姉妹の再会 3
「新手の人食い妖魔なんて、聞いてない」
甲冑を身にまとった若い騎士は、愚痴をこぼしながら周囲を警戒する。
「まあ、そう言うでない。我らとてルショスクの数少ない正騎士だ。これも栄誉ある仕事だ」
隣に居た中年の騎士が、若い騎士を優しく諭す。
若い騎士がそう言うのも無理はない。上級妖魔によって壊滅したルショスクの一個軍団、それに加えて居城を襲撃されて大半の正騎士を失った。数を埋め合わせるために、従者や見習い騎士を無理やりに騎士に仕立て上げているのが現状だ。
この若い騎士もついこの間まで、騎士の侍従を務めていた若者だ。妖魔との戦闘には幾度となく主人と共に参加していたが、ついこの間の居城襲撃で主人を失っている。
復讐心は燃やしているが、それは今回の人食い妖魔に対してではない。
「てっきり、あの糞でかい怪物を倒しに行くと思ったのに! 畜生!」
若い騎士はそう愚痴りながら、周囲を見渡していた。
建物の脇には草が生い茂り、道もその例外にはならない。徒歩の人間には多少きつい道のりだろう。
朽ち果てていく煉瓦と木で作られた建物に、かつて人がいた痕跡に哀愁を感じてしまう。
「本当に妖魔がいるのであろうか……。先ほどから全く気配は感じぬのだが……」
二人の後ろについている青年騎士が周囲を見渡して、言葉を口にする。
嫌な感じはするものの、けして、殺気を感じる事はない。
それはここに入った者、皆が感じていたことだ。
「確かに……。だが、実際ここら近辺で犠牲者は出ているというしな……」
中年の騎士が言葉を新たに、態勢を整える。
「ん? あ、あれ!」
先頭に立っていた若い騎士が何かを見つけ、ランスの先で視線の向こうにある物を指し示す。
「あ、あれは……。生存者……?」
三人が見たものは道のど真ん中に倒れている人影だった。
ボロ布で頭から身を包み、美しい金髪が見えていた。それだけ見るなら、相当に美人と見受けられた。
「生存者なら助けなくちゃな!」
「おい、待て!」
中年の騎士が制止するのを聞かず、逸った若い騎士が馬に蹴りを入れて、その場から一気に人影の下へと駆け寄っていた。
「ここで笛を鳴らす準備をしておけ! 何が起こってもいいようにな!」
中年の騎士は後ろに控えていた青年騎士を待たせると、すぐに若い騎士の後を追っていた。
こんな廃墟に若い女性が布切れ一枚でここに居る事自体おかしい。
中年騎士の長年の勘が、警笛を鳴らしていた。だが、若い騎士は自らが騎士として任命された時、騎士である誇りを持って任務に挑んでいる。それが若い彼の警戒心をも鈍らせていた。
(全く、若い奴は……)
内心舌打ちをしながら、中年騎士はすぐに追い付いていた。
若い騎士は既に人影の元に到着していて、下馬してその人影に近寄っていた。
「おい! 待て! 待たんか!」
中年の騎士の怒号に若い騎士の動きが止まる。動きを止めた若い騎士に、中年の騎士は馬で駆け寄っていた。
「何でです? 女性ですよ?」
ボロ布から見える色白の細い四肢、それを見て若い騎士の言う事が本当であることに違いなかった。
「こんな所に人が倒れていること自体がおかしいと思わんのか!?」
「大丈夫ですよ。それにこんなにか弱い女性を放っておくことは騎士道に反する」
中年騎士が諭すも、若い騎士は笑みを浮かべて聞く耳を持たなかった。中年騎士は何があっても良いようにと、その場でランスを構えていた。
