窮追(きゅうつい) 2
アストールが急ぎ外に出れば、そこでは複数のオーガがジュナル達や騎士、兵士達と戦闘を繰り広げていた。コズバーンは一体のオーガと対峙して、一対一で戦いを繰り広げている。騎士と兵士達はアストールの従者一同と共に、残った二匹のオーガに対して攻勢をかけていた。
「けど、これはそんなに楽な仕事じゃない……」
既に数名の兵士が絶命し倒れている。こうしている間にも、オーガはその腕力で兵士を挽肉にしていく。怯んで逃げる兵士が出てきているのは、恐らく徴用したばかりの新兵が含まれているからだろう。
「まずいな……。この状況は……」
兵士が逃げるのを目の当たりにすれば、士気はおのずと下がってくる。これだけ大量のオーガを召喚されては、正直アストール達でも対処するのは苦労する。
騎士のトルチノフはその中でも、果敢に兵を指揮して戦いを挑む。だが、兵士達の槍や剣はオーガの強靭な筋肉を前に傷一つ付けられない。退去する際には間を置かず、ジュナルが魔法で援護して事なきを得ているに等しい。
「ええい! 忌々しいオーガめ!」
トルチノフは未だ健在なオーガを見て毒づいた。
「魔法ですら効かぬか……。コズバーンをつれては来たが、数が多すぎたか……」
ジュナルもまた愚痴をこぼす。
以前、ジュナルはオーガを相手に戦い、上位の攻撃魔法ですらまともに効かないのを知っていた。事実、今の攻撃魔法ですら、トルチノフの逃げるための牽制にしかなっていない。例え、ジュナルのゲイザードでも、オーガの体に傷を付けるのは至難の業だ。
だが、頼みの綱のコズバーンも、オーガ一体を相手に中々決着をつけられないでいた。苦戦を強いられていたジュナル達は、オーガの後ろから真っ赤に染まった人影が、数名の兵士を連れて駆け寄ってくるのを見つけた。その人影は走りながら、剣を構えてオーガを見据える。幸いオーガは丸腰だ。
「いかせてもらう……」
その人影は呟き、あっという間にオーガの足元に来ると、剣を流麗に振るってオーガのアキレス腱を切断していた。野太い悲鳴がこだまし、オーガはそのまま前に膝と両手を突いていた。だが、人影はそれでも容赦する事なく、素早くオーガの背中を登り、首元にまで駆け上がった。
到達するや否や、そのまま人影は前屈みになって横凪ぎに剣を一閃する。
直後、オーガの首と胴体がズレ落ち始める。次の瞬間には動きを止めたオーガの首が落ちて、大量の血が噴き出していた。
胴体は力を失ってそのまま前のめりに倒れこみ、それでも人影ことアストールは立ったまま体勢を維持していた。普通の剣ならこの様な神業はなせないだろう。だが、アストールはさも当然のように表情を変えることなく一言呟く。
「まあ、こんな所か」
アストールはオーガの不意を突いた一撃で、難なく一体を仕留めていた。首の落ちた胴体上で、アストールは刃に着いた血糊を、剣を振るって落とす。兵士達は唖然として、彼女を見つめていた。勿論、トルチノフもその例外ではない。アストールは素早くオーガの背中から降り立つと、ジュナルに向かって歩み出す。
「大丈夫だった?」
「え、ええ。どうにか。しかし、拙僧の知らぬ間にまた腕を上達させましたな」
ジュナルは感嘆してアストールに言うと、彼は苦笑して答えていた。
「たまたまよ。オーガが油断してたからできたの」
そうは言ってもオーガは上級妖魔の部類に入る。そう簡単には倒せる相手ではない。現にルショスクに残っていた手練の兵士を数名倒して、十名近い兵士を相手に善戦していた。しかもジュナルの魔法の援護のある中で、オーガは平気で彼らを追い詰めていたのだ。
「さ、流石は、近衛騎士といったところですか……」
後ろからかかる声にアストールは振り向いた。そこには剣を携えたゲオルギーとアズレトが立っていた。二人はアストールが難なくオーガを倒した事に、絶句して言葉を失っていた。
