深まる疑念 7
「コズバーン、まだとどめさせないの?」
アストールは二体の化け物を相手に、巧みに立ち回る。襲いくる剣戟をいなし、時には避けて、反撃に移ることもある。だが、アストールの攻撃は、軽い身のこなしで簡単に避けられて当たらない。
コズバーンに近付けないように戦うも、流石に二体を同時に相手をするのは、今のアストールでは負担が大きすぎた。自然と息が上がってきていて、その足取りも徐々にスピードが落ちてきている。
「主よ、こやつら、どんなに殴っても死なぬ。かくなる上は、剣での攻撃のみ」
コズバーンは化け物に馬乗りになったまま拳を振るっていたが、一行に死ぬ気配がなかった。そこで彼はやむなく腰の剣を抜いていた。
流石にその行動を見た化け物が、彼から逃れようと暴れだす。だが、巨体からくる体重と、足によって押さえつけられた化け物の両腕と胴体は動くことはない。
コズバーンは剣の切っ先を、暴れる妖魔の首に突き付ける。と同時に思い切り体重をかけて、首に剣をめり込ませていた。
噴出する赤が、コズバーンを染め上げる。
ぴくぴくと痙攣する化け物の両足を前に、コズバーンは念には念をと、完全に首と胴体を切断に掛かっていた。
「……ふむ。悪く思うな!」
コズバーンが剣を一振りすると、化け物の首が宙を舞っていた。
完全に一体の化け物の息の根を止めていた。
「主よ、またせたな」
コズバーンは剣を手にしてアストールの横に並ぶ。
対峙するのは二体の人ならざる者。
走り出した時の瞬発力には目を見張るものがあるが、完全に対応できないわけではない。アストールは化け物に対して、冷静に分析を進めていた。
体力、筋力、素早さ、身体能力はどれをとっても、成人男性であった頃とは比較にならないほど強力になっている。エメリナに教わっている剣術も、不完全ながらも応用すれば相手にはどうにか対応できる。
だが、それも最早、限界に近い。
「コズバーン、遊んでないで、本気でやってよね」
肩で息をするアストールは、所々服が破れ、全身に軽い切り傷を作っている。
(情けないな……、息が上がってきやがる)
鍔競り合いを避け、動き回り、相手を翻弄するように努めていたが、アストールの体は女のものだ。
以前なら、全く息が上がることもなく、目の前の化け物の一体くらいは仕留めていたであろう。
それが、今ではコズバーンに頼り切っている。
「すまぬな。我が主。我も少々手を抜き過ぎた。そろそろ本気でやるとしよう」
コズバーンは空いた片方の手に剣を握り、両刀で構える。流石のコズバーンも女性を傷つかせたことに、多少の罪悪感を感じている。
「最初から本気でやってくれ、こっちも大変なんだから!」
アストールは男口調になるのを必死で押さえつつ、再び息を整える。
二人が揃ったところで、化け物の二体は襲い掛かかることを躊躇していた。
力の差が明らかに逆転したのだ。
それが分からないほどの愚鈍な者ではない。
「……頭ァ、どうしやすか?」
二体のうちの一体がそういうと、リーダー格の化け物は答える。
「こっちは仲間を殺されてんだ。あいつらの女を犯まくったあと、あの肉を貪らねえと割に合わねえ」
そういうなり二体は、アストールに標的を絞って、一気に近寄ってくる。
アストールは剣を構えて、二体を待ち構える。
「アストールよ! そちらにも一体回ったぞ!」
ジュナルの叫び声に対して目で確認する。
サラマンドル二体に行く手を阻まれた二体のうち、一体がアストールに一直線に走ってきている。
正面と右手の二方向からの挟撃に、アストールはコズバーンに指示を出す。
「コズ! 奴らの狙いは私だ。私が気を引き付けるから、隙をついて攻撃を!」
「承知!」
アストールは素早くその場で踵を返すと駆け出す。
それも束の間、三体の内、右方向から来ていた化け物がアストールに迫っていた。頭上から振るわれる剣に対して、アストールは立ち止まってその剣を受け流す。
