千秋の来訪 4
リュードは本能的に吊り橋を駆けて、非武装の住人がいるであろう集落の中心方面へと足を進めていた。
未だ戦士達は到着しておらず、所々で化け物達が闊歩していた。
幸か不幸か、リュードの進む方向には化け物が出てこず、その代わりに断末魔の悲鳴や金切声が聞こえている方へと難なく近づいていくことができた。
リュードはその悲鳴を聞いて、胸の内に燃え盛る怒りの炎を滾らせた。
(くっそお、また、また、また、繰り返さしちまった!!!)
リュードに守る事のできなかった者の悲鳴が、被害者の最期を無慈悲に知らせてくる。剣と言う力を手にしても、なお、自らの力の及ぶ範囲がどれ程狭いのか、つくづく思い知らされる。
歯噛みするリュードは更に、走る速度を上げていた。
やっとの思いで、現場に到着した時、リュードは絶句した。
吊り橋の手摺にぶら下がるくの字になった子どもの死体。家から慌てて出てきたのであろう、家の前で無残に引き裂かれた男の死体。子どもを庇うように倒れた母子の死体、かつて、幾度となく見た光景が目の前に広がっていた。
「何回見ても、やっぱ馴れねえや。これは……」
苦笑するリュードの目は、笑っていない。
悲しみが怒りに変わり、瞳が憎悪で打ち震える。
リュードは無言で背中の大剣を抜くと、その凄惨な現場へと駆け出していた。
未だ多くの人が逃げまどい、悲鳴を上げて助けを求めている。
リュードは駆け出して、その場へと向かおうとした矢先、横切ろうとした一軒の家の玄関から、ぬっと白い影が現れる。
そこでリュードは衝撃的な光景を目にする。
狼のような顔をした一匹の化け物、胸のあたりある白い毛は真っ赤に染まり、その裂けた口にはぐったりと力を亡くした乳飲み子が、咥えられていた。食い込む牙にさえ、何も反応しない赤子を見る限り、確実に死んでいる。
「く、糞があああああ!!!」
リュードは思わず叫びながら、剣を横なぎに振るっていた。
化け物はリュードに気が付いて、手に持っていた剣で剣撃を受けようとする。だが、リュードの大剣はその剣をも真っ二つに折って、化け物の筋肉質な腹部をゴリゴリと肉と骨を磨り潰しながら切断していく。苦痛に悶絶する化け物の口から、乳飲み子の死体が吐き出されて床に転がる。
化け物の胴と腰が切断され、血飛沫がリュードを真っ赤に染め上げた。
(すまねえ。守ってやれねえで)
悲哀の視線を転がる乳飲み子に向けると、リュードは即座に駆け出していた。
(死人よりも、生きた奴を助けねーと!)
リュードは迷うことなく駆け出していた。目線の先には母親が我が子を抱えて、背後の化け物の刃を恐怖で待ち受けていた。振るわれようとする刃に、母親は目を瞑って、子の視界を覆い隠すように胸で強く抱きかかえる。
「させるかよおお!!」
リュードは大声で叫び、化け物の気を引く。化け物は剣を振り下ろそうとした体勢のまま、リュードへと顔を向ける。化け物が最後に見たのは、頭上から振るわれた肉厚の刃だった。
狼型の化け物の頭部が、大剣で砕かれて、化け物はその場に倒れこむ。
母親は目を瞑ったままだったが、振り下ろされない剣に恐る恐る顔を見上げていた。そこには尖り耳ではない人間の男が血まみれで立っている。
「早く逃げろ!」
リュードが一喝すると、母親は立ち上がって子の手を引いて、駆け出していた。
「まだだ、まだあ!」
リュードは親子を見送る間もなく、すぐに次の標的へと駆け出していた。
怒りと憎悪に燃え上がる大剣は、次々に化け物の躯を生み出していく。それで助けられた人は、リュードの鬼神の如き戦いぶりに、畏敬の眼差しを向ける。そこへ、間もなくして、コレウスとクリフも加勢していた。
「すまんな、リュード遅くなった」
クリフがコレウスを守りつつ、リュードの背後で戦いを繰り広げる。
「全く、リュードはいつも一人で突っ走りすぎなんですよ!」
コレウスは愚痴りながらも、魔法を詠唱して化け物達を葬っていく。クリフもまた巧みな短槍裁きで、化物の急所に的確に刃をぶち込んでいく。
次々と駆逐されていく化け物達、確実に止めを刺していく三人の動きは正に勇者の働きというに相応しかった。三人の人間がキリケゴール族の住人を助け、その雄姿に住人達は涙を流して歓喜した。
暫くしてから、眷属のコンラチリィヴァが一頭駆けつける。そこでまた住人達は、自らの目を疑う事となる。黒い竜の背中から降り立ったのは、眷属のみならず、人間の女性が二人も降り立ったのだ。
驚くことにこの二人の女性も、男達に負けぬ傑物だった。
剣を振るえば、化け物がいとも容易く三枚におろされていく。剣を持った女性が流麗に立ちまわって、恐ろしく正確な太刀筋で、敵を撫で斬りにしていく。そして、その後ろで弓を構えた女性が、一発必中の矢で女剣士を援護する。
矢が無くなれば倒した敵から矢を引き抜いて、それを使って更に敵を倒す。
化け物達の注意も住民から、自然とアストールとリュード達に引き付けられる。それでも五人の優勢な戦いぶりは変わらなかった。
