千秋の来訪 2
エスティナ達が連れて行かれてから、どれくらいの時間がたったのだろうか。
二人の心配をして、リュードは小さく溜息を吐いていた。
相変わらずの軟禁状態にあるリュード達三人は、各々に考え込んでいる。
「これで、黒魔術師の線が濃厚になったな」
腕を組んだままリュードはコレウスに言うと、彼は静かに答えていた。
「ええ。そうですね。ですけど、僕たちの予想とは違って、ヴェルムンティア王国は、黒魔術師を捕まえようとしてますからね」
コレウスはそう言って再び考え込んでいた。
「だな……。あのエスティナちゃんは王国の近衛騎士だし、王国が黒魔術研究してるとは、到底考えられないな」
リュードはそう言うと、自分たちがこの王国を旅する使命を思い出していた。
三人は戦場に出たくないために西方同盟からは距離を置いて、探検者として冒険の日々を過ごしていた。だが、運命の神は三人を見逃すことはなかった。
ある日、三人は東方の戦場近くにて、王国軍と西方同盟軍の小競り合いに巻き込まれたのだ。
結果、リュード達三人は王国軍の傭兵隊を撃退し、そのまま成り行きで西方同盟へと加入させられていた。当初こそ三人は嫌々ながら戦っていたが、戦場を見ていくうちにその気持ちも変わっていく。最前線に赴けば、国土は完全に荒廃して、住んでいる人々は戦いに疲れ果てて絶望に打ちひしがれている。何の生産性もない戦いが続き、友人や家族、戦友を失っていく彼らは、憔悴しきっていた。
三人の故郷とは正反対の状況に絶句せざる負えなかった。三人の故郷は小国でありながらも各国の交易要所として、また列国の緩衝地帯として中立の存在を許されている。だからこそ、目立った戦乱はなく、平和を享受できていた。だが、もしも、ここで西方同盟が敗北すれば、この凄惨な戦場の現実が故郷に降りかかるかもしれない。明日は我が身と考えると、とても他人事には思えなかった。
その気持ちもあって、三人は西方同盟で戦い続ける事を決意していた。
成り行きとは言え西方同盟の一員として三人は戦い、数々の戦いで戦果をあげていた。その功績が認められ、いつしか、三人は西方同盟の中で「煌夜の勇者達」と呼ばれるようになっていた。
そんな活躍をするある日に、ヴェルムンティア王国がこの停滞しきった戦線を押し上げるために、黒魔術に手を出しているという噂が西方同盟に入ってきていた。三人は遠国廻りという名目の下、西方同盟の長より密命を帯びてこの王国へと入ってきていた。
ヴェルムンティア王国の黒魔術研究の調査……。
表向きは探検者として、裏では本来の使命の密偵まがいの調査。
そんな、自分の行為にリュードは時々疑問を感じる。
(俺は本当に、勇者として行動できてるのか?)
この王国に入るまでは、王国軍の戦場での野蛮な行為故に、王国民は野蛮人ばかりと思っていた。だが、一旦入国して戦地から離れれば、そこには自分達の故郷と変わらない、否、それ以上に豊かな生活を送る人々がいた。それを見た時、本当に自分たちはこの国の人々を憎んで、死闘を繰り広げていたのかと、疑問にさえ思ってしまったほどだった。
探検者という立場ゆえにその人々を守るために剣を振るい、妖魔を倒すことも頻繁にあった。
そうして旅を続けるが、一向に黒魔術師の噂などにも遭遇することもなく、王国の陰謀の噂が杞憂であったと感じ始めた。そして、三人が帰国を決意した時に、ガリアールでアストール達と出会ったのだ。それだけではなく、ガリアールの事件には黒魔術師が関与しているという事実も知った。
何よりもリュード達が王国にとどまった一番の理由、それが王国の領主が黒魔術師と繋がりがあったという事実だ。王国の黒魔術研究という懐疑的だった噂に少しだけ信憑性がもたらされたのだ。
だからこそ、リュードは使命を果たすために、再び動き出していた。
(あれは、本当に運命の出会いだよ! エスティナちゃん!)
