物質支配する少女 Ⅴ
「ねぇ、神塚くん。おもしろいものを見せてあげる」
そう言って、舞原はペットボトルのキャップを外した。
何事かと見ていると、突然、ペットボトルの飲み口から水が噴き出した。噴き出した水は地面に落ちることなく、空中で徐々に形を形成していく。それは、蝶のような羽を羽ばたかせて、空を飛びまわった。
「すごいでしょ?」
舞原が得意げに言う。
すごい。なんてものではない。
「まさか、固体だけでなく、液体も操れるのか」
「目に見える物なら、それが固体だろうと液体だろうとなんだって操れるわ。とくに液体は形が定まっていないから、好きな形にできて楽しいのよ」
水の蝶が地面に降り立つ。パシャッと音を立てて、水溜りを作った。
「私は、――――」
舞原は、その水溜りを眺めながら、話し始めた。
「私は、今の生活が、とても気に入っている。学校に行って、授業を受けて、休み時間には本を読む。家に帰れば、大切な妹が笑顔で待っていて、一緒にご飯を食べながら、妹の話を聞く」
静かに、けど、よく通る声で舞原は話を続ける。涼しげに、さっきまでとまるで変わらない表情で。
だが、今は彼女の瞳の奥に力が篭っているのを感じた。
彼女にとって、今の生活はなにものにも変えがたい大切なものなのだろう。
「私は昨日、生理だったの」
「はひっ!?」
いきなり、この女は何をっ!??
年頃の女の子が恥ずかしげもなく、そういう言葉を男にするのはどうかと思うし、僕としてもあまり、聞きたくない!!
「あっ、ごめんなさい。女の子の日だったの」
今さら、オブラートに包んでも包み隠しきれねえよっ。
「それで、イライラしてたから、人の寄り付かないあの廃ビルで能力を使って発散してたの。でもそこに、――――」
舞原が、僕を見た。
「神塚くん。あなたが現れたわ。あなたに見られてしまった。誰にも言えない、妹にさえ、打ち明けていない、私だけの秘密を・・・・・・」
舞原の口が止まる。
あれだけの力だ。
おおやけになれば、どうなるか。
少なくとも、舞原が大切にしている日常は跡形も無く、壊れてしまうだろう。
「ごめん」
「あなたが謝ることではないわ」
「・・・まぁ、そうなんだろうけど」
「もし、あなたが私の秘密を誰かに話そうとしたときにはそれを阻止する為に相応の準備はしたわ」
「準備?」
舞原はポケットから鉄製の玉を取り出した。大きさからして、パチンコの玉のような。
「私が本気を出せば、岩をも、貫く」
「死ぬわっっ!!」
今日一日、僕の命は危険信号出っ放しだったらしい。
舞原の力なら手を使わずにどの角度からも標的を狙い撃ちできる。もし、凶器であるパチンコ玉を警察が回収しても指紋は残っていない。初めから、付いていないんだから。彼女は警察に捕まる心配がない。なんという大胆な完全犯罪。
今さらながら、恐ろしい!
「神塚くん? そんなに遠くに離れちゃって、どうしたの」
「いえ。なんでもないです」
さらに今さらながら、舞原から距離を取っても仕方がないことに気が付いたのでベンチに座り直す。
「ここに来る前にも言ったけど実力行使はしないわよ。もう、神塚くんに無理に忘れてもらおうとはしないわ」
クスクスと、舞原は笑った。
「昨日、逃げられたときはどうしたものかと思ったけど、まさか、普通に学校に来るなんて、びっくりよ。神塚くんったら、まったくもって、いつもどおりなんだもの。拍子抜けしちゃったわ」
「何度も言うけど、これでも相当、覚悟を持って学校に行ったんだぞ」
「それは、私と一戦、交える覚悟かしら」
楽しげに、うすい笑みを浮かべる彼女を、一瞥する。
「最悪、それもな」
「そう。そうね。あなたにはそれを言える資格も、力もあるわ」
僕の力。怪異の血。
舞原が、僕の髪に触れた。
「普段は、黒髪なのね」
「・・・・・・あぁ」
「今からなって。 て、言ったら、なれる?」
彼女の問いかけに、僕は言葉を紡ぐより、その姿でもって、答えた。
黒髪は銀色に輝く白髪へ――――。黒眼は血のように真っ赤な赤眼へ――――。
「白髪、赤眼の・・・・・・」
――闇夜に浮き出る白い髪
血に染まったような赤き両の眼
白髪赤眼は闇に浮かび
血を求めて 夜空を駆ける――
この町に住む者なら、誰もが知っている都市伝説。
この町に生きる怪人伝説。
この僕に付けられたもう一つの名前《白髪赤眼の怪人》。
「それが、あなたの誰にも言えない、あなただけの秘密」
彼女が、僕の頭から手を離した。
拒絶。そう、僕は思った。
こういうことは前にもあった。どんなに優しい人でもこの姿を見たとたん、恐怖に顔を引きつらせて逃げ出してしまう。僕は普通ではない、化け物なのだ。
今までに僕のこの姿を見た者がしたように、彼女もまた・・・・・・。
「怖いよな・・・・・・」
期待してなかったと言えば嘘だろう。やはり、期待してしまっていたのだ。彼女が他の人にない大きな力を持っていると知って、もしかしたら、受け入れてくれるのではないか。なんて、都合の良い考えだろう。彼女が他の人にない大きな力を持っているからといって、中身は普通の人間なのだ。
自分と違うものを見れば、怖がるに決まっている。
「そうね。正直、怖いわ。けど――――」
けど。
違った。
彼女は怯えてなど、いなかった。
一度も視線を逸らさずに、しっかりと僕を見据えていた。
「けど、それ以上に私はこう思ってしまったわ――――綺麗だって」
さっきと変わらぬ涼しげな表情。
「綺麗、か。そっか」
何を言ってんだ、こいつは。まったく・・・何を言ってんだよ・・・・・・。
僕は視線を目の前の景色へと移した。
そろそろ、太陽は朱色に染まり始めていた。
「誓うわ」
舞原は言った。
「私はあなたの秘密を守る」
夕日が世界を赤く染めていく。
「なら、僕はきみの秘密を守るよ」
舞原の言ったとおりだと思った。目の前に広がる光景はしばらくの間、僕の意識を奪った。
舞原が左手を僕にむけて、差し出す。
その手を僕は握り返した。
彼女の手は僕の手より小さくて、ほんの少し力を込めるだけで潰れてしまいそうだったけれど、どこか安心感を与えてくれる、そんな力強さを秘めていた。
「そうそう、この前、おもしろいテレビ番組を見たわ。人間ビックリショーという番組なんだけれど、神塚くん、出てみる気はない?」
「さっそく、秘密をバラそうとするなっ!!」
前言撤回だ。まったく、安心できねえよっ!!