真の黒幕を追い求めて…… 3
ルショスクの南区にある公民館。妖魔達の襲撃を受けずに済んだのは、やはり夜中で人がいなかったためだ。それが幸いしてか、この広い講堂の中には大勢の負傷者が寝かされていた。
怪我をした大勢の人々が、このルショスクにいる数少ない神官戦士や神官に理療を求めて殺到している。レニが最後の一人の処置を終えたのは、すっかり夕焼けで街が染まった頃だった。
「これで大丈夫です」
レニは一人の少年の治療を終えてから、にっこりと微笑みかけていた。
少年は避難している途中に両親とはぐれて、彷徨っている所を妖魔に襲われた。だが、彼は奇跡的にも妖魔のいない西区へと逃げ延びていた。そこで幸いにも両親と再会したという。南区の中でも奇跡的な助かり方をした一人だ。
怪我の容態は膝と肘を擦りむいている程度の軽傷だ。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
レニはその言葉を聞いても、微笑みそのものは変えなかった。
「いいんですよ」
内心では心底男であるということを主張したかったが、生憎、昨日の夜から夜通し自分の疲れを騙しつつ働いてきたのだ。そんな元気はなく、少年に微笑みかけるのが、精一杯の抵抗に等しかった。
(ようやく終わった……)
負傷者達の殆どが安堵の表情を浮かべていて、その表情を見たレニもようやく胸をなでおろせた。当初はここは重傷者の溜まり場であり、ケガを治す神聖魔法を使う神官の数が圧倒的に足りなかったのだ。
レニはそんな中で最も働いた神官戦士であるといっても過言ではない。
ここの床で寝ている三分の一を彼は救った。
ほっと胸をなでおろしたレニは、その場で気を失うようにして座ったまま意識が飛んでいた。
気がついたのはそれからどれくらい経った後だろうか。
講堂の横長のソファに身を預け、体には薄手の布がかけられていた。
頭には柔らかな感触があり、薄目を開ければ金髪の女性がソファに持たれて寝ている。
その寝顔にレニは、ふと誰であるかを知って頭が真っ白になる。
「エ、エスティナ、様……」
頭を預けているのは、アストールの膝だったのだ。あれからの記憶がなく、一体何がどうなっているのか分からない。ただ、現状としてはアストールの膝に頭を預けて、疲れた体の肩には彼女の手が優しく添えられていた。そのまま眠っている所を察するに、今は夕刻を回っているのだろう。
「ん? あ、レニ、気がついたのか」
レニが頭を動かした事によって、アストールは意識を取り戻していた。
それに彼は起き上がろうとする。
「大丈夫? 疲れてるだろ?」
アストールが暫く寝たままにと促すも、レニはすぐに起き上がっていた。
「あ、いえ、大丈夫です……。なんか、恥ずかしい所、見られちゃいましたね」
レニは上体を起こして座ると、赤面してアストールから目をそらす。
今の今までアストールに膝枕をしてもらっていたのだ。それだけでも赤面物なのに、寝顔すらばっちりと彼女に晒していたのだ。
「恥ずかしいものか……。レニ、お前はルショスクで大勢の命を救ったんだ。寝る間も惜しんで、人に尽くす事、並大抵の人にはできることじゃない」
その時は人を救う事で必死で、そんな事は意識はしていなかった。だが、果たしてそれが自分だからこそできた事なのかというと、そうでない気がしてならない。レニ自身、魔力をセーブしての治療を行ったため、助けられなかった人もいた。それを思い返すと、まだまだ自らの施術が未熟であると痛感するのだ。アストールが真顔でレニに語りかけると、彼は不安そうに彼女を見つめ返した。
「そう、なんですかね?」
「ああ、そうだよ。もっと自分に自信を持て」
アストールが優しく微笑みかけると、レニは自然と胸の重りが地に降りたように軽くなっていた。
「ここじゃ、休めないだろう? 宿まで帰るぞ」
そう言うとアストールは立ち上がっていた。レニもそれに倣って立ち上がって講堂より外に出ていた。
