命令の力で人助け! ― 白鳥美月と償いの選択①
昼下がりの教室は、冬の陽が斜めに差し込み、机の表面に淡い光の帯を作っていた。
その中で、進と静は並んで座り、他愛もない話をしていた。静は最近ようやく一人暮らしに慣れたらしく、頬に柔らかな色が差している。
「進君、今度……私の家に来てほしいのだけれど」
控えめに言う静の声は、いつもの落ち着きの中に少しだけ期待が混じっていた。
その瞬間、近くで聞いていた男子が椅子を引きずって割り込んできた。
短く刈った髪と、やや大きめのパーカーを着た、どこにでもいるような男子生徒だ。
「俺も行きたい、角間さんの家」
静は一瞬だけ瞬きをしてから、淡々とした声で返した。
「申し訳ないけれど、私は進君を誘っているの。他の人を家に入れることはできないわ」
「え、角間さんと波風って付き合ってんの?」
その不用意な言葉に、周囲の女子たちが呆れたように息を漏らす。
「まさか、そんなわけないでしょ」
「角間さんは面倒見いいから、クラスのバランスとるために波風君とも話してるだけよ」
静はそのざわめきに、落ち着いた表情のまま言葉を重ねた。
「私は進君に好意を抱いていて、そういう関係になりたいとは思っているけれど、進君は慎重で少しずつ仲を深めていくタイプだし、私自身まだ進君が理想とする女性になれていないから、努力を重ねないといけないと思っているわ」
教室が一瞬で静まり返った。
男子生徒がぽつりと呟く。
「波風のどこがいいんだ……?」
「全部よ」
「まじかよ……」
男子は目を丸くし、進自身も呆然としていた。
女子生徒の一人が、進に向き直る。
「それで、波風君は静のこと、どう思ってるの?」
突然の矢面に立たされ、進は目を白黒させた。
「いや、突然のことで……角間さん、どうしたんだ? ドッキリか何かか?」
静は小さく微笑む。
「いつもみたいに静って呼んでほしいわね。冗談ではなく、私の正直な気持ちを言っているわよ。これまで何度も助けてもらっていて、好きにならないわけないでしょう」
「静さんの役に立てていたのなら幸いだけど、俺もお世話になってるし、何より、これからも静さんの役に立てるかはわからないし……」
「進君が傍にいるだけで私はときめいて癒されるわ。存在そのものが役に立っているのよ」
「そんな、まさか……静さんみたいな人が俺なんかを……」
静は少しだけ視線を伏せた。
「簡単に信じてもらえないだろうとは思っていたわ。だから警戒されないように少しずつ距離を縮めて、気付けばお互い離れられなくなっている……そういう計画だったのに……!」
そして、事の発端となった男子生徒を鋭く睨む。
「まあいいわ。進君も、私のことを嫌いというわけではないわよね? 放課後は美月と一緒に私の家に来て、私が進君の理想の女性になれそうか見定めてちょうだい」
美月の名が出た瞬間、男子生徒が思い出したように声を上げた。
「そうだ、波風は隣のクラスの白鳥と付き合ってるはずだ。角間さん、考え直せよ。俺ともっと親交を深めて……」
その時、背後から静かな声がした。
「私と進氏が付き合っているという噂は、放置しておいた方がいいから否定しなかったけど、実際に付き合いには至ってない」
振り返ると、白いカーディガンを羽織った美月が、いつの間にかすぐ近くに立っていた。
細い体つきに、感情の読めない涼しげな目。だが、その声はいつもより少しだけ柔らかい。
「美月……ごめんなさい。抜け駆けをするつもりはなかったのだけれど、話の流れでこうなってしまったわ」
「気にしてない。私自身、進氏には感謝しているけれど、恋愛がどうとか言われるとわからない。静と進氏が仲良くしているのを見ているのも楽しい」
美月はそこで一度言葉を切り、二人を見つめた。
「それはそうと、二人に相談したいことがある。できれば人のいないところで」
静は頷く。
「わかったわ。今日もお参りに行きながら、話をしましょう」
校舎を出ると、午後の陽射しは傾き始めていて、街路樹の影が歩道に細く伸びていた。風が乾いていて、葉の擦れる音が小さく耳に触れる。三人は並んで歩き出した。
静は鞄を肩に掛け直し、横目で美月を見る。美月は相変わらず無表情だが、どこか落ち着かないように指先をいじっていた。白い指が細かく動くたび、光が反射してきらりと揺れる。
進が歩調を合わせながら口を開く。
