姉妹の再会 1
朝日が瞳をさして、アストールの瞳孔は自然と小さくなる。
体には簡易的な胸当て、腰には愛剣をぶら下げている。完全な装備ではないが、今回の敵の事を考えると鎧はろくに役に立ちそうもない。身軽に動けた方が生存率は高いと踏んで、アストールはかなりの軽装にしていた。
その後ろに心強い従者の面々が控えていた。
愛斧のバルバロッサを持ったコズバーンに、杖を持ったジュナル、弓を肩にかけているメアリーと、盾とメイスを背負ったレニ、それぞれが決意に満ちた表情を浮かべていた。
その後ろには頭からローブに身を包み、腰に短剣を下げたアルネが佇んでいる。
「アルネ、本当に来るの?」
「何かキリエお姉ちゃんにつながる事があるかもしれないから……」
アルネの思いつめた顔を見て、アストールはすぐに盗賊たちの言葉を思い出していた。アルネに似た女が人間を食べたと言う話。もしそれが本当であるなら、その人食い化け物女がキリエと繋がっている可能性は高い。だが、それよりもアストールは彼女の精神状態を心配していた。
精神的に不安定な仲間は、時に思いもよらないミスをすることがある。
「アルネ、本当に無理はしなくていいのよ?」
アストールが気を遣って言うが、アルネは真っ直ぐに彼女を見返していた。
「大丈夫! へまはしないよ! 私だって眷属だし、武術もこなせるの! それにいざとなったら……」
(ヴァイムを呼べばいい)
彼女は言葉を続けはしなかったが、最終的にはヴァイムを呼び出すことも考えていた。
自分の身は自分で守るのが眷属の基本だ。
危機的状況に陥った場合は、最悪ヴァイムを呼び寄す。彼は常に近くで待機している。例え、どんなに距離が離れていようと、手の甲に記された紋様を通じて直接呼びかければ必ず答えてくれる。
「分かったわ……」
今まで行動を共にしてきて、彼女の練度は大方見当はついている。気配を消して行動することにも長けている事、妖魔を念じるだけで追い払う事、戦闘に関しては未知数だがまず素人と言う事はありえない。
不安材料は彼女の精神状態だけだ。
アルネの凛とした眼差しには、何かを決意が見て取れた。
(これなら、問題はないか……)
アストールは彼女の決意を見て、一緒に連れて行くことを決めていた。
「じゃあ、行きましょう」
アストールが踏み出すと、一行も彼女に続いていた。
ここは廃墟都市ショスタコヴィナスに近い村だ。あの上級妖魔が潜んでいるのも、ショスタコヴィナスであり、ここはより危険の近い地域でもある。何より、あの廃墟には無数の妖魔が住み着いている。
廃墟に妖魔が住み着くことは珍しくなく、ショスタコヴィナスは鉱山とも繋がっていて、今や使われていない廃坑で妖魔達が繁殖していることも容易に想像がついた。
そんな危険な地域の中にあって、未だ故郷を捨てきれずに近くに住処を周辺に移した元住人達は何を思っているのだろうか。
既にその村でさえも廃墟となりつつある。それでもやはり、人間というものは生まれ育った故郷を、捨てきれないものなのだろう。
村を出てからアストールは考えに耽っていると、後方より地鳴りが聞こえてきていた。地面を鉄の蹄が叩く、独特のこもった音が地を揺らす。
アストールがそれに気づいて振り向けば、一行が進んできた道より、10騎ほどの騎馬がアストール達を追う形で迫ってきていた。
追われるような疚しいことは、今のところしていないはずだ。
唯一可能性があるとすれば、ルスランに単独活動がバレてしまっているといことくらい。
アストールは万に一つに備えて、声をかけていた。
「みんな、念のため戦闘の準備して」
アストールの号令に全員が各々の得物を手にしていた。すぐに戦闘に移れる態勢を整える。
「ジュナル、コズ、アルネは道の左脇へ、メアリーとレニは私と共に右脇に行くよ!」
