サバ・ボンボン
いつものことだが、どれだけ心が乱れていても、ホールに出るとしんと腹の底が静かになる。
古い木のにおい。
口をあけて見上げてしまうほど高い天井と、それに合わせて縦にのびた長い窓。
窓の上の方には、月夜の横浜の海を描いた日本画風のステンドグラスが品よく仕込まれ、磨き上げられた木の床に、あざやかな光を落としている。
創立当時の様子を復元したというこのホールは、よくあるヨーロッパ風の店とはちがう和洋折衷の空間で、歴史を思わせる格があった。
「お持ちしました」
窓際の定位置に座っている先輩に、皿に載ったボンボンを差し出す。
一瞥して先輩がいう。
「......これは?」
「サバチョコレート・ボンボンです」
自分の声の小ささに驚いた。こんな蚊の泣くような声が俺の喉から出てくるとは。
「サバ?」
先輩の眉が八の字になった。信じたくなさそうに見える。
「魚のサバ?」
「魚のサバです」
「なんでサバ?」
「自分が一番好きな食材と苦手な食材を合わせてみようかと。あと1月のサバは旬ですし」
「......」
先輩はひどくなにか言いたそうだったが、言わなかった。思い切ったようにサバ・ボンボンを口にする。
そしてむせた。
「七星さん、お水......」
「大丈夫です。それから、却下です」
先輩がまったくむせてなどいなかったように、すばやく表情を戻していった。
却下、却下、却下!
この二年で、一番聞いた言葉だ。
「サバは鮮度が落ちるとにおいが出やすい。うまく下処理するか、においを打ち消す食材と合わせるべきです」
「はい」
「高級感がうすい食材だから、見せ方を工夫しないと店のトーンに合わない。見た目にこだわることも、いい加減覚えて」
「はい」
「それから、これは毎月言っていることですが」
先輩の声の調子が変わる。まっすぐ視線をとらえられる。
「自分が試したいものではなくて、相手が食べたいと思うものを作って。あなたは努力家だとは思うけど、あまりにもひとりよがりすぎます」
相手を思え。ひとりよがり。
ずっと言われてきたことを先輩がまた繰り返す。
今月もまた同じ結果。終わった安堵と、なにも状況が変わらない閉塞感を同時に抱えて、厨房に戻る。