一撃を受けた瞬間に、手に響く衝撃。受け流したにもかかわらず、手が痺れる。
アストールはその場で化け物の腕を切るべく、剣を凪いでいた。
だが、化け物は後ろに飛びのいて、その一撃を避ける。のも束の間、正面には迫りくる二体の化け物。
一体は斧で襲い掛かってきて、もう一体は剣を振るってくる。
挟撃でくる攻撃に対応すべく、アストールはギリギリまでその攻撃を見据えていた。そして、刃が当たる寸前に、身を軽やかに後ろに下げる。
この時、コズバーンが既に化け物二体の背後に迫り、大剣を上段から振り下ろしていた。
一体は背中を斬りつけられ、そのまま縦に両断されるも、もう一体は察知が早く、ギリギリの所でコズバーンの一撃を避けていた。
(まずは一体……)
アストールが両断された化け物に目を向ける。だが、その隙に先ほど下がっていた一体がアストールの目の前まで迫ってきていた。
(ま、まずい)
アストールは思わずいつもの癖で、上段から振り下ろされた剣を、自らの剣でまともに受けていた。
手に響く衝撃と共に、両刃の剣は見る見るうちにアストールの体へと迫っていく。
(畜生! 失敗した)
一方的に不利な鍔競り合いに持っていかれ、アストールは内心毒づいていた。
万事休す。
自らの剣が体を切り刻もうとする。
死の覚悟を決めつつも、化け物を睨み付けながら押し返そうと力を入れた。
それと同時だった。
鍔競り合いで押してきていた化け物の力が、突如として弱まっていた。
この隙を逃さずアストールは全身で力を込めて、化け物の剣を押し返す。意外にもあっさりと剣が押し返せたことに安堵しつつも、彼女はすぐに化け物に対して蹴りを入れて後ろに飛び退いた。
化け物は蹴られたことによって、その場から三歩四歩とよろけて後ろに下がる。化け物の剣を持たぬ腕には、正確無比に突き刺さった矢がアストールの目に留まる。
(メアリーの援護か……)
化け物が再び態勢を立て直そうと腕に刺さった矢を圧し折るも、動きを止めた一瞬の隙をメアリーが逃すはずがなかった。彼女から放たれた矢が、正確に化け物の足、腕、手、と次々に突き刺さっていく。
痛みに耐えかねた化け物は、その場に剣を落とす。
「ぐ、グゲェエエ」
化け物は奇声を発しつつ、その場で完全に動きを止めていた。それが運の尽きだった。
止めを刺しに飛来した高速の矢が、化け物の頭部を射抜く。
恐ろしく正確に、矢は化け物の急所を射抜いていた。各関節に加えて、手、そして、頭部。頼もしい援護ではあるが、アストールはメアリーが敵でないことに心底安堵していた。
「おし! 残りは……」
周囲の状況を確認すれば、すでにコズバーンが一体を切り裂いていて、最後の一体が二体のサラマンドルに絡みつかれて、その体を業火に焼かれていた。
「カタはついたか……」
アストールは汗を拭き、息を整える。ボロボロとなったアストールに、返り血塗れのコズバーン。
対するジュナル達は殆ど衣服は汚れていない。
「どうにか、勝てたな」
アストールは念を入れるために、矢で倒れた化け物に近寄っていく。その途中、賊の誰かが落とした斧を拾い上げていた。
「復活しかねんからな。悪く思うなよ」
アストールは剣を仕舞うと、斧を構えていた。次の瞬間に、斧は化け物に向かって振り下ろされる。
最終的な処理を行ったアストールは、その場に血塗れの斧を投げ捨てる。
「どうにか、勝てたか……」
アストールは息を整えつつ、その場に斧を投げ捨てる。
「ふむ。そのようですな」
ジュナルも同調して呟くと、サラマンドルの召喚を解いていた。その場から徐々に炎のが弱まっていき、消えていく炎のトカゲの残像。
一瞬でその場から消え去ったサラマンドルのそばには、一体の焼死体が転がっていた。強烈な臭いを放ち、煙を上げる焼け焦げた化け物を前に、レニが腕で鼻を覆っていた。
