第16話 痕跡
空気が、変わっていた。
先ほどまでの“閉じた静けさ”とは違う。
今は——揺れている。
見えない何かが、空間の奥で脈打っている。
ロックが小さく舌打ちした。
「……さっきより、嫌な感じだな」
セリナは答えない。
ただ前を見る。
その目は、わずかに鋭さを増していた。
ガルドは変わらない。
無言のまま、先頭を歩く。
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通路の先、開けた空間に出る。
そこはこれまでよりも広かった。
だが整ってはいない。
床は抉れ、壁は焼け焦げ、天井にはひびが走っている。
明らかに——戦闘の跡だった。
ロックが周囲を見渡す。
「……派手にやったな」
セリナがゆっくりと歩み寄る。
視線は床に落ちている。
足跡。
引きずられた跡。
そして——
細い、刻まれた傷。
ロックが覗き込む。
「なんだこれ」
セリナはしゃがみ込み、指でなぞる。
その形は、人間のものではない。
「……矢傷」
小さく、呟く。
ロックが目を細める。
「弓か?」
セリナは答えない。
だが、その指が止まる。
震える。
「……違う」
かすかに首を振る。
「これは……」
言葉が続かない。
だが、分かっている。
これは——
エルフの矢だ。
しかも、癖がある。
見慣れた軌道。
知っている撃ち方。
ロックが顔を上げる。
「おい」
セリナは立ち上がる。
目はもう迷っていない。
「……先にいる」
短く、それだけ言う。
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その時だった。
気配が動く。
ガルドが足を止める。
ロックも反応する。
「来るぞ」
次の瞬間。
影が、天井から落ちた。
ドンッ、と鈍い音。
人影。
だが——歪んでいる。
体が不自然に膨れ、片腕だけが異様に長い。
顔は半分が崩れ、目が濁っている。
「……なんだよ、これ」
ロックが剣を抜く。
男は、ゆっくりと顔を上げた。
そして——笑った。
壊れたように。
次の瞬間、突進してくる。
速い。
ロックが迎え撃つ。
剣を振るう。
だが——
「ちっ、重ぇ!」
腕で受け止められる。
そのまま押し返される。
床を滑る。
セリナが矢を放つ。
肩に突き刺さる。
だが止まらない。
「効いてない……!?」
「いや、効いてる!」
ロックが叫ぶ。
「でも止まんねぇ!」
男が腕を振り下ろす。
ロックは横へ飛ぶ。
床が砕ける。
ガルドが動く。
一歩で間合いに入る。
黒剣が振るわれる。
一閃。
音が遅れて届く。
男の体が、ずれる。
そのまま崩れ落ちた。
沈黙。
ロックが息を吐く。
「……なんだよ今の」
セリナが男を見下ろす。
顔をしかめる。
「……人間よ」
ロック
「は?」
「元、ね」
その言葉に、ロックは黙る。
男の体は、不自然に歪んでいる。
魔力が暴走しているのが分かる。
セリナが低く言う。
「適合できなかったのね」
ロックが吐き捨てる。
「……ああいうのが“失敗”か」
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その時。
ロックが一瞬だけ、足を止めた。
「……っ」
背筋が、冷える。
——ニ
何かが、頭の奥で弾けた。
一瞬。
それだけ。
「……なんだ、今の」
セリナ
「どうしたの?」
ロックは首を振る。
「……いや」
気のせいだと思い込む。
だが——
足が、ほんのわずかに早く動いていた。
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通路の奥。
さらに進む。
空気の“揺れ”が強くなる。
セリナの足が速くなる。
抑えているが、明らかに焦っている。
やがて——
扉が見えてくる。
これまでとは違う。
大きい。
重い。
そして——
閉じられていない。
わずかに開いている。
ロックが低く言う。
「……中か」
セリナは答えない。
ただ、その扉を見ている。
呼吸が浅い。
手が、わずかに震える。
だが——
止まらない。
ガルドが前に出る。
そのまま、扉を押す。
重い音。
ゆっくりと開く。
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その先から——
“揺れ”が、溢れ出した。
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セリナが、かすかに呟く。
「……近い」
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三人は、中へと踏み込む。
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そこにあるものを、
まだ知らないまま。




