深まる疑念 2
正午が過ぎて、既に日は傾き始めている。夕刻と言うには早く、普段であれば昼食後の一休憩を取る様な時間帯だ。だが、アストール達にその休息は許されない。
彼らは鬱蒼と木々と草が生い茂る広い道を歩き続けていた。ルショスクを出てから早、二日が経とうとするが、一行に目的の村には辿り着かない。それもそのはず、道中には様々な危険があった。
妖魔と遭遇して一戦交えたり、高原の早い夜に備えて早めに休息場所を探すなど、彼らの足を止める理由が重なり、行軍の遅れを引き起こしていたのだ。
幾らアストール達が妖魔討伐に慣れた騎士とその従者とはいえ、流石にルショスクにいる妖魔の数には驚嘆するしかなかった。
少し歩けば音に反応して森の木陰から妖魔が出て来て、小規模な戦闘が開始される。ショスタコヴィナスに近付けば近付くほど、その回数も増えて来ていた。
それがまだ3割程度の距離しか進んでいない所で起きているのだから、アストール達の疲労はたまっていく一方だ。とはいえ、一度引き受けた依頼だ。途中で投げ出すわけにもいかない。
アストールはまだ見ぬ正体不明の人食い妖魔の討伐に向かおうと足を進めなければならないのだ。
全てはキリケゴール族の情報を得るためだ。
そうして歩き続けていた時、かつてのルショスクの栄光を垣間見る事ができる遺構が目の前に現れていた。ボロボロに寂れた煉瓦造りの城壁と、朽ち果てて倒れた城門の木の扉、周囲を囲んでいる城壁は至る所が崩壊していて、妖魔や賊が出入りするのは容易になっている。
「ああ~、こんなとこ入りたくない」
一目見た瞬間にアストールの口からは、そんな言葉が出ていた。
明らかな廃墟の町だ。城壁こそあれど、けして町の全方位を囲んでいるわけでもない。こういう廃墟は賊が身を隠すには持って来いの場所であり、また、人の手が行き届いていないとなると妖魔の巣窟になる可能性も充分にある。
「迂回する?」
メアリーが唐突にアストールに聞くと、彼女は眉根を顰めていた。
「迂回って言っても、ほかに道あったか?」
地図を広げてみるものの、迂回できるようなルートは記載されていない。
「危険ではるが、ここを突っ切るしかあるまい……」
ジュナルが渋い表情を浮かべて言うと、コズバーンが袖を捲りあげて笑みを浮かべていた。
「どんな敵が来ようと、我の前に立ち塞がる者は粉砕するまで……。主よ、先を急ぐのであろう。ならば任されよ」
コズバーンはアストールが言葉を発するよりも早くに、先頭に立って廃村へと足を踏み出していた。流石のアストールも引き留めようとするが、こうなっては誰も止められない。
「あ、ちょっとコズ! 待って!」
慌ててアストールがコズバーンの後ろにつくと、他の面々も態勢を整えて続いていた。
ずかずかと歩くコズバーンは、まるですぐにでも妖魔が出てくることを望んでいるかのようだ。実際、彼は戦闘を望んでいる。だが、それに巻き込まれたアストール達はたまったものではない。
ここに来る途中にもやり過ごせた妖魔の集団もいたが、コズバーンは笑みを浮かべ、嬉々として妖魔の軍団に突撃していた。勿論あっという間にコズバーンが倒して終わるのだが、その度に討ち洩らした妖魔をアストール達が相手にしなければならないのだから、疲労は地味にたまる。
「コズ! 戦ってくれるのはありがたいんだけど、もう少し自重できないの?」
「主よ、後ろから襲ってくるかもしれないという不安要素を残すくらいであれば、少しの労力で不安要素を排除した方が楽であると思うが?」
尤もらしい事を言うコズバーンを前に、アストールは言い返す言葉が見つからなかった。事実、体は少し疲れたが、気分的には憂慮なくここまで来れた。
「……まぁ、そうかもしれないけど……」
アストールは不満そうに顔を背けると、コズバーンの横に並んで歩き出す。
周囲の廃屋の周りには草が生え、馬車が通る道のみが轍を作って草木の侵入を阻んでいる。
廃屋の壁はボロボロの物もあれば、それほど損傷の少ない物もあってピンからキリまでだ。
その廃屋からはいつ妖魔が飛び出してきてもおかしくない状況。緊張感を持って周囲を警戒するアストール達は、喉を乾かせる。
