海神のこと
「よしサバオ、海神のことを教えてくれ」
「おおかたは日本書紀に書かれた通りじゃ。さすがに読んだことはあるじゃろう」
「......ないけど」
カラーンとサバオがフォークを落とす。赤い目をこれでもかと見開いている。
「最近の若者は日本書紀すら読まぬのか!?」
「たぶんだけど若者じゃなくても読んでないぞ」
「なんたることだ。だからわしらがどんどん忘れ去られていたのか!?」
なんらかの真実にたどり着いたらしいサバオが天を仰いだが、そんなことはどうでもいい。問題は海神の説得だ。
「海神が喜ぶことを教えてくれよ」
「一番は生贄」
「お前でもいいのか?」
「物騒なことをいうな。生身の人の子でないと意味がない。もっとも、最近はそういうのも禁止になった」
神が昔より穏やかになっているのはありがたいが、これでは八方塞がりだ。
「食べもので好きなものとかないのか?」
「海神だから海の幸は大好物じゃ。それこそサバは大好きじゃろう」
「じゃあサバを百匹ぐらい持ってけば?」
「あーっはっは!」
店中に響く大声でサバオが笑う。
「はっはっは!ぬしは冗談の才能があるな」
「お前は人をいらいらさせる才能があるよな」
「ただのサバ百匹など、海神にとってはおつまみじゃ。珍味でもなければ意味はない」
サバオがぽんと膝を打った。
「そうじゃ!サバのチョコレートは珍味だからいいかもしれん」
「それのせいでいまこんなことになってるのに?」
「おいしければ喜ぶじゃろう。もしまずければ、ぬしとわしは黄泉の国へと送られよう」
サバオが真顔でいった。さっきまでの余裕はどこにもない。
「つまり、半年以内においしいサバチョコレートを完成させれば、俺の味覚は治るのか?」
「わからぬが、やってみる価値はあるじゃろう」
まぶしい西日が、カフェの大きな窓から差しこんだ。一瞬、言葉を失って冷静になる。
つまるところ、俺らしいおいしいチョコレートを作ればいいということなのだろう。相手が変わっただけで、案外やることはいつもと同じかもしれない。
ようやく、気持ちが落ち着いてきた。
が、ひとつだけ大きな疑問があった。
「俺さ、おいしいチョコレートを作れるようになるために味覚を取り戻したいんだよ」
「さっき聞いた」
「で、味覚を取り戻すためにはおいしいチョコレートを作る必要があるんだよ」
「それも聞いた」
「一生ループしてんじゃねーか!なにからやればいいんだよ!」
「ぬしは情緒不安定か?急に喜んだり怒ったり」
「人として当たり前のところで怒ってるだけだろ!お前そんなんだから人にあがめてもらえないんだよ!」
「なにを!こっそり気にしていたことを!」
ふたりでぎゃあぎゃあ騒いでいたら、店を追い出されてしまった。恥ずかしいにもほどがある。
サバオはしっかりと俺に代金を払わせ、これ以上騒ぎを起こしたくない俺に断る選択肢はなかった。
結論が出ないまま、夕焼けの下、なんとなく神社に向かって歩き出した俺にサバオが言う。
「......ひとつ、考えたことがあるんじゃが」
「くだらない話だったら、海神より先に俺がお前を黄泉に送る」
「ぬし、今日の夜は空いておるか?」
なにを言い出すんだこいつは、と思ったがサバオにふざけた様子はない。ずっとふざけた様子はないのにふざけているのが問題なのだが、一旦それは置いておく。
「空いてるけど」
「今夜、子の刻をまわるときにもう一度会おう。それまでに準備をしておく」
サバオがにやりと笑う。その笑顔に、嫌な予感しかしなかった。




