリジリと間合いを詰めていても、いずれは剣を合わせなければならない。


 剣を構えたまま、二人はお互いの隙をみつけようと集中して目をみる。

 互いの頭、腹、腰の正中線が崩れた時が、間合いを詰めるときだ。アストールは誘いの意味も込めて、敢えて相手に隙を見せていた。

 ルスランはその隙を見て一気に駆け寄けよる。と同時にアストールも駆け出していた。二人は双方の間合いに入り、アストールは正面から袈裟懸けをしかける。

 ルスランは即座に剣を構えて受け流し、そこから手首を捻り変えて上段切りを仕掛けた。アストールは剣を振り切らず胴前で止めていたため、すぐにそのまま剣を振り上げてルスランの斬撃を弾いていた。

 ルスランは体勢を整えつつ、間合いを取って後ろに引き下がる。


「ほほう、やるな……」


 ルスランが笑みを浮かべてアストールを見据える。久しぶりの好敵手を見つけたと言わんばかりに、喜々とした瞳が彼女かれを捉えて放さない。

 アストールも小手調べに斬りかかっていた為、先ほどの一太刀で相手の実力が分かる。


(こいつ、相当に鍛錬を積んでいるな……。強い……。王立騎士なんかよりもずっと強いぞ)


 間合いの取り方に加えて、ルスランの構えには付け入る隙がない。

 二人が構えて互いを見つめ合い、真っ向から相手を見据えて体勢が崩れるのを待つ。張り詰めた空気が、二人の間に流れ出し、戦いは真剣勝負にもつれ込んでいた。


 勝敗は一瞬で決する。


 それが判っているからこそ、お互いに間合いに入ることができなかった。


 そんな二人の横をアルネはヴァイムを駆けらせて、イヴァンに向かって突進する。


「お前が、お前がああああ!」


 アルネが横を通り過ぎるも、ルスランは動けなかった。互いに拮抗した実力者同士、もしも、一瞬でも他所見をすれば、その一瞬で斬られる。それがわかっているからこそ、ルスランもアストールもアルネには見向きもしなかった。


「ルスランよ。按ずるな。この娘と竜では私は倒せぬ」


 イヴァンはそう言うと、小さく左手を上げて指を鳴らす。同時に飛び掛ってきたヴァイムとアルネの前に、一人の女性が天井より飛び降りてきて二人の前に立ちはだかる。

 そこでアルネとヴァイムは瞬時にして動きを止めていた。


「な、なんで……」


 アルネ達の前に現れた女性、否、女性の形をしたもの、それは……。


「どうだ? 二度目の姉妹の再開は? 感動的であろう……」


 そう、イヴァンの前に立つのは、首に生々しい傷跡を受けたキリエだった。ただし、その表情には一切の変化がない。アルネを見据える瞳にも光はなかった。だが、その体は生前のように艶かしく美しさを保っている。服こそ着てはいるが、ボディのラインが見える下着のような服装だ。


「ふふ、我らの研究を完成させたのは、この実験体であったのだからな。お前には感謝しているよ。アルネ」


 アルネは口を戦慄かせながら、言葉の一切を放つことができなかった。

 イヴァンはキリエの遺体を掘り起こして、再びその体に鞭打っていたのだ。


「……なんで、なんで、貴様達はこんなことができる?」


 アルネは自らの姉を二度も辱められたことに、屈辱と憤怒を覚えつつもそれ以上に悲しみがこみ上げていることに気づいた。なぜ、姉が二度もこんな目にあわなければならないのか。

 その気持ちだけが、アルネを覆い尽くしていた。


「なんで、なんで!」


 アルネの言葉にイヴァンは口元を吊り上げて答える。


「ふ、簡単なこと、お前の姉は完全に妖魔いや、眷属の力を支配した。だからこそ、キリエは我らにとっては女神も同然の存在だ。まあ、最初はただの出来の悪い失敗作だったが、お前を想う気持ちが奇跡を起こしたんだよ。これを有効に活用しない手はあるまい」