「美月さん、相談って……そんなに人目を避けたい話なのか?」
「うん。あまり聞かれたくない」
美月は淡々と答えたが、その声にはわずかに緊張が混じっていた。
静が柔らかく微笑む。
「じゃあ、神社に着いたらゆっくり聞くわ。あそこなら人も少ないし、落ち着いて話せるもの」
三人は住宅街を抜け、やがて古い石段の前に立った。石段の脇には苔むした灯籠が並び、夕暮れの光を受けて淡く輝いている。鳥居の向こうは木々が密に茂り、ひんやりとした空気が漂っていた。
進が息を整えながら言う。
「今日も参拝か。なんだか最近、神社に来るのが日課みたいになってきたな」
「悪いことじゃないわよ。心が落ち着くし」
静は軽やかに石段を上り始めた。長い黒髪が揺れ、夕陽を受けて深い藍色の光を帯びる。
美月も後に続く。小柄な体が影の中に吸い込まれるように進んでいく。
石段を登り切ると、境内には誰もいなかった。木々のざわめきと、遠くの車の音だけが微かに聞こえる。
静が振り返り、穏やかな声で促す。
「それで、美月。話って?」
美月は一度深呼吸し、二人を見つめた。薄い唇がわずかに震える。
「昨晩……予知夢を見た」
進と静が同時に息を呑む。
美月は続けた。
「夜中に地震が起きた後、北の山から火山ガスみたいなものが街に下りてきて……たくさんの人が死ぬ夢だった。二人とも、夜までに街を離れてほしい」
静の表情が固まる。進も言葉を失った。
「市役所に匿名で電話した。でも、いたずらだと思われた」
美月の声は淡々としていたが、その奥に焦りが滲んでいた。
静が眉を寄せる。
「そんな……どうにかならないの? 数千人が死ぬなんて、見過ごせるわけないわ」
進も頷く。
「SNSで信じてくれそうな人に拡散してもらうとか……それくらいしか思いつかないな」
「絶対に避難させたい人には、個別に伝えるしかないわね」
静は言いながら、ふと進を見る。
「進君は……家族は海外だったわね。友達は……」
「ほぼいないな。明人には世話になってるから伝えるけど」
美月は小さく首を振った。
「私は……伝える人はいない。父も母も、もういないから」
静が一瞬だけ目を伏せる。
「……そう」
沈黙が落ちたが、美月が顔を上げた。
「でも、どうにかしないといけないから……進氏が神社で授かる能力に賭けたい」
静は頷いた。
「そうね。ここで授かる力は、いつも私たちを助けてくれたもの。今回も、きっと」
三人は社殿の前に立ち、手を合わせた。
空気が張り詰め、風が止まる。
次の瞬間、境内に柔らかな光が満ちて、社殿の奥から浴衣姿の福の神が現れた。
「ふむ……また来おったか、小娘ども」
静が眉をひそめる。
「またって……私たち、そんなに頻繁に来ているかしら?」
「お主らのように、毎度毎度厄介ごとを持ってくる参拝客は珍しいわ。まあ、退屈しのぎにはなるがの」
進が頭を下げる。
「すみません、今回も助けてほしいんです」
「助けてほしい、とな? ほう……」
美月が無表情のまま、しかしどこか切迫した声で言う。
「夜中に地震が起きたあと、北の山から火山ガスが街に下りてきて……たくさんの人が死ぬ夢を見た。市役所に知らせても信じてもらえなかった。だから……どうにかしたい」
「予知夢か。お主のそれは、ただの夢ではないからのう。確かに放っておけば街は壊滅じゃな。よかろう。今回授けるのは、『命令の力』じゃ」
「命令……?」
進が思わず聞き返す。
福の神は得意げに胸を張った。
「心の底から信じて発した言葉を、聞いた者に信じ込ませ、その通りに動かす力じゃ。自分の言葉にも、他人の言葉にも、命令の呪いの力を持たせることができる。ただし、有効なのは次に発する一言だけ。疑い深い者には効き目が薄いし、効果が切れた後は、正気に戻った相手に恨まれることもある」
静が小さく息を呑む。
「……強力すぎるわね」
「うむ、強力じゃ。使えば使うほど、周囲との関係は壊れやすくなる。この力で身を滅ぼした者は数え切れぬが……それでも使うか?」
進は迷わず頷いた。
「使う。今の俺達には必要だ」
「覚悟はできておるようじゃな。では、授けよう」
神が手を振ると、淡い光が進の胸元へ吸い込まれた。
「さて。我にできるのはここまでじゃ。忘れるでないぞ。この力は救いにも破滅にもなる」
そう言い残し、福の神の姿は社殿の奥に消えた。




