惚れさせる力で人助け! ― 稲穂葵とストーカーの影③
放課後の帰り道。進、静、美月の三人は、神社へ向かって歩いていた。夕陽が街を朱に染め、風が木々の葉を揺らしていた。
人通りのない、延々と塀が続く住宅地の中の小道の、曲がり角に差し掛かるところで、美月がぴたりと足を止め、眉をひそめた。
「……ここ、夢で見た」
「え?」
「この曲がり角。夕陽の角度、風の匂い、全部同じ。ここで、誰かが襲われる夢だった」
進と静が顔を見合わせる。
美月は鞄から棒と、昼に使ったトロニャンの衣装だった。
「進氏、これを持って、角の先に差し出して」
進が言われた通りに、棒の先にトロニャンの衣装をくくりつけ、角の先に差し出した。
その瞬間――
鋭い音とともに、布が裂けた。ナイフの切っ先が、トロニャンの胸元を斜めに裂いていた。
「やっぱり……」
静が低く呟いた。
角の向こうから、ゆらりと人影が現れた。制服の上にパーカーを羽織り、顔にはトロニャンのお面。だが、その手には光る刃物が握られていた。
「お前のこと、許さない……俺の葵ちゃんに手を出しやがって……!」
進は一歩後ずさった。男の声は震えていたが、目には狂気が宿っていた。
「落ち着け! 稲穂さんは、トロニャンの仮装を見て思わず抱き着いただけで、それ以上のことは何も――」
「嘘だ! 俺の電話を無視した! お前を選んだんだ!」
「ずっと見てたのか……?」
「ずっと見ていたよ。聞いてもいた。葵ちゃんが誰と話したか、何を言ったか、全部知ってる。クラスの奴らを買収して、報告させてたんだ」
「……どうしてそんなことを」
「好きだったんだよ! でも、俺は別のクラスで、接する時間が短いから……たくさん話してる奴に取られると思った。実際、お前に取られた!」
進は、男の目を見つめた。そこには、愛情ではなく、所有欲と支配欲が渦巻いていた。
「……だったら、君もトロニャンになればよかったんじゃないか?」
「は?」
「トロニャンは、瞳の色が独特だろ? 俺はコンタクトで目の色を変えて、より近づこうとしたんだ。君も、この瞳の色を見てみるといい」
進は、ゆっくりと男に近づき、目を合わせた。
一秒、二秒、三秒――
男の眉間に皺が寄り、ナイフを握る手が震えた。
七秒、八秒、九秒――
「……す、好きだあああ!」
十秒目、男はナイフを落とし、進に抱き着いた。
「お前だけだ……俺のこと、わかってくれるのはお前だけだ……!」
「……福の神は、異性にだけ効果があるとは言ってなかったからな」
進は、男の背を軽く叩きながら、美月に目配せした。美月はすぐにスマホを取り出し、通報を始める。
「はい、今こちらに、女子生徒に対するストーカー行為と脅迫の疑いがある人物がいます。場所は……」
男は抵抗することなく、警察に連行された。スマホには、葵への執拗なメッセージと、隠し撮りされた写真の数々が保存されていた。
進は、男の背中を見送りながら、静かに呟いた。
「……これで、稲穂さんも、少しは安心できるかな」
静は頷いた。
「ええ。あなたのおかげよ、進君」
夕陽が沈みかけた空に、風が吹き抜けた。三人の影が長く伸び、静かに揺れていた。
神社の石段には、夕暮れの光が斜めに差し込んでいた。朱塗りの鳥居はすでに影を落とし、境内にはひんやりとした空気が漂っている。
進、静、美月の三人は、無言のまま社殿の前に立った。
「……さすがに、今回はもらえるよな。能力」
進がぽつりと呟き、手を合わせる。静と美月もそれに倣った。
その瞬間、社殿の奥から、浴衣姿の少女――福の神が、いつものように音もなく現れた。だが、その表情はどこか険しかった。
「よくぞ参ったな、進、静、美月。……だが、まだ能力は与えられぬ」
「稲穂さんを、ちゃんと助けたぞ。ストーカーは捕まった」
「捕まっただけでは、終わりとは言えぬ。またしばらくしたら、あの男が葵に復讐に来るかもしれんじゃろう」
