命令の力で人助け! ― 白鳥美月と償いの選択③
「進君……? すごい汗だけど、何か見えたの?」
進は荒い呼吸を整えながら答えた。
「山の中の水門で……そこを開いた瞬間意識を失う。そんなイメージだった。目覚めても寝たきりで……」
「美月の見た夢の残滓ね。火山ガスは沢や谷に沿って下りてくるというし、どこに水門があるか調べましょう。私たちだけだと危険だから、ここからは警察も呼びましょう。友人が山に入って帰って来ないと」
「静さんは警察と消防に連絡してくれ。防毒マスクを準備してもらうように、お願いをしてほしい。俺は美月さんを追いかける」
静は進の目を見つめた。
「勝算があって言っているのよね……?」
「ああ」
残留思念では、美月が水門を開けてすぐに火山ガスが到達して意識が途絶えた。
美月は長期入院から復帰して間もなく、体力はそれほどない。
その美月の足で水門に到着して、水門を開けるまでの時間。
進も体力に自信があるわけではないが、それでも今から追いかければ、間に合うかもしれない。
水門の場所は、すぐに調べがついた。
静は警察に、進は山の登山道の入り口に、それぞれ向かった。
夜の山道は、街灯の届かない深い闇に沈んでいた。進は懐中電灯を片手に、荒い息を吐きながら登山道を駆け上がる。湿った土の匂いが濃く、足元の落ち葉がざくざくと音を立てた。
「美月さん……どこだ……!」
声が木々に吸い込まれていく。返事はない。焦りが胸を締めつける。
さらに数分、急斜面を登ったところで、前方に小さな光が揺れた。懐中電灯の弱い光。進は息を呑み、声を張り上げた。
「美月さん!」
光がぴたりと止まり、細い影が振り返る。月明かりに照らされた美月の顔は、青白く、汗で濡れていた。肩で息をしながらも、足を止めようとはしない。
「進氏……危ないから帰って……」
声はかすれていたが、いつもの淡々とした調子を保とうとしているのがわかった。
「水門を開くんだろ? 一緒に行こう」
進が追いつくと、美月はわずかに目を見開いた。
「どうしてわかるの……? まさか、乙女の部屋に不法侵入……? 変態……」
「やましいことはしてないぞ。静さんが証人だ」
進が苦笑すると、美月は視線をそらし、再び歩き出そうとする。しかし足取りは明らかにふらついていた。
「でも、水門を開いてどうなるっていうんだ?」
問いかけると、美月は立ち止まり、息を整えながら答えた。
「火山ガスは……低いところに流れるから……水門を開いて、昔の水溜場に流れを変えられれば……街の人たちは助かる」
その声には、確信と覚悟があった。
「だから俺たちに、自信を持って街の人は助かると言えたんだな」
美月はうつむいた。
「……あの後、俺も静さんも悲しかったよ。美月さんに置いて行かれて、裏切られたと思ったよ」
進の言葉に、美月の肩がわずかに震えた。
「それは……仕方ない……。この作戦は、上手くいっても、水門に行った人は一生起き上がれなくなるから。二人にはこれから幸せな人生を送ってほしい。巻き込むわけにはいかなかった」
「気遣いはありがたいけどな、俺たちの幸せな人生には、美月さんが必要だ」
美月は顔を上げ、困ったように眉を寄せた。
「静が聞いたら悲しむ。これからは、静を一番に考えてあげて」
「静さんは、美月さんが好きなんだよ。ファミリーなんだろ、俺たち」
その言葉に、美月の表情がわずかに緩んだ。
「うん……ファミリー。大切なファミリーだから、二人を死なせたくない。もう家族を失いたくない」
進は静かに尋ねた。
「……美月さんのお父さんと、お母さんは……」
美月は歩みを止め、暗闇の中で小さく息を吐いた。
「お父さんとお母さんは、私が、自分自身が死ぬ予知夢を伝えたことで、私を守ろうとして亡くなった。あの時は、準備をしても、注意をしても、防げなかった。今回も同じかもしれない。だから……進氏は今からでも逃げて。沢から離れれば大丈夫なはず」
