キリケゴール族の姉妹 2
アルネは青と赤の生地に、金色の龍の刺繍が施された服を身に纏う。
キリケゴール族の眷属としての正装である。
特別な儀式がある日は、この衣装を着て活動するのが原則だ。
アルネもまた眷属の卵、最後の試練であるパートナーとなるコンラチリィヴァを見つけに行かなくてはならない。その為には集落の中央にある神殿にて、神官達が呼び寄せたコンラチリィヴァと心を酌み交わさなければならない。
アルネはパトーナーを見つける事を決意して、今日もまた家より歩みだしていた。朝日が昇って木々の上部からは、木漏れ日が家を照らしていた。新緑の大地に恵まれた新鮮な空気を、アルネは胸一杯に吸い込む。そして……。
「絶対に捕まえてやるからねえええ!!!」
大きな声で叫んでいた。
叫び声は薄暗い森の中にこだまする。
アルネは満足そうに笑みを浮かべると、すぐに駆け出していた。
眷属の母屋は集落の最も外側にあり、神殿に行くには多少時間がかかる。
だが、集落を繋ぐ吊り橋や木製歩廊は、日が昇り始めると集落の人々が行きかう交通網となってしまう。
そこでアルネは身軽な動きで、隆起した木々の太い枝を伝って上に登り出していた。混雑を嫌う彼女は、神殿まで一気に駆け抜けられるこのルートを愛用している。
集落の上を覆っている森の枝を、時にはジャンプして伝って駆け抜けていく。それが彼女にとっては、日ごろから行える鍛錬の一つになっていた。
そんな彼女を集落の人々は、笑みを浮かべて見守る。
「今日もアルネちゃんはがんばるなあ!」
アルネの下の方から、中年のキリケゴール族の男性が彼女を見上げて叫んで声をかけていた。
「うん! 私も早く一人前の眷属になりたいからねえ!」
アルネはそう言いつつ、その場から神殿に向けて一直線に、枝の間を軽やかにジャンプして移動していく。この程度の移動は、キリケゴール族の戦士ならやってのける。眷属と戦士の違いは、そこに相手を読み解く力があるかないかの違いだ。
アルネは神殿の前までくると、人の胴体ほど太い枝から下に飛び降りる。
神殿前には一際大きな踊り場が作られていて、それが神殿周りの幹を円形状に囲っていた。昼の祈りの時間になれば、ここには大勢の人々が押し寄せて、神に感謝の祈りを捧げる。
そんな神聖な場所に、アルネは上方から飛び降りていた。
「ちょっと、まずかったかな」
不敬な事をやっている自覚はあるが、何分彼女は面倒くさがって神殿の最も近い部分に降り立っていた。周囲を見回しても、幸い誰も見ていない。
アルネはホっと安どのため息をついていた。
「アルネ! 何度言えばわかる! 上から降りてはならぬと、前にも言ったはずだぞ!」
神殿の入り口から聞こえてくる男の声に、アルネは肩をびくっと震わせる。
「やっぱみられてたか」
アルネはベロを出して、はにかんでいた。そして、すぐに神殿へと向かって歩みだしていた。
神殿は木製で緑と茶色を基調とした色で染め上げられている。その色は彼らの宗教の、自然信仰を象徴していた。入り口前には神官の男、フェルードが腕を組んで立っていて、アルネを厳しい目で見ていた。
「いくら素質があるからとて、やってよい事とならぬ事は、ちゃんとけじめをつけるのだ」
「すみません」
アルネが一言謝るのを確認すると、神官フェルードは柔和な笑みを浮かべていた。
「次からは気を付けるように。では、付いてきなさい」
フェルードはアルネを優しく神殿に招き入れる。
既に今日で最後の試練を受けるのは7度目だ。言葉にせずとも、彼はアルネが何をしに来たのか分かっていた。
神殿に入ればまず最初に、神官たちが森の神に祈りを捧げる大礼拝堂がある。
礼拝堂は円形のドーム状の形をしており、中央の円台にこの巨木で掘られたヴァルゼィーニ象が建てられていた。筋肉の隆起した巨大で緑色の竜の姿。それが彼らの神ヴァルゼイーニの姿と言われている。
キリケゴール族を陰から常に見守り、いざ、大きな災難があれば必ずや助けに現れるであろう。
それがキリケゴール族の信仰する教えの一つとなっていた。
神がキリケゴール族に与えたのは、それだけではない。ヴァルゼィーニは自らの古くなった鱗を落として、化身を作って分け与えていた。それがコンラチリィヴァであると言い伝えられている。
神官達は一日がかりで祈りを捧げ、小さな子どものコンラチリィヴァを呼び寄せる。全ては眷属の最後の試練をアルネに与えるためだ。
「今日こそ、そなたと心を酌み交わせるはずであろう」
フェルードはそう言うと、礼拝堂の奥にある更に広い試練の間にアルネを引き入れていた。両開きのドアを開けると何もない小部屋があり、更に向こうにはもう一つ両開きのドアがある。
その向こうには広い空間が広がっており、そこで神官達が呼び寄せたコンラチリィヴァが彼女を待ち構えている。
「では、行ってまいります」
アルネが真剣な表情で言うと、フェルードは優しく微笑み小さく頷いていた。そして、部屋から出ていき扉を閉めていた。
