ルショスクを襲う惨劇 6
悲鳴を上げて逃げ回る住人、それを追って容赦なく殺戮をしていくコルドや中級妖魔の群れ。街は今まさに地獄の様相を呈していた。そんな惨劇の中を一人の男が外套を頭から被って、悠然と歩き続けていた。
男の傍らでは兵士達と妖魔達が戦っているが、生憎兵士達は劣勢だ。多くの兵士が犠牲になり、妖魔とともに街の中で骸を晒している。外套を頭からかぶった男は、惨状を気に掛けることなく淡々と歩き続けていた。
身なりが分からない男に唯一不審な点があるとすれば、妖魔達がその男に見向きもしない事だ。まるで元々男がそこに居ないと言わんばかりに、男がコルドの真後ろを通り過ぎようともまるで見向きもされない。
そんな異様な存在であるのに、周囲の惨状がその出来事すら覆い隠してしまっていた。
男は街のある場所に向かっていた。そこはこのルショスクでも探検者達が集まる場所だ。そこならばある程度の安全は確保されているだろう。尤もこの男に手厚い保護の必要はない。
男は集会場の見える所まで来て、足を止めていた。集会場前では流石に対妖魔戦になれた探検者達が、集会場に妖魔を近づけずに善戦していた。それでも数の暴力で襲いかかる妖魔達に、探検者達は切り込めずにいる。防戦するのがやっとだ。
男はふと後ろを見る。そこには低級の妖魔コルド三匹が道に倒れた住人を貪っていた。男は口元を吊り上げると、左手の人差指を二、三度折り曲げる。
すると、コルド達は初めて男の存在に気付いたかのように、一斉に彼に振り向いて駆け出していた。男は笑みを消してコルドから逃れるように、集会場の前まで駆け出す。
「た、たた、助けてくれえ!」
敢えて慌てふためく様にして男は、命辛々追われている状況を作り出す。防戦に当たっていた探検者のうち、三人がそれに気づいて男の保護に駆け出す。
「おい、あんた、早く集会場に入れ!」
男の後ろではコルドと探検者がすぐに交戦しだしていた。
すべて男の計算通りに事が進み、男は再びほくそ笑む。一人の探検者が男の腕を掴んで、すぐに集会場の中の方へと連れていく。
夜と言うこともあってか、中の明かりは十分に灯されていない。壁に備え付けられている蝋燭の明かりが心許無げに、ここに避難してきた人々の顔を暗く映し出していた。避難してきた住民達は、妖魔達の恐怖を抑えるために抱き合って励まし合っている。老若男女関係なく、大勢の人が身を寄せ合っていた。
男はそんな部屋の中で、隅っこに固まる探検者の一団を見据える。
「奴らはなぜ戦わない?」
入口で立ち尽くしていた男は、横に立っている探検者に聞いていた。
「金がでないからだ。今はそんな時じゃねーのにな! 俺も忙しい! もう少しここで大人しくしててくれ!」
探検者はそう言うなり、忙しそうに再び外へと戻っていく。
男は立ち尽くしたまま、一団を見据えていた。
(やはり、やつらか……)
口元を釣り上げた男は、すぐに歩みだして探検者たちの元へと向かっていた。
「す、すみません! 私の仲間が一角に取り残されていて! 助けてもらえませんか!?」
男はそう言って探検者達の元へと足を踏み出していた。
戦っていない探検者のうちの一人が、男を蔑むような目で見据える。
「ああん? 金はあんのか?」
「お、お金ならいくらでも出します! 前金にこれを!」
そう言って男は探検者たちのリーダー格の男に貨幣袋を手渡していた。
手渡された袋を見れば、金貨に銀貨がたんまりと入っている。下手をすればこのルショスクの一等地に豪邸を建てられるほどの大金だ。それを見た探検者は目を白黒させて男を見る。
「お、おう!? こ、こんなにか!」
男は笑みを浮かべると男達に言う。
「ええ! だから、お願いします。成功したらお一人につき、この額をお支払いしますから!」
男の言葉に探検者達は顔を見合わせる。これだけの額が手に入るとなれば動かずにはいられない。贅沢さえしなければ、十分に一生遊んでいけるだけのお金が手に入るのだ。探検者達は男の依頼をすぐに快諾していた。
「よし! いいだろう! で、それはどこだ!?」
リーダー格の探検者が言うと、男は笑顔で言う。
「こちらです。ついて来てください!」
男はそう言って集会場の裏口へと向かっていた。
探検者たちは裏口にも数名を配置して、裏側からの襲撃にも備えて居る。見張りをしていた探検者が、出ていこうとする男と探検者達を呼び止めていた。
「お、おい! どこに行くんだ!?」
「仲間を助けに行くんです!」
男がそう言うと後ろに居た探検者たちもにっと笑っていた。
「ああ、そういうことよ! 大仕事だ」
警備の探検者達は彼らがすでに大金を貰っている事に感づいた。