リュードが過去の事を物思いに耽っていると、小屋の扉が音を立てて開いていた。入口からアストール達が足を踏み入れると、リュードは何の気なしに歩み寄っていく。
「お、無事でよかった! お帰り!」
リュードが呑気に挨拶をしてくると、アストールは小さくため息を吐いていた。
「よくもまあ、そんな呑気でいられるわね」
呆れた声で対応されるも、リュードは笑顔を崩さない。
彼女の後ろで扉が閉まる音が聞こえて、ふとリュードは扉の方へと目をやる。
「ん? その小さな女の子は誰だい?」
メアリーとアストールの後ろにいるアルネを見て、リュードは笑顔で聞いていた。
「彼女も私達と同じ、囚われの身よ」
キリケゴール族と言う異種族に、リュードは興味深くまじまじとアルネを見据える。
「う~ん。可愛いね。あと、5年もまてば、美女になるなあ……」
リュードはそう言ってアルネを見ていたが、彼女は笑顔で答えていた。
「私が美女になる頃には、あなたはおじいちゃんだよ?」
一同が疑問に思い、怪訝な表情を浮かべる。リュードは思わず彼女に聞き返していた。
「え~と、どういう事?」
「あ、そっか。知らないんだね。私達の寿命はあなた達ニンゲンのおおかた10倍はあるの」
一同がその言葉を理解できずに、アルネを見据える。リュードは口をぽかんと開けたまま、彼女に聞いていた。
「え~と。ん? いや、君は明らかに10代前半だよね?」
「違いますよ! それじゃ私赤ん坊と一緒じゃないですか」
アルネの言っている意味が分からずに、リュードは彼女を問い詰めていた。
「ん? じゃあ、君は何歳なんだい?」
「134歳ですよ!」
満面の笑みを浮かべたアルネを見て、愕然とする一同。
「え? じゃあ、私達よりもずっと年上ってこと?」
メアリーが信じられないと目を点にして聞き返すと、満面の笑みでアルネは答えていた。
「うん!」
「信じられないわ……」
アルネの見た目は精々13、4の少女にしか見えない。
それがあろう事か一世紀以上を生きている長寿の持ち主などと、言われても信じられない。
「特に重役を担っている人たちは、私達なんかよりも遥かに年上なんだよ?」
アルネは続けてメアリーに言う。
「どういうこと?」
「森の神に選ばれし者は、永遠の若さと寿命を得られる……。って伝承があるの! フェルード司祭様なんて、1600歳は越えてるし、眷属の長してるフィルガーさんだって1800歳越えとか言われてるよ!」
アルネの口から出てくる数字が途方もなく大きく、アストール達は返す言葉が見つからなかった。
フェルードは見た目だけなら20代の前半で通るほどの美青年で、あのフィルガーも見た目は30代といったところだろう。とても千年を生きてきたとは思えない。
二人の年齢が本当ならば、古代魔法帝国が大陸を統一するよりも遥かに昔から生きていることになる。
「私の耳がおかしいのかな……。寿命がどうのこうのとか、そう言う次元じゃないみたいな話を聞いてる気がするんだけど……」
アストールが空笑いを浮かべて、アルネに聞いていた。
「うん、まあ、ああ言う役目を担った人は特別だから! ほんの一部だよ? 普通の人は皆良くて700年生きれれば良いとこですよ」
「な、700年て……」
途方もない寿命を聞いたアストールは、驚きを通り越して呆れをさえ感じるほどだった。人間からすれば常軌を逸しているその長寿に、アストールは驚きを隠せなかった。それと同時に彼らがなぜそこまで掟に重きを置くのかも理解できた。
外界との接触を絶っているからこそ、無駄な争い事が起こることもない。何よりもアルネを見る限り、彼らの成長速度は人間に比べて格段に遅い。争いで一人を失えば、次の世代を育てるのに、相当な時間がかかるのだ。
だからこそ、彼らは争いを嫌い、集落に人を近づけさせないし、姿も見せないのだ。森の奥深くに位置する場所に住むのも、下手に人が手を入れることができないからだ。だからこそ、彼らはここで生活を続けることが出来る。
その彼らの生活を守ってきたのが掟だ。
それは種の存続ための絶対的なルール。破る事は種の破滅を意味する。厳罰が下るのも、多少なりとも理解は出来た。だからと言って、アストールはホイホイとその掟に従うつもりはない。早い所、ここから抜け出す事を考えなければならない。
