新たな試練 1
焼け落ちた広場、血塗られたベニヤやバタ板に崩壊しかかった橋。
一晩が過ぎて日が上がった時、集落の凄惨な現場が改めて浮き彫りとなる。
徹夜して行われた死体の回収作業にも関わらず、いまだ所々にあの化物の死体は残っている。朝靄のかかる集落には、かなり深い傷痕を刻み込んでいた。
絶望している住人達の横を通り過ぎていき、アストール達は神殿の前に集合する。
「ま、一先ず、私たちの処分は保留って事らしいけど、本当に信用していいのかしらね?」
アストールが隣にいるアルネに聞くと、彼女は静かに答えていた。
「キリケゴール族は恩を仇で返すことはしません。信じても十分大丈夫です!」
自信たっぷりに答えるアルネに、一同は不安そうな表情を浮かべていた。
「信じるしかないか……。それよりも、あいつらの目的はやっぱりあなた達だったの?」
アストールが諦め半分に言って話題を変える。今回の黒魔術師の襲撃は、ただ単にキリケゴール族の殲滅にしては雑すぎた。あれだけの実力を持った黒魔術師なら本気になれば、この程度の集落など一人で全て焼き払えたはずだ。
それなのに彼はそれをしなかった。
アルネはアストールの問いかけに、小さく頷いて見せると続けていた。
「はい……。お姉ちゃんの記憶の断片では、コンラチリィヴァとキリケゴール族の合成実験を行っているんです」
鮮明に脳裏で映し出される凄惨なあの光景。
両手両足は拘束され、体の自由は魔法によって奪われている。体には麻酔がかけられているが、意識はそのままであり、自由が利くのは顔の表情筋のみだった。
意識がはっきりとしたまま腹部を切り裂かれ、そこにコンラチリィヴァの内臓らしき塊を移植しようとしている。痛みを感じずとも、あまりにも衝撃的な光景に叫びたくなる。だが、それは叶わない。代わりに顔には絶望と恐怖と驚嘆で打ち震える表情が次々に現れる。それを見た老齢の魔術師が悦に浸った笑みを浮かべているのだ。
口にするのさえ憚られる実験の内容に、アルネは怒りと悲しみの両方の気持ちを持っていた。
思い出したくもないその光景に、アルネは涙を流しそうになる。
「……合成ね」
アストールは小さくため息を吐いていた。
「人間ってこんな恐ろしい事を平気でする種族なんですか!?」
アルネの問いかけに対して、アストールはすぐに否定していた。
「いや、全然普通じゃないから! あれは一部の頭のおかしい奴らよ。大半の人は生きていくことで精一杯だし、第一にそんな事できる人なんて殆どいないから」
「……そうなんですね」
アルネは少しだけ安堵してみせる。
「それで、黒魔術師の目的が眷属っていうのは、やっぱりキリエが関係しているの?」
「はい。合議の時にも言ったように、姉が姿を元に戻せたから、その研究のためでないかと……」
「……なるほどね。これで辻褄が合うわけだ……」
行方が知れなくなった人々は、黒魔術師の実験で妖魔などの他種族との合成に使われていると見ていい。そして、黒魔術師達はこの地に残る伝承を利用して、キリケゴール族を犯人に仕立て上げていた。
そうすれば、犯罪の目を自然とキリケゴール族へと向けられ、自分たちは安寧な研究を続けられるという訳である。
「にしても厄介な事になったな……」
アストールは眉根を顰めて、考え込んでいた。
アルネの姉キリエは、その研究の犠牲になった。妖魔と人を融合させて、合成人間を生み出す研究、それが完成したとするならば、恐ろしい事が起きる。
人と妖魔が融合したと思われる化け物達は、相当な強さだ。対妖魔の訓練を受けていない普通の兵や徴用された農民兵では、到底相手にはならない。その研究が完成したとするならば、この国を武力で制圧することも不可能ではないだろう。
死をも恐れない精神と驚異的な身体能力をもってすれば、それなりの数さえ揃えれば、生身で城の一つや二つは落とせそうな勢いだ。
アストールは最悪の事態を考えついて、暫し黙り込んでいた。
「……まずいな」
