深まる疑念 4
「小屋の前には来てみたけども……」
アストールは厩舎とその横に建ち並ぶ小屋の前まで来ていた。今晩を過ごす廃墟の宿、それにしては建物の損傷は少なくかった。
メアリーはアストールの横に来ると、腰に手を当てて、悩ましいと言わんばかりに溜息を吐いていた。
「ここって、かなり危ない気がするのは気のせいかな?」
メアリーが周囲を見渡して、不安そうに言う。
周囲は廃屋に囲まれていて、かなり見通しが悪い。その上、広いところは厩舎の周辺のみ、すぐ裏には完全に崩壊した城壁はその役目を果たしていない。ほぼ森と隣接していると言って良い。
「確かに配置が悪い、悪すぎる」
アストールは眉根にしわを寄せて、メアリーの意見に同調していた。妖魔が森から侵入してきた場合、ここは即座に包囲されて逃げ道はなくなる。それが賊であっても一緒だ。
何よりもアストールが気になったのは、小屋の外観だった。
厩舎と比べると明らかに新しく作られたものだ。とはいえ、それは周囲の建物に比べてと言う意味で、けして綺麗と言うわけではない。
それでも彼女は小屋の違和感をぬぐえないでいた。
「ジュナル、見つけた時って、カギが掛かってたのよね?」
アストールが聞くとジュナルは静かに答えていた。
「ええ。施錠を解くのは、拙僧にとっては造作もない事でしたが……。カギが掛かってたからこそ、妖魔に荒されずに済んだ……。と拙僧は思っております」
ジュナルはそう言って、小屋の前まで行くと扉を横に滑らせて開けていた。
小屋の中には一切明かりは入ってこない。密室空間と言って良い。
コズバーンも余裕で入れるほどの入り口と、広さがある。
「中のカンテラもまだ使えそうですな。油も残っておる。ここを利用せぬ手はありますまい」
ジュナルはそう言うと、小屋の入り口付近にかけてあったカンテラを手に取っていた。中にはまだ油が入っていて、火をつければすぐにでも燃え出しそうだった。
彼は簡易魔法を唱えると、すぐにカンテラに火を灯して辺りを明るくしていた。カンテラは一つだけではなく、数個備え付けられていた。それに次々に魔法で火を灯していく。
十分な明かりが確保されたところで、ジュナルは中を色々と物色しだしていた。
屋内は意外にも広く、コズバーンでも十分に入れる大きさだ。幸か不幸か、窓がない。外の様子は伺えないが、姿を隠すには持って来いの場所だ。
整然と並んだ農具の鋤や鍬、斧に脱穀機など、ここで人が農業を営んでいたのがわかる。だが、その広さに反して、農具はかなり少ない。
「ここを立ち去る際に、町の人が殆ど持って行ったのでしょうな」
ジュナルは小屋の中のカンテラに火を灯して、小屋の配置を見ていた。
壁際には農具を立て掛ける台に、その横に脱穀機、それ以外には特に何も見当たらない。
「雨風しのげるだけ、マシ、か」
アストールも中に入り、小屋の中を確認した。その後をコズバーン、メアリー、レニも続いて入っていく。
「意外に広いわね」
「存外に外板は腐っておらぬ」
「人が入ってないからか、小奇麗ですね」
従者の三者三様の答えを聞き、アストールはふと疑問に思う。
他の廃屋は荒らされ放題。動物の死骸さえも転がり、腐臭で過ごせるものではない。なおかつ、木の屋根や壁は腐り落ちている所も散見した。
町の中にある廃屋は、その全てが何らかの損傷をうけるか、朽ち果てていたのだ。
それに比べて、この小屋は比較的小奇麗だ。丁寧にカンテラまで用意されていて、しかもそれには油が入っているときている。そして、何より気になったのが、内側より扉を閂で完全に閉め切れることだ。
「おい、ちょっと、ちょっと待ってくれ」
アストールは疑問を抱きつつ、全員に声をかけていた。
「ちょっと、考えたら、これって変じゃない?」
「え?」
アストールの問いかけに一同は彼女に向き直っていた。
「ふむ。エスティナ殿の疑問、拙僧も感じておる。これを見られよ」
ジュナルがそう言って台に立て掛けている鋤や鍬を見るように促す。
