治癒の力で人助け! ― 神の真実と少女の戦い②
そして放課後。
夕暮れの神社は、薄紫の空を背景に静まり返っていた。
灯籠の明かりが揺れ、境内の空気はひんやりとしている。
進は賽銭箱の前で土下座していた。
「昨日言っていた、代償治癒の力と完全治癒の力、セットでください」
福の神は呆れたように言った。
「初めからそう言えばいいものを……」
能力を授けられた進は、すぐに静と美月の頬に触れた。
淡い光が二人の傷を包み、二人の頬から傷が綺麗に消えたかと思うと、次の瞬間、進の頬に鋭い痛みが走る。
鏡を見るまでもなく、深い引っかき傷が刻まれているのがわかった。
静が感嘆する。
「これはまた……すごい能力ね」
美月も眉を寄せる。
「うん、絶対に他の人には知られないようにしないと」
進は福の神に尋ねた。
「福の神様、これで二人を救ったことになったりは……?」
「なるわけないじゃろ。お主らの身内の痴話喧嘩じゃからな」
神社を出てしばらく歩いたところで、進は二人に頭を下げた。
街灯が灯り始め、歩道に三人の影が伸びている。
「ごめん、俺の態度が原因で二人に喧嘩をさせてしまって。俺はこういうことに慣れていないから、二人の気持ちがわかってなかった……というと、言い訳になってしまうけど。本当にごめん」
美月は首を振った。
「いい。静も私も、演技で喧嘩しただけ」
静も微笑む。
「そうなのよ。進君が治癒の力を欲しがるよう、二人で怪我をしようって話したの」
進は目を丸くした。
「どういうことだ……?」
静と美月は、昨夜福の神から受けた「助言」を語った。
「進君との仲は自分の方が遅れていて、ここから逆転するには相手の顔を傷つけて人前に出られないようにするしかない……そう言われたの」
「神様の言葉を聞いて、すぐに静と共有した。それで、今後の対応を話し合った」
「福の神様は、誠一郎さんの話から始まって、私たちを争わせて怪我を負わせてまで、進君に治癒の力を授けようとしていたわ。こんなことはこれまでなかったと思うの」
「神様は、必死に見えた。だから、改めて神様のことを調べた」
静はスマホを取り出し、画面を進に見せた。
「これまでわかっていたのは、意外と最近亡くなった人なのかもしれないということ、某商業施設内の飲食店の火事に関係がありそうだということだった」
美月が続ける。
「あの火事で亡くなったのはご老人だけだったけど……生きている人たちも調べて、やっとわかった」
静と美月は進を連れて歩き出した。
夜の街は冷たい風が吹き、街灯が点々と道を照らしている。
三人が向かった先は――
遠瀬病院だった。
遠瀬病院の廊下は、白い光が静かに反射し、消毒液の匂いが淡く漂っていた。
規則的な機械音が遠くから聞こえ、どこか時間の流れが遅く感じられる。
静が立ち止まり、ある病室の前で扉を開けた。
中には、細い体をベッドに横たえた少女がいた。
長い黒髪は枕に広がり、肌は透けるように白い。
胸元には生命維持装置の管が伸び、モニターが淡く点滅している。
その容姿を見て、進は唖然とした。
「この子は……? 福の神にそっくりだけど……」
静が小さく頷く。
「多喜祈さん。私たちより一つ年下の女の子よ。例の飲食店の火事で煙を吸って、脳に障害を負ってしまったそうで……寝たきりなの」
美月が進の袖を引いた。
「進氏、祈さんを治してあげて。代償治癒だと進氏が寝たきりになっちゃうから、完全治癒の力で」
進は祈の細い手を見つめた。
「どうしてこの子を? 遠瀬先輩のお母さんはいいのか?」
静は苦い表情で言った。
「この子には時間が無いのよ。親族が主治医や看護師に、もう面倒を見切れないから、生命維持装置を事故に見せかけて切ってくれと言ってきているの。実際のところは、この子の父親が亡くなって莫大な遺産を相続することになったそうで……その遺産を自分たちのものにしたいんですって。そのうちなりふり構わずこの子の命を奪いかねないわ」
進は祈の胸元を見つめ、拳を握った。
「誰も守ってくれる人がいないのか……わかったよ」