「あのエスティナさん……」
アルネが思いつめた表情で、アストールに顔を向けていた。
「何?」
優しく受け答えるアストールに、アルネは静かに言っていた。
「あの……。本当にごめんなさい。私、なんにも力になれなくて……。ジュナルさんとの約束も果たせそうにない……」
アストールを必ず生きて返す約束、それはアルネが眷属としての誇りをかけて誓ったことだった。それを自身の命を持ってしても果たせないとなると、彼女自身悔しくてたまらなかったのだ。
「いいのよ。気にする事ない。私だって考えなしにここに来たわけじゃないわ」
アストールの言葉を聞いたアルネは、彼女を意外そうに見据えていた。
「アルネ、あなたはこのキリケゴール族を抜ける覚悟はある?」
「えーと、それって……」
「あるなら、あなたとヴァイムの力を借りて、この集落を出るつもりよ。勿論、あなたは私がちゃんと面倒を見るから安心なさい」
アストールは端からアルネが姉の後を追って掟を守って殉死する事を見据えていた。だが、それを知って彼女を見捨てることができないのがアストールという人だ。元より彼女を連れ帰るのを念頭に行動していたのだ。
「エスティナさん……。でも、私は……」
アルネが何かを言おうとするのを、アストールは手で制していた。
「いいの、後は何も心配しなくて。黙って私についてきなさい」
アルネにそう言い聞かせると、彼女は目を潤ませていた。そんな彼女をよそに、アストールはコレウスに向き直っていた。
「さて、そうと決まれば、コレウスさんのお出番かしら」
アストールが笑みを浮かべて、コレウスに目で魔法を使うように促す。
「そうですね……。と言っても、もう日も暮れちゃいましたし、早朝でもいいような気がするんですけどね」
コレウスに言われてアストールも少しだけ思いとどまる。夜中は妖魔も多く出てきて、行軍するにはあまりいい時間ではない。何よりも、眷属のあの黒龍達に追いかけられて、逃げ切れる気がしない。
そして、この監獄より出たとして、下に降りる手段がない。
ここは地上からかなりの高さがある木の上だ。ヴァイムがいるとは言え、それでもこの人数を載せて下に降りるのは難しいだろう。
「ん? なんだ?」
外の番兵が口ずさんだ言葉に、一同は一瞬動きを止めていた。
コレウスが魔法の杖を持っていることに気づかれれば、一瞬で計画は終わりだ。
だが、アストール達が心配している事は起こらなかった。
「フェルード様。ご面会はお控えください」
番兵の言葉を聞いた一同は扉へと目を向ける。
小さな窓の向こうで、番兵と美青年が何かを話しているのが見えた。
「アルネに一度会って話をさせてください。あれでも私の愛弟子です」
「いくら司祭長と言え、許可なき面会はお控えください。これは掟に反することです」
「……この集落に危険が迫っているのに、その詳細を知った者から事情を聴くことも、司祭長としての役目、それを阻止することこそ、掟に反するのではないか?」
フェルードの鋭い返しに、番兵は返す言葉がなかった。
やむなく、彼は扉を開ける。
あいた扉の向こうには、神殿に居た頃と変わらぬ白い装束に身を包んだ美青年が立っている。一目見ただけでも、感嘆のため息をついてしまいそうな程の神々しさ。
(なるほど、伊達に1000年以上生きてないか……)
アストールはフェルードの纏う神々しさに、妙に納得させられていた。
この雰囲気はただ千年以上を生きたからと付くようなオーラではない。
「お初にお目にかかります。私はこの集落の司祭長をしているフェルード。あなた方ニンゲンに会うのは魔法帝国との戦い以来でしょうかね」
「ま、魔法帝国と戦ったの?」
アストールが驚嘆して聞き返すと、フェルードはふっと暗い笑みを浮かべていた。
「知らぬも当然ですね。もう千年以上前の話ですからね……」
嘘の様な話を前に、アストールは驚きを通り越して呆れすら感じていた。
笑みを浮かべたままのフェルードは、アルネの元へと歩み寄っていく。
「アルネよ。よく帰ってきましたね。キリエの事は残念でした」
フェルードはそう言うと屈んで、アルネを優しく抱き寄せていた。その胸の中で彼女を癒すかのごとく、優しく微笑みかけていた。
