物質支配する少女 Ⅱ
「いってえええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
部屋中に響き渡るほどの悲鳴があがった。恥ずかしながら、それは僕の悲鳴である。
今いる場所は、六階建てのマンションの一室。
夜帰って、ご飯を食べて、お風呂入って、寝て、朝起きるための場所。つまり、僕の住家だ。正確に言うと、僕は居候の身だった。実際の所有者は今、隣に座って消毒液にたっぷり浸した綿で僕の左頬に出来た切り傷を消毒してくれている、見た目二十代(実年齢を教えてくれない)の女性、佐伯智代だ。
二年前のある日、この世の全てを羨望し、この世の全てに絶望して、ただ一人、死に場所を求め、町を彷徨い歩いていた頃、僕は彼女と出会った。佐伯智代は僕がどういう存在の者なのか、よく理解していた。理解した上で彼女は僕を家に招きいれ、住む部屋を与えた。衣食住だけでなく、高校にも通わせた。まるで、普通の人間の子のように彼女は接してくれたのだ。最初は困惑し、警戒していた僕だったが、彼女の屈託ない態度に触れることでわだかまりは解け、素直に感謝するようになった。そのかわり、というわけではないのだが、僕は彼女の仕事を手伝うことにした。
佐伯智代の仕事はなんだか変わっていた。
「この世界に起こった不可解な出来事、奇妙な現象、奇怪な事件を調査・解明すること。
それが私の仕事よ」
彼女はそう、胸を張って言っていた。
そうして、調査した内容を本に纏めて出版し、生活費を稼いでいるのだ。
彼女の本はなかなか好評のようで、出す本、出す本、ベストセラーらしい。そんなにおもしろいものなのかと、一度読んでみたのだが、初めの三行で断念した。僕は活字が苦手なのだ。
付けっぱなしのテレビでは、夜のニュースがやっていた。
眼鏡とスーツでキッチリと固めた男性アナウンサーが硬い表情で原稿を読んでいる。その内容は最近、このあたりを騒がしている殺人事件のようで、被害にあった中学二年生の女の子の写真が大きく、画面に映し出されていた。
「ねぇ、智代さん。これって、最近この町で起きてる事件ですよね」
とくに気になったわけではないが、智代さんに話を振ってみる。黙ったままだとちょっと、居心地の悪い距離なのだ。距離ってのは智代さんとの距離。近いんだよ。男子高校生は年上のお姉さんには弱いのだ。
「そうよ」
男子高校生の心の葛藤に気付いているのか、いないのか。智代さんは僕のほっぺたにガーゼを当てながら、答えた。
「今日で被害者は三人になったわね」
「また、ですか」
「えぇ。被害にあった子はみな、中学生の可愛らしい女の子・・・・・・。犯人は異様なまでに中学生女子にご執心のようよ。はい。次は右腕ね」
言うや否や、右腕の傷口に消毒を始める。
「いったい!!智代さん、痛いって!!」
この消毒液、かなり染みるんだよ。
「はいはい。痛いってことは生きてるってことよぉ。ほら、動かない!」
「いぎゃああああああああああああああああああああ!!!!」
部屋中に響く涙交じりの叫び声。恥ずかしながら、また、僕である。
「まったく。仕事でもないのに血塗れで帰ってきてんじゃないわよ」
「あぁ~、ははっ。・・・・・・ごめんなさい。ちょっと、割れた窓ガラスで引っかいちゃって」
嘘は、ついてない。
「ふーん。割れたガラスで、ねぇ。はいっ、終わったわよ」
「あぁ、ありがとう」
僕の治療を終えた智代さんは救急箱を片付けに部屋を後にする。テレビニュースはさきほどの痛々しい事件から一転、動物園のパンダが出産の見出しに変わっていた。
「さぁ~って!!」
大量の缶ビールが現れた。
「そして、喋った!?」
