姉妹の再会 5
キリエとの死闘を繰り広げていたコズバーン、だが、キリエは動きを止めて頭を押さえてもがき苦しみだしていた。その様子を見て、好機とばかりに彼は斧を振るおうとする。
「コズバーン! 待って!」
アストールが彼の動きを制止する。今ならば、キリエの命を絶つことは容易にできるだろう。だが、それはアルネの姉を元に戻すと言う努力を無下にしてしまう。後ろに居た騎士がアストールの横まで来て、キリエを指さして問いかけていた。
「なぜ奴に止めを刺さん? 今は絶好の機会だぞ?」
事情を知らない騎士達からすれば、仲間を殺された仇でもある。彼らの気持ちを考えれば、その問い掛けはごく当然の物だ。アストールはどうやって彼らを説得するかを考え出す。
「少しお待ちください、あの化け物は、ある事件の重要参考人の可能性があるのです。できるなら、生きたままの拘束を行おうと思っています」
アストールの言葉に対して歩み出てきていた騎士、ブルーノは奥歯を噛み締める。部下を二人もれた挙句、自らも殺されかけた。それでいて、あの化け物を生け捕りにしようと言う事など、腸が煮えくり返るほど納得がいかない。とはいえ、近衛騎士がそう言うのだから、従わない訳にはいかなかった。
アストールのその場しのぎの言葉が功を奏して、騎士達は動くことなく現場を見守っていた。呻き声を上げていたキリエは、暫く地面でのたうち回っていたが、暫くして動かなくなる。
アストールの横には目を瞑り、念じ続けるアルネの姿があった。
彼女は全くもって表情を変えずに、必死にキリエの意識を引き出そうとしている。アルネとキリエは姉妹であり、意識に呼びかければ操っている術者を追い出す事も出来るはずだ。
キリエが動かなくなってから暫くしてからのことだった。彼女の体に様々な異変が生じ始めていた。裸体の至る所に黒い鱗が現れ始めていたのだ。
そう、皮膚がまるで焼き上がるかの如く、段々と変化していく。
体も徐々に大きくなったり、元の大きさに戻ろうとしたりを繰り返していた。
伸縮を繰り返す体を見て、全員が息を呑んで見守っていた。
その直後だった。
キリエが目をあけて頭を押さえていた。意識を取り戻して、手をついてゆっくりと立ち上がり出す。口は色々な苦痛を抑えているのか、ぐっと奥歯を噛み締めている。
「な、また、変化を始めている。これは不味いぞ!」
ブルーノは即座に異変を感じて、その場から駆け出していた。
彼の直感が告げているのだ。このままにしては、確実にまずいことが起こる。
「あ、おい! ちょっと待って!」
アストールが叫び声を上げてブルーノを引き留めるが、彼は聞く耳を持たなかった。いまだ腹を地面につけたままの愛馬に駆け寄ると、勢いのまま飛び乗る。そして、手綱を握るなり立ち上がらせて、見事な捌きでキリエへと馬首を向けさせた。
「ちょっと、待て! 待てって言ってるでしょうがアアアア!!」
アストールがブルーノに向かって駆け出す。アルネの意識が覚醒したのは、丁度その時だった。
「貴公らが刺さぬというなら、私自らが止めを刺す!」
ブルーノが大声で宣言するのを聞いて、アルネは朦朧とする視界の中にあって、何が起きているのかを瞬時に理解していた。
(人間になんて、お姉ちゃんは任せない! ヴァイム! 来て!)
