物質支配する少女 Ⅲ
「ねぇ、神塚くん」
次の日の放課後である。
舞原とは今朝、教室で顔を合わせていた。
一瞬、彼女は僕を見て驚いた表情を見せた。が、それっきり。
授業中はもちろん、休み時間になっても舞原に動きは何も無かった。
彼女はいつもどおり、教室の片隅で一人、本を読み――――。
僕は窓越しに、外を賑わす喧騒を眺めることに終始した。
そのまま、本日最後の授業もつつがなく終わり、皆が帰り支度を始めてやにわにざわめきたつ。
自分から舞原に話しかける必要はないかと、教室を出ようとした僕だったのだが、そこでとうとう彼女は動いた。僕の前に立ち塞がり、名指しで呼び止める。そして、彼女の次の言葉に僕は耳を疑った。
「一緒に帰りましょう」
「・・・・・・・・・・・・へっ?」
さっきまで騒々しかった二年A組の教室が一瞬にして静まり返った。
事件発生である。
相手が男ならば、身体目当てだろうと淡い恋心を抱いていようと、そんなものは関係なく、平等に、公平に、時には言葉で、時には拳で、気安く近付くものなら、たちまちのうちに打ちのめし、打ち負かし、打ち滅ぼす。《清爛高校の美しき狂犬》。
そんな筋金入りの男嫌いで有名な舞原彩音が、自ら進んで男に近付き、なおかつ、「一緒に帰ろう」などと誘っているのだ。
教室にいる誰しもが「信じられない」と、驚愕の表情を浮かべていた。
これを事件と言わずして、なんと呼ぶ。
第三者からしてみれば、これほどおもしろい展開はないだろうが、残念、当事者の僕は苦笑いを浮かべるのみだ。
覚悟してきたとはいえ、まさか、こんな大多数の生徒がいる中で行動に移してくるなんて、思いもしなかった。この娘は自分が注目されている存在だという自覚がないのではないか。
周りからの視線が、すごい。見られることになれていない僕としてはこの状況、居心地が悪いなんてものではない。
「ねぇ、いいよね?」
そんな僕とは裏腹に舞原は人からの視線に慣れているのか、気にすることなく、何も応えない僕を見かねてか、再度、誘ってきた。滅多に見られない笑顔付きだ。「舞原が笑ったぞ!」「まさか、男の前で笑うなんて!!」「あぁ、俺の青春は終わった」などと、野次馬生徒たちが好き勝手なことを言っている。それだけ、舞原が男に笑顔を向けることは稀だった。無いに等しい。舞原彩音は美人である。昨日のことが無ければ、彼女の笑顔を素直に可愛いと思えたのだろうが、残念ながら、僕の身体は恐怖に震えていた。
ぁあ、悪魔の笑みだ。こえぇ・・・・・・。
とにかく、ここでこうしていては違う方面で状況は悪くなっていくだけな気がする。
「わ、わかった。いこうっ」
僕は慌てて、教室を出た。
舞原も後に続いて、教室を出る、その直後。
教室がさきほどとは違う意味合いの喧騒に包まれるのがわかった。
学校を出て、しばらく。
舞原と隣り合って二人並んで、帰路を歩く。
「あぁ~、不幸だ」
今日を乗り切っても、明日は明日で、どんな災厄が頭上に降りかかってくるのか、考えただけで憂鬱だ。
「普通に誘ったはずなのに、なぜ、あそこまでの騒ぎになってしまったのかしら?わたしに落ち度はないはず・・・・・・」
などと、隣の舞原さんは悩ましげに唸っている。どうやら、この女には自分自身を見つめ直す時間が必要なようだ。
しかし、さっきから、なんというか・・・・・・。
先にも述べたが、舞原彩音は美人である。それは僕だけの見解ではないらしく、さっきから擦れ違う男達の視線が舞原に集中しているのがわかる。
なんか、こういうの・・・・・・悪くないな。
・・・・・・・・・って、優越感に浸ってる場合かよ。
「どうしたの?」
「ハハ、なんでもない」
訝しげに見てくる舞原に、僕は乾いた笑みを浮かべて、右手を振る。
舞原はそれだけで納得したのか、「そお」と一言だけ返して、また、前を向いてしまった。
会話終了。
会話になってない。
僕としても、昨日の舞原を思い出せば、楽しい会話なんて、できる心境ではない。
こいつのことだ。いつ、どんな恐ろしい手段に打って出るかわかったもんじゃない。
石、砂利、自動販売機、車、壁、窓ガラス、木、鉄柱、等々・・・・・・・・・。彼女にとって、周りにある、あらゆる物質は武器であり、凶器になり得る。名前を挙げれば、きりがない。
今さら、気付いたが・・・・・・。
360度、凶器だらけじゃねえかっっっ!!!!