二人は宿を目指して歩いていると、レニは下ばかり俯いて考え込んでいる。
「どうかしたのか?」
アストールは明らかに落ち込んでいるレニを見て、心配そうに声をかけていた。
「いえ、なんでも、ないです……」
レニはそう言うも表情は暗いままだ。
彼は自分が助けそこねた人々の事を考えていた。
心の優しいレニに今回の事件が負担になっていないか、アストールは心配になっていた。
「レニ、辛かったら我慢しなくていい。今は誰もいない。私でよければ話を聞く」
アストールは立ち止まってから、レニの前に来てしゃがみこむ。
彼は頷いてみせると、静かに口を開けていた。
戦闘が終わったあとレニはコズバーンの傷を軽く治療して、即座に負傷者の集められた臨時病院へと向かった。彼が着いた頃にはルショルクの神官達が既に大勢の負傷者の手当に追われていた。
次々に運び込まれてくる負傷者達、妖魔に内蔵を引きずり出された瀕死の男性や、片腕を食いちぎられた兵士、手足を複雑骨折した女性、片目を失った子ども、上げればキリがない。
だが、それでもレニは苦しんでいる人々の手当に奔走した。
レニの前には大腿部を切り裂かれ、出血多量で顔面蒼白の兵士が運ばれてきていた。
既に意識は朦朧としていて、例え応急的に処置をしても助かるか分からない。だが、レニはそれでも傷を癒すために、神聖魔法を行使した。
「す、すまない……。守れずに……。すまない……」
傷を癒している間にも、兵士は混濁した意識の中、任務を全う出来なかった無念を呟く。結局、傷は塞いだものの、兵士はそのまま還らぬ人となる。レニは悲しむ間もなく次の急患の元へと走っていく。
極力助けが必要な人の元へと駆け回り、傷を癒していく。
レニと同年齢くらいの少年が、寝かされた意識のない女性の手を握って必死に語りかけていた。
「死んじゃダメだよ! 母さん! 次が来るから!」
レニはすぐに女性のもとに来ると、少年を優しく諭してすぐに女性の容態を見る。
母親と見える女性は妖魔に背中を切り裂かれていて、未だ出血が止まらない。
どす黒い血液が床の布団を染めていて、レニは一目見て彼女が助からないのを直感する。
神聖魔法も万能な魔法ではない。
あくまでもアルキウスの力を借りて、傷を塞いで対象者の治癒力を高める魔法だ。
もしも本人に傷を回復させる能力がなければ、例え魔法で傷を塞いでも助からない事も多々ある。
とはいえ、何もしないわけには行かない。
背中の傷を見て、改めてその傷の深さにレニは奥歯を食いしばる。
深くえぐられた傷は臓器にまで達していたのだ。背骨を損傷して、肝臓までもを抉られている。なおかつ、かなりの出血があり、今、生きていることが奇跡的な事だった。
ここまでの患者を治療しても、助かる可能性はまずない。
だが、レニはそれでも手を翳す。
魔力をセーブして、傷を塞ぐだけの格好だけの治癒魔法、せめて、傷口だけでも塞いであげたい。
その途中だった。急に治癒していた皮膚が、再生を止めていた。
それが何を意味するのか、レニを見ていた少年にも直ぐにわかった。
レニは冷酷な決断をすぐにしていた。次の患者が待っているのだ。
レニは立ち上がると、震える声で少年に告げていた。
「ごめん……。お母さんは……」
少年はその言葉を聞いて、顔から生気を失わせていた。
だが、レニに無念や憤怒の思いを言う訳でもなく、無理に笑顔を作ってみせた。
「ううん! 大丈夫、お母さんを見てくれて、ありがとう……。皆、一目見て、神官達は助けてくれなかった……。だから、だか……ら。見て、治療も、してくれて、ありがとう……」
少年は嗚咽を我慢してレニに涙と鼻水を流しながら、礼を告げていた。
レニは言葉をぐっと飲み込む。少年には何も言えなかった。
「……僕、行くよ」
レニの言葉に少年はぐっと頷いてみせる。
少年は母が死ぬ事に、気がついていた。だからこそ、レニの気休めのはずの行動が、とても嬉しかった。誰もが匙を投げた人を治療してくれた。その事実が少年の心を救っていた。