戦力を二分して道の両脇に人員を配置する。さながら騎馬の賊を迎え撃つかのごとく、緊張した面持ちで騎馬軍団を待ち構えた。この地域に来て気を休める事がなく、正直アストール達一行は精神的にはかなり疲労困憊だ。だからといって、あの騎馬の一団に何も備えずなしに通り過ぎさせるというのは迂闊すぎる。
騎馬の一団はアストール達をみつけてか、段々と走るスピードを緩めていく。そうして遂にはアストール達の手前で足を止めていた。
「貴公ら! 何者か!?」
先頭に立っていた騎馬の男が、大きな声でアストール達に呼びかけていた。
彼らは正規兵に支給される銀色のプレートアーマーに身を包んでいた。胸の部分にはルショスクを象徴する高原の鈴蘭が刻印されている。それから見てルショスクの正規兵であることは間違いなかった。
アストールは騎馬隊の前に歩み出ると、名乗り上げるかを迷った。挙句、こう答えた。
「私たちはただの探検者、あなた達こそ人に名を聞く前に名乗りを上げたらどう?」
アストールは腰に手を当てて、毅然とした態度をとって問いかけていた。
「すまなかった。我らはルショスクの栄えある騎士だ。我が名はトルチノフ」
「そ、そう……」
アストールはとんでもない男達と出くわしたことに歯噛みする。折角身分を偽装してまで調査をしているのに、ルショスクの正規の兵士、しかも数少ない騎士に出くわした事は運が悪いとしかいいようがない。
「それで、あなた達は一体何のためにここへ?」
アストールはすぐに話題を変えるために、トルチノフに聞いていた。
「この先に人食い妖魔が出ると聞いて、我らも流石に動かぬわけにはいかぬと、馳せ参じたまで」
それを聞いたアストールは、ようやく領主が動き出したのかと安堵する。と同時に行動が遅すぎることに、複雑な気分になる。
これまで自由に動けたのは、領主が手をつけられないとお手上げとなって何もしなかったからこそだ。
こうも正規の騎士が動き出すと、アストールとしても色々と動きにくくなる。
「奇遇ね。私達も探検者連盟から依頼を受けて、そいつを倒しに行ってる途中なのよ」
アストールは苦笑しつつ説明していると、最後尾より一団を掻き分けて一人の騎士が現れる。
「ほほう。これはこれは中央の近衛騎士殿が探検者を名乗るとは、不可解な事ですな」
その一騎の騎士はアストールの前まで来ると、兜の面体を上げていた。
「あ、あ……、ル、ルスラン……殿」
面体を上げたその先には、銀髪青色の双眸の無精ひげを生やしたルスランの顔がある。驚きで呼び捨てにしそうになったのを、アストールは辛うじて敬称をつけていた。
「はは、そんなに驚かなくてもいいだろう。エスティナ嬢。何を企んでいるかは知らんが、くれぐれも俺たちの邪魔だけはしないでおくれよ?」
ルスランは薄ら笑いを浮かべて言うが、その眼だけはハッキリとアストールを捕えていて笑っていない。まるで獲物を狙う猛禽類の様な、鋭い視線が彼女を貫いていた。
「ルスランよ? この者が中央の近衛騎士と言うのは真か?」
トルチノフが聞くとルスランは鼻で笑って言う。
「ええ、彼らが中央から来た応援の人員との事だそうです。それじゃあ、自分は失礼しますよ」
トルチノフに断るなりルスランは、踵を返して戻りだしていた。
「おい! ルスラン! どこに行く? 妖魔退治にいくのではないのか!?」
トルチノフの言葉を聞いてルスランは足を止める。
そして、馬を細かく操作して横向きにさせると、トルチノフに向いて気だるそうに言っていた。
「自分も暇じゃないんですよ。あなたの人員が足りていないと見たから、部下を二名引き連れて来たまでです。でも、もう我々はいいでしょう」
ルスランはそう言ってアストール達に視線を向けていた。
「そこに近衛騎士様の一団が居られるんだ。しかも、優秀な従者をお持ちみたいですから、自分達は必要ないでしょう」
ルスランはそう言い放つなり、最後尾で待っていた2騎の前まで歩いていく。
「自分も任務で忙しいんですよ。猫の手でも借りたいくらいにね」
愚痴るルスランを見て、アストールは腰に手を当てて言い放つ。
