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惚れさせる力で人助け! ― 稲穂葵とストーカーの影④

夕暮れの北の川。水門のそばには、制服姿の静が一人、川面を見つめて立っていた。

風が長い黒髪を揺らし、スカートの裾をはためかせている。

川の流れは、夕陽を受けて赤く染まり、どこか物悲しい光をたたえていた。

進は駆け寄り、少し息を切らしながら声をかけた。

「静さん……見つかってよかった」

「よくこんなところまで来たわね」

「前に静さん、言ってただろ。何度もここに来たって。妹さんに会うために」

「進君、私の言っていたこと、ちゃんと覚えていてくれるのね。少し嬉しいわ。でも……いいの? 今日が福の神への報告期限なんでしょ?」

「今回もどうせ能力はもらえないよ。それに、デメリットも大きい能力だし、手に入らない方がいいかもしれない」

進はあれ以来、葵には怪しい男だと警戒心を抱かれている。

退学になった男子生徒にも、相当に恨まれているだろう。

人の感情を操る力は恐ろしいものだと、身に染みていた。

「静さん、早まらないでくれ。学校の噂なら、しばらくしたら収まるはずだ」

「大丈夫、飛び込んだりなんてしないわよ。ああいうのは慣れているから。ちょっと、昔のことを思い出していただけよ」

「静さん……実際のところ、稲穂さんがストーカー被害に遭っているって、最初からわかっていたのか? だから俺の能力を稲穂さんに使ってほしいと言ったのか?」

「ストーカーだとは思っていなかったわよ。ただ、周囲のために、誰にも言わずに何かを抱え込んでいるのかもしれない。言いたくても言えないことがあるのかもしれない。だとしたら……これからずっと苦しみ続けることになる前に、助けてあげたい。そう思ったのよ」

「それは、静さんも同じ経験があるから?」

「幸い、ストーカーに付け狙われたことはないわよ」

「いや……静さんも、言いたくても言えないことがあるんじゃないか。周囲の人のために」

進は、先日の静と誠一郎との会話を思い出していた。


『静は、妹の、花ちゃんとの記憶、まだ戻っていないんだろ? 僕みたいに記憶を取り戻すことで前に進めると思うから……花ちゃんとのこと、思い出せるといいね』

『そうね。ありがとう、誠一郎さん』


静の短い言葉の中に、確かに嘘を感じ取った。

「先週、病院の中で遠瀬先輩に返事をした時……嘘をついたよね、静さん」

「やっぱり気付いていたのね」

「あの時遠瀬先輩が言ったのは、妹さんとの記憶を取り戻せずにいるんだろう、妹さんとのことを思い出せるといいねという、二つだった。それに対して、静さんは『そうね』と返事をした」

「誠一郎さんの全くありがたくない言葉に、ありがとうとも言ったわよ」

「それはそうなんだろうけど……思い出したんだよ。以前静さんは、妹さんと仲がよかったはずだと言っていた。妹さんがいなくなった日のことは、妹さんと二人で家を出てから後のことは覚えていないとも言っていた」

「本当、あなた、よく覚えているわね……」

「仲の良かったはずの妹さんに、嫌われていたのかもしれないと今は思っている。妹さんがいなくなった日を境にそう思っているんだとしたら、静さんは、妹さんがいなくなった日の記憶を取り戻せずにいるんじゃない。その日に、妹さんとの間で何があったのか、覚えているんじゃないか? 覚えているけれど、誰かのために、何かのために言えずにいるんじゃないのか? ずっとそのことで苦しんできたから、稲穂さんのことにすぐ気付けたんじゃないのか?」