妖魔の時と同様に頭や急所を狙っての攻撃が的確になされているのだ。
倒された化け物達は、二度と起き上がる事はなかった。
住人達は安どすると同時に、余裕が出てきたことによって少しだけ疑問を持った。逸早く住人を助けに来たのが、人間だった。その事実に住人達は困惑する者もいる。眷属や戦士達は何をやっているのかと言う不審。それが如実に顔から見て取れる。とはいえ、これで自分たちは助かったのだと、心の底から安心していることに変わりない。
暫しの乱戦の後、眷属と戦士達が到着する。だが、その時には、既に化け物の大半が倒されていた。残り少なくなった化け物達を、リュードやアストールは敢えて彼らに任せる。
「また、大勢死なせちまったな……」
リュードは踊り場に剣を突き立てて、感慨深く周囲を見回していた。そして、疲れからか、その場に尻をついて座り込む。そして、大きく息を吐いていた。
「やる事はやった。多くの人を救えたのは事実よ」
後ろから肩に手を乗せられ、リュードはその人物に目を向ける。
神妙な顔つきで被害者たちを見て、憤りを隠せずにいる。その心優しき女性エスティナの手を、リュードはそっと握っていた。
「ああ、そうだな……」
リュードはそのまま立ち上がると、手を繋いだまま彼女を見据える。
「加勢に来てくれたんだな。俺たちなんか放っておいて、逃げればよかったのに」
アストールはその言葉に少しだけむっとする。
「馬鹿ね! 余所者が頑張ってるのに、私達近衛騎士が動かない訳にはいかないでしょ」
眉根を上げるエスティナに、リュードは胸を高鳴らせた。自分たちを気遣っての言葉か、それとも、他の何かを隠すための言葉か、彼には判然としない。
だが、一つだけ言える事は、危険を顧みずにここに残って、彼女たちが自分たちと共に戦ったことだ。
「それに、あなたのおかげで、忘れかけてた大切な事を、思い出せたから」
エスティナはそう言って微笑みかける。
凛とした瞳に、パッチリとしているが鋭い目が、今は柔和に緩んでいる。自然と出た笑顔には、普段見る事のない彼女の一面を見た気がした。
心に癒しを得たリュードは、即座に気分を切り替える。
(まあ、もう死んだ奴の事を気にしたって、仕方ねえしな……)
「気分転換だ!」
リュードはそう言うと、彼女に即座に近寄って抱き寄せる。そして、有無を言わさずに、素早く頭に手を伸ばし、そして優しくアストールの唇を奪っていた。
「!!!!」
男性でありながら、リュードの柔らかで温かい感触が唇を伝わってくる。
男に無理やりに唇を奪われるなど、想像もしていなかった。それゆえに、頭が真っ白になって何も考えられなくなる。カラッポになった自分に残るのは、生々しいリュードの唇の感触だけだ。
目を見開いたアストールは、リュードが顔を放すと体全体を打ち震わせていた。
そして、目頭に自然と涙を潤ませる。
リュードのキスから解放されたアストールは、暫し、身動きできずにいた。
自分でも今何が起きたのか、正直に把握できていない。否、分ってはいてもその事実を認めたくない。
アストールはまさかこのタイミングで、キスをしてくることなど想像もしていなかった。油断していたと言えば、それまでだが、リュードの破天荒な行動に対応することができなかった。
ようやく状況が冷静に把握できるようになり、リュードからもがくようにして離れようとする。だが、突然の行動に未だ体が震えて上手く動けず、尚且つ男の力の前ではなす術がなかった。
リュードはようやくアストールが嫌がっているのがわかり、体を解放する。
彼女は震える手で、血で汚れるのも構わずに、返り血を浴びた服でごしごしと唇をふき取る。
そして、潤んだ目でリュードに敵意を露にして、睨み付けていた。
女性が本気で泣き出しそうなのを見て、流石のリュードもたじろいで彼女に謝っていた。
「あ、す、すまん」
アストールに殴られることを覚悟して、奥歯をかみしめる。だが、彼女は一向に殴ることはなかった。ただ、体を打ち震わせ、リュードを無言で睨み付ける。逆にそれがリュードにとって、最大の苦痛を感じさせた。
泣くまい、涙を見せまいと、彼女は奥歯を噛み締める。だが、その気持ちとは裏腹に、頬を一粒の涙が流れ落ちる。思考と感情が反比例して、なし崩し的に止めどなく涙があふれ出していた。
アストールは無言でリュードに踵を返して、スタスタと立ち去っていた。
「女の子を本気で泣かせるなんて、俺はダメなやつだな……」
リュードは後頭部を掻きながら、憤怒で打ち震えるアストールの背中を見送る。
「リュード、流石にお前、それは唐突すぎるぞ」
後ろからかかるクリフの声に、リュードは苦笑する。
「いやー、あの状況なら落ちるかなって思ったんだけどな」
「まあ、二つに一つだな、落ちるか、ああなるか」
クリフは腕を組んで、リュードに話しかける。コレウスはただ黙って、大きく溜息を吐くだけだった。