「えっ? なになに??」
智代さんだった。両手いっぱいにビールを抱えて、前もろくに見えてなさそうだ。
僕が座っているソファとは向かいにあるもう一つのソファに座ると、持ってきた缶ビールをまずは一缶、一気に飲み干した。次いで、もう一缶、満面の笑みで美味しそうに飲み始める。
智代さんは、かなりの、のんべえさんだ。
まぁ、いつものことではあるんだけど・・・・・・。
「それ、全部飲む気なんですか」
「えっへっへ~」
智代さんは僕の非難めいた言葉を笑って、ごまかす。まったく、聞く耳を持たない。と、その笑顔はすぐさま、真剣な表情へと変わった。
「それで? いったい、何があったの」
聞かれた。さっきのではごまかせてなかったようで。
真剣な眼差しが僕の両眼を見ている。
「・・・・・・・・・えぇっと、まいったな」
どこまで話したものか。少し、悩む。けど、智代さんには隠せないか。
「話しますよ。でもその前に、なにか、おつまみ作りましょうか」
炊事は僕の担当だった。ちなみに智代さんは料理はできない。
「はいっ!お願いします!!」
智代さんの瞳がひときわ大きく輝いた。
軽く何品か、おつまみを用意して、リビングへと戻る。
智代さんは嬉々とした表情でそれらを一口、二口と食べる。
「んーーー!おいしいっ!!やっぱ、秋兎の作るおつまみはサイッコーだわ!私の好みをよくわかってる♪」
んーーー!と、また、喜びの声を上げて、子供のように笑った。
そんな、彼女の嬉しそうな顔を見て、僕も微笑む。
作りがいがあるってもんだ。
「喜んでもらえてよかったです」
そうして、他愛ない会話を少ししてから、本題の話へと移った。
町外れの廃ビルであった不思議で異質な出来事を。ただ、舞原彩音の名前は伏せておいた。
智代さんはふんふんと頷くばかりで目線はつまみとお酒に夢中のようだった。けど、構わず、僕は話し続ける。これもいつものことだ。聞いてないようでいて、しっかりと聞いているのが智代さん。
「逃げ道がもう、あの窓からしかなくて、力を使うしかなかったんですよねぇ。きっと、見られただろうなぁ・・・・・・」
最後のほうは、もう、独り言になっていた。
話は終わり。これ以上、話すことはない。僕が黙ったのを見定めて、智代さんは箸を止めた。「ふむ」と、頷く。
「テレキネシス」
彼女はそう言った。
「テレキネシス?」
「そお、テレキネシス。遠くのものを動かすという意味よ。もっと大きな区分で言うとサイコキネシスね。日本語で言えば、念動または念力、まとめて念動力と言われている力のことよ。物理的エネルギーや道具を使わずに対象物に影響を与える能力のことで、その中でも手を触れずに物を思うがままに動かしたというのであれば、それはテレキネシスで間違いないわ」
「あー・・・・・・、テレビとかで遠くに置いた物を手元に引き寄せたり、離れた人を念じただけで床に倒したりしてるのを見たことあるけど。そういうのですか?」
「まぁ、そうね。超能力の中では、もっともポピュラーな力の一つだわ」
でも。と、彼女は続ける。
「秋兎の話が本当だとすれば、その娘。とんでもない力の持ち主よ。さながら、物質支配者とでも言うのかしら」
ちょっと、大仰かしらね。と、智代さんは笑って、また、晩酌の続きを始めた。
「ふむ・・・・・・」
物質支配者、ねぇ。
「ん?どうしたの」
「いや、明日のことを考えると憂鬱というか、どうしたものかな、と」
僕の言葉に智代さんは訝しげに眉根を寄せた。
「そんなの、やっつけちゃえばいいじゃない」
何を言ってんだという表情だった。
僕としては、彼女こそ、何を言ってんだって感じだ。
「そんなことできるわけないじゃないですか」