全ての化け物を退治し終えて、アストールは額に流れる汗をぬぐう。
「五体だったからいいけど、もし、こいつら全部が化け物に変化してたら……」
「不味いことになっていたのは間違いないでしょうな」
ジュナルが横に来て、アストールが止めを刺した死体を見る。相変わらず筋骨隆々で、化け物然とした体つきは変わらない。
「死んでも変化ないってことは、やっぱり妖魔だったのかな?」
メアリーがそう言って、近寄ってくる。
「うーむ。拙僧にも見当がつきません。魔力の流れ自体は、ヒトそのもの。しかし、腹部を中心に外部の魔力が作用しているのか、彼らの潜在魔力の流れと相まって乱れていたのは確かですぞ」
ジュナルは頭を悩ませつつ、死体を見ていた。
「いっそ、解剖してみる? これなら、ほぼ死体は完全な形で残ってるし」
アストールは苦笑して、矢でハチの巣になった遺体を指さす。
ほかの死体はその殆どがコズバーンによって惨殺され、見るも無残な肉塊になっている。ジュナルの魔法によって焼かれた死体では、検死のしようもない。
「あー、こんな事なら、一匹くらい生け捕りにすればよかったかな」
そうは言うものの、実際あの状況下ではアストール自身にそんな余裕はなかった。終わってしまっては後の祭り、何とでも言える。
「あの、僕がその遺体を視てみましょうか」
そう言って近づいてきたのは、真っ白い神官の装束に身を包んだレニだった。
全能神アルキウスの力を借りれば、死者を甦らせる以外の事は何でもできる。
もちろん、体の中を透視することも可能だ。
「そっか、レニが居たんだわ。お願い頼むわ」
アストールはレニに、化け物の体を見るように促していた。まるで自分が今まで忘れされられていたかのような扱いに、レニは少なからずショックを受ける。だが、彼女に言われたことを、おろそかにするわけにもいかない。
「はい、それでは」
レニは気を取りなおして、その場で詠唱を始めていた。
「我は全能神アルキウスの申し子、レニ・フロワサール。偉大なる神、アルキウスよ。我にすべてを見通す目を与えよ。その力を持って、この者の力の源を見せよ。エルビアイ!」
レニの詠唱が終わると同時に、彼の両手が淡い黄色い光を放つ。レニは目を瞑って、精神を手に集中させていた。全能神アルキウスの加護を得て力を発揮している状況だ。死体に対してレニは手をかざしていき、胸部から腹部へと両掌をスライドさせた。
そこで彼の手は止まっていた。目をつぶったまま動かずに、じっと静止している。アストール達はその様子をじっと見つめる。
「何か、いびつな物が見えます。何と言いますか、腹部の臓物を中心に全身がその歪なものと同化していると言った方がいいのかな……」
レニの言葉を聞いてジュナルは眉根を顰める。
(……やはり、元は人間だったとみるべきか)
アストールが我慢しきれずに、レニに聞く。
「で、これは人間なの?」
「骨格まで変わっていますから、なんとも言えません……」
レニの答えに一同は落胆のため息をついていた。
一流の神官戦士でさえも、頭を悩ますほどの体の構造の変化があったのだ。今となっては、ここに転がる躯が人だったのか妖魔だったのかさえわからない。
「何にしろ、これが化け物である事には変わりない」
コズバーンが腕を組んで、尤もなことを呟いていた。妖魔にしろ人にしろ、これが人の形から化け物へと変化した事実はゆるがない。
「結論は出てないけど、とりあえず、妖魔が人に化けてたってことでいいかな?」
アストールはそう言って、全員を見回すと、一同はなぜか納得のいかない表情を浮かべている。
そんな中、ジュナルが静かに口を開いていた。
「しかし、その様な事例、聞いたことはありませぬな」
「じゃあ、なんだっていうの?」
「その逆なら、あり得るかもしれませぬ……」
ジュナルは意味深に首のない化け物の遺体を見つめる。
「どういう事?」
