プロローグ
成層圏――空が「空」であることをやめ、青が薄く擦り切れていく高度。
雲海ははるか下で白い大陸のように横たわり、地上の音も匂いも、ここには届かない。あるのは、希薄な大気が擦れる微かな唸りと、戦艦が放つ熱と光だけだ。
戦艦アマテラスは、そこに陣を張っている。
退路ではない。後ろにあるのは、守るべき地球そのもの――「突破されれば終わり」という最終線。背水の陣などという生易しい言葉では足りない。ここは、世界の喉元に突き立てられた刃を、艦体ひとつで押し返す場所だ。
白と青を基調とした流線型の艦体。かつては海面の陽光すら美しく映したその肌は、いまや無残に裂けている。
装甲には無数の爪痕が走り、幾重にも広がるヒビの隙間から、黒煙が肺のように吐き出される。裂け目の縁は赤く焼け、金属が悲鳴を上げるたび、火花が星屑みたいに散っては薄い空気に消える。白き黒鉄――清廉さと暴力が同居するその艦が、咆哮する。
まるで言葉を持つかのように。
「通りたければ、沈めてみろ」
そう宣言するように、アマテラスは身を震わせ、なおも前へ向けて艦首を据える。
その前方――空が歪む。
虚数空間から湧き出した異形の龍。総数、数億。
一匹一匹が現実の生物であるはずがない。翼を持ちながら翼で飛ばず、巨体でありながら重さの法則を踏み倒し、群れそのものが「嵐」になる。鱗は光を拒み、口腔の奥には夜のような暗さが渦を巻く。彼らが押し寄せるたび、成層圏の温度勾配が乱れ、空が軋む。――世界の上澄みを、暴力でかき混ぜてくる。
アマテラスは、持ち得るすべての兵装を同時に起動する。
艦内の回路が、血管のように熱を走らせる。照準演算が瞬きひとつの間に幾千万へ膨れ、艦橋の空間を満たすのは人間の理解を置き去りにした数字の奔流だ。艦は自律的に最適解を吐き出し、砲塔は空を裂く角度に揃い、兵装は「撃て」と言われる前に撃つ。
光線が走る。
点ではなく線でもなく、面に近い切断。龍の群れが触れた瞬間、黒い輪郭が白熱してほどけ、断面が蒸発していく。続けざまに、超高速の砲弾が大気を穿ち、衝撃波が薄い空に花を咲かせる。爆発は雲を作らない。代わりに、電離した空気が一瞬だけ青白く輝き、成層圏に奇妙なオーロラが走る。ミサイルの尾は幾千、幾万の白線となって絡み合い、空を蜘蛛の巣に変える――しかし敵は姫蜘蛛の眷属。網を破ることに、ためらいがない。
龍たちは墜ちない。
切り裂かれても、焼かれても、空間の裂け目から次が滑り出る。群れは減るのではなく、形を変えて押し寄せてくる。散弾のように拡散し、槍のように収束し、渦を巻いて突進する。まるで「数」そのものが牙を持ったかのように。
アマテラスの装甲が震える。
直撃――いや、直撃と呼べるものがいくつも重なる。艦体のどこかが内側から叩き割られ、警報が艦内の空気を切り刻む。隔壁が閉じ、消火剤が噴き、火の粉が重力に逆らって舞う。黒煙が太くなり、白い艦体が汚れていく。それでも艦は、姿勢制御を譲らない。僅かな傾きは死だ。数億という圧が、角度ひとつの崩れを見逃さない。
――だが、崩れない。
アマテラスは沈黙しない。
火花を散らしながら、黒煙を吐きながら、それでも前方へ牙を剥き続ける。
艦の中枢では、誰かの神経のように回路が焼け、誰かの喉のように機関が嗚咽する。艦橋の指揮官の意識には、艦が見ている世界が流れ込む。数億の軌道、速度、確率、死角、優先度。人の脳には過ぎた神の視界。胃がねじれ、喉が熱くなる。吐き気が込み上げる。それでも――目を逸らせば、この星が終わる。
だから、アマテラスは吠える。
鋼の喉で、世界へ向けて。敵へ向けて。運命へ向けて。
「ここが最後だ」と、艦体のすべての傷が語っている。
「ここを越えるなら、まず私を砕け」と。
数億の異形が空を埋め尽くし、成層圏が戦場の名を得た瞬間。
白き黒鉄は、なおも燃えながら立ち続ける。
地球の“盾”ではなく、“門”として――ここを通る者を、ひとつ残らず叩き落とすために。