 イヴァンはそう言うと、再び指を鳴らしていた。

 パチンという無機質な音と共に、キリエは姿勢を低くする。次の瞬間には両腕を黒い鱗でおおう。黒い鱗で覆われた腕は次第に長くなっていき、先が尖った鞭へと変化させていた。次の瞬間には跳躍して一気にアルネに迫っていく。

 体を思い切り捻り上げて回転させると同時に、アルネに強靭な鞭の猛威が襲いかかる。だが、アルネはそのあまりの突然の光景に行動が取れなかった。


 鞭が当たる寸前の所で、キリエの胸を一本の矢が貫いていた。生きていれば心臓にまで達しているだろう。だが、生憎キリエは一度死んだ身だ。彼女は一瞬だけ動きを止めるも、その動きを完全に止めるにいたらなかった。それでも、この出来事でアルネはすぐに我に返っていた。


 鞭が当たるよりも早くその場から側転して攻撃を避ける。彼女の居た石の床は瞬時にして抉り取られていた。石造りの床がいとも簡単に削り取られていたのだ。もしも、攻撃をまともに食らっていれば、大怪我を負っていた。


「なんで! ちゃんと急所にはあてたのに……」


 アルネが後ろからかかる声に顔を向けると、短弓に再び矢をつがえるメアリーの姿があった。キリエは既に床に降り立って、ゆっくりとアルネを見据えていた。その胸にはしっかりと矢が刺さっている。だが、痛み一つ感じることなく、感情を持たない表情は、正に動く死体と言っていい。


「ふふ、私の究極の兵器だよ。人と妖魔の合成死体を操る黒魔術。最強の兵士だ」


 イヴァンは笑いながら、アルネとキリエを見据える。まるで、一つの悲劇な物語を楽しんでいるかのように、歪で下品な笑顔が張り付いていた。


「ふざけるな……。なんで、なんで、死んで尚も、まだこんなことを!」


 怒りの視線を向けるアルネに、イヴァンは相変わらずの笑顔のまま答えていた。


「さっきも言ったであろう。彼女は我々の女神だと……」


「ふざけるなああ!!」


 アルネは激高して一気にイヴァンとの距離を詰めて短槍を突き立てようとする。だが、その前にキリエが立ちふさがる。手の鞭を振るうと、アルネもそれに反応して避けざる負えない。

 一撃目を身をかがめて避け、すぐに次の攻撃から逃れるために、後ろに下がってキリエとの距離をとっていた。メアリーはその横でイヴァンに弓の照準を合わせる。だが、彼女は迷っていた。仇をとりたいのはアルネであり、自分はけしてあの男の命を奪ってはいけない。

 そう思ったせいか、放たれた矢はイヴァンの頬を掠めて玉座の背もたれに突き刺さる。


「ふ、貴様に私は倒せまいて」


 イヴァンはメアリーを一瞥すると、左手を彼女に向ける。そして、水の玉を作り出す。瞬時にして水球は水弾となって彼女に向かって放たれる。だが、メアリーの前にヴァイムが立ちはだかり、その水弾を尻尾で弾き返していた。


「あ、ありがとう」


 メアリーは少し驚いてヴァイムに礼を言うと、ヴァイムは軽く鼻息を吐いて答えた。


「ふ、命拾いしたな……」


 イヴァンが笑みを浮かべてメアリーを見据えたあと、すぐにルスランの方へと目を向けていた。彼は相変わらず真剣にアストールと向き合ったまま、ジリジリと距離を詰めていた。


 アストールもまたルスランの正中線を見据えて、ゆっくりと歩を合わせて近寄っていく。


 お互いの距離が縮まっているにも関わらず、アストールの鼓動は変わらなかった。呼吸、鼓動、体勢、その全てが自然体であった。型としてはこの上なくよいコンディションだ。だが、その一つが少しでも乱れれば、一瞬で相手に斬られる。


 視線を合わせたまま互いにゆっくりと左に円を描きながら、ジリジリと近寄っていく。お互いに何一つとして譲らないこの緊張感の中に、入ってくる者はいない。その距離が既に間合いに入る手前まで迫って来るも、アストールは呼吸を乱すことなくルスランを見据えていた。落ち着き払っている二人を傍から見れば、実力の拮抗した達人の勝負にしか見えない。


