秘密
厨房に戻ると、晴人がどたどたと作業台に走り寄るところだった。
「お前、絶対こっそり見てただろ」
野次馬根性丸出しの後輩をじっとにらむ。
「そりゃ見ますよ!七星さんにこんな珍味を出せるなんて、一新さんは天才です!」
らんらんと目を輝かせて晴人がいう。こいつのたちが悪いところは、本気で褒め言葉として言っているところだ。
「あの七星さんも困惑してましたもんね!僕、一新さんと七星さんの組み合わせ大好きなんですよ。あの人の表情をあんなに変えられるのは、この店で一新さんだけです」
「俺も出したかったわけじゃねーよ。今月は本当に時間なくて、適当に作ったこれしかなくて.....」
「でも先月はチョコミントテリーヌだったし、先々月はチョコ味噌サンド。毎月そんなに変わらないです!」
「お前、ほめるかけなすか、どっちかにしてくれ」
ふたたびホールから先輩の呼び声が聞こえてきた。
新作のミニマカロンを持っていく晴人を見届けてから、手元に残ったサバ入りチョコレートを試しに口に入れてみる。
「ぐおオえッえあっ」
ぬらりとした吐き気が込み上げてきて、シンクに頭をつっこんだ。料理人にとって、厨房で吐くのはおおごとだ。必死に両手で口をおさえる。
サバチョコレートがまずかったわけではない。
ただ、サバの味「しか」ない。
水を飲もうとしてやめた。水だろうがなんだろうが、いまの俺はすべてがサバの味になる。
嘘みたいな状況で、最初は自分も信じなかった。けれどこうなってもう一週間、どんな食材を試しても、舌から伝わってくるのは生臭いサバの味だけだ。
なんで、こんなことになったんだ?
職場にばれるわけにはいかなかった。もしばれたら、店を去ることになる。
舌が狂っている見習いを雇ってくれる店など他にあるわけもなく、パティシエの道は閉ざされる。
こんなことで、俺は夢を諦めなきゃいけないのだろうか?
なにもかもがサバの味になるせいで?
天を仰いで絶望しているところに晴人が帰ってきた。表情を見るに、こいつもけっこうなことを言われたらしい。
「一新さん、明日休めって言われてましたよ」
ほぼ手のつけられていないマカロンを作業台に置きながら、晴人が言った。
「なんで?」
「このところの一新さんは、顔色が悪くてうわの空って七星さんが言ってました。健康第一って伝えろだそうです」
なんでもない一言のはずなのに、いまの俺にはどんな言葉よりきつかった。
そろそろ、隠すにも限界がある。
明日中に絶対に、この狂った舌を治さないといけない。