アストールは真剣な表情で、二人に近寄っていく。
「もう、出てこられたのですか?」
「ああ、兵達だけに任せておくわけにはいかん」
「どうか、お二人はお下がりに、まだオーガの殲滅は完了していません」
既にジュナル達はエメリナ達が相手するもう一体のオーガの元へと助成しに行っている。兵士の数が増えた事で、オーガも好き勝手に動けないでいる。だが、油断はできない。だからこそ、アストールは二人に下がるように言っていた。
「私も次期領主、ただ奥で震えて待っている訳にはいかんのだよ」
ゲオルギーはそう言うと、少し下がった所から兵士達の戦いを見据える。
「わかりました。それでは手早く終わらせてきます」
アストールはそう言ってジュナル達の元へと駆け出す。
口では大きくいうものの、本当は彼女もギリギリの戦いをしている。相手の不意を突いたとはいえ、どの部位を斬れば相手が動けなくなるか。そこまでを考えての攻撃であり、急所を効率よく斬るのは並大抵以上の技量を必要とされる。さらに言えば、オーガと正面から斬り合っていれば、こうも上手くは行かなかっただろう。
そんな彼女にゲオルギーは唖然として呟いていた。
「あれほどまでの腕を持っていたとは……」
流石のゲオルギーもオーガをあそこまで綺麗に撫できりにし、素早く倒す騎士は見たことがない。言葉を続けられなかったゲオルギーだが、ふと何かを思い出したかのように口を開いていた。
「も、もしかして、彼女が噂に聞くオーガキラーの近衛騎士だったのか……」
何でも西方の街でオーガを撫で切りにした近衛騎士がいると、このルショスクまで噂が届いていた。実際にその光景を目にしても、未だ実感が湧かないのは、アストールが美しい女性だからだろう。
アストールは兵士たちに包囲されたオーガの隙を見て、果敢に攻撃を仕掛ける。普通の武器では太刀打ちできない筋肉を、彼女はあっさりと断ち切っていく。最初の一撃で手首、次に腕、同じように反対の腕も戦闘不能にしていく。
数刻もしないうちに、そのオーガは地面に倒され、ルショスクの精鋭達がとどめとばかりに全身を槍や剣で滅多刺しにする。
そして、残りの一体はコズバーンがちょうど大斧で首を飛ばして決着をつけていた。アストールの存在に少しだけ影が薄くなっていたが、彼は彼で常人ではあり得ない実力者だ。
アストールは一息つくと、剣を仕舞って再びゲオルギーの元へと向かった。
「どうにか、終わりました」
アストールが涼しい顔でゲオルギーに告げる。彼は引きつった笑みを浮かべて口を開いた。
「い、いや。お見事な手際だ……。もしかして、貴方がオーガキラーと呼ばれる近衛騎士なのですか?」
ゲオルギーにそう問われ、アストールは不名誉な呼び名を思い出していた。ガリアールの事件で、アストールはオーガを予想外に難なく倒した。
女性という事もあってかその噂はすぐに広まり、彼女は通称「オーガキラーの女騎士」と呼ばれるようになっていた。その噂がこんな辺鄙な地にまで轟いているとは、思いもしなかった。
「ゲオルギー様。その呼び名、私はあまり好きではありませんの」
アストールがオーガキラーと呼ばれた事に、気分を害したのが分かったゲオルギーは直ぐに謝罪する。
「す、すまない。それよりもルスランは何処へ?」
ゲオルギーがアストールに聞くと、彼女は深刻な表情を浮かべて答えていた。
「目の前で札を使用して消えましたよ。転移魔法でしょう」
「転移魔法?」
ゲオルギーがアストールに問うと、彼女は少し困った表情を浮かべる。そして、近くにいたジュナルに目を向ける。彼はすぐにゲオルギーに説明を開始する。
「はい。言葉のとおり、体を瞬間的に移動させる魔術です。これには相当卓越した知識と技量が必要です。召喚魔法とは似て非異なる魔法でして、下手をすれば地中に転移してしまうこともあります。ルスランの魔術の実力は宮廷魔術師を軽く凌駕しているでしょうな」