何よりも、それが軍隊経験を持った人間や探検者となれば、その能力は格段と上がる。妖魔と人間の合成されたハイブリット兵士、もしも、そんなけったいな兵士が作られて量産されれば、この国はおろか、極端な話、世界の国々とだって渡り合えるだろう。
「研究を完成させる訳にはいかねーぜ。たくよ」
アストールは一人毒づいていた。
「黒魔術師が関係しているなら、僕たちにも協力させてください!」
話を聞いていたコレウスが、いつになく力強い声で協力を申し出る。
コレウスは目を輝かせていて、アストールですらたじろぐほどの勢いだった。
「……でも、これは私達の国の問題よ? あなた達はそれでもいいの?」
彼女はそう言ってコレウスを問いただす。
「いいんです! これこそ、僕たちに与えられた使命です! リュードを勇者にするためにも、必要な試練なんです!」
アストールは暫し考えだす。いくら善人とは言え、彼らも探検者だ。自分たちに得のないことには、徹底的に無関心を貫き通す人種なはずだ。だからと言って彼らに払えるほどの給金は手元にない。数が増えることはいいことだが、お金がかかるのであれば本末転倒だ。
「頭数多いのに越したことはないけど……。私、持ち合わせのお金ないし、依頼はしないよ?」
アストールの問いかけに、クリフが後ろから腕を組んで現れる。その顔には満面の笑みが浮かべられていた。
「そこは心配しなくていい。ここの領主からそれ相応の報酬を交渉して要求するつもりだ」
クリフの得意げな笑みを見て、これまでにも同じような事を彼らはしてきたのだと確信する。だからこそ、この遠い国の中でも逞しく探検者としてここまで来れたのだろう。
「ま、そう言う事だ! エスティナちゃん! これから、暫くはまた、一緒に行動だ! やっぱり君と俺とは切っても切れない赤い糸で結ばれてるんだ」
リュードが二人を押しのけてアストールの前まで来る。
「あー、それ勘違いよ。あんたとはただの腐れ縁よ」
いかにも鬱陶しいと煙たそうにするアストールに、リュードはいつもの調子で答えていた。
「ははは! そうであっても、離れられない関係には変わりないさ!」
そう言って一歩踏み出して、更にアストールに近付こうとする。アストールは反射的に数歩下がってから、彼を睨み付けながら距離を取っていた。
リュードは怪訝に思いつつ、また一歩近づく。すると、彼女は一歩下がって一定の距離を取っていた。その行動にショックを受けたのか、リュードは口をへの字にしていた。
「そ、そんな……」
流石のリュードも悲しそうな表情を浮かべる。
「そんなに俺といるのが恥ずかしいのか! いや~まいったな~。そうかそうか。俺をそんなに好きで居てくれるなんて、うれしさ余って涙でそうだよ」
言葉ではそう言って後頭部を片手でかくが、その顔は依然として悲しそうなままだった。
「いや、避けられてるの、認めろよ! 本当は悲しい涙なんでしょ!」
「そんな訳がない。これは感涙だ!」
「いや、騙されないから!」
アストールが睨みつけながらリュードに言うと、彼は悲しそうな表情のまま聞いていた。
「……やっぱり、俺の事、嫌いなのか?」
「当たり前でしょ」
アストールが即答すると、リュードはそれでも真剣な眼差しで彼女を見据える。
「……でも、俺は好きだあああ!!」
そう言って両手をあげて、リュードはアストールに抱きつこうと近寄る。
「気持ちわりーんだよ!! 近づくんじゃねえよ! この俗物が!!」
今にも手が出そうになるが、それを押さえてアストールはリュードを睨みながら貶していく。流石のリュードも目に涙を浮かべて、無理やりに作り笑いをする。
「うぅ、やっぱり堪えるぜ。でも俺は負けない! 負けないんだ! うわああん!!」
リュードはそう言ってその場で蹲って、大声で泣きわめきだしていた。
少しだけ悪い事をしたと思ったアストールは、慌ててリュードに近寄っていく。
「い、いや、大の大人が泣くなよ。しかも、男だろ」
アストールが背中をさすろうとしたその瞬間だった。
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