その先にあるもの……
エメリナがルショスク城に潜入してから大よそ一週間が経とうとしていた。
巷を騒がせる人攫い事件は、一行に解決の兆しは見えない。閉塞感が漂うルショスクの街と同様、城内にもなかなか事件解決しない事に、不安と不満が漂っていた。
一週間も侍女の仕事に従事していれば、自然と衣装が身の丈に合ってくる。エメリナは侍女メリナとしてルショスク城に潜入してから、順調に仕事を推し進めていた。大胆な行動をとることもなく、淡々と侍女の仕事を粛々と続けていれば嫌でも情報が耳に入る。
エメリナは貴族の妃の着付けの手伝いを終え、一息つこうと廊下をぶらぶらとしていた時だった。
「おい、聞いたか?」
「なにを?」
廊下を歩く二人の兵士が、歩きながら話し始める。エメリナは足音を立てずに、気配を消して声の聞こえる範囲で背後についていた。
鎖帷子を身に付けた二人の兵士は、エメリナに気付く訳もなくのうのうと話しながら歩いていく。
「ルスラン殿が例の人食い妖魔討伐に馳せ参じたとか」
「ルショスクも末だな……。人攫い事件を解決する人員を妖魔討伐に割かなきゃならんとは……」
嘆く兵士の言う事は尤もだ。上級妖魔の討伐失敗と報復の襲撃以降の損害によって、兵員不足は壊滅的と言っても過言でなかった。ルショスク所属の正規騎士はその殆どを失い、ルショスク各地の屯所にいる兵士と騎士を全て呼び戻したとしも、その数は1000名に満たないだろう。
何よりも辺境領主とはいえ、国境沿いに配備されている国王隷下の山岳部隊を呼び戻す権限はない。その上それは隣国ハサン・タイの侵攻を招きかねない危険極まりない行為でもあった。
山脈を挟んだ反対側には、既に大陸の北半分を手中にしている大帝国が迫っているのだ。いくら細く険しい道とはいえ、守備部隊の国軍を配置していなければすぐにでも侵略に動いてくるだろう。それがハサン・タイという国だ。
そんなハサン・タイの重税と圧政から逃れるために、この過酷な山道を越えて来る難民もいる。とはいえ、着の身着のまま山越えを行えるほど、温い山ではない。逃げてきた難民のうち、生きてルショスクまで辿り着けるのは全体の約3割ほどだ。
年間にして50名ほどがこの地に流入してきている。この難民達も年々増加しつつあって看過できない状況になっていた。とはいえ、元はルーシュという同じ国の民、ルショスクの人々はヴェルムンティア王国の民よりも、暖かく難民を迎え入れていた。
いまや、その難民までもが兵士に志願しているのだから、このルショスク地域も混沌としているというに相応しい。
「大丈夫だって、次期ルショスク領主になられるゲオルギー様ならば、この地をうまく治めてくれるだろうよ」
兵士の明るい口調には、次期頭首に期待する気持ちが表れていた。
ゲオルギーは領内の臣民の心を幼き頃より掴み、今では嘆いてばかりいる父親の支えになっている。エメリナが少し探りを入れれば、このルショスク城でその程度の情報はすぐに得られた。
「そうかもな。にしても、ルスラン殿が腰を上げるとは、いよいよこの領地も不味いのかな」
エメリナもその言葉に同意せざるを得ない。さりげなく得た情報では、ルスランもまた領主の右腕として信を得ている人物だ。
城内においてもその信頼は厚く、騎士達が少なくなった事もあってか、平民出の騎士でありながら何かと仕事を多く任されている。
その中でも重視しているのが、人攫い事件だ。
手持ちの隊員の内、彼の有能な部下の大半をこの事件に割り当てていて、他の事件は余りの部下で回しているという。それからしても、この人攫い事件に対してかなりの態勢を整えているのがわかる。
「ああ~、そのことなんだがな。可笑しなことに、猫の手でも借りたいっていうルスラン殿自らが申し出たって言う話だ。今回の件は何か人攫いの件と関連してるんじゃねーかって噂だぜ?」
その話を聞いた瞬間にエメリナも疑問に思う。
兵士の言う通り、仕事量が格段と増えていて、資料や報告に追われた姿をみれば、今現在はとても動ける状態にないのは一目瞭然だった。
エメリナはルスランの部屋に、お茶や食事などを届けに何度となく訪れて確認している。あの人攫い事件以外でルスランが動くことなど、誰も考えようがなかった。
「まさか、たかだか妖魔と何が関係あるもんかよ」
「じゃあ、なんで態々自分から申し出て出張ってんだ?」
