姉妹の再会 4
「万物の現象を司る力の根源の象徴よ。我が力をこの杖を通じて発現させよ。氷の精霊プリズマーの力を借り、ここに水の力を集め、結氷せしめよ! いでよ! 氷の剣! アイスツァイフェン」
叫ぶような詠唱が響き渡り、ブルーノの真横を目にも止まらぬ速さで氷柱が飛んでいく。瞬く間に女性の体に氷柱が突き刺さっていく。突然の攻撃に対して反応しきれず、美女の化け物の体に氷が食い込んでいた。
「やったか……」
ジュナルが呟きつつ女性を注視する。だが、女性は致命傷を負った素振りを見せず、体に突き刺さった氷柱を一本一本抜き取っていく。体に空いた穴は瞬時にして塞がっていく。
「そんな、馬鹿な……。直撃のはず……」
魔法をもろにぶち当てたジュナルは、驚愕してその女性を見据えていた。
魔法による攻撃は、体を流れる魔力と残留した魔力が対流するため、そうそうすぐには治らない。その常識を覆す生命力にジュナルは目を見張った。
「なぜ……」
「何故も何もない、目の前にある事のみが事実! 我は先に行くぞ!」
コズバーンは愛斧バルバロッサを両手に、ジュナルの横を駆け出していた。
「相手は未知の強さ、不用意に近づいては危険ですぞ!」
ジュナルの忠告を耳にしたコズバーンは女性に駆け寄って、警戒感を強めつつも思い切り大斧を振り下ろしていた。完全に捕えたと思った一撃を、女性は身を捻るだけで避けていた。
土煙と地鳴りが辺りを支配し、同時にコズバーンは左手で腰の大剣を抜いて振るう。左方面より襲いかかってきた撓る鞭の一撃を、コズバーンは弾いていた。
「ふん! 甘いわアアアア!!!」
コズバーンは振るった大剣を、そのまま女性に向かって振り払っていた。
甲高い音が響き、衝撃で女性は後ろに吹き飛ぶ。だが、その途中で態勢を整えて、見事に体勢を立て直す。腹部に直撃を受けていたが、女性の胴体が真っ二つになることはない。
腹部は黒い鱗で覆われていて、コズバーンの横薙ぎを受けたにも関わらず傷ひとつない。
「ほほぅ。やるな」
コズバーンは口元に笑みを浮かべて、女性を見据えていた。左手の剣を腰に仕舞うと、バルバロッサを両手に持って構える。
「流石はコズバーン……。とはいえ、彼の一撃を受けてビクともせぬ所を見ると……」
「かなりの強敵のようね」
アストールがいつの間にかジュナルの横に立って居た。その後ろには騎士達、レニにメアリーとアルネが控えていた。
「ブルーノ! 無事であったか!」
トルチノフが大きな声でブルーノの名を呼ぶと、彼も息絶え絶えに近寄ってきていた。
「トルチオフ殿、面目ない……。私が付いていながら二人もやられてしまった……」
悔しさを露わにするブルーノに、トルチノフは優しく答えていた。
「二人は残念だ。だが、気に病む時間はない。今は奴を仕留める事が先決だ」
とはいえ、既にコズバーンとあの変化自在な女性の闘いの火蓋が切って落とされていた。一進一退の攻防には、流石の騎士達も目を見張る。今下手に手出しをすれば、逆にコズバーンの足手まといになりかねない。何より、あの騎馬をも真っ二つにしかねない巨大な大斧を振るわれては、不用意に近付くことさえできない。
だが、アストールはいつもと違いがあることに気づいていた。
あのコズバーンの顔から笑顔が消えていたのだ。いつ如何なる強敵を前にしても、豪胆な笑いを見せていた彼が笑みを浮かべていない。
「皆が思ってるほど、コズバーンは楽に戦ってないわ……」
アストールは剣を抜いて、いつでも飛び出せるように態勢を整えていた。
「ジュナル! 魔法の詠唱準備! メアリーは私を援護して! レニ! コズバーンが怪我をした時の為に神聖魔法の準備を!」
的確に指示を出していく中、アストールはもう一人の悩みの種、アルネに目を向けていた。彼女は未だ目の前で起きている状況が理解できず、茫然と立ち尽くしている。その様子を見てアストールは、コズバーンと死闘を繰り広げている女性の顔を見た。
尖り耳に整った顔立ちはどことなくアルネに似ている。
「まさか、あれは……。でも……」
