05 進退窮まる
携帯を見ていた林原は、メールの着信が有るのに気が付いた。
「このアドレスは門屋刑事部長?」
捜査一課課長に辞令を受けたあと、刑事部長に呼ばれて色々と命令を受けた。
移動の際には車の運転をしろだの、定時帰宅は無いだの、必要に応じて犯罪行為を見逃せなどのオフレコ指令があったからだ。
「何か追加の指示かしら?」
今回、電話ではなくメールを送ってきたのは、任務中に電話に出ると相手の心証を悪くするからだろう。
『部長からの電話なんで』などと口走られたら、部長に文句がいくのだろうから。
その為か、メールの内容は林原にとって高圧的だった。
『合流初日から早退とは体調管理が成ってない!来賓等に迷惑を掛けるな』
「そこは普通、『早退したそうだが体調は大丈夫か?』とかでしょうに・・・しかし、もう連絡が行ってるの?」
この調子だと、職務放棄でもしたら島の派出所送りになりかねない。
「あんな怪しい人達の犠牲になれとでも言うのかしら?完全にカルト集団じゃないの」
今回の任務は、超法規的行為の監視と後処理だ。
それも制止しないで事後メールでの報告だけで良いという特別処置だった。
書類を提出しないで良いというのは、警官にとってはありがたいが・・・・
そもそも、警察官になろうという者の大半が体育会系で、報告書などの事務処理が好きでもなければ得意でもない。
それは報告を受ける上司も同様なので、事件や揉め事を被害者を脅してでも【報告書が必要の無い示談】に持ち込む傾向がある。
更には警察にメリットの無い【事件の報告書】が多いと、上司に睨まれる事すら有る。
だから、【書類として残る報告書】が無いのは、社会問題にならなければ警察内では喜ばれるのだ。
事件や事故が起きても、マスコミに嗅ぎ付けられなければ、無かった事にできる。
仮にマスコミ等に知られても、今回の案件はバックにバチカンと宮内庁が関わっており、報道関係の株主や関係者に圧力を掛けられるらしい。
最近のSNS書き込みも警視庁の【特殊犯罪捜査課】で対処するのだろう。
確か、第六や第七係の担当だったか・・・
「でも、これが警察官の仕事なのかしら?」
そうは言っても彼女には、拒否する事はできそうに無い。
選択肢は有っても、危険か左遷か失業かしか選べないのだから。
「ここはあきらめて、スパで気分転換するしかないわ」
彼女は嫌な事があると都内の健康ランドに行き、サウナやマッサージでリフレッシュする事にしている。
今回は想定外の事で心身ともに疲労困憊したが、前もって心構えができれば、人間は何とかできるものだ。
ただ、今回は【気分転換】と言うより【思考転換】と言った方が良いのだが。
「つまりは、オカルト案件って事よね。ある意味で【宗教】もオカルトだから、キリスト教をかじってるだけでも違うのは間違いないけど」
ここに来て、一課課長や刑事部長の判断が理解できる。
彼女が幼少期に通わされた日曜学校/教会学校は、一般社会の常識からするとカルト集団と言えなくもない。
物証の無い事を教育し、見たことも無い神の存在を当たり前の事として信じ込ませる。
ある意味で組織作りの為に洗脳している訳だ。
「今は私も教義が違うと分かるし、そういった物に頼りたい人達を理解できるけど、経験の無い人は横に居るだけでも辛いでしょうね」
悲しい事だが、現状では林原自身が一番適任と自覚もできもした。
「これも仕事。あきらめて性根を据えるか!先ずはリフレッシュ、リフレッシュ」
警察病院を出てタクシー乗り場に向かう林原を近くで見ていた賀茂重蔵に、彼女自身も気付いていなかった。
時間は少し遡る。
門屋刑事部長は、とある警視監の執務室に居た。
「メールは、この内容でよろしかったのですか?」
メールの送信ボタンをクリックして、部屋の主に視線を移した。
部屋には、その警視監と門屋刑事部長の二人っきりだ。
「ああ、ソレで良い。今後のメールも電話連絡も、職務放棄すれば左遷確実な様に臭わせろ」
「捜査一課の女性は結構貴重なんですが・・・承知しました」
事件には女性も多く関わり、その対処を男性警官が行うと、後日に問題が生じたりする。
容疑者の女性がトイレから逃げるなどの事例も起きる。
そう言った点でも女性刑事の引抜きは彼にとって痛手だった。
門屋刑事部長は、机で眉間に皺を寄せている警視監に頭を下げて部屋を出た。
扉が閉まったのを確認し、その警視監は机を離れ、床に片膝をついて頭をたれた。
彼の視界には二人分の靴が見えている。
「仰せのままに致しました」
「よろしい。契約通りにすれば孫娘の手術は成功させよう」
「成功率は5%も無いと言われておりますが?」
「問題無い。成功しなければ林原巡査を捜査一課に戻せばいい。お前が契約を反故にすれば・・・」
「わかりました。私の全力をもって職務を全うさせます(孫娘を助けるのに悪魔に捧げるのが命ではなく、他人の人事采配なら安いものだ)。」
この警視監の孫娘は難病にかかっており、多くの病院で匙を投げられていた。
体力的にも、現在行われている手術が成功しなければ死を待つだけの所に、現れた人物が居たのだ。
その風貌は兎も角、対価を提示して願いを叶えるという存在は【悪魔】そのものだった。
視界から靴が消え、頭を上げると、その部屋には警視監だけとなっていた。
警視監は大きく息をして立ち上り、周りに誰も居ないのを確認して椅子に戻る。
「ふう~っ。あんな存在が実在するなんて・・・その林原巡査とやらも大変だな」
椅子に座り、天井を向いて背伸びをする彼の脳裏には、孫娘の心配と生け贄になったであろう巡査の事が渦巻いている。
何も手につかない彼の携帯に電話が掛かってきた。
相手は妻だ。
「私だ!手術は?・・・・・そうか、そうか、本当なんだな?良かった。本当に良かった・・・ああ、済まない。仕事が終わり次第病院に駆け付ける・・・」
電話を切った警視監は口角を上げ、その脇を涙がながれていった。
「(契約とやらは本当に守られたんだな。これでコッチが約束を守らなければ、再発したりするんだろうが・・・)」
この契約は、ある意味で林原巡査が命じられた職務を全うしている間は、この警視監が何をやってもソノ権力が維持されるとも言える。
この警視監が権限を失えば、林原巡査の人事権が他に移る可能性があるからだ。
もし、警視監が権限を失った時に契約不履行となったら、その責任は誰がとるべきなのか?
警視監は、そこまで相手と話を詰めていた。
「まぁ、その巡査の件以外で無茶をすれば、私の責任にはなるんだろうなぁ」
孫娘の命が第一ではあったが、次期警視総監への出馬を目論んでいる彼にとって、蹴落とされない保証も大きいとも言えた。
「先任の警官からも、いろいろとメリットがあると聞いているし、気持ちの持ちよう次第らしいから、その巡査も貧乏籤というわけじゃないんだしな」
警視監は椅子に座り直して、残っている仕事の書類に手を伸ばした。