「その割には私たちを邪険に扱ったわよね?」
「よそ者の手は借りたくない」
「猫の手は借りたくても?」
アストールの容赦ない言い方に、ルスランはゆっくりと踵を返していた。
「ああ、そうだ。お前らの手を借りるくらいなら、猫の手を借りた方がよっぽどマシって事だよ。じゃあな、お嬢様騎士さんよ」
笑みを浮かべたルスランは、面体を下ろして踵を返してそのまま部下を連れて走り去っていく。
アストールはそんなルスランの態度に腹を立てていたが、相手は既に走り去っていて既に声の届かない所まで距離を離していた。
「……何だよ。あいつは! 感じわりーっつーの!」
アストールは怒りを露わにして、ルスランの背中に中指をおったてて見送っていた。それを見てトルチノフは思わず笑みをこぼしていた。
「アストールよ、笑われておるぞ」
静かに近寄ってきたジュナルは赤面しつつ、アストールの背後から呆れ顔で注意をする。
「だって! あいつムカつくし、あった時から気に食わねえ! 何か誰かに似てんだよ!」
そこでアストールはふととある男の顔を思い出していた。
「あ、エストルだ。あの優男だ」
アストールは一人納得して、片手で作った拳を片方の掌で叩き受けしていた。
「あの近衛騎士のエスティナ嬢、よろしいか?」
独り言を呟くアストールにトルチノフが声をかけて来ていた。
「馬上からで失礼するが、そこはお察し頂きたい」
重い甲冑を身に着けたトルチノフを見て、アストールは苦笑していた。
彼ら騎士が甲冑を身に着けたまま、何もなしに馬に跨るのは中々難儀なものがある。事実アストールはその経験を何度となくしていた。そのおかげか、トルチノフの硬くも柔らかい物言いには、不快感を感じなかった。
「あ、はい。なんでしょうか?」
急に声色を変えてアストールはトルチノフに向き直っていた。それに彼は目をそらして、小さく咳払いをしていた。
「先ほど聞いた通り、我らとそなたらの目的は一緒だ。ここは一つ、我らと共に協力して人食い妖魔を倒しに行くというのはどうだろうか?」
トルチノフからの意外な提案に、アストールは少しだけ迷う。
正規の騎士、しかも馬に乗った騎兵という強力な打撃力を得るのは、かなり魅力的な提案だった。
だが、アストールはアルネという渦中の種族を連れている。もしも、存在がばれればあらぬ疑いをかけられかねない。トルチノフの人柄を見るに、典型的な騎士道を重んじる男であることは間違いない。
だからこそアルネの存在に気づかれた時、真っ向から疑ってかかってくる可能性が高い。
「……トルチノフ様は、私が身分を隠している事を不審に思われないのですか?」
アストールが不安そうに眉根を寄せて彼に聞くと、トルチノフは目を真っ向から合わせて答えていた。
「そなたは王に仕える近衛騎士、ルスランの様な半端物よりよほど信を置ける。例えそなたらが身分を偽っていたとしても、それは事情あって故の行動であろう」
アストールの事を詮索せずとも深く考えてくれるトルチノフに、彼女は安堵のため息を吐いていた。この男なら例えアルネの事を知られても、事情を話せば理解してくれる。そう判断したアストールは重い口を開いていた。
「ありがとうございます。共闘の申し出、ありがたくお受けいたします」
アストールは右手を左胸に当てて、左手を中腰辺りまで曲げて持っていき、左足を軸に右足を軽く交差させて礼をして見せる。高貴な女性が男性にできる最上の礼を見せていた。
トルチノフはその華麗な身の動きに目を奪われていたが、すぐに気分を切り替えていた。
「こちらこそ申し出をお受け頂き礼を申す。では向かうとしよう」
アストール達のやり取りを息を呑んで見守っていた両者一行は、合流して廃墟の町を目指して進みだしていた。騎士達からしても戦力を補充して、徒歩の兵を随伴させて馬を歩かせる事ができ、二重の意味で好状況に持って行けていた。
一行は問題の村を目指して進みだすのだった。