アルネは小さな声で呟いていた。
アルネの話を聞く限りでは、キリケゴール族が体を柔軟に変化させることなどできない。だが、顔立ちからしてあの化け物然とした女は、キリケゴール族と見て間違いない。
「アルネ!」
アストールが呼びかけると、アルネは彼女に震えた瞳を向けていた。
「こっちに来て!」
アストールが呼びつけると、アルネは無表情のままアストールの元へと駆け寄っていた。
「アルネ、あれはキリケゴール族なの?」
アストールの問い掛けに、アルネは暫く沈黙する。何か禁忌の術でも使うと、ああなってしまうものなのか、彼女はそれが知りたかった。
「……分かりません。キリケゴール族にはあんな体を変化させる術なんてありません……。でも……」
アルネはジッと化け物の女を見た後、目に涙を浮かべていた。
「あれは、あれは、間違いなく、私の姉キリエ、キリエ……フレンスカ……」
今にも泣きだしそうになるアルネを前に、アストールはどう声をかけていいのか分からなかった。
故郷を捨ててまで出張ってきて探しに来た。確かに再会はできたかもしれない。だが、その結果が、姉が化け物になっていた。アルネとしてもそんな最悪の再会など信じたくはない。
「……嘘って思いたいよ……」
キリエはコズバーンの動きを巧みに先読みして攻撃を避けて、撓る黒い鞭の腕で襲いかかる。彼はそれを大斧で振り払い、斧の柄でキリエを突こうとする。だが、それも流麗な動きで飛び退って避ける。
「でも、あれは……」
「アストールよ! あの美女の化け物は、何者かに操られておる!」
アルネが何かを言いかけた時に、ジュナルが即座に言葉をかけていた。
「どういうこと?」
アストールがジュナルに問いかけると、真剣な眼差しでジュナルは答えていた。
「魔力を見てみた所、外部からの魔力の干渉が森の方角に向かって伸びていた。おそらくその先にあの化け物を操っているのであろう魔術師がいる」
ジュナルの言葉を聞いたアルネは、潤ませた涙を拭いていた。
「あ、あの。ジュナルさん! 今の事は本当ですか!?」
アルネがジュナルに聞くと、彼は真剣な顔でうなずいていた。
「なら! そいつを追い出せば良いんですよね!」
「……それは。追い出した後、アレがどうなるか、拙僧にはわからぬ」
「それでも! 私はお姉ちゃんを助ける!」
首を左右に振って見せるジュナルを前に、アルネは決意して目を瞑って念じ始める。戦うキリエを支配する何者かを追い出すために、まず、アルネは精神を集中させて精神への侵入を試みた。まず一番にすることは、相手の魔力と自分の魔力の波長を同調させることだ。
キリケゴールの眷属が相手の心を読み取るとき、相手の体に流れる魔力の波長に、自分の魔力の波長を合わせなければならない。それが出来た上で、キリケゴール族特有の精神への侵入を行うのだ。
並大抵の才能と努力だけでは、その様な業を扱えない。だからこそ、キリケゴール族の中でも一部の特別な者のみが、この業を習得して扱うことができる。それが眷属であるのだ。
アルネは得体の知れない何者かがキリエを支配している以上、追い出す事は相当に苦労するだろうと、気構えてキリエとの魔力の波長を探り出す。
だが、姉妹という事もあってか、波長合わせはあっさりと終わった。
(あとはお姉ちゃんに呼びかけを……)
アルネは次に相手の心の中を読み取ろうと、精神を集中させる。精神の中に侵入しさえしてしまえば、彼女を操る術者を追い出すことも可能だ。波長合わせがうまくいったことから、労せずしてキリエの心の中へと侵入することに成功する。
ただ、アルネはそこで衝撃を受けていた。
彼女が見たもの、それは……。
真っ黒い闇、ただただ永遠に広がる闇の世界。
そこに姉のキリエの姿はない。
精神体とはいえ、どこかに姉が居てもおかしくないはずだ。
アルネはキリエの中が空っぽな闇しかない事に動揺していた。だが、ここでやめてしまっては何も変えられない。何より、姉のキリエを救う事さえできない。
(お姉ちゃん! キリエお姉ちゃん!)