その後も治療に回るもあの最初の兵士や母親の様に、治療が間に合わなかった者も大勢いた。
女性、子ども、老人、治療の間に合わなかった人の大半が体力的に弱い人が多かった。
あの時は人を助ける事で必死だったが、こうして落ち着いた後になってその人々の死がレニに重くのしかかってきていた。もう少し早く駆けつければ、あの人は助かったのではないか。
そう思うと無念で仕方なかった。
「エメリナ様……。もっと、もっと僕が力を持っていれば助かったかもしれないのに……」
レニは目に涙を浮かべて、悲しみを噛み殺してアストールに顔を向けていた。
アストールは過酷な現実を知って、暫しかける言葉を見つけられなかった。
「レニ、お前は最善を尽くした。私から言うのも烏滸がましいかもしれないが、死ぬも生きるも、その人の生まれ持った運命だ」
「けど、助けられたかもしれない人もいた……」
「レニ、お前の行動は、多くの人を助けたんだ。あの少年だって、お前に救われたはずだ。その事実は変わらない。匙を投げられた人を見たことで、お前はその周りの人も救ったんだよ」
「そう……なんですかね……」
「ああ、だから、もっと自分に誇りを持て。そして、この悲しみを飲み込んで前に進むんだ」
アストールが優しく諭すと、レニは今まで抑えていたものが一気に溢れてきていた。
その場で大声で泣き叫び、エスティナの胸に飛び込んでいた。
彼女は何も言わずにそれを受け止めていた。
(今は、今は泣いてもいい)
アストールはレニの頭に手を回して、彼を優しく宥めていた。
それと同時に憤怒の思いが胸の内から湧き上がる。
(絶対に、絶対に許さない)
アストールは黒魔術師を必ず倒す事を、胸の内に改めて決意していた。
◆
妖魔襲撃の一件がようやく一段落着いた明くる日の事だ。
解放されたエメリナと共に、アストールは早速従者一同に命じて情報街集めに奔走していた。
メアリーとコズバーンには、アルネを追っていた探検者の行方と雇い主を調べさせる。
ジュナルとレニには怪しまれないよう看病と言う名目で、ルスランを見張らせた。
リュード達は領主と契約したことを切っ掛けに、装備を整えると言って街に消えていた。
そして、エメリナとアストールは身を隠すようにして、ルスランの家へと来ていた。この時外でアルネに見張らせ、誰か来れば心に直接呼び掛けるように言っていた。
「本当に何か出てくるのかしらね……」
「調べて見れば、判るよ!」
能天気に言うエメリナに、アストールは直ぐに溜め息をついていた。レニの報告を聞いた時に、ルスランは犯人ではない気がしたのだ。彼はこの襲撃で亡くなった住人の墓に参っていたと言うのだ。ここまでの事件を起こした黒魔術師なら、疑われているのにはとっくに気付いていてもおかしくない。
だが、焦った素振りを見せずに平然と、普通の人と同じ感情を持って行動している。全てが黒魔術師の行動には当てはまらなかった。今もルスランは南区で復興の指揮を執っているというし、その行動すべてが矛盾していた。
エメリナはピッキングで簡単にドアを開けると、直ぐにルスランの家に入る。アストールもそれに続く。二階建てのけして広くない長方形の家、中はあまり生活感がなく、食器棚や机には薄く埃が被っていて長らく主人が帰って居ないことが伺えた。
何の変哲のない部屋、だが、アストールには何か物足りない気がした。
寝室にしても他の部屋にしてもそうだ。
自宅と言うには余りにも質素すぎる。本当に必要最低限の物しか置かれていないのだ。
雑貨はなく、生活するには余りにも淡白すぎる。そんな部屋では探すまでもなく、何も出てこない。だが、一ヶ所だけ妙に気になる場所があった。
それは玄関口から奥にある本棚だった。
以前も同じ様に本棚の奥に、貴族が秘密の部屋を隠していたのだ。アストールはまさかとは思いつつも、本をいじり出していた。整然と並べられた本棚一杯の本達を、次々に動かしていく。だが、何一つ変化は起きなかった。
