深淵に近付く時 5
コズバーンは無口だ。
基本的に戦闘以外の事で口を開くことは少ない。そのせいもあってか、初めて顔を合わせた人や付き合いの浅い人には、近寄りがたい雰囲気を感じさせてしまう。とはいえ、付き合う時間が長くなっていけば、彼の強さと破天荒さに自然と引き付けられる。
だが、生憎アルネはまだ出会って三日目だ。彼女が外で残されたことはある程度意味があったとはいえ、無口で武骨な大男のコズバーンが腕を組んで、横に立って居ると息苦しく感じられた。
(……なんか、この人妖魔みたいに大きいし強そう……)
アルネはその小さな体で、コズバーンを見上げるようにして観察していた。
無造作に伸ばした胸辺りまである髭に、長く縮れた髪の毛は髭との境目すらわからない。
黒い毛皮のコートを羽おり、自分の腕ほどもある太いベルトには大剣がきっちり二本差さっている。
そして、何より目を引くのが背負っている大斧だ。
木製の柄の色合いと傷の多さからかなり使い古されているのが分かる。柄から斧の最も長い先端部までは、優にアルネの身長を越える長さがある。
(あ、あんなの絶対に振り回せないでしょ……)
アルネはあんな大きな大斧が振り回せるのか、半信半疑でコズバーンを見つめていた。その視線に気づいてコズバーンも彼女を見つめ返す。完璧に見下ろす形になり、アルネはすぐに目を背けていた。
それでもコズバーンは唸り声をあげるだけで、話しかけてはこない。
まるで何かを待ち望んでいるかのように、退屈そうに腕を組んで立っている。
中からは時折大きな物音がして、その物音を聞く度にコズバーンは「ぬぅ」「うぅむ」と唸る。
そんな微妙な空気が幾程続いたか……。
アルネは遂に耐えきれずに、コズバーンに向かって話しかけていた。
「あ、あのさ! 敵って何者なのかな!?」
話題がないため適当な事を聞くが、コズバーンは腕を組んだまま考え込んで喋らない。暫しの沈黙の後、コズバーンは小さな声で返していた。
「わからぬ……」
一言だけ返したきり、コズバーンは再び腕を組んで沈黙していた。
(か、会話が続かないよぉ……)
言葉のキャッチボールと言うものを知らないのかと、アルネは落胆していた。
(い、いつまでここに居ればいいのよ……)
いい加減、待機することに嫌気がさしたアルネは、再びコズバーンに目を向けていた。何か話さないとこの場で自分が持たない。
アルネは一生懸命考えた末に、武術の事に関してこの男に話題を振ることにしていた。
「あ、あのさ!」
「ぬ! これは!」
アルネが喋りかけると同時にコズバーンの顔に、嬉々とした微笑みが浮かべられる。今まで無口であった彼が、ここまで表情を嬉しそうにすることにアルネはある種の嫌な予感がしていた。
「アルネよ! 我から離れよ!」
コズバーンの突然の指示にアルネは驚きつつも、彼の言う事に従ってその場から離れる。
数瞬もせぬ間に屋敷の入口を囲むように、五体の化け物が家々の物陰から出てきていた。茶色い表皮に隆起した筋肉、犬の様な顔に加えて二足歩行の人の形を留めた化け物だ。
そう、三日前に襲撃にあった賊と同じ化け物の姿が、そこにはあったのだ。
「ぬふふ! 再び我が大斧バルバロッサの出番が来たようだなあああ!!!」
コズバーンは背中に背負っていた戦斧を、軽々と手に持って構える。その様子を見たアルネは、未だに信じられないと言った好奇の目で彼を見つめた。
(ほ、ほんとに使えるんだ!)
