01 小説家探偵
一見して火山とは縁の薄い様に見える関東地方にも、幾つかの温泉地が存在する。
火山帯にある草津や箱根、鬼怒川に那須などは、東京からの交通の弁が良い為に他地方の者のみならず、外国人にも有名だが、それ以外にも【温泉】と呼ばれる所は幾つもある。
それは、日本の【温泉】の定義が『25度以上の地下水』に限らず『指定された成分が規定以上含まれる』とされているからだ。
そんな観光地でもある【温泉】にも、病気や交通事故での死亡は発生する。
他にも、実際に環境が変わった所に来た観光客が、不注意や体調悪化で死亡したりする事は幾つか存在するのだ。
加えて、一時期流行った【サウナブーム】もあって、地方の温泉もサウナを完備する所が増えた。
サウナに慣れた者でも、設備と環境の異なる事によるヒートショックや脳梗塞、脳卒中などが発生しやすくなっている。
結果として、住民数に対する死亡割合は下手な都市部や住宅地よりも割高となっている様だ。
急な病気や事故に対して、温泉のある観光地は、平均して道路状況が芳しくない事が多く、救急車の到着や病院までの距離など、死亡に至りやすい要因が多いとも言える。
「『○○温泉殺人事件』なんて、まるでテレビドラマみたいだが、それが現実に起きているなら笑ってもいられないよな」
初老の彼、船越栄太郎の本業は探偵だが、副業で小説家もやっている。
小説家と言ってもプロではなく、自費出版で出している【自称小説家】である。
最近の彼は、探偵としての仕事が無い時に親の遺産を喰い潰して温泉に来ていた。
彼が最初に温泉に来る様になったのは、新作小説のネタとしてテレビドラマ定番の『温泉殺人事件』取材も兼ね、幾つかの温泉を回った時だが、頻繁に来る様になったのは『周期的に死亡件数が増えているみたいだ』と言う警察での雑談を耳にしてからだ。
確かに時期によって死亡件数は変化するが、彼が複数の温泉地を調べてみると一つの法則性がある事に気が付いた。
「やっぱり、死亡件数が増える時期が、次の温泉地へと【渡り歩いて】いるな。これでは県警に言っても動けないだろう」
関東にある幾つかの温泉地の死亡件数増加地区が、30代以下に限ってみれば、特定の順番に従って移動している事に彼は気付いたのだ。
単一の県だけで見ると、季節などを無視した不規則な増減だが、複数の県の特定地域のみで調べると、誰かが大量殺人を行いながら複数の温泉地を渡り歩いている様にも見てとれる。
勿論、それぞれの死因は病死や交通事故、転落死などで【事件】としての疑いは皆無と言える。
加えて複数の県に股がっている為に、県警同士での情報交換も無い為に『単なる偶然だよ』と片付けられるのが落ちだろう。
「実話に基づいた小説のネタとして、面白い物が書けそうだ。だめでも怪奇現象を扱う特番のネタにはなるだろう」
彼の知人が死んだわけでもなく、正義感や謎に挑む熱意が有った訳でもない。
ただ、あわよく書籍化できたら印税で生活費の足しにでもしたいと言う下心と、腰痛の養生の為だ。
地方とは言え、警察は探偵に協力的ではない。
事故や病死の死亡件数と言えども情報開示はしてくれない。
警視庁に学生時代の親友が居なければ、この調査は実現しなかっただろう。
警視正にまで登り詰めた友人だが、事件性が有ったら彼の出世の為に情報提供をしたいと思っている。
その死亡件数の増減たが、順番と周期性が見えると、その先回りができる様になる。
「多少のタイムラグは生じるだろうが、調査を続ければ死亡事故が増え始める原因を突き止められるかもしれない」
これまでも一年近く温泉地を回って調べたが、これと言って有力な物証は見つかっていない。
ただ、怪しい人物は見つけだしている。
「あの男と、あのグループは、また来ているな。何かを仕掛けているとすれば、あのどちらかだろうが」
温泉マニアは何処にでも居るが、そうそう死亡事故多発地域に毎回居合わせる者は居ない。
怪しい人物には接触を試みてみた事もあるが、どちらも巧みにはぐらかされてきていた。