アルネはぼやける視界の中、騎士を止めるために契約を交わしたヴァイムを呼び出す。
握った右手の甲の紋様が赤く光を放ち、次の瞬間駆け出していたブルーノの前に黒く大きな影が飛び出していた。
馬は突然現れた影を見て、驚いて嘶き前足を上げていた。
危うく落馬しそうになるブルーノは、手綱を思い切り引いて馬を落ち着かせることに専念する。そうして、彼がどうにか馬を落ち着かせることに成功し、目の前に立ちふさがる影を見上げていた。
馬の二倍はあろうかと言う大きさの、黒い鱗に覆われた大きなトカゲ。太い四肢でしっかりと大地を踏みしめて、とがった口は鋭い目元まで裂けている。正に黒龍と言うに相応しい出で立ちに、ブルーノは呆気にとられていた。
そんな騎士の横を素早く一人の少女が駆け抜けていく。
人影は軽い身のこなしで、その黒龍の鞍まで昇りついていた。人影は鞍に括りつけていた短槍を手に取ると、頭から被っていたフードを取り払っていた。
そこにはあの化け物と同じ、尖り耳の美少女の顔があった。
アルネは鋭い目つきでブルーノを見下ろすと、凛とした声で言い聞かせていた。
「これは我が身内より出た問題! この者は我が眷属が処理する!」
呆気にとられていたブルーノであったが、すぐに彼女を睨み返していた。
「何を言うか! 我が同胞の仇、貴様も仲間と言うのであれば、諸共倒すのみ!」
ブルーノはそうは言うが、実際の所、アルネとヴァイムを前にして倒せるとは思ってはいない。化け物の同族とあらば、その強さはあの化け物に匹敵する。だが、それでもブルーノはここで引くわけにはいかなかった。自分の部下を殺された事による仇討ち、騎士らしくはないと判ってはいるが、可愛がっていた部下を殺されたことに対する怒りは抑えられなかった。
「ブルーノ! 控えろ!」
だが、逆上したブルーノの後ろから、トルチノフが大声で彼を制止していた。
「しかし!」
「ここで無駄死にすることは、私が許さん!」
トルチノフの凛とした声に、ブルーノは三度歯噛みしていた、
アルネはブルーノに背を向けると、キリエに向き直っていた。キリエはぎこちない微笑みを浮かべて、自分が待ち望んだ最後の時が来ることを待ち受けていた。
体はどうにか人の形の状態は保っている。だが、それが最後の力を振り絞って維持しているのだと、アルネにはすぐにわかった。
腕の血管が浮き上がり、時折、皮膚が鱗のように黒く変色したり戻ったりを繰り返していた。
アルネは実の姉を見据えると、険しい表情を浮かべたまま小さく呟いていた。
「キリエ、お姉ちゃん……。ごめん」
その口の動きを見てか、キリエは小さく首を振っていた。
「いいのよ。アルネ。ありがとう……」
一眷属である誇りと、唯一の肉親に対する感謝がキリエの言葉を紡がせる。
アルネは目を瞑り、断腸の想いでヴァイムに命じていた。
(お姉ちゃんの、キリエの首を、撥ねて……)
アルネの言葉に呼応してヴァイムは大きく鳴く。村に木霊する咆哮は、同胞を助ける事の出来ないアルネの悔しさを表しているようだ。ヴァイムは一しきり吠えると、キリエに向かって走り出していた。
直後、体を横にして急停止し、勢いを利用して細い尻尾を、キリエの首めがけて振るっていた。
「アルネ、強くなってね……」
キリエが最後の言葉を発すると同時に、彼女の頭が空中を舞っていた。残された体は僅かに横に飛んで地面に横たえる。アルネは拳を握りしめて、悔しさで言葉を発することさえできなかった。
乾いた音と共に地面に倒れこむ胴体と、転がるキリエの頭部。
アルネはしばし動くことも出来ず、ヴァイムの背中で蹲っていた。
「……アルネ」
竜の上のアルネを見たアストールは、何も慰めの言葉が思いつかなかった。
アルネはしばし時間をおいて、ヴァイムの背中で立ち上がって唐突に飛び降りる。もはや動くことはおろか、息さえしていない躯へと駆け寄っていた。
ヴァイムはその場で主人を守るかのように、周囲をぐるぐると徘徊しだしていた。しっかりとブルーノを見据えており、この場でアルネに刃を向ける者を理解していた。
「……」
ブルーノはヴァイムを思い切り睨み付けていた。
背から飛び降りたアルネはキリエの首を優しく両手で拾い上げて、体の方へと向かっていた。キリエは絶対的な実力を持っていて、アルネ自身その姉の背中を大きく感じていた。
だが、今は……。
彼女の抱えたキリエの表情は、穏やかだった。体は力なく横たわっていて、その側にアルネはへたり込むようにしてお尻を地面につけていた。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……。お姉ちゃん、助けられなくて、ごめんなさい」
いつしか彼女は頬から涙を流し、嗚咽を漏らしていた。
もう、止まらなかった。
彼女の張り裂けそうだった想いが、胸をズタズタに引き裂いていく。
故郷を捨て、行方の知れない姉を探し、人里に出てきた。
ありとあらゆる危険を犯して、何としてでも姉を探し出そうとした。
アルネにとっては、眷属の使命よりも、唯一の肉親であるキリエの方が大事だったのだ。
キリエとさえいれば、外の世界だろうと、どこだろうと生きていける。
そう確信していた。
それなのに、彼女は……。もうこの世には帰ってこれなかった。
「ごめんなさい」
もっと早くに彼女を見つけてあげられれば、結果は違ったかもしれない。
だが、全ては過ぎ去ってしまったこと。もう、どうすることもできなかった。
アルネは謝ることをやめなかった。いつまでも、視界が潤もうが、鼻の息が詰まろうと、呼吸が乱れようとも、その言葉が止まる所を知らなかった。
呪詛のごとく、彼女はキリエの傍らで祈るようにして言うのだった。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」