「……じゃあ、あのストーカーが絶対に稲穂さんに近付けなくなったと言えれば、力をもらえるか?」
「まあ、よかろう」
静がそっと話しかける。
「そうは言っても、どうにかなるの?」
「俺には正直これ以上できることはないけれど……警察と、ストーカー男の親御さんの良心に期待しよう」
それから一週間後、学校にはひそやかな噂が流れていた。
「二年の男子生徒が退学になったらしいよ」
「なんか、ストーカー行為がバレたとか……」
「付きまといができないように、これから何年間か海外の牧場で働きながら教育を受けるんだって」
名前は伏せられていたが、進と静、美月には誰のことかすぐにわかった。
稲穂葵は以前よりも落ち着いた表情で登校しており、クラスメイトとの会話にも自然と混ざるようになっていた。
「これで一件落着、かな」
進はそう呟きながら、神社へ向かおうとしたが、静の姿が見当たらなかった。
「角間さん、授業が終わった後すぐに帰ったよ」
そう教えてくれた女子生徒が、興味津々といった様子で聞いてきた。
「ねえねえ、例のストーカー、波風君と角間さんが捕まえたって、本当?」
「いや、俺は何もしてないよ」
「じゃあ……稲穂さんがストーカーに付きまとわれてるって、角間さんは最初から知ってたっていうのは本当?」
「どうだろう……よくわからない」
「隠さないで教えてよ。知っていた様子とか、退学になった男子生徒と話してたとか、そういうのなかったの?」
話の内容が怪しくなってきたと、進は身構えた。
「察しが悪くてごめん。具体的にどんな話を、退学になった生徒としてたんだろう。電話で誰かと話してることはあったから、内容を教えてもらえれば答えられるかもしれない」
女子生徒は声を潜ませる。
「それがね、今回角間さんはストーカー逮捕に貢献して稲穂さんを助けたって言われてるんだけど……実はそのストーカは、角間さんから稲穂さんの情報を手に入れて、稲穂さんを脅してたって噂があるのよ」
「どうして、角間さんがそんなことをする必要があるんだ?」
「角間さん、男子から人気あるけど、いろんな噂があるじゃない。子供の頃に妹を殺して、嘘の証言をして大人を騙して、妹は行方不明だって心配してるふりをしているとか……」
「ふーん、そんな人だとは思えないけどな」
「みんな腹黒い女だって言ってるわよ? そんな噂ばかりだから、裏で稲穂さんをストーカーで追い詰めて、それを自分で助けることで評判を良くしようとしたんだって」
「なるほど……。ところで、まさか今の話、俺に聞いたみたいに角間さんに聞いていないよな?」
女子生徒は笑って首を振る。
「私はそんなことしないわよ! 他の子が直接聞いて、反応を見たらしいけど……ちょっと怪しかったって」
「そうか。じゃあ俺のとっておきの情報を教えるけど、ちゃんとクラスの皆に広めるって約束してくれるか?」
「約束するわ! どんな情報なの?」
目を輝かせる女子生徒の前で、進は声を張り上げた。
「俺と角間さんは、ストーカーが警察に捕まる現場にいた。ストーカーは『クラスの奴らを買収して、報告させてた』と言っていたが、その場にいた角間さんの名前は出なかったよ」
驚く女子生徒をよそに、進はより一層大きく声を張り上げる。
「証拠は全て押収されたから、身に覚えのある生徒は学校から処分を受ける前に、名乗り出て反省していると伝えた方がいいだろうな。ここだけの話だが……近々関わっていた生徒たちの処分があるらしい。それこそ明日の朝にでも」
進が話し終えると、何人かの生徒がこそこそと教室を出て、職員室に向かうのが見えた。
「あいつらか、ストーカーの協力者は。ちょっと声が大きかったかな」
「そ、そうね。でも、とっておきの情報だったのは間違いないし、きっとみんなに伝わってよかったと思うわよ」
「じゃあ、俺が話したことと、今見たことを、ちゃんと皆に広めてくれよ。約束だからな」