「美月さんは行くんだろ? なら俺も行くよ」
「だから、危ないって……!」
「命の危険があるから来るなというなら、どうして美月さんは行こうとしてるんだ?」
美月は唇を噛んだ。
「私にできる償いなんて、これくらいしかないから」
その言葉は、静かで、重かった。
進は歩み寄り、美月の腕を掴んだ。冷たい。細い。折れそうなほど弱々しい。
「なんで美月さんが、償いなんてしないといけないんだよ」
美月は淡々と、しかしどこか自嘲気味に言った。
「お父さんとお母さんは、素晴らしい人たちだった。娘の私にはもちろんのこと、誰にでも優しく、研究者としてみんなの役に立つ仕事をしていた。私には、そんな二人の命を奪って生き残る価値なんてなかったのに、生き残った。だから……何の役にも立たない私が生きていることを、償わないといけない。少しでも多くの人を助けて、許してもらわないといけない」
進は美月を引き寄せ、腕を離した。
「……美月さん、俺は今から命令の力を行使する。きっと、美月さんが望まないことを命じるだろう」
「え……?」
身構える美月。
「聞きたくなければ耳を塞いでくれてもいい。でも、俺の美月さんへの気持ちも伝えたいから、聞いてくれるとありがたい。今から言うのは、全部本気の言葉だ」
進を見つめる美月は、耳を塞ごうとはしなかった。
「俺も美月さんのことが好きで、ただ居てくれるだけで嬉しいから、できるだけ長生きしてくれ」
「……進氏……ずるいよ」
美月の瞳から、涙が一筋流れ落ちた。
「女の子になら誰にでも好きっていうんだから……」
「いや、誰にでも言ってるわけじゃないが……」
「わかってる。静に言ったのと私に言ったのは、たぶん同じじゃない。でも……それでも、進氏の言葉を聞きたいって思ったのは、紛れもない私の意志だから。長生きする」
美月は涙を拭いながら頷いた。
「長生きするには、俺と一緒に行った方がいいだろう」
「うん。進氏、私を背負って歩ける?」
「美月さんは華奢すぎて不安になるくらいだからな。お安い御用だ」
「夢の中だと、私の足で進んで時間ぎりぎりだった。進氏の足で、できるだけ早く進んで、水門を開けたら二人で高台に逃げよう」
進は美月を背負い、山道を駆け上がった。
夜の山は険しく、足場は悪い。だが、美月が背中から懐中電灯を照らし、的確に道を指示する。二人の呼吸が重なり、足音が闇に響いた。
やがて、古びた水門が姿を現した。
錆びた水門の前に立つと、夜気がひやりと肌を撫でた。周囲は木々が密集し、枝葉の隙間からわずかに星が覗いている。沢の流れは細く、しかし絶えず低い音を立てていた。
進は肩で息をしながら、背負っていた美月をそっと地面に降ろした。美月は膝に手をつき、荒い呼吸を整えようとしている。額には汗が滲み、懐中電灯の光がその横顔を淡く照らした。
「進氏、こっち」
美月が指差したのは、鉄製のハンドルだった。長年放置されていたのだろう、表面はざらつき、触れただけで粉のような錆が落ちる。
「おお、このハンドルを回せばいいんだな?」
進が両手で握りしめ、力を込める。ギギ、と軋む音が響いたかと思うと、意外なほどあっさりと動いた。重い金属がゆっくりと回転し、内部の仕組みが動く鈍い振動が足元に伝わる。
美月はその様子を見つめ、かすかに笑った。
「進氏、力持ち。やっぱり男の子だね。夢の中で私は、すごく時間がかかった」
「見直したか?」
「うん。これはますます長生きしないと」
水門が完全に開いた瞬間、沢の流れが変わり、暗闇の奥へ吸い込まれるように音を立てた。冷たい風が一陣吹き抜け、二人の髪を揺らす。
「よし、離れよう。ここにいたら危ない」
「うん……進氏、あっちの斜面が安全」
美月は再び進の背に身を預けた。進は息を整え、足場の悪い斜面を慎重に登っていく。木々の間を抜けると、視界が急に開けた。