「できるわよ。そもそも、今日だって、なんで逃げてきたのよ。いくら相手がかなりの力を保持した念力者だとしたって、あなたが本気を出せば、ちょちょいでしょ」
「ちょちょいって、そんな簡単に・・・・・・」
「簡単なのよ! なんてったって、あなたはこの町の生きる都市伝説《白髪赤眼の怪人》なんだから!!」
智代さんはどこか誇らしげにそう、言い放った。
《白髪赤眼の怪人》。
それはこの町に住む者なら、知らない者はいないほど有名な都市伝説の名前。そして、僕のもう一つの名前。舞原彩音から逃げる際に見せた、あの姿のことだ。
普段は黒髪黒眼。身長も平均並、体重も平均並、身体能力も平均並、勉強はちょっと苦手な、ごく普通の高校生。だが、僕の中に眠っている特異な力を解放すると、黒髪は白髪へ、黒眼は赤眼へと変貌する。 そうなることで、爆発的な身体能力を得ることが出来た。
3階から飛び降りて、地面に着地した後、2階建てアパートの屋上に飛び移る、なんて芸当が出来たのもそのためだ。
僕の中に眠る特異な力。それはどうやら、怪異の力、妖怪と呼ばれる日本で古くから言い伝えられている不可思議な存在の力らしい。
「神塚家は、その筋では結構有名でね。ごく稀に、怪異の血を色濃く、受け継いで生まれる子がいるの」
2年前に語ってくれた智代さんの言葉を思い出す。
「本来、怪異の力を宿して生まれた子は、人知れず、殺してしまうのが神塚家のしきたり。だけどね、あなたのお父さんとお母さんはそれが出来なかった。あなたの力を知ったご両親はあなたを失うことを恐れた。けど、このまま一緒に過ごすことは出来ない。あなたの力のことを他の親族に知られたら、あなたは確実に殺されてしまうもの・・・・・・。だから、まだ幼かったあなたを手放すしかなかったの。あなたは愛されてなかったから捨てられたんじゃない。愛されていたから捨てられたのよ」
そう、智代さんは僕に言ってくれた。
僕の知りたかった過去を教えてくれた。
それが真実なのかはわからない。けど、智代さんのことは信じてもいいと思えた。
2年前のあの日、僕は智代さんに救われたんだと思う。
・・・・・・・・けど、あいつは。
「できません。男嫌いで、相手が男なら容赦のない、《清爛高校の美しき狂犬》だなんて呼ばれちゃっててさ。そんなだから、話したのも今日が初めてだったりして、親しい間柄ってわけじゃないんだけどさ。でも、同じ学校に通っているんです。同じ教室で授業を受けているクラスメイトなんです。そんなこと、やっぱ、できない」
僕は、思い出していた。
儚げで、寂しげで、今にも消えてしまいそうな、彼女の姿を・・・・・・。
「なに、語ってんのよ。まったく、しょうがない子ね」
智代さんは、ふっと、顔を緩ませると立ち上がり、僕の肩を抱いた。そのまま、片手で僕の頭をクシャクシャに撫で繰り回す。びっくりして離れようとした僕を逃がさないように抱く腕に力が篭るのを感じた。
「秋兎!!」
「はい!!」
「約束なさい」
「はい?」
「危ないと思ったら、迷わず力を使うこと。
そのままの状態じゃ、あなたは普通の人間と変わらないんだから」
智代さんはじっと僕の顔を見る。僕も智代さんの眼を反らさず、見返した。
しばらくして、なにか納得したのか、智代さんのほうから離れた。
「それじゃ、私は寝るわ」
「うん。智代さん、おやすみなさい」
「おやすみ、秋兎」
そう、言葉を交わすと、智代さんは自室へと入っていった。その姿を見送ったあと、僕はテーブルの上に視線を落とす。
明日のことを考えると気が気ではないが、その前にやることがある。
僕は空いた缶ビールを一つ、拾い上げた。
智代さんは、食後の後片付けもしないのだ。