噂を切り出した兵士が聞くと、もう一方の兵士は暫し考え込んでいた。
「トルチノフ殿指揮下の騎士だけじゃ、不安だったんじゃないか?」
「ああ~、なるほどな」
兵士はその言葉に納得していた。トルチノフは生粋の騎士である。だが、その配下の騎士達は違った。騎士とは言っても名ばかりの騎士達、騎士見習いや騎士の従者に騎士爵位を与えて、急ごしらえで仕立て上げた者が大半を占めている。
そのせいもあって、騎士とは名ばかりの技量の未熟な騎士が溢れる事となった。
彼の配下でまともな騎士と言えば、ブルーノとヴェリオくらいだろう。
「確かに不安が残るな、幾ら人食い妖魔だからって、絶対的に勝てる保証はないからな」
二人の兵士はそう言って、突きあたりを右に曲がる。エメリナはそれとは反対方向に曲がってさり気なく別れていた。
(へー、なるほどね。でも、ルスランがそんな事、本当にするのかしらね……)
エメリナは兵士たちの会話を聞いても尚、魚の小骨が喉につっかえた様な違和感をぬぐえなかった。ルスランとトルチノフはあまり仲のいい関係ではない。
トルチノフは由緒正しいルショスクの名家の出であるために、何かとルスランを見下したりする所がある。それに対してルスランもまた表面では気にはしていないが、根ではトルチノフを嫌っている。
いわば、犬猿の仲である。
(ルスランがトルチノフに協力ってのも、何か怪しいわね……)
傍から見れば手を焼きそうな相手に、親切に協力を申し出た人格者にも見える。だが、少し考えると、ルスランがその裏で何かを考えて行動したのではないかという疑いが出てきた。
(これは調べてみる価値があるかもね……)
幸いルスランが討伐に出て一日と経っていない。例の辺境までは馬で行くなら片道が二日ほどの道のり、部屋に潜入して情報を漁る時間は十二分にある。
エメリナは思い立ったら吉日、即行動に移っていた。幸い侍女としての仕事は一段落ついていて、時間もあった。夜中にこっそりと行動するよりも、侍女の服装で白昼堂々とルスランの部屋へと向かった方がばれ難い。
エメリナは掃除道具一式を持って、爵位を持った者たちに割り当てられた部屋がある区域へと向かう。
廊下の前に立っている見張りの兵士は、エメリナを見て引き留める事もしなかった。この区域に侍女が出入りすることが日常茶飯事になっていることは、彼女は既に確認済みだ。掃除道具の一つでも持って行けば、番兵は呼び止めもしない。
エメリナはルスランの部屋の前までくると、ピッキングツールを取り出してカギを開けようとする。ノブ下についた鍵穴に針金を突っ込んで、軽く二、三度手慣れた指捌きで動かす。
もちろんこの時普通にカギを開けている様な姿勢のままだ。
数秒もしない間にカチャリと言う音がして、カギが開いていた。
(よし、じゃあ、探りに入りますか……)
エメリナはドアを静かにあけると、意気揚々と掃除道具一式を持って部屋へと入っていく。これも全ては怪しまれないためだ。部屋に入れば、すぐにドアを閉めていた。
彼女はルスランの机の前まで来ると、木のバケツをその場において埃取り片手に窓を開け放つ。気持ちがいいくらいの快晴に加え、眼下には城から見下ろす城下町が広がっている。
景色だけならばかなり贅沢で、素晴らしく綺麗だ。
実情は過疎化はしているものの、上から見ただけではその様子は見受けられない。
「さ、それよりも仕事仕事」
そう言ってエメリナは窓の淵を、埃取りで吹払っていく。とそこで彼女は動きを止めて苦笑する。
「あ、そういえば、掃除しに来たんじゃないんだよね」
ここに来てから、すっかり侍女としての仕事が身に染みていて、埃取りを手にとれば自然と体が動くようになっている。だが、すぐに本来の目的を思い出して、腰のベルトに埃取りを挟む。そして、机の上の書類に目を通していく。どれもこれもいたって変わり映えしない報告書ばかりだ。机の上の資料は少なく、棚に整理されておかれている。
「仕事のできる人間てのは、机周りも綺麗よね」
エメリナはそう言いつつ、部屋の中を見渡していた。机の上に置いてある書類など、所詮、誰が見てもいいものばかりだ。本当に極秘の文書なら、金庫などに隠しているはずだ。
そうして、彼女が掃除道具片手に部屋の中を探り出した時だった。
部屋の鍵が急にガチャガチャと音を立てて、一回閉まり、その後すぐに開く。
(ル、ルスランが帰ってきた?)