説明を聞き終えたゲオルギーは、剣をしまって憎々しげに彼の名を叫んでいた。
「……ルスランめぇ!!」
完全なルスランの勝ち逃げだ。ルショスクを襲撃して城そのものを弱体化させた。その上、逃げる最後まで兵士を葬りまんまと逃げおおせた。とはいえそれはゲオルギーから見た時の話だ。アストールからすれば最悪の事態であるゲオルギーの暗殺を防げた分、こちらに勝機が見えたように思えた。
ゲオルギーは黒魔術師を取り逃がした事に、自分の不甲斐なさを呪っていた。
「奴がどこに逃げたかは見当はつきますか?」
ゲオルギーはジュナルに聞くと、彼は小さく肩を竦めて答えていた。
「いえ、わかりません。しかし、魔法札での移動という事は、どこかに転移先の魔法陣があるはずです。おそらく既にこの街にはいないと見たほうがいいでしょう」
帰る場所を指定しない転移魔法はかなり危険を伴う。それに例外はなく、黒魔術師でさえ場所を指定しないと転移魔法は使わない。何故なら、転移先がひょっとすると地中、はたまた空高い位置であったりする事も珍しくないのだ。地中なら転移した瞬間に急激な圧力で、皮膚や肉は焼かれてぺしゃんこになり即死するだろう。空中なら落ちてそのまま転落死すらあり得る。
「城門の件もあります。早急に手立てを立てなければ、今度は本当の敵として、ここを滅ぼしに現れましょう……」
ジュナルは暗い表情でゲオルギーに告げるも、彼は元気のない返事をしていた。
「だが、未だ街は災害の片付けに追われている。何より討伐には人員を割けない……」
もはや、ルショスクは壊滅状態にある。警備の兵士すら、見張りを除いて全てを動員して復興作業に取りかかっているのが現状だ。
「アイツの行き先に心当たりがない事もないから、この一件を私に任せてくれない?」
ゲオルギーの前にアストールが歩みでる。
「え? しかし、貴公は女性だ……」
そう言われたアストールは、ムッとして眉を吊り上げていた。
「先程、貴方の兵が苦戦していたオーガを、私は難なく倒しましたよ? 私の実力にご不満でも?」
勿論、アストールの剣に異常なまでの切れ味があってこそ成せた業ではある。だが、それでも、オーガに向かって行くのには、それ相応の度胸と勇気がいるものだ。熟練したルショスク兵でさえ手を焼くのも、やはり相手が強大で強いという怖れを抱いているからに他ならない。ゲオルギーは彼女の実力を認めざる負えなかった。
「確かに……。そうだな。しかし、君単独と言うわけにはいくまい」
ゲオルギーがそう言うとアストールは、満面の笑みを浮かべて答える。
「大丈夫です。私には信頼にたる従者と、探検者の仲間が居ますから」
アストールの言葉を聞いてから、ゲオルギーはジュナルを見据えた。彼は恭しく礼をする。
「探検者にまで、その様な人物が居ようとは……」
「先日、貴方の元にクリフと言う探検者が来たはずです」
ゲオルギーが感嘆して居るところに、アストールは名を出すと彼は納得して頷いていた。
「あぁ、彼か……」
探検者としては異例で、集会所を通すことなく直に契約を迫ってきた男だ。探検者と言うよりは、傭兵の様な印象を受けた。直談判しに来るほどの男、その実力に十分な自信があるのだろう。そこでゲオルギーは護衛についているアズレトと、クリフを戦わせた。手合わせの結果は、アズレトを完全に打ち負かして、実力も十分にある事を証明した。
そんな彼らが仲間であるというのなら、もしかすればルスランを討つ事ができるかもしれない。
淡い希望だが目の前の現実が、ゲオルギーの背中を押していた。
「分かった……。貴公らにこの一件は任せよう……」
ゲオルギーは領主としての希望を、アストール達に託すのだった。