どの農具も埃こそ被れど、殆ど錆びてはいない。この農具だけ後から持ってこられたかのような綺麗さを保っている。
「なんか、この農具使われた形跡ないね」
メアリーは柄を見て、泥のシミや手垢などが全くついていない事に気づく。
一同は余計に疑問を募らせていく。
普通、こういう小屋に残されるのは、使用に耐えない修理品や、壊れかけている農具だ。
使えるものを態々残しておくことはまずない。
「こんなに綺麗な農具、残しておくわけないからな」
アストールはそう言って、農具を手に取ろうとする。その時だった。
「へへ。女が三人に男が二人……。今日の収穫は上々ってとこか」
入口から聞こえてくる男の声に、一同が振り返る。そこには顎から長い髭を生やした体躯の良い男が立っていた。手には斧を持っていて、髭面の上からでも判るほど、醜悪な笑みを浮かべている。
今の今まで探索をしていて油断していて、警戒を解いていたのが甘かった。メアリーも舌打ちして、入り口の男を睨んでいた。
「やっぱり……。何かあると思ったんだよ」
アストールは苦笑すると、腕を組んで男を見据える。
「あなた、どこの誰だか知らないけど、引くなら今のうちよ?」
アストールの問いかけに対して、男は何一つ身じろぎせずに答える。
「へへ。久々の女だ。男もいる事だし、てめえら全員を逃がすわけにはいかねえ」
粗雑な皮鎧に、獣の毛皮の腰巻。腰には剣をさしていて、一目見て男が賊であることがわかる。
下品な笑みを浮かべたまま、男はゆっくりと入口から屋内へと侵入する。
「あ~あ、一応警告はしたんだけどね。コズ、やっちゃって良いよ」
アストールはコズバーンに目配せすると、彼は笑みを浮かべて頷いて見せる。
コズバーンは主人の許しを得たことに、嬉々として行動に移っていた。
その巨体からは想像できない速さで、入り口の男に迫り、そのまま体当たりで男を吹き飛ばす。そう、文字通り男は大きな衝撃と共に、小屋から一直線に外に飛び出す。
男は隣の廃屋まで吹き飛び、派手な音を立てて壁に叩きつけられていた。そのまま壁は崩壊して、男を飲み込んでいく。ガラガラと廃屋が音を立てて、この廃墟の町に男の死を知らせる虚しい音が響く。
「我が主からの許可が出た。思う存分に暴れさせてもらおう」
コズバーンは腰の肉厚な剣を抜くと、ゆっくりと小屋の入口を屈んで潜り出ていた。悠然と周囲を見回すと、小屋の周囲を取り囲むように30人ほどの賊が散開してるのが目に入る。
どの男達も平均よりも上の体格をしていて、アストール一人で斬り合えば、確実に力押しで負けるだろう。だが、そんな男達でさえ、コズバーンを見た瞬間に後ずさっていた。
顔には焦りと恐怖の入り混じった何とも言えない表情を浮かべている。
「ふむ。我を満足させるような輩はおらぬか。どいつもこいつもクズばかり。遊びにもならぬな」
コズバーンは握っていた剣を、腰にしまうと素手となる。そして、その場で拳を構えて、男たちに叫んでいた。
「貴様らの様な雑魚、剣を使うまでもない。この拳で充分だ。さあ、来るがいい!」
明らかに賊達を馬鹿にしたような態度、それでも男達は動けなかった。コズバーンから発せられる闘気、それを通して本能的にわかるのだ。コイツには敵わない。と。
手に汗を握り、喉を鳴らして唾を呑みこむ。
静寂が支配する中、先ほどの廃屋の中からガラガラと物音がする。
コズバーンは眉根を顰めると、そこには血まみれとなった男が廃屋の破片を投げ捨てながら立ち上がってきていた。
「ほほう。あの一撃を真面に受けて立ち上がるとは……。ふん、まるで妖魔よ」
コズバーンも意外な出来事に面食らう。普通の人間なら立ち上がれないダメージを与えていた。いくら体格がいいとはいえ、コズバーンはぶつかった瞬間に肋骨を粉砕する確かな手ごたえを感じた。加えて廃屋の腐った壁とは言え、木板と土壁を突き破る衝撃、腰に致命傷を負っていてもおかしくはない。
まず、立ち上がることは不可能なはずだった。
「な、何してやがる……。てめぇら……。俺たちは、前の俺たちとは違うんだ。いけえ」
