第13話 監視
地下へと続く通路に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
外の湿った潮の匂いは消え、代わりに鼻をつくのは、どこか薬品のような冷たい臭気だった。
足音が、やけに軽い。
いや——違う。
「……響いてねぇな」
ロックが小さく呟いた。
本来なら石の通路に反響するはずの音が、ほとんど返ってこない。まるで吸い込まれているようだった。
セリナは弓に手をかけたまま、視線を巡らせる。
「気をつけて。ここ……普通じゃない」
その言葉に、ロックは苦く笑う。
「今さらだろ」
だが、その声にはわずかな緊張が混じっていた。
ガルドは何も言わない。
ただ、ゆっくりと周囲を見ている。
壁、床、天井。
視線は止まらず、淡々と情報を拾っていく。
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通路は単調に見えて、どこか歪だった。
同じような構造が続いているはずなのに、微妙に感覚が狂う。
距離感が曖昧になる。
ロックが眉をひそめた。
「……さっき、ここ通らなかったか?」
セリナは首を横に振る。
「いいえ。でも……似てる」
完全な同一ではない。
だが、意図的に“似せている”。
その違和感が、じわじわと神経を削っていく。
その時だった。
——カタン
背後で、何かが閉まる音。
三人が同時に振り返る。
さっきまで開いていたはずの通路が、閉ざされていた。
ロックが舌打ちする。
「おいおい……歓迎ってやつか?」
セリナの目が細くなる。
「……違う」
一歩、前へ出る。
「これは、防ぐためじゃない」
その言葉の意味を、ロックはすぐには理解できなかった。
だが——
ガルドが、壁に手を当てる。
わずかな間。
そして、言う。
「……来る」
次の瞬間だった。
天井から、鉄格子が落ちる。
激しい音と共に、三人の間を断ち切るように降りた。
「っ、分断かよ!……無事か!」
ロックが飛び退く。
視界が遮られる。
互いの姿が見えない。
だが返事を待つ間もなく——
別方向から足音が迫る。
複数。
無駄のない動き。
ガルドはすでに振り向いていた。
暗がりの中から現れる影。
数は三。
だが、迷いはない。
最初の一人が踏み込む。
その瞬間、ガルドの拳が動く。
最短。
無駄のない一撃。
男は声も上げずに崩れ落ちる。
続く二人。
同時に動く。
左右から挟み込むように。
だが——
ガルドは一歩も引かない。
半身で受け流し、片方の腕を掴む。
そのまま引き寄せ、もう一人へ叩きつける。
鈍い音。
二人同時に動きが止まる。
終わりだった。
ガルドは息すら乱さない。
ただ一瞬、周囲を確認する。
それで十分だった。
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別の通路。
セリナはすでに矢を放っていた。
二、三、四。
矢は正確に敵を貫く。
だが数が多い。
無言のまま迫る影。
「……くっ」
後退する。
距離を取る。
だが敵は止まらない。
まるで命令通りに動く人形のように。
セリナの呼吸がわずかに荒くなる。
その時——
横から影が落ちる。
ガルドだった。
一撃で敵の動きを止める。
セリナが小さく息を吐く。
「助かった」
ガルドは何も言わない。
ただ、次へ視線を向ける。
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反対側。
ロックは舌打ちしながら身を翻していた。
「くそっ、罠が多すぎる!」
床、壁、天井。
あちこちに仕掛け。
だが敵は迷わない。
「お前ら、地形覚えてんのかよ!」
吐き捨てながらも、剣を振るう。
一人、二人。
確実に倒す。
だが余裕はない。
その時、背後から気配。
振り返るより早く——
ガルドが割り込む。
一撃。
終わり。
ロックが息を吐く。
「……助かるが、タイミング良すぎだろ」
ガルドは答えない。
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やがて、三人は再び合流する。
鉄格子はいつの間にか上がっていた。
まるで最初からなかったかのように。
ロックが周囲を睨む。
「……おかしいだろ、これ」
セリナが頷く。
「ええ」
一歩、前に出る。
そして、はっきりと言った。
「これは防衛じゃない」
ロックが眉をひそめる。
「じゃあなんだよ」
セリナはわずかに目を細めた。
「観察よ」
沈黙。
ロックの顔が歪む。
「……は?」
理解が追いつかない。
だが——
ガルドは、小さく頷いた。
「……ああ」
短い同意。
それだけで、空気が変わる。
ここは、ただの敵地ではない。
試されている。
見られている。
値踏みされている。
そんな感覚が、じわりと背中を這い上がる。
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通路の奥に、明らかに異質な空間があった。
扉。
他とは違う造り。
重く、閉ざされている。
セリナが呟く。
「この先……」
ロックが低く言う。
「引き返すか?」
一瞬の間。
だが答えは決まっていた。
ガルドが、歩き出す。
迷いはない。
「……行く」
その背中に、セリナが続く。
ロックは天井を見上げ、ため息をついた。
「……だよな」
だが、その目はすでに覚悟を決めていた。
三人は扉の前に立つ。
空気が重い。
見えない何かが、そこにある。
扉に手をかける。
その瞬間——
わずかに、空気が揺れた気がした。
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ここは、侵入する場所ではない。
すでに——踏み込まされている場所だった。