それも束の間、五体が一斉にコズバーンに向かって走り出していた。
流石のコズバーンも動揺するだろうと思い、アルネは彼を見据える。だが、動揺するどころか、彼は大きな笑い声を上げて地面を揺らしながら、五体に向かって走り出していた。
「ぬははははははは! 面白い事になったではないかああああ!」
コズバーンが駆けだした事によって、五体同時の接敵が不可能になる。そして、正面から来ていた最も距離が近い化け物に対して、コズバーンは容赦なくその戦斧の刃を振るっていた。
横薙ぎの一閃で瞬時にして胴体が真っ二つになる。続けて化け物達が左右から同時に襲い掛かってくるが、コズバーンは素早く身を引いて二体を避けた。
コズバーンの目の前で二体が空中でぶつかり、その上をまた一体の化け物が飛び越えて、コズバーンに迫って襲い掛かっていた。
頭上からの攻撃にコズバーンは口元を吊り上げ、体を横に逸らしながら戦斧を構えて叫んでいた。
「ふん! 甘いわあああ!!」
戦斧の裏を飛びかかてきた化け物の胴体に叩きつけ、飛び掛かってきた勢いを利用して戦斧を振るう。そのまま化け物を背後へと吹き飛ばし、それによって化け物は一直線に屋敷の入口へと飛んでいく。
アルネは弧を描いて飛んでいく化け物を、ぽかんと口を開けて見つめる。
次の瞬間には盛大な破壊音と共に、屋敷の入口に化け物が突っ込んでいた。
「で、出鱈目だ……」
アルネはその言葉を口にせずにはいられなかった。
戦斧を構えなおしてコズバーンはそのまま横薙ぎに払い、立ち上がろうとしていた二体の化け物諸共、胴を真っ二つに引き裂いていく。手際よく化け物を片付けるとにっこりと笑みを浮かべたまま、コズバーンは残りの一体を探す。
「うぬ? どこに隠れた?」
迫ってきていたはずの最後の一体が、コズバーンの視界から完全に消えていた。戦闘をしている最中に、遠くにいた敵を見失う事は多々ある。
化け物は隠れたのかはたまた逃げ出したのか、周囲は静けさを取り戻していた。
「ふむ。取り逃がしたか……。いや、そんなに遠くには行けぬはずだ……」
コズバーンが周囲を警戒していると、彼の背後から凛とした綺麗な響きの声が聞こえてくる。
「コズバーン! 大丈夫だったか!?」
埃を上げて盛大に壊れた扉から、アストールが剣を片手に駆け出していた。笑みを浮かべてコズバーンを気遣うも、正直、彼を気遣う事の方が失礼な気がする。
アルネは茫然と目の前の信じられない光景を見つめていた。
「我はこの通りだ。要領を覚えれば大したことはない。しかし、一匹取り逃がしたのか見当たらない」
コズバーンは大声でアストールに答えると、周囲の警戒を解くことなく家屋を見渡す。完全に窓も戸も閉め切られた家屋が、この屋敷の周囲に無数にある。
身を隠すには持って来いの場所だ。
「……にげた……。いや、まだいるな」
コズバーンは戦斧を構えたまま微動だにしない。静寂が支配する村の中、足音一つさえ大きな音にすら聞こえてくる。奇妙な緊張感が漂い、アストールも駆け寄ることなくその場で身構えていた。
「そこかああああ!!!!」
コズバーンは腹の底から叫ぶと、戦斧を振りかぶって思い切り屋敷右横の家屋へと投げ飛ばす。
回転しながら飛んでいく戦斧は、家屋の天井を根こそぎ飛ばしていき、壁を突き破っていた。
そして、奥の方では大きな叫び声が聞こえ、化け物の最期を知らせていた。
「うぬ、手ごたえはあった」
コスバーンはガッツポーズをとるや否や、その場からズカズカと大股で破壊した家屋の方へと向かって歩いていく。その足取りに一切の迷いはない。家の裏手まで行けば、地面に突き刺さったバルバロッサと、胴体を両断された化け物が倒れていた。満足げな表情をしたコズバーンは、愛斧バルバロッサの元まで行ってその手に持っていた。
「こちらは片付けた! 我が主よ!」
コズバーンの地を震わす声にアストールは頼もしく思いつつ、再び屋敷の中へと戻ることにした。入り口の化け物は息があっため、アストールは急所に剣を突き立てて息の根を止めていた。
屋敷の入り口付近で呆然とするアルネの前までくると、アストールは彼女に笑みを浮かべて言う。
「アルネ、ここは危険だから、中に行こうか」
アストールの言葉にアルネは頷いて、口を開くことなくついていくのだった。