男が号令をかけると、周囲の賊達は顔を見合わせる。頭の男と思われる者が、重傷を負いつつも、完全にそので立ち上がって佇んでいた。それを見た瞬間に、男達の士気は一斉に盛り上がる。
「へへへ! 頭があれなら、問題ねえ! いくぞ野郎共!」
一人の男の号令を皮切りに、周囲の賊たちはコズバーンに向かって疾駆していた。
それでもコズバーンは一切恐れ戦く態度はとらなかった。むしろ口元を吊り上げて、この状況を嬉々として受け入れていた。
「正面に10、左に11、右に8、最初の接敵は正面か……。ふん、少しは楽しめるか」
構えたまま迫りくる正確な敵の数を把握する。数の上では圧倒的不利な状況。だが、コズバーンは身動ぎ一つせず、敵が来るのを待ち構えていた。
正面の男達が近付いてきて、遂には接敵。
一番にコズバーンの前に来た男が、剣を振るって斬りかかろうとする。だが、それよりも早くコズバーンは反応する。剣が肉に食い込む速度を超えて、野太い丸太の様な腕が男を強襲する。腕に薙ぎ払われた男は体ごと吹き飛ばされ、後方に控えていた一人に、走るよりも早い速度で衝突する。
「ふ、手加減は要らぬな……」
続けて恐れを知らない賊達が。次々と斬りかかってくる。コズバーンは物ともせずに斬りかかってくる賊達を、その巨体からは想像できない速度で動き、先制攻撃を与えていた。
ある者は剣を振り下ろすより先に、顔面を砕かれる。ある者は正面に立った瞬間に頭を掴まれ、そのまま片手で左側面から迫っている集団に投げ飛ばす。
また、ある者はその強靭な腕で胴を薙ぎ払われる。その全てが的確な急所への一撃、無駄のない洗練された動きを見せていた。
出鱈目な強さを前に、賊達は次々に地面に伏せていく。
傍から見れば、正に千切っては投げを体現していた。
あっという間に正面の敵と、左側面の敵を同時に片付ける。右側面の賊たちもひるむことなく、コズバーンに向かう。だが、結果は知れていた。
「く、くそ、なんだってンだ。あの大男は……、やってられるかよ」
腹部を殴られ、地面を這っていた男は、その場から這逃れようとコズバーンに背中を向けていた。背後では男達の怒声と、悲鳴が鳴り響いていて、その惨状を容易に想像させた。
こんな所で死ぬくらいなら、いっそ逃げた方がいい。そう判断した男は、這いつつゆっくりとその場から逃れようとする。
「正面から掛かってきておきながら、我に背を向けるか、貴様!」
後ろから聞こえる男の凄みの聞いた声に、這っていた男は肩を震わせて動きを止めていた。
「ひ、ヒィイイ! お許しブオオオ」
思い切り背中に叩きつけられた足に、男の断末魔の叫びとと骨が砕ける生々しい音が無情にも響いた。
「覚悟を決めて向かって来たのだ。その命、果てるまで戦う者こそ、真の武人よ。とはいえ、貴様らの様な半端者にはその様な覚悟すらない」
いつの間にか周囲には殆どの賊が呻きながら、ひれ伏していた。
その中には明らかな重傷者もいる。
その状況を見たコズバーンは落胆の溜息を吐いていた。
「……。期待外れだ。止めを刺す価値すらない。我の気が変わらぬうちに去るがいい」
素手で数刻もせぬうちにひれ伏すほどに貧弱な男達、外見は屈強に見えるがそれも見た目のみ。そう判断したコズバーンは相手の貧弱さに落胆して、男たちに背を向けるた。
その時だった。コズバーンの背中に走る鈍痛。肩甲骨あたりに響く衝撃と鈍痛に、コズバーンは口元を吊り上げた。
「ほほう、そんなになってまで、我に挑むか、その気概、買ってやろう」
コズバーンが振り向けば、最初に倒した男が確りと地面を踏みしめて佇んでいた。それでも、手斧を投げるのがやっとだったらしく、息絶え絶えと肩を上下させて、ゆっくりと振り下ろした右腕を腰の短剣へと伸ばしていた。
周囲を見渡せば、倒れていたほかの男達もゆっくりと立ち上がりだす。
手斧が背中に刺さったまま、コズバーンは歓喜に沸いた笑みを浮かべていた。