アストールが聞き返すと、ジュナルは語りだしていた。
「かつて、魔法帝国で恐ろしい研究が行われていたのは、皆も周知のとおり。その中でも、最も悍ましいと言われているのが妖魔と人間の魔力結合。言ってしまえば、妖魔と人間のハイブリット兵士の研究であろう……。古代魔法帝国の末期に研究されていた禁忌の一つですな」
ジュナルがそう言って、全員を見回していた。
かつて、帝国は魔術の扱えない人間を捕えてきて、奴隷として、実験材料として、様々な人体実験をしてきた。それが結局は魔法帝国の崩壊を引き起こしたのは、世界の人間が周知している。
中でも酷かったのが、魔法帝国末期だったと言われる。
ただ、それらを語り継ぐ資料は一切残っていない。帝国を打倒した後の魔術撲滅へと加速した100年間は、新生の百年と呼ばれ、その間に帝国魔術に関する知識、魔術書の殆どが処分された。そして、多くの帝国に仕えていた魔術師達もまた処刑された。
魔術師たちからは大きく魔術が大きく衰退した「暗黒の百年」とも呼ばれている。それだけ、帝国がしてきたことは、大衆に恐怖を植え付けていたのだ。
アストールは歴史の事を思い出しつつ、ジュナルに聞いていた。
「本当に、そんなことできるの?」
「うぬ。そこであるが拙僧が知る限り、これは帝国魔術の恐ろしさを解く伝承でしか聞いたことがありませぬ。新生の百年の間に帝国時代の魔術の8割は失われていますからな。その間に現在でいう黒魔術に関与していた魔術師とその弟子も殆どが処刑されております。帝国の魔術書で今に伝わる黒魔術の書はごく一部でありますし、その中で公に確認されている書物の中に、人体合成魔術の記述がある書はありませぬ」
ジュナルは首を振って見せたが、その後に鋭い目つきで再び死体を見据える。
「しかし、魔術書が表に出ておらぬだけで、何者かが隠し続けていた可能性も捨てきれませぬ。万に一つの可能性でしかありませんがな……。しかし、これを見ると、その万に一つがあるやもしれませぬ」
ジュナルはそう言って人であったモノへと目を向けたまま黙り込む。
人が化け物へと姿を変えたことは、紛れもない事実だ。
何者かがこの賊達を妖魔へと変化させたという可能性はかなり高い。何よりも、これが黒魔術の一種とするならば、ゴルバルナが関連している可能性も高くなる。
「ゴルバ……なのか」
アストールは感慨深く、呟いていた。自分を元の姿に戻すことができる黒魔術師。その尻尾がようやくつかめそうな気がするのと同時に、ぶつけようのない怒りが胸の内から湧いてくる。
処理しようのない感情を無理やり抑えこむと、ジュナルに目を向けていた。
「断定はできませぬ……。ただ、これが黒魔術師が関与しているのは確かでしょう」
ジュナルは嘆息すると、空を見上げていた。
「もう暗くなってきております。そろそろ寝支度をした方がいいかと思いますが……」
彼の言葉を聞いたアストールは、無理に笑みを浮かべて号令をかけていた。
「そうだな…。でも、ここはやめといた方がいいだろう」
ここに留まれば、この化け物に変化した者達の仲間が現れる可能性がある。
妖魔が居た形跡すらあった事に加えてこの事件が起きた以上は、この村からは一刻も早く離れた方がいいだろう。賢明な判断を下したアストールに、ジュナルは静かに頷いていた。
「そうね」
メアリーも同調し仲間からも特に反対の意見もでなかった。
「村の外れで休もう。コズバーンもそれまで、背中の斧は我慢してね」
アストールはそう言ってコズバーンに言うと、彼はゆっくりと頷いて見せていた。下手に斧を抜くと出血が酷くなる。最悪、出血性のショック死を起こしかねない。
「ふむ。この程度の傷はカスリ傷にすぎん」
コズバーンは笑みを浮かべて、アストールに答えていた。
彼女の言葉にしたがって、一行はすっかり暗くなっている森の中へと行軍を開始するのだった。