若い騎士は女性の元で跪いて、体を仰向けにする。それと同時に女性の美しい裸体が露になる。若い騎士は息を呑んで、その神々しささえ感じる裸体を魅入っていた。
「何をしている。さっさと隠してやれ、女性をいつまでも辱めておくものじゃないぞ」
中年騎士が呆れながら声をかけると、若い騎士はボロ布をたくし上げて体にかけようとする。
その時だった。
「おい、そいつから離れろ!」
中年騎士が鋭く言うも、若い騎士は何故と言わんばかりに中年騎士に顔を見上げる。
「え?」
「そいつは、人間じゃない……」
中年騎士に指摘されて、若い騎士は女性の顔を見る。そこには美しく整った女性の寝顔と、垂れ下がる金髪より抜きんでた尖り耳が確認できた。
「ま、まさか、そんなわけないでしょ」
苦笑する若い騎士に、中年騎士は怒声を浴びせる。
「早く離れろ!」
その時だった。女性の閉じた瞼が突然開き、瞬く間に彼女の右腕が振られる。
「は……」
若い騎士が発した最後の言葉。
彼の頭が首の上から転げ落ち、兜の面体が地面を叩いて乾いた音を立てる。
瞬時にして騎士の首からは、鼓動に合わせて強弱をつけながら血が噴出していた。力なく倒れそうになった騎士の体に、女性は素早く右腕を突き立てていた。降り注ぐ血の雨に、女性は微笑みを浮かべている。よくよく見れば、女性の右腕は黒光りする鱗に覆われていて、体を貫いた右手の先端は鋭く尖っていた。
「ふ、ふふ、ふふふ」
妖艶に微笑む彼女の顔に血が垂れ落ちて、体を赤く染めていく。
頬に垂れた血を女性はその舌で、妖艶に舐めとると中年の騎士を見つめる。
「ば、化け物めえええええ!」
中年騎士は鉄のランスを女性に向けると、その場から一気に馬を駆けらせた。
「プレートを貫通させる力、素晴らしい……」
首のない騎士の体を貫いた右手を見た女性は、不敵な笑みを浮かべて迫りくる騎士に顔を向けていた。
「大漁だな……」
女性は右手を死体から抜くと、ふわりとその場を飛び退る。舞い散る木の葉のように軽々しい挙動で回避され、中年騎士は必死にランスの方向を修正する。だが、重量のあるランスでは、一度構えると急激な修正をかけるのは難しい。
騎士を手玉に取るようにして一撃を避け、女性は軽やかに地面に着地する。
中年騎士は馬の足を痛めぬように徐々にスピードを緩めさせ、ゆったりとした動きで再び女性へと方向を変えていた。その動きは優雅と言うに相応しい。
熟練した馬術と落ち着き払った中年騎士の攻撃に、女性はそれでも余裕の微笑みを消していなかった。
既に右腕は元の女性の物へと戻っている。
佇む女性の後方には首を失った死体が、胸に穴をあけて力なく横たわっていた。
(プレートアーマーに易々と穴をあけた……。あり得ない……)
フルプレートアーマーの鎧はいくら妖魔とは言え、つなぎ目を狙わぬ限りは早々簡単に穴が開くことはない。それを鉄板の最もぶ厚く固い部分の胸部に、易々と穴をあけていた。
(これでは鎧など、意味を成さぬな……)
若い騎士を殺された怒りを収めつつ、中年騎士は冷静に相手の能力の分析にかかっていた。
いまでこそ柔らかい女性の生肌であるが、その中身は固い鱗を持った化け物である。
「ヘルマン! 笛を吹け! 次こそ仕留める! ハイヤ!」
中年騎士は待機していた青年騎士ヘルマンに命じて、敵を見つけた事を知らせる笛を吹かせていた。甲高い音が鳴り、遠くまで音を響き渡らせる。これで後は援軍が来るまで、時間を稼げばいい。
それでも彼は一人の部下を殺されたことに、憤怒の感情を押さえられなかった。
(こいつは私が倒す!)
