黒い抵抗 2
大剣を受けられたリュードは、そのまま剣を引いて手を切り裂こうとする。だが、ヴェヘルモスは即座に手を放して、反対の手でリュードをなぎ払う。
間一髪の所でリュードは後ろに下がって、横薙ぎを避けていた。
ヴェヘルモスはゆっくりと立ち上がる。今まで負わせた傷が次々に塞がっていく。主に足の傷は炎を吹き出した後、黒く固まり何事もなかったかのように塞がっていた。
流石に角の再生は無理らしく、折れた角は断面が黒くなっているだけだ。
「ち、再生能力があんのかよ」
リュードは舌打ちしながらヴェヘルモスを睨みつけていた。
「ならば、再生が追いつかなくなるまで、攻撃すればよい!」
リュードの真横を駆け抜けていくコズバーンは、青く光る大斧を横からないでいた。腹部を狙った一撃だが、ヴェヘルモスはその攻撃を受けることなく避ける。それを見たコズバーンは唇を吊り上げる。
「ふん、今、避けたな……?」
コズバーンは後ろに下がったヴェヘルモスに更に接近して攻撃を仕掛けていく。流石に彼の振るう大斧の一撃は、他の小さな剣や槍とは違って威力が大きい。ヴェヘルモスとは言え、その一撃を喰らえば傷口の修復には時間がかかるのだろう。それを見極めたのか、コズバーンは相手に反撃の隙を与えずに、大斧を振るい続けていた。
だが、その攻勢も長くは続かない。
次の瞬間には、ヴェヘルモスは大きく口を開いて火炎を真上からコズバーンに浴びせていた。コズバーンもそれを見極めていたのか、はたまた彼の勘がそうさせたのか、体は炎が吹き掛かる前に側転して避けていた。
コズバーンの避けた方向に顔を向け、次々に灼熱の火球が襲い来る。コズバーンは避けきれない物は、魔法付与された大斧で払いのける。
燃え盛る炎を前に、コズバーンは苦戦を強いられた。
口から炎を吐くヴェヘルモスを前に、コズバーンはやむなく後ろに下がる。灼熱の炎はコズバーンの皮膚を焦がす。身に着けていた毛皮からはプスプスと煙があがり、毛を焦がす独特の焦げ臭さが漂っていた。
「おいおい、あんま無理すんなよ!」
このままコズバーンだけに任せるわけにもいかないと、横にリュードが並んで笑みを浮かべていた。流石のコズバーンでも、魔法を扱い、火を噴き、人語を理解して話す妖魔を、一人で倒すのは厳しい。
「無理などしていない。しかし、少々こいつは手を焼く相手だ」
珍しくコズバーンが愚痴をはいていた。彼も自らが死ぬ攻撃は見極めることはできる。このヴェヘルモスの攻撃は下手をすれば死に至る攻撃すら繰り出してくる。
「あんたが強いのは知ってる。オステンギガントと肩を並べて戦うとは思わなかったよ」
リュードの反対に立ったクリフが短槍を構えていた。
「三人とも武器に更に強力な魔法付与を与えます! それから攻撃を! 水の精霊ウィシュトランよ。我が目の前にいる三人の武器に水の力を与えよ! スプロイン!」
後ろでコレウスが魔法詠唱を行い、それと同時に三人の握っていた武器が青く光を放ち始めた。スプロインは攻撃を当てれば相手の体内に、魔法の水が留まって炎体温を奪っていく付与魔法だ。
炎の精霊を浄化する際に使われる魔法で、付与魔法の中でも熟練者が扱う事ができる魔法の一つだ。
「ふむ。助太刀もよかろう」
コズバーンは笑みを浮かべてようやく自分があの目の前の上級妖魔と対等の力を得たと確信する。リュードはその横で小さく声をかける。
「なら、決まりだな」
リュードが飛び出してヴェヘルモスに向かっていく。
「あの野郎! 俺たちが陽動する。あんたは止めを頼む」
素早くそのあとを追ってクリフが駆け出していた。コズバーンは笑みを浮かべると、二人の後を追って駆け出していた。
「よかろう。承知した」
二人が接近していき、最初にその大剣でリュードがヴェヘルモスの足をそぐ。水の魔法を付与された剣の刃は深くに足を抉っていく。普通の付与魔法ならば、ヴェヘルモスの足を切り裂いて終わっていただろう。だが、今度の攻撃では水が傷口に留まっている為、傷口を塞ぐことができない。
片足をついた所でクリフが短槍で太ももをついていく。その隙にリュードは飛び上がって、ヴェヘルモスの背中に上っていた。そして、片翼をその大剣をふるって奪っていた。
