選ばぬ手段 1
照りつける日の光が瞼を貫き、廃墟となった村の中で彼女の意識は覚醒していた。いつもは心地よく感じていた藁布団は、どう言う訳か今日はかなり寝心地が悪い。
今日もまた、元の姿に戻りたいという一心で、再び周辺を徘徊しなければならないのかと思うと体が気怠く感じられ、動く気にはなれなかった。
それでもいかんともしがたい寝心地の悪さに、とうとう彼女は観念して目を開けていた。いつもの様に手をついて立ち上がろうとする。その時の視線の低さに違和感を持って、思わずその手に藁を握りしめていた。手の感触が明らかに昨日とは違う。
今までは硬い皮膚のせいで、物に触れてもロクな感触もなかった。
それが今や彼女の手には、はっきりと藁の艶やかな感触が手に取って伝わってきていた。
恐る恐る彼女は自分の腕を見ると、そこには女性の美しくもしっかりとした腕が見てとれた。
「……あ、ああ、戻ったの?」
信じられない光景に、彼女はつい声を出していた。その声も化け物とは呼べない清流のせせらぎのように、ゆったりと澄み渡る様な声質だった。
彼女は自分の腕、そして、全身を見ていき感動を覚えていた。
かつて全身を覆っていた硬い皮膚と鱗は、一夜のうちに消えてなくなっている。この奇跡の現象を前に、彼女は嬉しさのあまり言葉を出す事さえ忘れていた。
しばし、茫然と空を眺める。
青い快晴の空には、鳥たちが羽ばたき、小鳥たちの美しい歌声を奏でていた。
「戻ったんだ……。やっと……」
彼女はそれでも以前とは、何かが違うことに気づいていた。
戻った。確かに元の体には戻ったのだ。
だが、思い出せない。
「私ってそもそも何者なの……」
人系種族の女性であった事は覚えている。そして、何かの為に必死で戻ろうともがき苦しんだことも、嫌ではあったが魔力をコントロールするために、体の構成がよく似たヒトをその口にしていたことも覚えている。
だが、そこまで記憶を辿ることができても、自分が何者で何のために必死に戻ろうとしたのか、すっぽりと記憶が抜け落ちていた。
「私は一体なぜ、戻ろうと必死だったんだ?」
独り言が虚しく響くも、答えが返ってくることはなかった。
かなり大切な事を忘れているようで、彼女の胸の中を覆う靄は振り払えない。
そこで彼女は必死で、記憶の糸を辿ってかつての自分を思い出そうとした。
だが、出てくるのは必死にもがき苦しんだ嫌な記憶ばかりだ。
(なぜだ! なぜ思い出せない! あんなに大切なヒトだったのに! ん? 大切だったヒ……ト?)
なぜ、その大切な事がヒトと言う言葉になったのか、ふと疑問に思う。そう、大切な事、それは自分にとってかけがえのない存在だ。彼女はそれをきっかけに過去の事を思い出せそうだと、安堵のため息を漏らしていた。
その時だった。
「ぐ、ぐぁああああ!!!」
電流が走るかの如く、頭の中を蛇がのた打ち這い回っているかのような激痛が襲う。急激に襲ってくる頭痛。心臓が高鳴り、鼓動を打つたびに景色が揺らいでいた。呼吸が荒くなっていき、意識が遠のきそうになる。
彼女は頭を押さえて縮こまり、その場に蹲って頭痛が治まるのを待ち続けた。
一向に止むことのない頭痛に、意識が遠のいていく。
だが、ここで意識を失うわけにはいかない。
「ア、アルネ……」
無意識のうちに出た言葉、だが、彼女自身は言葉を発したことさえ分からないほど意識が混濁していた。息は上がっていき、ハァハァという荒い息遣いが廃屋の中に響く。
暫く彼女は頭痛と激闘していた。どのくらい時間が経ったのか、それさえも解らなくなるほどの激痛は、次第に収まってきていた。それと同時に彼女の意識は朦朧としだす。
彼女は混濁した意識のまま立ち上がっていた。一糸纏わぬ彼女の裸体。
だが、普通の人間と違って、その姿には神々しささえ感じる。綺麗な金髪、尖った耳、整った顔立ちに加えて、豊満な胸は見る男たちを虜にするだろう。
そんな美しい女性が一人で廃墟の町に、覚束ない足取りのまま歩みだしていた。
彼女は一糸纏っていないことに不思議と恥ずかしさは感じない。正確にいうなれば、もうろうとした意識の中で、そこまで気が回らない。
おぼろげな視界に写ったのは、ボロボロに朽ち果てた廃屋と周囲に青々と茂っている草木だった。
整備されていない道は、完全に草野原となっている。そこが道だったと辛うじてわかるように、側面に朽ちた木枠が廃屋の横から延々と伸びていた。
そんな草野原に一羽の野兎がひょっこりと顔をのぞかせる。
無邪気な瞳で少女を見据え、愛くるしい表情を見せていた。
「おなか……。すいた……」
彼女は純粋にそう思う。本能のまま行動することに今は別段違和感を感じない。彼女にはそれ以上の事を考える事ができなかった。
彼女はつぶやくと同時に目についた野兎に、脱兎のごとく急激なスピードで飛びついていた。
普通なら逃げられてもおかしくない距離だ。それを彼女はものともせず、一回のステップで兎に詰め寄って兎が逃げる動作に入る前に頭から生えた長い耳を掴んでいた。
「食い物……ね」
彼女は野兎を捕まえると、耳を掴んだまま自分の目の前に持ってきて、生きた野兎を見つめる。中空をける後ろ足、全身を使って蹴ってもがくが逃げることはかなわない。少女はその野兎を見つめたまま、地べたへと座り込む。
「やっぱりお腹がすいた……。食べる」
彼女はそう言うなり、生きたままの野兎を思い切り地面へと叩きつける。ピクピクと痙攣して動けなくなった野兎に、彼女は猛獣のごとき勢いでその小さな口で噛みついていた。
悲鳴を上げる事のできない野兎は、自らの運命を受け入れる。
周囲に響くのは、彼女が口いっぱいに頬張る生々しい肉を頬張る音だけだった。しばしの食事の後、辺りは静寂に包まれていた。 痙攣していた野兎は瞬く間に血を残して生きていた痕跡を消していた。
口元が血まみれの彼女はその場から立ち上がる。
「やっぱりこれじゃあ、物足りない……。もっと大きな肉が欲しいな……」
彼女はそう言うと、あることを思いついていた。
「これなら、楽して肉が手に入るはず……」
彼女はそのまま美しい裸体を晒して、廃墟の町の大通りへと覚束ない足取りで歩みだしていた。