命令の力で人助け! ― 白鳥美月と償いの選択②
境内に静寂が戻る。
進は胸に手を当て、深く息を吐いた。
「……本当に、力をもらったんだな」
美月は進を見つめ、静かに言った。
「地震が起きたら、すぐ市役所に電話をして、街に警報を出してもらうように命令する。だから……進氏、私の言葉に命令の呪いの力を持たせて。電話をかけるまでは、私、何も言わないようにするから」
静が不安げに眉を寄せる。
「美月、本当に大丈夫なの?」
「うん。大丈夫」
美月は淡々と答えたが、その瞳の奥には決意が宿っていた。
進は小さく頷き、美月の前に立つ。
「……わかった。命令の力を行使するよ」
風が三人の間を通り抜け、境内の灯籠がかすかに揺れた。
地震が発生したのは、夜の九時前だった。
街全体が短く揺れ、遠くで犬の吠える声が連鎖する。街灯がわずかに震え、冬の空気がざらついた。
進は家を飛び出し、あらかじめ三人で待ち合わせ場所に決めていた駅前の広場に向かう。
駅前の広場には、すでに静が駆けつけていた。
薄いコートの裾が揺れ、息が白く散る。
「進君!」
「静さん! 美月さんは……?」
二人で周囲を見回すと、駅前の柱の陰から美月がゆっくり姿を現した。
薄手のパーカーにリュックを背負い、髪はいつもより乱れている。
だが表情は穏やかで、どこか達観したような微笑みを浮かべていた。
「美月! 市役所には連絡できたの?」
美月は小さく頷いた。
「街の人は助かるから、二人には先に電車で街を離れてほしい」
その声音は、いつもの平坦さの中に、妙な確信が混じっていた。
「わかったけど……あなたはどうするの?」
静が眉を寄せる。
「私はクラスの人と合流してから街を離れるから」
「……わかった。じゃあ、先に行くよ」
三人は短く頷き合い、進と静は駅の階段を駆け上がった。
電車が発車してしばらく経っても、車内は静まり返っていた。
乗客は進と静だけ。
窓の外には、街灯の光が途切れ途切れに流れていく。
「避難警報、聞こえないな。電車の中だと聞こえないのかな?」
進が不安げに呟く。
静はスマホを操作し、市役所のウェブサイトを確認した。
「……特に警報のようなものは出ていないわね」
二人は顔を見合わせた。
静は周囲に人がいないことを確認し、市役所に電話をかけた。
「……時間外だって、自動音声が流れたわ」
「災害の時は災害対策本部が設置されたり、災害時専用の連絡先が公開されるものだけど……通知がされてないな」
「美月はどうやって地震の後に市役所に連絡をしたのかしら……?」
静の声が震える。
進は、ふと、駅前での美月の様子を思い返した。
「あの時、静さんが美月さんに市役所に連絡できたのかを聞いた時、美月さんは頷いただけで、何も言わなかったな」
「ええ……」
「俺は今、美月さんを置いて来たことをすごく後悔しているし、不思議に思ってる。クラスの人と合流してから街を離れるって、ガスの充満までに間に合わなかったらどうするんだ? 街中の人たちが避難するなら、電車に乗れないかもしれないし、車だって大渋滞で動かないかもしれない。いつもの俺たちなら、いいから行こうと、美月さんを無理にでも連れてきてたんじゃないか?」
静は唇を噛んだ。
「それは……美月には美月の付き合いがあるからと思ったけれど……確かに私は美月を一番の友達と思っているし、今思うと、どうして説得しなかったのかしら」
進は深く息を吸い、静を見た。
「神社で美月さんに命令の力を行使した後……美月さんが市役所に電話をしたけれど通じなくて、最初に発したのが俺たちへの言葉だったとしたら? 危険だから先に街を離れるように命じたかったんだとしたら?」
静の目が大きく見開かれた。
「それこそ、私たちと一緒に離れればいいじゃない! どういうつもりなの、あの子は……!」
「命令の力は、本人も心から信じて発した言葉にしか効果がないと、神様は言っていた。美月さんはあの時、街の人は助かるからと言っていて……それを心から信じていたことになる」