「フェルード様……」
「言わなくてもいいですよ」
アルネは温かみのある胸に抱かれて、自然と涙が頬を伝っていた。
「あなたはよく頑張りました」
優しく頭を撫でると、微笑を浮かべたままアストールを見ていた。
「この不肖な弟子を助けてくれた事、師の私からもお礼をいいます」
泣いているアルネを宥めていたフェルードに、アストールも苦笑していた。
「いえいえ。いいんですよ。それにしても、あなたは私達を蔑視しないんですね」
彼女の問いかけに対して、フェルードは微笑みを消すことなく答える。
「私も伊達に長い間生きていません。それに、私はフィルガーと違ってニンゲン達とは直接刃を交えていませんからね」
それが意味する所、フィルガーは仲間をニンゲンに殺されている。古代魔法帝国がどのような事をしたのか、その記録は一切残っていない。だが、かつてこの大陸の人々全てを魔法の恐怖で支配した帝国だ。
残酷な戦いを強いられたのは、アストールにも容易に想像がついた。
フィルガーが人間嫌いになるのも、納得がいく理由だった。
「それにしても、態々ここに来るなんて、あなたはキリケゴール族でも変わってるって言われませんか?」
アストールの言葉にフェルードは苦笑する。
「ええ。よく言われます。それでも、何だかんだといって、アルネは私の愛弟子です。苦しんでいるのであれば、少しでも力になってやりたいものですよ」
そう言ってアルネの両肩に手を載せて、ゆっくりと彼女から離れて立ち上がる。
「さて、アルネよ。私もさほど長居はできません。集落に迫っている敵の正体を教えてくれませんか?」
フェルードの問いかけに対して、アルネは黙り込んでいた。暫しの沈黙の後、彼女は重い口を開く。
「司祭様……。合議で話したことが全てです。正直、私にもその正体は分かりません。でも、本当に危機は近いうちに来ます……」
「そうですか……」
「すみみません、記憶の断片でしか、判断ができませんので……」
記憶の断片を受け取ったとは言え、その全てを見られるわけではない。あの短時間で渡されたキリエの記憶は、黒魔術研究を行う合成実験と、その後、体を元に戻すまでの過程までだった。
鮮明に脳裏に映る映像は、はっきりと凄惨な光景を映し出す。生々しい肉感までもを、アルネに感じさせていた。だが、それだけの情報では、生憎、相手の素性や居住している場所は判然としなかった。
それを思い出した時、アルネはその場で涙を流しそうになる。
フェルードは優しく微笑むと、アルネの頭に手を乗せていた。
「よいのです。アルネ……。あなたが気に病む必要はありません」
天使のような微笑みと形容してもいいだろう。そこにはアルネの気持ちを落ち着かせるだけの、大らかで温かいフェルードの笑顔があった。
「……今後、もしも、危機が迫った時には、ヴァイムをお呼びなさい……」
フェルードは優しい微笑みを消すと目を瞑っていた。頭は手に置いたまま、アルネに何かを語りかけているのだろう。アルネはコクコクとうなづいて見せる。
一定の時間が過ぎ去って、フェルードが目を開けると、アルネは目を涙で潤ませていた。
「司祭様……」
「元気に過ごすのですよ……」
フェルードはそう言うと立ち上がって、アストールに向き直っていた。
「すみませんが、私の弟子、アルネを頼みます」
その言葉の意味を察して、アストールは怪訝な表情を浮かべる。
「……それって」
「……」
その沈黙が答えだった。
断言こそしなかったが、フェルードはアルネに対して今生の別れを告げに来たのだ。彼女をアストールに託して、送り出すこと。それは司祭長としては絶対にやってはならない事だ。だが、それ程までに、彼はアルネを生かしてあげたかった。
「司祭様……」
「では……。失礼します」
短い面会ではあったが、フェルードはその場を名残惜しそうにして、立ち去っていく。そして、彼が出て行くと扉は完全に閉められていた。
「危機が訪れた時、ヴァイムを呼ぶ……」
アルネはフェルードが立ち去っていった扉を見つめながら、呟いていた。フェルードはあることを念話で伝えて、立ち去っていた。それも全てはヴァイムを呼べば分かることだ。
彼らのもとに長い長い夜が訪れようとしていた……。