「ぬははは! 面白い! ただの雑魚と思っておったが、どうやら、侮っていたらしいな! その覚悟、買ってやろう! それが武人としての礼儀!」
大声を上げて笑うコズバーンは、ようやく腰の大剣を抜いていた。
力の差は歴然としていたが、男達が怯む仕草は一切ない。それどころか、賊達の目は血走り、明らかに正常でない顔つきになっていた。ジュナルは外の異変に気づいて、即座に小屋から飛び出していた。そして、賊達を見て、眉根を顰める。
妖魔さえ粉砕するコズバーンの一撃を食らって、まだなお立ち上がり反抗しようとする。その強靭な体と精神力を見てしまえば、異常と言わざるをえない。
普通の賊であれば、確実に戦意を喪失して、退散しているだろう。だが、彼らは戦意を喪失するどころか、何かに憑りつかれたかのように立ち上がっていた。それにジュナルは不審感を募らせた。
「ふむ、おかしい……」
何か魔法がかけられているのではないか。そう疑ったジュナルは、小屋を飛び出して入り口付近で足を止める。そして、目を瞑って賊達の魔力の流れを探り出していた。
賊達の体を流れる本来の、生けるもの全てが持ちうる魔力の流れ。
その流れが、賊達の体の中である一点を持って、乱れだしている。
腹部より発せられる何かの魔力が、胸部から弱く発せられた生きるために必要な自然の魔力の流れを乗っ取りつつある。
「ふむ。あの賊達、何かしら隠し持っておりますぞ。コズバーンよ。用心なされよ」
ジュナルの忠告にコズバーンは笑みを浮かべたまま答える。
「何があろうと、我が前に立つ者は倒すのみ」
流石のジュナルも苦笑する。今のところ、あのコズバーンの攻撃を真面に受けて、死亡者ゼロ、重症者は一だ。
見た目だけで言うならば、軽傷と言った所だろう。
だが、あの背中を砕かれた男さえも、立ち上がっていたのだ。
ジュナルは万が一に備えて、魔法詠唱できる様に態勢を整えていた。
賊達は剣や斧を握りしめて、再びコズバーンに向かっていく。先ほどの勢いはないが、その足取りはしっかりとしている。
「なんかちょっと、厄介なことになってるわね……」
アストールもコズバーンの背中を見た後、周囲の賊達を見て呟いていた。息こそ乱れてはいないが、コズバーンの背中には手斧が刺さり、血が滲み出していて痛々しい。
「コズバーン、加勢しようか?」
アストールの心配をよそに、コズバーンは嬉々とした表情で答えていた。
「手助け無用! ムハハハハ!」
そう叫ぶなりコズバーンはアストールに背を向けたまま駆け出していた。
「あ~あ、行っちゃったよ」
アストールは呆れ顔で、コズバーンの背中を見送る。
賊たちのど真ん中へと突貫した彼は、両手に持った大剣で乱舞して賊達を次々と斬り伏せていく。
袈裟懸け、薙ぎ払い、振り下ろし、賊達の胴体を真っ二つに切り裂いていく。狂喜乱舞するとは、正にこの事を言うのだろう。
その惨状を見たレニが余りのショッキングな光景を前に呆然と口を開けてみつめる。
「ひ、人が真っ二つに……。し、信じられない……」
アストールは敵に少しだけ同情していた。コズバーンのような化け物を相手にして、戦いを強いられるあの男達は、もはや死んだも同然だ。
胴体を薙がれた者もいれば、頭上から振り下ろされた剣になすすべなく縦に真っ二つに体が裂かれていく。周囲はあっという間にどす黒い赤色と、肉片に染め上げられていく。
それが妖魔の物であれば、どれほど心的負担が軽かったろうか。
「ぷ! 凄いですな。相変わらず」
全員がコズバーンの無双にドン引いている中、ジュナルはクスクスと笑う。
アストールとメアリーとレニは、そんなジュナルに呆れた視線を送っていた。
(これじゃあ、どっちが悪者か、わかんねえな)
アストールは内心そう呟きつつ、コズバーンに目を向ける。
笑みを浮かべて賊たちをミンチにしていく様は、もはや上級妖魔クラスの強さと言っても過言ではない。
頭上からの剣を受けようとする賊は、その剣ごと身を引き裂かれていくのだ。
結果は見ないでも、明らかだ。数刻もしないうちに、賊達の殆どが地面に転がる肉片と化していた。