静は震える声で呟いた。
「あの子、自分の力でどうにかするつもりなの……?」
隣町の駅に着くと、二人は電車を降りた。
夜の空気はひんやりとしていて、街灯の光が薄く歩道を照らしていた。
人影はまばらで、遠くを走る車の音だけが静けさを切り裂いている。
改札を抜けたところで、進は立ち止まり、静の方へ向き直った。静は薄い色のコートの襟を指先で整えながら、進の言葉を待っていた。
「自分は今日、すごく幸せだった。静さんから、好意を抱いていると言ってもらえて。驚いたけれど、すごく嬉しかったんだ」
静は目を細め、柔らかく微笑んだ。
「光栄ね。理想のお嫁さんには届かないかもしれないけれど、今後ともよろしく」
「静さんは……理想以上だよ。俺の想像の範疇を超えた、素晴らしい女の子だと思う。これからずっと、静さんと楽しく幸せに過ごしたいと、正直思ってる」
「私もよ。ありがとう」
静の声は穏やかで、けれどその奥に確かな喜びが滲んでいた。
しかし進は、そこで一度息を吸い、視線を落とした。
「でも、俺は……今から美月さんを助けに行きたいんだ」
静の表情がわずかに揺れる。
「もし美月さんが、一人で街を救おうとしているなら、無事で済むかわからない。命令の力で俺たちに街を離れさせたんだから、普通に相談したら止められるようなことをしに行ったんだろう。俺は静さんに惹かれているし、一緒に居たいけど……美月さんを助けたいんだ」
静は力強く頷いた。
「私は独占欲は強いけれど、心の狭い女じゃないつもりよ。二人で美月を助けにいきましょう」
「いや、危ないから静さんはもっと街を離れてくれ」
静は進をじっと見つめ、少しだけ唇を尖らせた。
「一緒に居たいというのは嘘なのかしら? だとしたら、少し心が狭くなって、しがみついてでも止めるかもしれないわね」
進は観念したように息を吐いた。
「……わかった。助けてくれ、静さん」
「任せて」
二人は駅前のタクシー乗り場へ向かい、停まっていたタクシーに乗り込んだ。
「静さん、美月さんの家はわかるか?」
「ええ、一応は。どうして美月の家に行くの? 何か考えがあるの?」
進は窓の外を見つめながら答えた。
「もともと美月さんは、災害への対策がわからなくて俺たちに相談した。けれど、地震の後に会った時は、『街の人は助かる』と心から信じて俺たちに伝えていた」
「そこは、命令の力が効果を発揮していたことから、間違いないわね」
「美月さんはどこで街の人は助かると確信を得たんだ? また予知夢を見たんじゃないのか? けれど、何かの理由で、具体的な内容を俺達には話せなかった」
静は小さく頷いた。
「なるほど……。布団をサイコメトリーするのね」
そう言うと、静はスマホを取り出し、素早く番号を押した。
「叔父様? 鍵屋の手配をお願い。一人暮らしの友人が部屋の中で倒れているかもしれないの」
タクシーは静かな住宅街へ入り、やがて美月のアパートの前に停まった。夜の建物はどこか冷たく、窓の多くは暗い。
鍵屋と合流し、部屋の鍵が開けられると、薄暗い室内が現れた。家具は少なく、生活感の乏しい部屋の隅に、ぽつんと布団が敷かれている。
進は布団に膝をつき、そっと手を触れた。
次の瞬間、視界が暗転した。
湿った土の匂い。
月明かりに照らされた山道。
沢沿いの細い道を、小さな影が必死に登っていく。
古びた水門。錆びついた鉄のハンドル。
小さな手が震えながら、それを回す。
腐った卵のような臭気。
意識が闇に沈む。
そして、病院の白い天井。
動かない体。
聞こえてくる声。
「この子のおかげで街が助かったんだ」
「気の毒に……火山ガスで脳に障害が残って寝たきりに……」
「家族はいないのか? 治療費はどうする?」
「ずっとこのままというわけにはいくまい。早いうちに、終わらせるべきだ」
胸を締めつける絶望。
そこで進は現実に引き戻された。