アルネが呼びかけるが、一行に闇は消える事はない。
だが……。
「動きが少し鈍った?」
コズバーンと死闘を繰り広げるキリエの動きに、僅かだが陰りが見えたのをアストールは見逃さなかった。彼女は確かに戦闘の最中、あのキリエの動きが微妙に鈍るのを見逃さなかった。コズバーンの攻撃を避けるのがワンテンポ遅れたのだ。それでもキリエは優々とコズバーンの斧の一撃を避けていく。
(お姉ちゃんは、絶対にまだどこかにいる!)
アルネはそれから何度となく、キリエに呼びかけだしていた。
(お姉ちゃん! しっかりして! 早く起きてよ! 私、アルネがいるのよ!)
戦闘の最中にも関わらず、キリエのピクピクと耳が頻りに動きだす。徐々にキリエの身のこなしも心なしか明らかに鈍りを見せ始めていた。
「さっきより動きが鈍ったな……」
今まで五分だった戦いに、コズバーンが口元を吊り上げていた。その笑みは勝利を確信した時に出るものだと、アストールは知っている。
「ぬははは! 貰ったぞお! この戦い!!」
大きな声を上げてコズバーンは、今まで以上に大きく斧を素早く振るっていた。
動きが鈍ったキリエはそれを避けて、後ろに引くと左腕の変身を解く。そして、元に戻った左手で顔を押さえていた。
「ぐ、ぐああああ! じゃ、邪魔をするなああああああああ!」
突然、キリエはその場で叫び声をあげる。コズバーンは異変に気づいて、念の為に一度距離をおいていた。
「出ていけぇ! 出ていかぬかああ!!!」
頭を押さえて片膝を突くキリエ、彼女の中では新たな戦いが始まっていた。
キリエの中に入って彼女を操る何者かと、アルネが呼び覚ましたキリエの意識、それがぶつかり合い強烈な頭痛を引き起こしていた。魔法をかけられたキリエは、その場で蹲ってうめき声をあげだす。
(お姉ちゃん! お願いだから、目を覚まして!)
アルネが呼びかけると、真っ黒い闇の中から一筋の光が見え出す。
光は段々と大きく広がっていき、大きく黒い闇にひびが入っていた。
より一層激しくなる頭痛に、キリエは背筋をエビそりにしてのた打ち回る。断末魔の叫びが辺り一帯に響き渡って、言い知れぬ不気味さが周辺を支配する。
(アル……ネ)
念じ続けた彼女の頭に響いてくる微かな呼び声。キリエの意識が覚醒しかけていることに気づいて、アルネは彼女から意識を引きずり出しにかかった。
一点の光を中心にしてひび割れていく闇、その一点の光の中から女性の細い手が見えていた。
(おねえ、ちゃん!)
アルネはそれを見て急ぎ手を掴んで、思い切り引っ張り上げる。
精神体として両手でキリエの手を掴み、そして、こちら側へと意識が覚醒させるように懸命に呼びかける。
黒い闇に囚われた腕が、徐々に光の穴を広げてその姿を現そうとしていた。
そこからは簡単だった。
黒い闇が完全に割れてしまい、辺は眩いまでの白い光に覆われる。
アルネの両手をギュッと握り締めてくる感触に、キリエが魔術師を追い出したことを確信する。これでようやく、姉と本当に再会できる。
そんな安堵がアルネを包み込み、白い光が淡くなってキリエの姿を映し出していく。
だが……。そこには……。
(な、なに、これは……何? 本当にあなたは……キリエお姉ちゃんなの?)