 どちらも相手の体勢を切り崩そうと、利き腕の反対となる左に向かって動いて、確実に距離は縮まっている。

 そして、ルスランが間合いに入った瞬間だった。


 ルスランは一歩前に出て上段から剣を振り下ろす。アストールは素早く剣を上段に構えて彼の剣撃を受け流す。そして、手首を切り返しての上段切りを浴びせるも、ルスランは体を横にして避けていた。

 アストールは振り切った剣をすぐに横薙ぎに振るい、ルスランの下からの切り上げを弾き返す。ルスランは弾かれた剣をそのまま再び上段から振り下ろし、アストールはその体勢のまま剣を切り上げていた。


 勢いよく剣を弾かれたルスランは、胸を曝け出す。そこにアストールは袈裟懸けを浴びせる。

 アストールの剣はルスランの首筋を切り裂くものの、鎧は切り裂くことができず、火花を散らして鎧の上を滑っていた。とはいえ、それだけでかなりの致命傷を負ったことには間違いなかった。


 ルスランの手から剣が放れて、剣が石畳を叩く乾いた音が響いた。ルスランは首筋から吹き出す血を、両手で押さえていた。

 喉に血があふれて口からも血が噴き出し、気道が血液で塞がって息ができずにそのまま膝をつく。息を吐くことしかできず、苦しそうにゴフゴフと息を吐きながら倒れていた。

 床はすぐに血だまりを作り、アストールは剣を振るって血糊を飛ばしていた。


「ルスラン、貴方は強かった。もしも、私が先に仕掛けていれば、殺られたのは私だったかもしれない」


 アストールの上からかかる言葉に、ルスランは苦しみの表情の中で少しだけ笑ってみせた。だが、すぐに動きを止めていた。力の篭っていた手は自然と広がり、瞳孔が開いて口も動かなくなる。


 ルショスクを苦しめたルスランの、呆気ない最後を見届けるとアストールはイヴァンに目を向けていた。


「お前もすぐに地獄に送ってやる」


 アストールはそう言うと剣の鋒をイヴァンに向ける。


「ふふ、それができるのかね? たかだか一女騎士風情が、我々、黒魔術師に敵うわけがないのだよ」


 イヴァンは余裕の笑みを浮かべていた。

 アストールはイヴァンの言葉に耳を傾けることなく、アルネに襲いかかるキリエに向かって走り寄っていた。

 そして、アルネを押しのけるようにして、キリエの前に立っていた。アルネがキリエを倒せないのは目に見えている。だからこそ、自分がその相手をする。だが、生憎相手はどこが急所なのか分からない。例え、首を落としても動く可能性は十分にあるのだ。それを考えると、迂闊にキリエを斬りつけるのは気が引けた。とはいえ、やらなければこちらがやられる。


「アルネ、お前はあのイヴァンを倒せ!」


「は、はい!」


 アルネをキリエから引き離すと、アストールはすぐに攻撃に出ていた。アストールの動きを見たキリエは腕の鞭を振り下ろす。真上から迫り来る鋼鉄並の強度を誇る鞭を、アストールは切り上げの一振りで切り払う。

 黒く艶かしい鱗のついた鞭は、中空を舞っていた。それでもキリエの表情は一つとして変わらない。

 それどころか、次の瞬間には切られた切り口から、瞬時にして鱗の鞭が元通りに生えてくる。


「ち、どれだけ人の死体で遊べば気が済むんだ!」


 キリエはそのまま再び頭上からアストールに打撃を浴びせる。

 だが、彼女かれはその攻撃を再び払いのけると、そのまま懐に飛び込んでいく。

 一気に間合いを詰めて袈裟懸けを浴びせられ、キリエは反応することができずに真面に攻撃を食らっていた。右肩から左腹部までをばっさりときられ、屍となったキリエは動きを止めていた。