驚く静に、進は続ける。

「神様の力で静さんの心に踏み込んで、こんなことを聞くのは悪いと思っている。でも、辛い思いをしているなら、話してほしいんだ。力になりたい」

「神様の力なんかじゃない。あなたが私の言葉をちゃんと聞いてくれて、わかろうとしてくれたから……だから、嘘がばれちゃったのよ。ありがとう」

静は笑う。

「あの日、この川に落ちたのは、私なの。花に……妹に、突き落とされたのよ。私はダメな子で、邪魔だから……」

「……!」


あの日、静は妹の花と家を出た後、色々なところに行った。

公園や商店街を歩き回り、花は同じくらいの年の子供たちに透明な液体の入った小瓶を手渡していた。

「ご褒美にお菓子をあげるから、料理がおいしくなるこの魔法の薬を、あそこにいる人に渡してね」

そう言って、何人もの子供たちを使って、透明な液体の入った小瓶をばら撒いた。

静は可愛い妹の冒険に付き添ってあげている気持ちでいた。

夕刻、河原にたどり着いて、二人で座り込んだ。

「お姉ちゃん、今日は色んなところに行って、色んな人と話したね」

「そうね。楽しかった?」

「うん! お薬も全部配ったよ!」

「そういえば、あの瓶はなんだったのかしら?」

「あれはね……あ、ワンちゃんだ。ちょうどいいから、見せてあげるね」

花は飼い主からはぐれて静と花に近付いてきた子犬に、その液体を染み込ませたクッキーを与えた。

子犬はそれを口にした後、しばらくすると力なく倒れ、動かなくなった。

「毒のお薬だよ! 飲むとすぐに死んじゃうんだよ!」

「え……」

もう一度子犬を見る。

やはり、虚ろな目で、倒れたまま動かずにいた。

「花……あなた……なんてことを! 今日色んな人に渡した瓶は、全部その薬だったの!? すぐに知らせてあげないと……!」

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。子供が渡した魔法の薬なんて、みんな捨ててるよ。よほど運がよくないと、飲んで死んでくれないよ」

「自分が何をしたかわかってるの! とんでもないことになるかもしれないのよ!?」

走りだそうとする静の腕を、花が掴んだ。

「やっぱりお姉ちゃんは悪い子だね。みんな言ってるよ。お姉ちゃんはダメだって。邪魔だって」

花がうっすらと笑った。

「邪魔な人間は、死ななきゃいけないんだよ。私はいい子だから、みんなが喜ぶように、お姉ちゃんを殺すんだ。さようなら、お姉ちゃん」

静は花に勢いよく突き飛ばされ、そのまま川に落ちた。


「流されて、たくさん水を飲んで、何度ももうダメかと思ったわ。助かったのは、本当に偶然。岸から突き出ていた草を掴むことができて、どうにか這い上がったのよ」

静は体を震わせた。

「この河原に倒れて、自分の何がダメだったんだろうって考えたの。殺されるほど、妹に、みんなに嫌われていた。私は、私の何が悪いのか……今もわからなくて……こういうところがダメなのかしらね」

呟く静の瞳から、涙が流れ落ちた。

「静さんに悪いところなんてない。美人で、優しくて、聡明で、正義感が強くて頼りになる、非の打ちどころのないお嬢様だよ」

進は思わず、静の細い体を抱きしめていた。

「妹さんの言っていた、『みんな』に心当たりは?」

「わからなかった。保護されて、家に帰ったら、妹は行方知れずになっていて……家族も親戚も、普段と変わらなかった。でも……それからずっと怖くて、これ以上嫌われないようにしなきゃいけないって、必死だったわ」

それ以来静は、両親が喜ぶように、勉強も運動も習い事も全部を頑張った。

本当は嫌だったけれど、従兄との婚約の話も受け入れた。

花のやったこと、言っていたことは、全て忘れたふりをした。

「私は嫌われて殺されるのが怖くて、人の顔色を窺って生きているだけで……本当は何もない、空っぽの人間なのよ」

「ありがとう、話してくれて。俺は静さんのこと好きだし、何があっても絶対に嫌いになることはないから、安心してくれ」

「え、ちょっと、好きってそんな……」

抱きしめられたままで静の体が硬直する。

「静さんになら、殴られても蹴られても、嫌いにならない。愛のムチだって信じてるから、気持ちよく感じると思う。白鳥さんも同じ想いでいるはずだよ」

「美月をあなたと同じ、特殊な趣味の人にするんじゃないわよ」

大笑いして進からそっと離れ、目の端の涙を拭う静。

「ありがとう、進君。少し気が晴れたわ」

「今は話を聞くことしかできないけど、必ず静さんの悩みを解決するよ」

「頼りになるわね。最近できた悩みだと、美人と可愛いの違いは何かを知りたいのだけど、わかるかしら?」

「改めて聞かれると、国語辞典を使わないとわからないかも」

「それじゃ意味がないのよね……」

そして川辺を離れる頃には、静の足取りは軽く、進の隣で小さな笑みを浮かべていた。

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