涼しげな表情の舞原と、あたりをきょろきょろと落ち着きなく視線を這わせる不振人物となった僕は、お互いに一言も喋らないまま、ただ黙々と、帰路を歩き続けた。
いったい、どこまで歩き続けるのか。
まさか、本当にこのまま一緒に帰って終わるわけがないだろ。
どこか、人目のつかない場所に出たところで次の行動に出てくるのが妥当なところか。
周囲への警戒は怠らずに考えをまとめていく。
そうして、歩いているとT字路に行き当たった。
二人、立ち止まって、顔を見合わせる。
「僕、こっちなんだけど」
「わたしはこっちよ」
二人、指し示した指先は、まるで写し鏡のように真逆だった。
さて、どうする。
僕は黙って、舞原の様子を見る。
すると舞原は僕に背を向けて、
「それじゃ」
僕を置いて、帰りの道を歩き出した。すたすたと。
これは、う~ん・・・・・・。
「予想外だっ!」
僕のツッコミを完璧に無視して、歩く。歩く。歩く舞原。
一人で大声出したみたいで恥ずかしい。
「って、ちょっと、待てよ! 舞原っ」
どういう意図があるのか知らないが、本気で舞原はそのまま帰ってしまうつもりのようだ。
何もないことに越したことはないのだが、何もなさすぎて、逆に不安になってしまう。自分の小者っぷりに悪癖する。
僕は急いで舞原を追いかけた。
「舞原っ!待てって」
そんなに離れていたわけではないから、すぐに追いついた。
追いかけてきた僕に気付いた舞原は不思議そうな表情で僕を見る。
「なにかしら?」
やっと、反応を示してくれた。けど、歩みは止める気がないようなので仕方なく、僕も隣を歩く。
舞原が、また、僕を見る。
「家まで送ってくれるの?」
「違うだろ」
「なぁんだ。違うのか、残念」
否定に不満を返された。
意味がわからない。
残念て。
「お前、どういうつも――――」
ゲスッ!!
思いきり、鞄で叩かれた。
「いってぇだろ!!」
「お前呼ばわりするからよ」
叩かれた理由がお前呼ばわり。
鼻が痛い。
「悪かった。謝るよ。じゃあ、舞原」
「なに?」
「どういうつもりなんだ?」
「神塚くん。さっきから、あなたが何を聞きたいのか、まるで、わからないんだけど?」
なんだか、舞原がイライラしている。
お前呼ばわりがそんなに気に食わなかったのだろうか?
ん~。
「だから、えぇっと、昨日のことだよ。昨日、僕が見たことを忘れてもらいたいんじゃないのか? それで話なり、なんなり、するつもりで誘ったんじゃないのかよ?」
それ以外に大嫌いな男である僕と一緒に帰る理由はないはずなのだ。
こんなの、説明するまでもない話だと思っていたのだが。
「そんなことか。もう、結論は出たからいいのよ」
「は? 結論て、どういうことだ」
「実力行使であなたに忘れさせるのはやめた、ということよ」
「あ~、そういうこと。それはこちらとしてもありがたいことだな」
・・・・・・けど。
それはいったい、どういう風の吹き回しだ。
昨日、僕の記憶を抹消しようと、あんだけ、暴れた舞原が――――――。
今日になって、なんとも消極的だ。
「納得できない?」
僕の気持ちを察したみたいに、舞原が聞いてきた。
納得できない。
「だって、昨日はあんなだったからさ。今日も襲われるかもって。結構、覚悟して学校きてたんだぜ」
「なによそれ。それを言うなら――――――」
「え?」
「いえ、なんでもないわ。それより、そうね。わかったわ。神塚くんがそんなにわたしとお話したいと言うのなら、少しくらいなら、付き合ってあげることにするわ」
行きましょう。と、なぜか、ご満悦な様子で先を行く舞原。
どうやら、話し合いで今日は済みそうである。よかった。
いつの間にやら、僕が舞原と話したがってるみたいになってるが、気にせずにいこう。