進が完全治癒を使おうと手をかざした、その瞬間――
病室の空気が歪んだ。
蛍光灯が一度だけ明滅し、影が床を這うように伸びる。
そして、黒いスーツを着た男が、まるで空気から滲み出るように姿を現した。
男の瞳は深い闇のようで、光を反射しない。
笑みは形だけで、温度がなかった。
「やめなさい、人間」
進は身構えた。
男は静かに名乗った。
「怪しい者ではありません。私はお前たちが『福の神』と呼ぶ存在の上位神です。この娘の魂は、世を恨み過ぎて『福の神』を名乗る邪神と化していましてね……治癒の力を吸い取って更に凶悪な破壊神になろうとしているのですよ」
「邪神……?」
静と美月が同時に息を呑む。
男は続けた。
「今は上位神である私が人間への奉仕を命じているため、あなたに能力を与えていますが、ここでこの娘を介して治癒の力を吸収して破壊神になれば、今後あなたが能力を与えられることはなくなるでしょう。これまで得られた能力も失われて、あなたの目標である『楽して金儲けして、理想のお嫁さんといちゃいちゃ暮らす』が実現できなくなります」
進は眉をひそめた。
「あんたの言うことが本当かどうか、福の神に聞いてみたい。決めるのはその後でいいか?」
黒スーツの男は進の前に立ちふさがった。
「あなたたちが邪神の企みに気付いたと知られたら、折角得た治癒の力が奪われてしまう。邪神は約束なんて守りませんからね。せめてこの病院にいるお知り合いを治癒してからにしたらどうですか? 遠瀬誠一郎君の母親だ。彼も喜ぶでしょう」
「いや、この子の身の上を聞いてしまうと、気の毒でな。遠瀬先輩のお母さんは、遠瀬信二さんにも先輩にも守ってもらえるし、俺は遠瀬先輩と親しいわけじゃないからな」
「ふむ、なるほど」
黒スーツの男は静を見て、口元だけで笑った。
「……あなた、静さんと言いましたね。従兄の誠一郎君とは仲が良いのでしょう? 彼は母親のことで、どれほど苦しんでいるか……あなたも知っているはずだ」
静の眉がわずかに動く。
「……それは……」
男はさらに言葉を重ねる。
声は低く、しかしどこか優しげな響きを帯びていた。
「あなたは優しい人だ。誠一郎君の母親を救える力が今ここにあると知っていて、それでも見捨てるのですか? 彼はあなたを信頼している。あなたなら、きっと助けてくれると……そう思っているでしょう」
黒スーツの男は続ける。
「あなたの妹の花さんのせいで、意識不明の寝たきりになってしまった誠一郎君のお母さん……可哀想だと思いませんか? ここで治癒をできないと、一生目を覚まさないかもしれない。誠一郎君は苦しみ続ける。あの時、花さんが毒をばら撒くのを静さんが止めてくれていたら、こんなことにならなかったのにと。あなた自身も、胸に棘を抱えたまま生きることになる。それでもいいのですか?」
静は唇を噛んだ。
美月が静の肩にそっと手を置く。
「静……惑わされないで。悪いのは花と香さん。静が背負うべき責任じゃない」
静は頷いて、男を真っ直ぐに見返した。
「あなたは福の神様を邪神と言って、自分が正しいと主張しているけど……私はどちらか一方だけの言葉を聞いて判断しない。何もしていないのに信じてもらえない気持ちが、よくわかるから」
黒スーツの男は静を睨んだが、何も言い返せずにいた。
進はベッドに横たわる祈の寝顔を見つめ、静かに言った。
「多喜祈さん、もし君が本当に俺たちに力を授けてくれていた福の神なら、教えてほしい。こいつの言うように、君は邪神なのか。いや、邪神であってもいい。君の授けてくれた力のおかげで、俺は周囲の人たちを助けることができたし……俺にとっては立派な神様だから、事情だけ教えてほしい」
その瞬間――
病室の空気がふっと揺れ、ベッドの傍らに浴衣姿の少女が立っていた。
長い黒髪、落ち着いた瞳、その輪郭はベッドの上の祈と同じだった。
福の神だった。
静と美月は息を呑み、進は目を見開いた。
福の神は、自分とそっくりの少女が眠るベッドを見下ろし、苦笑した。
「……そうじゃな。ここまでくれば、もう隠す必要はないな」