大きな音とともに、地面に転がった片方の翼、リュードはそのまま飛び退いて、地面に降り立っていた。
だが、やられっぱなしの上級妖魔ではない。
苦痛に歪むヴェヘルモスは、大きな咆哮を挙げていた。足元のクリフを片腕で薙ぎ払い、そして、着地した直後のリュードにタックルを食らわせる。
「ぐふわ!」
全身に痛みが響き渡り、肋骨が軋み折れる音が生々しく耳に伝わって来る。そして、思い切り背中を段差で打付ける。明らかな重症にリュードは声を上げることさえできなかった。
吹き飛んだリュードはすぐ後ろの階段に叩きつけられる。階段に横たわるその一瞬の隙にヴェヘルモスが彼を右手で捕まえる。その握りしめる手に力が入り、リュードは声にならない悲鳴を上げていた。
「ぐはぁああ!」
「……貴様ら、絶対にユルサヌ」
妖魔は静かに言うと、リュードから魔力を搾り取ろうとする。その時だった。
その腕が突如として青い一閃が襲い掛かり、気が付けばリュードは中空に放り出されていた。宙を舞うリュードが地面に落ちる寸前、巨大な人影が彼をしっかりと受け止めていた。
ヴェヘルモスの切り落とされた腕が大きな地鳴りを上げて、地面に転がり落ちる。血の代わりに溶岩のような液状の炎が右腕から吹き出て、ヴェヘルモスが大きな悲鳴を上げる。その下には大斧バルバロッサが無造作に置かれ、その横で両腕でリュードを受けたコズバーンが笑みを浮かべていた。
「ふん。上級妖魔とて、その程度か」
笑みを浮かべるコズバーンは、立ち上がって階段横にリュードを寝かせる。ヴェヘルモスは腕を抑えながら、コズバーンを見据えて咆哮を上げていた。
「流石はオステンギガント、上段切りで腕を落しちまうとはね」
血を口から流しながら、クリフが槍を手にしてヴェヘルモスの左横から現れる。リュードは胸を抑えながら、自分の剣をもって立ち上がる。
「さっきは油断したが……。次こそは絶対に決める……」
ゆっくりと歩いていくリュードは、ヴェヘルモスの右横にたどり着いて痛みを堪えて大剣を構えていた。
「人間如キガァ!」
ヴェヘルモスはその場で左手を真上に掲げて、五本の指を広げる。そして、その掌に大きな火球を作り出していた。
「不味いです! あれは!」
細く尖った指の先に拳サイズの火球が出来上がり、次の瞬間には掌の火球は散らばって次々に広場に降り注いでいた。クリフは素早く炎を避けながら接近する。リュードもまた接近して大剣を大振りに振るっていた。
リュードに太ももを切られても已然として、ヴェヘルモスは立ったままだった。クリフは反対の足の脛を何度も突き刺していた。だが、それでも未だにヴェヘルモスは佇んだままだった。
コズバーンは迫り来る炎の玉を前にそのまま仁王立ちして、笑みを浮かべながら大斧バルバロッサを頭上で素早く振るう。自らに降りかかる炎のみを切り裂き、時には弾き飛ばしていく。その様は正に怪物に等しい。
「ぬははは! こうでなくてはな! 化物よ、もっとだもっと来るがいい!」
挑発とも取れるコズバーンの言葉に、ヴェヘルモスは鼻筋に血管を浮かべて、素早く左手を構える。そして、特大の火球を作り出して、コズバーンに向かって放っていた。
「ぬははは! さすがの我もこれは受けきれぬぞ! ぬははは!」
大笑いするコズバーンにコレウスが、素早く彼の体に水の付与魔法を与えていた。
「水の精霊王、リヴァイアサンよ! 我が命に従い、かの物の体を水で多いたまえ! スプラシュアーマー!!」
コズバーンの体全体が青い光に包まれた瞬間に、彼は更に大声で笑っていた。
「ぬはははは! 感謝するぞ!」
その場に大斧を投げ捨てると、コズバーンは火球に向かって走り出す。
「な、何をするつもりですかあ!」
コレウスが慌ててコズバーンを引き留めようとするが、時すでに遅かった。
青い光を放つ巨人が体全体で、巨大な火球を受ける。それと同時に巨大な爆発が起きて周囲に、強烈な爆風を浴びせていた。階段にいた妖魔達は例外なく吹き飛び、伏せたリュード達三人の上には瓦礫が次々に降り注ぐ。瞬時にして水蒸気の混じった白煙が辺りを支配する。
「人間ニシテハ、カナリヤッタホウダ……」