「ちぇ! 抜けがけかよ! 俺にも一枚噛ませろよ!」
「だめだめ! 分け前が減っちまう」
そう言って探検者達は警備をおいて、男に続いて裏路地に駆け出していた。
裏路地を巧みに走り抜けていく一団は、なぜか妖魔には出会わない。あれほど街に溢れている妖魔達が、なぜか自分達の進む方向にはいないのだ。そして、奇妙なことに男が走れど走れど、一向にその場所へはたどり着けない。
「おい! まだなのか!?」
不安になった探検者が前を走る男に聞いていた。
「もう少しです! この先を曲がった所に!」
男はそう言って路地を曲がると、一団の前には広めの袋小路が現れる。
そこで男は立ち止まっていた。
探検者達もそれにつられるようにして立ち止まる。周囲を見回しても全く人の気配はなく、あるのは物静かになった建物と、遠くから聞こえてくる悲鳴と妖魔達の雄たけびだけだった。
不気味に思った探検者の一人が、男に対して怒鳴るように聞く。
「おい、誰もいないじゃないか!」
この怒鳴り声を皮切りに、探検者達は次々に罵声を男に浴びせ始める。まるで何かに怯えていることを隠すかのごとく、男を怒鳴りつけていた。
そんな事を全く意に介さず、男はゆっくりと振り向く。
男たちは反射的に身構えていた。
なぜなら男の雰囲気が一瞬で変わったからだ。素人ならまだしも、三流とは言え妖魔と戦ってきている探検者だ。男から殺気が放たれているのはすぐにわかった。
男は肩に手を当てると外套を止めているボタンを外して、そのまま頭からかぶっていた外套を脱ぎ捨ててる。現れたのは簡易な甲冑に身を包んだ一人のルショスク兵だった。
「よお、お前ら。久しぶりだな」
男を見た瞬間に威勢よく吠えていた探検者達の一団は、一瞬にして言葉を失う。
「あ、あんたは、あの時の……」
外套を頭から被っていた為誰かはわからなかったが、今ここで対峙して初めて気がついた。
一団は以前この男から依頼を受けていたのだ。
リーダー格の探検者に男は鋭い声音で聞いていた。
「あの時の依頼の事は、誰にも喋ってないだろうな?」
男の問いかけに対して探検者達が慌てて答えていた。
「あ、ああ! 勿論だ! ていうか、あんな小さい女の子の誘拐依頼を、なんであんたみたいなお偉いさんが出したんだよ?」
探検者の質問に男は不機嫌そうな声音で答える。
「決まってるだろう。俺みたいな立場だから、内々にお前たちに出したんだよ」
男は一瞬だけ笑みを浮かべるも、すぐに真顔に戻っていた。
「とは言え、お前らはしくじった」
「え? おおう。それはあの女探検者が……」
探検者達がバツ悪そうに答えるのを聞いて、男は更にいらだちを募らせていた。
「言い訳はいい。しくじった以上は、その身を持って代償を払ってもらう」
男がそう言うと右手を上げていた。袋小路となっていた壁の向こうから、上半身は女性、下腹部からは蛇の胴体を持った妖魔が三体這い出てくる。
「へ? あ、おい! う、後ろ! 妖魔が!」
探検者のリーダー格の男が慌てて指をさすが、男は一向に慌てた様子は見せない。それどころか口元を釣り上げて答えていた。
「ああ、知ってるよ……」
男は笑顔を浮かべると、隣まで這い寄ってきた蛇女の肩に手を回す。妖艶な笑みを浮かべた蛇女は男の頬に口づけをしていた。
胴体が蛇でなければ、相当に綺麗な女性である。だが、そのせいもあってか、探検者たちはその異様な光景に、恐怖感を抱いて身震いせざる負えなかった。
「こいつらは俺のペットだ」
「ぺ、ペットだと!?」
「そうだ。さあ、食事の時間だ……」
男の言葉に三体の蛇女は、探検者達に一斉に迫っていた。それに慌てて探検者達は背を向けて逃げ出そうとする。だが、その背後には既にコルドの群れが現れ、彼らの退路を塞いでいた。
「じゃあな……。役立たずども……」
男はそう言うと探検者達に背を向けて歩き出す。
「な、あ、あんた! どういう事だよ!?」
へっぴり腰になった探検者の一人が、武器を構えながら涙目で男に叫んでいた。
男は立ち止まると振り向くことなく答えていた。
「計画が変わった。とはいえ、お前らにはどっちにしろ死んで貰う予定だった」
男はそう言うとゆっくりと振り向いていた。その顔に満面の笑みを浮かべ、探検者たちを嘲笑していた。
「じゃあな、あばよ。哀れなゴロツキども」
男はそういうと踵を返して、目の前の壁に向かって駆け出す。そして、一瞬で背丈の三倍はある壁を飛び越えて姿を消していた。
「ち、ちくしょおおおお!!!」
惨劇が巻き起こる街の中、裏路地の一角に探検者の断末魔が鳴り響く。
残ったのは無念と苦痛からくる男達の断末魔の叫びだった……。