「やっぱり気のせいか……」
アストールは溜め息をついて、本を棚に戻した。その時に乾いた音が響き、ふと我に帰る。
アストールは乾いた音がした部分の本を全て取り出すと、棚の奥を手の甲で叩く。中に空洞があるような乾いた音が響き、アストールはそのまま本棚の端の方まで叩いていく。本棚の端を叩くとそこは籠った音がする。
「こ、これは……」
アストールは確かめるために他の部分も同様に本を取り出して、叩こうとする。だが、その必要もなかった。中段辺りの本を避けた時に、本棚壁に明らかな蓋があったのだ。
その蓋を避けると、何かのレバーがあり、それを引くと本棚が浮き上がるように軽くなる。
そして、アストールが本棚を引けば、そこには金庫が隠されていた。
「いやー、期待してた割には普通だったな……」
ルスランは貴族という身分にある。金庫を部屋に隠し持っていても何ら不審な点はない。宝物庫の代わりに自分の資産を隠すために本棚の後ろなどに金庫を隠しておくのも、当然の行動と言えた。
「エスティナ! ビンゴだよ! これこれ!」
エメリナが嬉々として金庫に近づく。
「エメリナ、流石に泥棒は許さないわよ?」
元盗賊ということもあってか、もしかすれば彼女はお金が目当てなのではないかとさえ思えたのだ。
アストールがじっとりとした視線を送ると、エメリナはキョトンとして彼女を見る。
「いやいや、私もお金なんて盗らないよ。欲しいのは黒魔術師の物証だよ」
エメリナの余りにも正当な言葉に、アストールは呆気に取られた。
「まあ、良いわ。とりあえず、開けて」
アストールも一応中を確認する必要があるので、エメリナに金庫を開けるように命じていた。
数刻もせぬうちにエメリナは直ぐに金庫の鍵を開けていた。
「さーて、御開帳ー」
エメリナが金庫を開けると、そこには袋に小分けされた大量の金貨と銀貨があった。とても、只の一騎士が、しかも、平民出の騎士が稼げるような額ではない。それだけではなく、下の方には袋に包まれた真紅の魔昌石が幾つもあり、魔術札も数枚保管されている。
「あら、ら、本当だったみたいね」
アストールがエメリナに言うと、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「だから、言ったでしょ!」
「証拠は押さえた。行こう」
アストールがそう言った時だった。
『エスティナさん! 誰かが、いえ、男たちが家に入ります!』
アルネの声が頭の中に響き、アストールは玄関を振り替える。次の瞬間には次々にルショスク城の兵士達が家に入って来ていた。
「ア、アズレト殿! 先客が!」
最初に突入した兵士が叫び、後ろから兵士を押し退けて大柄の騎士が現れる。
「はぁー、またお前か……」
大柄の騎士はエメリナを見て、大きく溜め息を吐いていた。
「アズレト様、良くお会い致しますね」
エメリナは笑顔で答えると、立ち上がる。兵士達は警戒して剣柄に手を添える。だが、アズレトは直ぐに兵士達を嗜める。
「やめろ。敵じゃない」
「味方と認めてくれて?」
アストールも立ち上がってアズレトに聞くと、彼は再び溜め息を吐いていた。
「あぁ、もう、それでいい。所で、お前達は見つけたのか?」
アズレトは観念したかのように、アストールに聞いていた。彼女は不敵な笑みを浮かべると、両手に持った魔昌石と魔法札を見せていた。
「えぇ。この通りね」
アズレトは安堵して、兵士達に引くように命じていた。
「この手柄は貴公らのものだ。ヴァリシカ様とゲオルギー様には、貴公が自ら報告するがいい」
そう言うとアズレトは二人に背を向けていた。
「ありがとうございます。この役回り、しかと承け賜りました」
アストールは恭しく礼をして見せると、直ぐに部屋を元通りにしていくのだった。真犯人を捕まえるその瞬間は、直ぐそこまで迫っていた。