「ば、馬鹿な、並の剣ではその鱗は傷一つつけられぬはず……」


 イヴァンが唖然として、真っ二つになって地面に転がる屍を見つめる。

 全身を鱗に覆われていたキリエは、表情一つ動くことなく地面に虚しく転がっていた。


「……私の剣は特別製でね。妖魔には強いみたいなの」


 アストールは剣を鞘に収めると、イヴァンに目を向けていた。彼の目の前には急接近したアルネの槍の穂先が迫る。だが、イヴァンは首を横に傾けて避けてみせると、即座に右手を構えてアルネの胸にかざす。

「姉妹揃ってあの世に行くがいい!」


 黒魔術の発動で掌の空気が澱んでいた。

 次の瞬間には、魔術が発動……。


「グギャアアア!」


 突如としてイヴァンは悲鳴を上げて、右腕をみる。そこには一本の矢が、イヴァンの腕を貫いていた。イヴァンが横を見ると、神妙な顔つきで弓を引離したばかりのメアリーが目に入る。


「く、糞どもがああ。きさまら凡人などおお!!」


 間一髪の所でイヴァンの魔術発動は防がれ、憎々しげにメアリーを見つめる。アルネは玉座の肘当てに仁王立ちすると、そのまま椅子の背もたれに刺さった槍を横滑りさせる。


 穂先はそのままイヴァンの首元をえぐり、次の瞬間には血の雨がアルネを赤く染めていた。


「お前が、お前がキリエおねえちゃんを、二回も、殺した……」


 イヴァンはアルネを見据えると、憎悪を込めた目で睨みつけていた。


「き、貴様ら、実験材料にわしがああ」


 アルネは振り切った槍を構えて、そのまま反対の石突でイヴァンの額を思い切り突いていた。

 頭蓋骨を砕かれたイヴァンの悲鳴が木霊し、アルネは更に穂先を頭上から振り下ろす。キリエの受けた苦痛からすれば、このような痛み、毛ほどにも及ばないものだ。


 人を痛めつけるには十分な効果がある。

 頭上から振り下ろされた穂先は右額より左顎をえぐっていき、イヴァンの顔を酷く変形させていた。

 だが、未だに息と意識があるのは、なまじこのイヴァンが魔力を豊富に持てる体質だからだろう。

 イヴァンは虫の息になりながら、アルネを見上げていた。

 そこには復讐者として、イヴァンを見据えるアルネが冷淡な目付きで彼を見下ろしていた。


「じ、実験材料が……」


 アルネは左膝を槍の穂先で突き、再びイヴァンの叫び声が部屋中にこだまする。彼女はイヴァンがすぐには死ねないのをわかって、敢えてこのように男をいたぶっていた。だが、それはけして楽しんでやっているのではない。


「お前達さえ居なければ、皆死なずに済んだ……」


 アルネは今度は右肩を穂先で突き刺す。

 イヴァンの悲痛な叫びが響き、それでも完全な致命傷にならず、生殺し状態になっていた。

 真っ赤に染まる復讐者は、容赦なく次々に槍を体の各所に突き刺していく。その度に段々と玉座から流れ出る血の量が増えていく。いつしか、玉座周辺には血だまりが出来ていた。


「絶対に、楽には死なせない」


 最早動くことすらままならないイヴァンは、虫の息でアルネを見据える。


「そのまま死んでいけ」


 アルネは真っ赤に染まった槍を思い切り振ると、動けなくなったイヴァンを玉座に残して飛び降りる。彼女はイヴァンに背を向けて歩みだす。


「こ、この私が……。私が、お前たちのような凡人に……」


 息絶え絶えにイヴァンはその場で矢の刺さっていない左腕を掲げる。


「負けるわけにはいかんのだ」


 火球が掌の前に作り出されるも、アルネは素早く振り向いて槍を投擲していた。

 槍は一直線にイヴァンの額に突き刺さる。同時に火球が放たれて、アルネはそれを避けようとはしなかった。目の前まで迫る火球に、アルネは目を瞑り両手を広げて受けようとしていた。