轍のついた目抜き通りを進み続けるが、妖魔や賊のたぐいには一行に遭遇しない。アストールは何もない事が逆に気味が悪く感じられた。
「メアリー気配は感じる?」
アストールに聞かれたメアリーは首を横に振っていた。妖魔の気配はなく、だからと言って人がいるというわけでもない。彼女には純粋な廃墟として、ここが存在しているように思えた。
実際アストールも緊張こそすれど、ここには何の気配も感じられなかった。
「でも、油断はしない方がいいかもね」
メアリーは弓を手にしたまま周囲を警戒していた。廃墟は荒された形跡が外からでも確認できたのだ。
おそらくは妖魔の手によるものだろう。
「あの、次はどこで寝るんでしょうか?」
今まで沈黙していたレニが、アストールに尋ねる。ここの所、戦っては歩いてを繰り返してきている。地味に疲れも溜まっていて、日が沈む時間も近くなっているため、早めに寝床を確保しなくてはならなかった。
「そうねぇ……」
アストールは立ち止まって暫し考えながら、地図を取り出して見てみていた。それにジュナルとメアリーも隣に来て、一緒に地図を見る。現在いる廃墟の町から、次の宿がある村までは相当な距離があり、とてもではないが、夜になっても辿り着けないだろう。
「この先に行こうと思ったら、次の村までの距離は夜明けまでかかるか……」
アストールは悩ましいと言わんばかりに、こめかみに手を添えていた。
依頼によって向かわなければいけない村は、ここから更に南西に向かった地点である。廃墟の鉱山都市ショスタコヴィナスに近い位置にある村だ。
ショスタコヴィナスこそ廃墟となっているが、かつてそこに住んでいた人々がどうしても故郷を忘れられないと近くに作られた村を、アストール達は目指している。
そこまでの道のりはまだ遠い。
何よりも馬車がチャーターできずに徒歩の行軍になり、かなりの時間がかかっていた。とはいえ、これ以上先を急ぐ訳にもいかなかった。森の中で寝床を確保するにも、常に交代で見張りをたてなければならない。それに比べれば。雨風しのげる廃屋の中の方が、余程安全性がある。
結局のところ、先に進んでも、ここ以外に野宿に最適な場所は見つかりそうにない。
「ふむ。この辺り以外に野宿に適した場所は見つからぬのであれば、ここは一度、一か八かでここで野宿をしてみてはどうか?」
ジュナルは周囲を見回して、アストールに提案していた。
この先に休憩所があるとも限らないし、何より、途中の道には廃村もない。
建物がある分、森の中で過ごすよりかは、幾らかは安全であると言える。
「でも、妖魔がここを拠点にして行動している可能性は十分にある。妖魔みたいな化け物を相手に戦ってたら、明日の行軍は持たないかもよ?」
アストールはそう言ってジュナルを説得しにかかる。
「では、代案はありますかな?」
森で野宿をするにしても、カシュラの森はキリケゴール族の住む森、誘拐の危険さえある。その上、妖魔の巣窟となっている森の中で野宿するのは避けておきたい。ならば、少しでも安全が確保できる廃屋を、一棟貸し切って休憩をした方がいい。
ジュナルはそう考えていた。
「……」
中々、代案は思い付かず、アストールは困り果てていた。実際問題として、妖魔がいるとはいえ、この先に廃屋がある様な場所もない。何より、妖魔に襲われる危険性は、森に居る時とさほど変わらない。
むしろ、小屋を一棟占拠して安全を確保した上で寝床を確保した方が、体は休まる上に戦闘への対応も取りやすいと言える。
幾ら考えようと、アストールの頭にもこれ以上にベターな選択肢は思い付かなかった。
「……ない」
アストールは観念したとばかりに、首を横に振っていた。
「では、ここで一度、一晩過ごすという事で、よろしいですかな?」
ジュナルの申し出に対して、アストールは頷いて見せていた。
「そうねぇ……。今のところは、脅威がないみたいだし……。ここにしよっか……」
アストールがそう言うと、他のメンバーも異論はないらしく、反対の意見は出てこない。
「そうと決まれば、探索ですな」
ジュナルの声に対して、アストールも気分を切り替えて、全員に声をかける。
「妖魔と賊が完全にいないって決まったわけでもないし、一応二人一組になって探索よ。コズは単独でお願いね」