アルネが引き上げたソレは、確かに姉キリエの腕を持っていた。だが、その体と呼べるものは継ぎ接ぎだらけだった。精神世界内での出来事とはいえ、アルネの胸に動揺が訪れ動悸が激しくなる。
キリエの体には黒い鱗が所々張り付き、腹部からは融合したコンラチリィヴァの胴体が飛び出ていた。肩から胸にかけて尾っぽが生え、背中からは腕が継ぎ足されている。首からはエルガの頭がくっつき、その額には苦悶の表情を浮かべたキリエの顔が張り付いていた。
何よりアルネが悍ましいと思ってしまったのは、彼女の掴んでいる手がエルガの頭部右側面より生えていたことだった。
言葉を失って繋いだ手を放しかける。だが、その手が確かにアルネの手を握り返していた。
(アル……。ごめんね……。私、やっぱり元に、戻れないかもしれない)
苦悶の表情を浮かべていたキリエの顔が、悲しみへと変わってその目からは涙が流れ落ちていた。額から流れ落ちるキリエの涙。それにアルネは胸を引き裂かれされそうになった。
(やっぱり、お姉ちゃんなの……?)
何があったかなど想像もしたくない。だが、確かにこの悍ましい集合体は、キリエ・フレンスカそのものだった。アルネは離しかけていた手を握り返していた。
(お姉ちゃん! 待ってて、絶対に助けるから! だから!)
アルネがそう言って手を離そうとした時、力強く姉の手が手を掴んでいた。
(待って……。もう、私は戻れないわ……。それにあなたに会えた……。それだけで、私、もういいの……)
キリエはそう言って優しく笑みを浮かべる。
(そ、そんな事言わないでよ! 私が絶対に助けるから! 私だって眷属になれたんだよ!? 一緒に森に戻って、眷属の使命を一緒に果たそう!)
(そう……。あなた、試練を潜り抜けたのね……。おめでとう……)
アルネの手を握った片手に、より一層力が籠められる。
あの過酷な試練を乗り越えたアルネをこの手で抱きしめて、頭を今すぐにでも撫でてあげたい。だが、それすらも叶わない。
キリエは断腸の思いで、奥歯を噛み締めていた。
(もう、意識が続かないわ……。私の最後のお願い、聞いてくれる?)
無念の表情を浮かべるキリエは、すぐに柔らかい笑みを浮かべていた。
(……そんなこと言わないでよ! 私、お姉ちゃんがいないと……)
(でも、もう。だめなの。自分が一番分かるの。だから、お願い。貴方の手で、私たちを殺して……)
(……!!!)
(私はニンゲンに殺されたくない。我儘なのは分かってる。けど、こんな姿になっては、もう戻ることもできない。だったら、せめて、一番愛するアルネの手で死にたい……)
(……お姉ちゃん)
(お願いよ。アルネ……。そして、私の最後の眷属としての役目を果たさて……)
(役目?)
(そう、集落を守るという役目……。奴らは、奴らはまた、私たちを狙ってくる……)
(それを皆に知らせろと!?)
(そう……。アイツ等は近いうちに、必ず攻めてくる……。私の記憶の断片を、受け取って……。そうすれば、奴らが何者なのかも私たちを狙う意味もわかるから……)
キリエはそう言うと、繋いだ手を思い切り握り締める。そして、彼女の見てきた一部を、アルネの精神体へと送り込んでいた。熱くなった手とともに、流れ落ちてくるキリエの記憶。そこで行われた悍ましい事の一部始終が、アルネの脳裏で否応なく再生されていく。
アルネはそれを見て、目を開けたまま頬より涙を流していた。
決して意識して流したものではない。キリエの断片的な記憶が、感情が、映像が、彼女の目から涙を流させたのだ。あまりにも衝撃的な映像にアルネは言葉を失っていた。
だが、唐突にその映像は流れなくなる。
(もう、これが限界……。お願い……。私の意識がある内にトドメを……さして……)
(嫌だよ! 帰ろう! 一緒に)
悲痛なアルネの叫びに、キリエは冷酷に答えていた。
(もう、無理なの……。抑えられない……。だから、せめて、あなたの手で……)
姉妹の会話はそこで終わりを告げていた。一方的な会話の終了。
キリエが無理やりに精神の侵入を遮断したのだ。
アルネは瞬時にして元の体へと意識が舞い戻っていた。ぼんやりとした視界に、おぼろげに聞こえる周囲の叫び声、そして、彼女の目に映ったもの。
それは……。