アルネは気を引き締めて試練の間に続くドアを開けていた。
試練の間の両開きの扉を開くと、中央には一頭のコンラチリィヴァが退屈そうに体を丸めて眠っていた。例えコンラチリィヴァの子どもとはいえ、既にアルネと同じくらいの大きさになっている。
ギザギザの鱗に加えて、長い尾、そして、細長く鋭い顔付、一見すると怯んでしまいそうな威圧感がある。だが、アルネはけして怯まなかった。
眠る彼に近寄ることなく、ドアから出て数歩のところで立ち止まる。アルネはそこで相手の心の内を読むべく、精神統一を始めていた。
コンラチリィヴァは特に心の壁が分厚く、眷属の卵の様な未熟者では中々彼らの心に入り込むことは難しい。
例え入り込むことができたとしても、彼らと心を酌み交わせるかは別問題だ。
だからこそ眷属としての最後の試練になっていた。
彼らに認められてこそ、一人前の眷属として任官することになるのだ。
ただ、アルネの場合は違っていた。
普通の眷属であれば、彼らの心を観るのに数時間は時間を要してしまう。だが、アルネは精神を統一してからすぐに、コンラチリィヴァの心の奥底までを覗けてしまうのだ。
(……眠い。全く、どんな奴が来るのか)
既に心を見透かしていたアルネは、すぐに彼に呼びかけていた。
(起きてください)
突然心に降り注ぐアルネの声に、寝ていた彼は驚いて長い首をすっと持ち上げる。そして、アルネを見据えていた。
(な、我にいきなり入ってくるか……)
アルネはこの時点で半分あきらめを感じていた。
大抵、この反応を示したコンラチリィヴァは、アルネの余りの力の強さに驚いて、この試練の間の天井に空いた中央の穴から逃げ行く。
もう既に、それが6回起きている。
(あ、あの、落ち着いて聞いてください!)
顔をアルネに向けたまま、彼は微動だにしない。
(……恐ろしい娘だ)
彼女に一言だけ告げると、彼はその場で逞しい四肢を支えに立ち上がる。
(まだ、私、何もしてないですよ?)
落ち着いた雰囲気を出している彼に、アルネは一縷の望みを見出していた。
今まであれば、ここで彼女と会話することなく無視して、この広間の天井に空いた大きな穴より這い出て逃げていた。
それが彼は恐れることなく、その場でアルネを見据えていた。
(……とはいえ、我も神の眷属として生まれた身、お前を見極めるのも我が使命)
アルネは初めて自分の話を聞いてくれるコンラチリィヴァを見つけ、思わず泣きそうになる。だが、それを必死で押さえて、彼に問いかけていた。
(私の名前は眷属アルネ・フレンスカ! 神の眷属よ! 私に真の眷属としての力を、お与え願えませんか?)
彼はしばし黙り込むと、考えを巡らせる。
(この小娘、力は他の眷属を凌駕する。眷属としては若すぎるが、我も対等以上に付き合えるパートナーが欲しいと思っていたところ、丁度よいか……)
精神を統一している時は、アルネに彼の思考が直に入ってくるため、彼女は敢えて聞かないふりをする。そして、真剣に彼の言葉を待ち望む。
(うぬ。よかろう……、と言いたいが、お前に幾つか問いたいことがある。その問いに答えよ)
彼はそう念じると、アルネを見据えていた。彼女は全く気にせずに、集中してその質問を待ち受ける。
(そなたは眷属となり、何を守りたい)
(……私はこの集落を……、皆を守りたい)
(その事に嘘偽りないのは本当であろう。では、もう一つ聞く。何かを守るために命を投げ出さねばならなくなった時、そなたは惜しみなく自らの命を差し出すか)
重い問いかけ、だが、アルネは何一つ迷うことなく答えていた。
(それが眷属としての使命、あなたと心を酌み交わして、精神を同調させた時、私は真の眷属となる。選択の余地などありません)
(それは、惜しみなく命を差し出すということと同義か?)
(はい!)
(よかろう。我はエルガの子ヴァイム! アルネの眷属であり、今日よりこの命はそなたと共にある。運命を共にしよう!)
アルネは目を開けて、中央に佇むヴァイムに目を向ける。
彼もまたまっすぐアルネを見つめていた。
二人の間に言葉は要らず、お互いに歩み寄りだす。
ヴァイムはアルネの前までくると、頭を垂れた。それにアルネは手を乗せていた。二人がともに精神を共有した証として、手の甲に紋章が刻まれる。
蛇のようにうねうねと曲がりくねった特殊な紋章。それが、一人前の眷属としての証だ。手の甲に焼けるような痛みを感じつつも、アルネはそれ以上に試練をこえた喜びが胸の中に溢れていた。紋章は眷属一人一人違っている。
刻まれた紋章はコンラチリィヴァ毎に違っていて、手に刻まれた紋章を毎朝頬に書く事が、眷属としての慣わしとなっている。
一定の時間が過ぎ、アルネは焼け付く手の甲を見た時、濃い紅でヴァイムの紋章が刻まれていることを確認する。
「ありがとう、ヴァイム」
アルネは首に手を添えて、優しくさすってあげていた。
それにヴァイムは気持ちよさそうに、喉をグルルゥと鳴らす。
一人と一匹が初めて、共に心を酌み交わした瞬間だった。