「死亡の原因は交通事故と転落。交通事故はドラレコから突き飛ばしたりした形跡はないが、転落は目撃者が無いのでわからない。一番件数が多いのは脳梗塞だが、これは薬で引き起こせるらしいしな」
保険調査員に聞いて、交通事故に奇妙な点が無い事は聞きだせた。
そして、これは医者に聞いた話だが、ある薬品を大量投与すると血栓が出来やすくなり、脳梗塞などが発生しやすくなるらしい。
「犯人が医者だとしても温泉街で注射する様な事は普通に無いし、酔い潰して注射でもしたのか?詳しい状況は調べられなかったが」
いくら医師でも、病院以外で無闇に注射する事は無い。
そして、これ以上の情報収集は警官でも弁護士でも無い彼には無理だった。
彼がコネで集められた情報は、死亡日時と場所、原因と年齢くらいだったのだ。
世の中、調べようとすれば全てが正確に判明すると言うのは、安易なフィクションにしか存在しない。
その為に、明確な物証や証言は少なく、分からない事や憶測だらけで事件を解決しようとするから、社会から【冤罪】は無くならないのだ。
ただ、フィクション小説のネタにするなら不十分な情報と推測だけで十分とも言える。
「組織犯罪でもなければ、複数で行動するのは危険だろうし、組織での殺害にしては被害者の共通点が希薄だ。やはり、単独犯による無差別殺人と見るのが正解だろう」
容疑者の内、片方は年齢差のある日本人カップル二組と白人少女の五人組。
もう片方は、格闘技でもやっていた様なガッチリした体格の中年男性だ。
組織犯罪犯罪は、余程の理念や利益が無ければ目的の無い行動はしない。
探偵は、二組の内で単独行動をしている中年男性に目をつける事にした。
幸いにも、この男性は探偵の行く先々で頻繁に目にする事があり、もう片方のグループとは違って後を追う必要性が皆無だったのだ。
土産物屋の店先に座って温泉饅頭を食べながら、探偵は視界の端で中年男性を監視し続けた。
「今日は、なかなか動かないなぁ。こちらの監視に気付いたかな?」
いつもはアチコチで見掛ける中年男性なので、けっこう行動範囲が広いと思っていたが、いざ尾行をしようと思ったら、全く動く気配が無かった。
そもそも世界の事象とは、必要の無い時には邪魔なのに、必要な時には見当たらないなど、人間の意思に反する天の邪鬼なところがある。
『探すのをやめた時、見つかる事も良くある話し』と歌にもある様に。
「仕方ない。少し動いて様子を見るか?」
探偵ほ店頭ベンチから腰を上げ、宿泊ホテルとは別の方向へ歩き出したのだった。
立ち上がった探偵は、中年男性に背を向けて歩き出し、パーカーのフードを被ってスマホを取り出した。
探偵には仕事の為に様々な道具を持っている。
普段はフードに隠しているが、パーカーのウナジの所には背後に向けたカメラが仕込まれていて、スマホとはブルートゥースで繋がっているのだ。
人間は他人の視線には敏感だが、背を向けている人間を無視する傾向がある。
多くの人が似たような服装をしている街中では、顔が見えなければ『見覚えがある』とはなりにくい。
この探偵は、背中で証拠写真や監視ができるにのだ。
「どうなってるんだ?尾行られてるのは俺の方か?」
スマホには、身を隠しながら探偵の後を追う中年男性の姿が写っている。
この場合考えられる事は、そう多くはない。
「まさか、次の被害者は俺なのか?」
職業柄、恨まれる事もある探偵だが、こんな出先でまで狙われるとは思っていなかった。
「とりあえずビデオ録画して、ストーカーとして対処してもらおう。ミイラ取りがミイラには成りたくないからな」
カメラに繋いだスマホには、当然だがビデオ録画の機能がある。
明確な物証が有れば警察は動かない訳にはいかないし、一度通報しておけば、その後に探偵に何かが有れば中年男性が疑われるので、余程の理由がない限りはターゲットを変更するか日延べするだろうから。
探偵は録画を続けながら、温泉地の派出所へと足を向けた。