決意すると自然と脈動していく鼓動。それを感じつつ騎士は、女性に向かってランスを構えて突進を開始した。
兜の面体の隙間より女性を見据えると、標的は見る見るうちに近づいて来る。次の瞬間、ランスを構えた右腕とランスの抑え掛けがある右胴に確かな衝撃と手ごたえを感じ取る。
(もらった!!)
そう思ってランスの穂先を見る。と、そこには腹部を黒い鱗で覆い、ランスの穂先を受け止めた化け物の姿があった。彼女は両手でランスを掴み、その場で足を踏ん張って騎士を馬から振り落とそうとする。
戦慄した中年騎士は素早くランスを手放していた。間一髪のところで振り落とされることを免れ、女性は勢い余ってそのまま地面に無様に転がっていく。
息を荒ららげる中年騎士は、腰のロングソードを抜刀していた。
「小癪な化け物めが! 今、殺してくれる!」
中年騎士は馬から降りることなく、巧みな馬術で女性に向き直った。その時だった。突然、馬が立ち止まって足を曲げてその場で胴を地につけていた。
「な、何がどうなっている!?」
ふと化け物の女性を見れば右手拳を胸に当てて、目を瞑って何かを念じていた。
「貴様の仕業かああ!」
中年騎士は即座に馬から飛び降りて、女性に向かって駆け出していた。
距離は見る見るうちに縮まっていく。
そして、中年騎士は思い切り真上から剣を振り下ろしていた。だが、その剣は易々と鱗に覆われた左手でガードされる。
そして、彼女は竜の尻尾の様に変化した右手を撓らせて薙ぎ払う。
(同じ轍は踏まぬ!!)
盾を首元に構えると同時に連続した衝撃が腕と体を襲った、盾は鞭のような腕と接触して金切音と火花を散らせる。
黒と銀が擦れあい、騎士はゼェゼェと息を咽るようにして女性を見据えた。
左手は黒く頑丈な鱗でおおわれ、右手は肘の付け根辺りから、長い竜の尻尾の様な形状に変化していた。
「おい! こいつはとんでもない化け物だぞ!」
中年騎士が後ろに控える騎士ヘルマンに叫ぶと、彼は笛を吹くのをやめて馬による突貫攻撃の態勢に移っていた。
「ブルーノ殿! お下がりください! ここは私が食い止めます!」
そう言って中年騎士ブルーノの前を、もう一人の騎士は颯爽と駆け抜けていく。
女性は歯噛みして無言のまま、騎士に向かって駆け出していた。かと思えば、騎士とすれ違う寸前にジャンプして体を回転させる。それによって鞭のように撓っていた右手が円を描いて、騎士の鎧をズタズタに切り裂ていった。鎧はボロボロになり騎士の地肌さえ見せる始末。
着地した女性、それと同時に馬の足取りがゆっくりとしたものとなり、最後に騎士は力なくその場で落馬していた。
「な、そんな……」
ふとブルーノは自分の持っていた盾を見る。小盾とは言え鉄製の頑丈な造りをした盾だ。それが見るも無残にズタズタに引き裂かれて、ベースとなった骨組みをのけて鉄製の表面は削り取られていた。
「ば、馬鹿な……」
ブルーノはその場で穴だらけの盾を捨てて、覚悟を決めた。
「最早ここまでか……」
若き騎士に青年騎士、部下の二人を奪われた悲しみと怒りが、ブルーノに最後の決意と力を分け与えていた。
「く、くふふふ。凄い、凄い体だ……」
女性は両腕を見て不気味な笑みを浮かべていた。
右手のみならず、左手も竜の尾の様に長く変化していたのだ。
盾をも瞬時に削り取るあの恐ろしい鞭が、二本に増えてヘルマンを襲っていたのだ。いくら騎士の頑丈なプレートアーマーとは言え、あの鞭を同時に二本も受けると、一溜りもないだろう。
「すまぬな……二人とも。仇は討てそうにない」
ロングソードを両手で構えて、ブルーノは女の化け物に駆け出していた。
とその時だった。