アストールはメアリーと、レニはジュナルと、そして、コズバーンは単独でと、廃墟の村へと足を踏み出していた。
彼らは知らない。
この時、廃町の外から迫る何者かの姿があったことを……。
アストールとメアリーは一番近くの未探索の建物に足を踏み入れる。床は割れていて、屋根も腐り落ちている。壁には至る所に穴が開き、それでいて、使われていたであろうテーブルはそのままに、割れた木の食器や手作りの人形が転がっていたりと、かつての生活感も感じられた。
「……なかなか酷いね有様ねえ」
アストールは建物の中をくまなく探していく。大部屋と小部屋が数個ある標準的な村の家には、妖魔が立ち入ったような形跡もある。
「これ、動物の骨じゃない?」
メアリーが床に散乱する白い何かの破片を拾い上げる。彼女の周囲には、同じような物が散乱していて、一目見てそれが骨であると判断するには時間がかかる。
「確かに、何かの骨みたいだけど……」
骨は太い部分まで真っ二つに割られ、中の髄液も吸い取ったとみられる形跡がある。肉食動物はこんな器用な食べ方はしない。そうなると、消去法でそこから導き出される結論は二つだけだ。
「これって、ここに妖魔か賊が入ってきてるってことじゃない?」
メアリーがアストールに問いかけると、彼女は苦笑して見せていた。
「確かに……。もう少し探索してみよう」
未探索のまま村に留まる事は、それこそ危機管理能力に欠ける事。
警戒して一軒一軒をこまめに探索していく。城壁があるだけあって、村と言うよりは少し規模の小さい町と言う大きさに匹敵する。手分けして安瀬を確保していくことの難しさ、そして、何よりも妖魔や賊が潜んでいないかと言う緊張感が、アストール達を自然と疲労させていた。
そうして、大体の建物を調べ終わったのが日が暮れる前、空が真っ赤に染め上げられそうな微妙な頃合いだ。ようやく、アストール達は村全体の状況を把握できた。
村の中央に全員が集合して、地面に簡易的な村の地図を書いていた。すぐ近くには小さな教会があり、ここの住人達がこの廃教会にかつては、祈りを捧げていたのだと思うと、居た堪れないノスタルジックな気持ちがアストールの胸を締め付ける。
だが、そんな感傷に浸っている暇はない。日が赤く染まるよりも前に泊まる場所を決めなくてはならない。全員がアストールに視線を集めると、彼女は全員から聞いた報告をまとめていた。
「妖魔の入った形跡のない場所は、村の奥まった場所にあるこの厩舎横の物置小屋だけ。いまだに放置された農具が保管されてるみたいね」
アストールはそう言って地面に書いた簡易的な村の地図を見る。
この厩舎横の小屋はジュナルが見つけた。アストールは改めて村の配置を見直していた。
町の中央に教会があり、その周囲を囲うようにして民家が建って居る。特別密集して建って居るわけではなく、教会からであれば見通しも悪くはない。
ただ、教会にも妖魔が住み着いている形跡があり、無駄に広い教会では妖魔の潜伏もあるとして、教会は宿としては使えなかった。それに比べて物置小屋は広さも程よく、荒された形跡はない。一つ問題なのは、荒されていない小屋の位置だ。
物置小屋のすぐ近くの城壁は、完全に崩壊して無くなっている。しかも結構な距離に渡って崩壊していて、森と林立するように建っているのも同然であった。何よりも、周囲には廃屋が多数あり、入り口の前の開けた場所以外は、見通しも効かない。その上、建物自体は入り口以外は窓も何もない状態だ。
「ここに泊まるのも、勇気いるな……」
包囲されれば最後、袋小路だ。危険極まりない場所には変わりない。
「ふふ、いざとなれば我に任せよ。あの広さがあれば、どの様な輩が来ようと、我が倒して進ぜよう」
オステンギガントの異名が伊達でないことは、これまで一緒に行動してきて身に余るほど実感している。コルドの群れを蹴散らし、ガリアールでも奮戦した男に、ぬかりはない。
コズバーンの頼もしい一言に、アストールの心は動かされていた。
「じゃあ、何かあったら、頼むわよ」
「任されよ。我が主」
コズバーンは満面の笑みを浮かべて、胸を叩いていた。こうして、一行は廃村の小屋に一晩泊まることを決定していた。