エメリナが緊張してドアを見つめていると、ドアがゆっくりと開いていた。
最悪、誰にどういわれようとも、言い逃れができるように掃除道具は手に持っておく。
「う、うわあぁ!」
そして、ドアを開けた張本人が、大きな声を上げて飛び上がっていた。
「あ、じ、侍女が掃除してるなんて聞いてないぞ」
飛び上がった銀髪の青年はエメリナを見て、小言を呟いていた。
「あ、ご、ごめんなさい」
エメリナは即座に男性の元へと駆け寄っていた。
背は高く体もしっかり鍛えられていて、ガッシリとしている。
顔も女性が好みそうなさわやかな印象で、一言でいえばハンサムな見た目だ。
「い、いやいい。それより君はなぜこの部屋へ?」
「あ、はい。申し付けられていた部屋の掃除をしていました」
青年は取り乱したのを隠すためか、すぐに部屋の中へと入りこんでドアを閉める。
「それよりも、あなたこそ、一体何をしにここへ?」
エメリナはそう言って男性に声をかける。なにせ、ルスランは外出中でいないのだ。
「あ、えと、そそ、そうだな。僕はルスランに預かり物があって、それをとりに来たのさ」
「そうなのですか……」
エメリナはこの男性がかなりウソが下手であることに気づいた。何よりも、彼女はこの青年の名前と顔を知っていた。
「あの、アズレト様、私お掃除をしなくてはならないので、早急に用事をお済まし願えないでしょうか?」
エメリナの言葉にアズレトは、その場を取り繕うかのように言っていた。
「あ、ああ、そうだったな。今日はもういいよ。あいつも居ない事だし、また出直す」
そう言ってアズレトは部屋からそそくさと出て行っていた。
(ゲオルギーの右手が何しに来たのかしら……)
エメリナが彼を知っているのは、ゲオルギーに探りを入れていたからに他ならない。アズレトは次期領主と有望視されているゲオルギーの補佐役を勤めている。実直なまでに生粋のルショスク騎士とも言われている。とはいえ、その実態はゲオルギー子飼いの、都合のいい駒と言った所だ。
実直さを買われたアズレトは、主人に忠実に従う番犬の様な存在だ。剣の腕前はルショスク騎士隊が壊滅する前から、ルショスク一の腕と言われている。それでいて、物腰はかなり柔らかく、頼りない態度とは裏腹に柔軟な対応を見せるらしい。
(でも、本当に侮れないのかしら?)
相手を軽んじるわけではないが、エメリナが見た限りではとてもそんな切れ者には全く見えなかった。
(……すぐに私が侍女だって信じ込むくらいだったし……)
疑われないように工作はしていたが、余りにもあっさりと信じ込みすぎだ。果たしてそこまで警戒心を持たないものか。アズレトは一度鍵を閉めて、また開けているのだ。そこを勘繰りだすと、もしかすると自分は泳がされているのではないか、そう思えてエメリナは不安にかられていた。
「でも、ここで尻尾を出してやるわけにいかない」
エメリナは再び開けているドアを閉めて、部屋を物色しだしていた。
少しでもいいから何かの証拠を掴むために……。