「馬鹿野郎おおおお!」


 だが、その横からアストールが飛び出して、アルネを抱えて押し倒す。

 火球は二人の背を掠めて飛んでいき、後ろの壁に当たって大きな爆発を引き起こす。当たっていれば確実に命はなかっただろう。イヴァンはそれを見て、小さく呟いていた。


「ワシが、このワシが負けるわけが……」


 イヴァンはそのまま静かになって動かなくなっていた。魔力を使い果たしたその体は急激に老化が始まる。まるで本来の年齢を取り戻すかのように、肌は萎れて筋肉は水分を失いしなびていく。目は窪み落ちて骸骨の形を瞬時に作り出す。爆風が収まる頃には、ボロボロのミイラが一体玉座に鎮座していた。

 アストールは爆風が収まると、ゆっくりと立ち上がる。そして、床に寝たままのアルネを見ることなく、腰に手を当てて嘆息していた。


「全く……。自分の命を粗末にするんじゃない」


 アストールの言葉に、アルネは返す言葉が見つからない。代わりに返ってきたのは、彼女のすすり泣く声だった。アルネは右腕で目を覆うと、むせび泣いていた。


「なんで? なんで私を助けたの?」


 アルネは泣きながら、アストールに問いかける。


「なんでって。それは、お前……」


 アストールは動かなくなった二つに切り裂かれた骸を見据える。変わり果てた姿となったキリエに、生前のような美しさはない。死臭さえ放たない不気味な骸へと姿を変えた彼女は何も語りかけては来ない。

 だが、アストールの言わんとしていることが、アルネもわかっていた。


「私は生き残れた。けど、私は誰も守ることができなかった……」


 アルネはゆっくりと口を開いていた。

 涙と嗚咽が交じる声に、アストールは彼女の頭の方で膝まづく。


「そうかもしれない……。けど、お前は本当にそれでいいのか?」


 アルネの真意を問い質すために、アストールは言葉を続ける。


「護るべき者が、お前にはまだいるんじゃないのか?」


 アストールの言葉にアルネは俯いて答えていた。


「キリエお姉ちゃんのいない世界なんて……」


「……でもそのキリエはお前が死ぬことを望んでいるのか?」


「……」


「イヴァンを倒して、仇は討ったし目的は果たした」


 アストールは玉座に鎮座するミイラを指差していた。

 いつから生きていたのか、その体からは伺い知れない。魔力が事切れて本来の姿を晒したイヴァンの年齢は、百歳は優に超えているのだろう。だからこそ、冷酷な実験もしてのけたのか。はたまたそれはイヴァンが本来望んでいた黒魔術の結果を生み出すための、ただの過程だったのか。本人が死んだ今では何もわからない。ただ、一つだけ言えること。


 それはアルネが確かに姉の、否、一族に仇名した敵に止めを刺して復讐を果たしたことだ。


「全部終わった。だから、私はお姉ちゃんの処へ行こうと思った。それの何が悪いの?」


 アルネの悲痛な叫びを聞いても、表情を変えることはない。


「アルネ、お前にはまだ、やらないといけないことがあるんじゃないのか?」


 真剣な表情で語り掛けるアストールに、アルネの脳裏には里で帰りを待っている人々の顔が思い浮かぶ。

 あの悲劇的な襲撃のあったあの日に、多くの仲間や家族を失った。

 絶望に打ちひしがれているのは、アルネだけではないのだ。そして、何よりも彼らはその悲しみすらも呑み込んで、新たな希望を抱いて新天地を探している。そうやって、苦しみを乗り越えようとしているのだ。

 そんな中、自分一人だけが楽になろうと、逃げようとしていた。

 そう思うとアルネは自分を恥ずかしくなる。

 アストールがアルネに顔を向けると、彼女は苦笑を浮かべて答えていた。


「そうだね……。私にはまだやらなきゃいけない事がある」


 アルネは眷属としての使命を思い出して、アストールに向き直っていた。


「眷属として、いや、キリケゴールを代表としてあなたに礼を述べます」


 アルネは向き直ると、直立して左腕を右胸に充てて礼をしていた。


「ありがとう……」


 アストールは改まってお礼を言われて、気恥ずかしくなっていた。顔を逸らして鼻を指でこすりながら答えていた。


「お礼を言われるほどの事はしてねえよ」


 イヴァンを倒したアストール達は今一つすっきりしない結果に満足感を得られなかったが、それでも一先ずの解決を喜ぶのだった。


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