そこは、岩が露出した小高い場所で、街の灯りが遠くに広がっていた。夜霧が薄く漂い、光がぼんやりと滲んでいる。
二人は自然と手を繋いだ。美月の手は冷たく、しかし震えてはいなかった。
「綺麗……」
美月が呟く。進も同じ景色を見つめながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「この街に、こんな場所があったんだな」
美月は進の横顔を見上げ、ふと真顔になる。
「進氏、静とはもうキスした?」
「ええ!? いや、俺たちはまだそんな関係じゃ……」
「そう……それじゃ、静に申し訳ないから、私もキスしないでおく」
無表情で言う美月に、進は動揺してしまう。
「あ、でも、まだってことはそのうちするつもりなんだね。じゃあ、やっぱり私も……」
美月は一歩近づき、進の頬にそっと唇を触れさせた。
「これくらいなら、いいよね」
頬を赤く染めながら、笑顔を浮かべた。
まるで、長い冬のあとに咲いた花のような、儚くも温かい笑みだった。
夜が明けきらない薄青の空の下、街の北側に広がる沢沿いの低地には、白い靄のようなものがまだ残っていた。
朝のニュースでは、山から流れ込んだ火山性ガスによって、野生動物の死骸が多数見つかったと報じられている。
駅前のベンチに腰掛けた進は、スマホの画面を見つめながら、深く息を吐いた。
「……やっぱり、街の人は助かったんだな」
隣に座る静が、長い髪を耳にかけながら頷く。
「ええ。美月のおかげね。進君も、よく頑張ったわ」
その向かいで、まだ顔色の悪い美月が、紙コップの温かい飲み物を両手で包み込んでいた。
夜通し山を歩いた疲労が抜けきっていないのだろう。けれど、その瞳はどこか晴れやかだった。
「……二人が来てくれなかったら、私はたぶん……途中で倒れてた。ありがとう」
静が柔らかく微笑む。
「ファミリーでしょう? 当然よ」
美月は照れたように視線を落とし、紙コップの縁を指でなぞった。
三人が神社に戻り拝殿の前に立つと、風鈴のような澄んだ音が一度だけ響いて、その揺らぎの中から浴衣姿の少女がふわりと現れた。
「ほほう。よくやったのう、三人とも」
福の神は進の顔をじろりと見て、鼻を鳴らした。
「命令の力で美月と協力して、たくさんの人々の命を救ったと主張するのは、まあ聞いてやらんこともないが……正直、わしとしてはのう……」
「命令の力のおかげとは言えない、って顔してるな」
進が苦笑すると、福の神はふんぞり返った。
「その通りじゃ。だが、あのままガスが街に下りてきたら、わしも危なかったからのう。今回は永久に能力を与えてやってもよいかな……」
「じゃあ福の神様、命令の力をもらうのは、辞退するよ」
「なんじゃと?」
福の神の目が丸くなる。
「欲の塊かと思いきや、殊勝なところもあるんじゃな……」
進は一歩前に出て、真剣な表情で言った。
「その代わり、一つだけお願いがあるんだ」
「なんじゃ? 言ってみよ」
「俺が最後に使った命令の力の効果を、永久にしてほしいんだ。その一つだけでいいから」
福の神は目を細め、進をじっと見つめた。
「ふむ……まあ、いいじゃろう」
「進氏、ダメ! せっかく楽してお金儲けできそうな力を手に入れたのに、あんなことのために捨てちゃダメ!」
美月が慌てて進の袖を引っ張る。
「俺には大切なことだ。じゃあ神様、頼む」
「ダメ! もったいない! 静も止めて! 将来の旦那さんの稼ぎが減っちゃう!」
静は少し考えて、笑った。
「何があったかは聞かないけれど、きっと悪い命令じゃないと思うのよね。美月が前よりも可愛く見えて、なんだか私も幸せな気持ちになるし」
「静……」
福の神が袖をひらりと振ると、境内に淡い光が広がった。
「これで最後の命令は永久じゃ。大事にせよ」
言って、浴衣の少女は姿を消す。
美月は両腕をいっぱいに広げて、進と静に抱き着いた。
「ありがとう。私……やっぱり、生きててよかった……」