確実に死んだと確信したヴェヘルモスは、白煙を見つつ感嘆していた。
そして、跪いて左手を右胸においていた。
「敬意ヲモッテヤロ……」
だが、その言葉が続くことはなかった。
白煙の中から青く光る拳が現れ、ヴェヘルモスの顔面を襲う。
吹き飛ぶヴェヘルモスは、そのあまりの衝撃の強さに仰向けに倒れる。
「勝手に殺されては困る」
白煙をかき分けるようにして、全身がボロボロのコズバーンが現れていた。
とはいえ、服がボロボロで多少の火傷を負っている程度で、至って五体は満足のままだ。そして、その顔には笑顔が張り付いている。
「ナ、バ、バカナ……」
ヴェヘルモスが左腕で口から垂れる血を拭き取り、立ち上がる。
「ぬふふ、我に魔法は通じぬ! 我に真に通ずるのは拳のみよ! さあ、来るがいい!」
体格差が三倍近くある相手に、コズバーンは余裕綽々と素手で構えていた。
「バカニスルナ、人間風情ガアアアア」
角を前面に突き出して、ヴェヘルモスは頭突きをするために一気に距離を詰めていく。
「ぬははははっはは! そうでなくてはな!」
コズバーンもまた走ってヴェヘルモスに向かっていく。
その様は正に無謀な戦いに挑む戦闘狂にしか見えなかった。
二つの影が一気に詰め寄り、次の瞬間にはぶつかり合う。普通ならばコズバーンが吹き飛び、ヴェヘルモスがそのままコレウスに向かうだろう。だが、大きな音とともに煙を吹き飛ばして現れた光景は違っていた。
コズバーンはヴェヘルモスの頭突きを、その体で受けきっていた。
角を両手で持ち、文字通り上級妖魔と互角に力比べをしている。
その顔に笑みはなく、歯を食いしばって必死の形相だ。顔を真っ赤にしてヴェヘルモスが飛び立たぬように押さえつける。
また、頭を持たれたヴェヘルモスも必死に体を使って四肢で踏ん張って、コズバーンをのけようとする。だが、切り落とされた右手と、重傷を負った右足ではコズバーンの力を超えることはできなかった。
「ぬううおおおおおお!!!」
雄たけびを上げたコズバーンは、そのまま上級妖魔の体を持ち上げる。
踏ん張っていた力も相まってか、ヴェヘルモスの体が浮き上がり、そのまま直角に持ち上がる。
「そんな、馬鹿げてる……」
目の前の次元を超えた戦いに、クリフが唖然としていた。
コズバーンはそのまま体ごと、後ろに倒れる。ヴェヘルモスは背中から地面にたたきつけられる。
大きく揺れる城は、埃を舞い上げていた。
コズバーンは立ち上がると、素早くヴェヘルモスの背中に乗って後ろから角を持っていた。もがき始めるヴェヘルモス。だが、それをものともせずに、コズバーンは首を背中の方へと持っていく。
右に左に引っ張られそうになるが、コズバーンは力押しでヴェヘルモスの首を無理やりに背中へと折り曲げる。一瞬の出来事だった。バキりという音ともに、ヴェヘルモスの体がぐったりとして動かなくなる。コズバーンはヴェヘルモスの背中から降りると、荒々しくヴェヘルモスの首を地面に叩きつける。
そして、大斧バルバロッサを取りに行く。
大斧バルバロッサを構えたコズバーンは、ヴェヘルモスの首元にその刃を振り下ろしていた。胴体から離れたヴェヘルモスの首が宙を舞って、二、三度バウンドして地面を転がる。
コズバーンはゆっくりとその首に歩いていき、角を持って持ち上げる。
「我の勝ちだ!! 貴様ほど苦戦させられた相手はおらぬ! 楽しかったぞ!!」
雄たけびを上げたコズバーンに、リュードは大きくため息をついていた。
逃げながらえたコレウスの後ろから、クリフに肩を支えられたリュードがゆっくりと歩いてくる。
「こんなの、ありかよ……」
「戦場で合わなくて、本当によかったですよ」
コレウスはコズバーンの勇姿を見て、静かに呟いていた。
元々は西方遠征の折に活躍した武人である。それがまさか武人の領域を越して怪人の部類に入っている。かつては同盟軍で戦っていた身、コズバーンの噂も耳にしていたが、いざその強さを垣間見るとあの噂もあながち嘘でない気がした。
何よりも彼と戦場で会っていたなら、自分達の命は確実になかっただろう。
ここでコズバーンが味方であることに、リュード達は心の底から安堵するのだった。