32 人の遺伝子
人の遺伝子/DNAは、30億対以上の塩基配列から出来ている。
だが、近年のゲノム解析では、その遺伝子のうち肉体で使われるのは二割以下しかなく、八割以上は活動していないと言う。
では、その八割以上は何なのか?
ソレは進化の過程で不要になり、不活性になった遺伝子も含まれるが、大半はウイルス感染の残骸と思われている。
進化という遺伝子異常には、ウイルスの感染が引き金となるものも有ると考えられ、学会には【ウイルス進化論】という学説が提出されてもいる程だ。
一般的に【ウイルス】は宿主の細胞器官を利用して増殖する存在だ。
生物の特性は生き残る事であり、増えたり変異するのは生き残る為と考えられる。
だが、中には宿主の遺伝子に侵入して生き残る戦術をとる物もある。
自分単独で存在するより、自分より大きく安定した生物の体内に潜り込んで、自分の遺伝子を残そうとするのだ。
そもそも、生物の生存本能は、現在の【個体】を維持するよりも【遺伝子】的な存続を求めるので、現在の形態には拘らない様だ。
過去の自分に拘らないから環境に適した【進化】が起きている。
この様なウイルスによる無理な割り込みの為に遺伝子異常が起き、交叉などのセルフ遺伝子組み換えで安定したのが【変種】で、淘汰の末に複数に広がり別種になったのが【ウイルス進化】と思われている。
現実として、ウイルスによる遺伝子改変は可能なのだ。
通常、このウイルス感染は進化の因子も含んでいるが、必ずしも環境に適した進化を起こす訳ではなく、個体の死や種の絶滅も起こしている。
この様なウイルスに対抗して現状維持をする為に、大型の生物は【免疫】という防御能力を開発した。
ウイルスの特性を記憶し、その特性を持つ細胞を集中的に攻撃する能力だ。
ただ、変異しやすいウイルスも存在し、未知のウイルスの特性を知る事はできないので、一度はウイルスに感染して体調不良を体験する必要がある。
人間が開発した【ワクチン】は、この一度目の感染を軽微なものにして、少ない負担で免疫を作らせるという物だ。
そのワクチンの種類には幾つかある。
・生ワクチン
重篤な毒性を持つウイルスの近似種や、毒性を弱らせた生きたウイルスを接種して免疫を作らせる。
・不活化ワクチン
重篤な毒性を持つウイルスの体の一部だけを接種して免疫を作らせる。
・トキソイド
ウイルスの持つ毒性のみを少量だけ接種して、毒耐性を持たせる。
そして、新型コロナを発端に公認登用されたのが
・mRNAベクターワクチン
遺伝子の一部を壊して増殖できなくした生きた病原ウイルスを接種して免疫を作らせる。
この新型コロナには陰謀論が囁かれていて、その理由が余りにも例外的に早いワクチンの開発と承認だったのだ。
それと、それまでは危険視されて使われなかったベクターワクチンの登用だ。
ベクターワクチンは、言うなれば遺伝子操作した生きたウイルスなのだ。
特にそれまでmRNAワクチン。いや、mRNAウイルスが使われなかったかと言えば、それは食品の品種改良と言う名で使われ、農作物の遺伝子組み替えに使われた。
その具体的手段として開発されたのがmRNAウイルスベクターだからだ。
(特にレンチウイルスベクターは接種された細胞のゲノムを書き換える)
人工である故に不安定なウイルス/ワクチンであり、過去のワクチン接種よりも保存性の高い保冷装置を必要として、日本各地でトラブルが発生もした。
死んだり、死にかけたりしてはいけないらしいのだ。
また、大手製薬業者が従来の方法を使わなかった事、【遺伝子操作】という先の特徴上【意図した遺伝子の組込み】などが懸念されたのが【陰謀論】の発端になっている。
さて、真実は何なのか?
「そうやって、定期的に感染症を流行らせ、ワクチンとして人間の遺伝子を書き換えるウイルスを接種させているわけだ。本当は生殖細胞にだけ感染させたいんだが、場合により接種者が内臓疾患を引き起こしたりもした」
抗ガン剤が癌細胞以外にも影響し、免疫不全や脱毛、内臓疾患を生じやすい事に似ている。
今日は林原を別室に控えさせての座学を、賀茂とライナスは行っている。
「その感染の結果として生まれた子供に、上手く遺伝子操作ができないと、DレベルやEレベルになるんでしたね、先輩」
既に数世代前から始まっている人間の遺伝子組み換えには、国単位の力が働いている。
なぜなら、上手く遺伝子の改変に成功しない者の子孫に残された未来は絶望となるからだ。
多くの権力者が、自分の子孫を生き残らせる為に、この計画に加担していた。
「染色体の特定の場所に割り込むベクターを作るのは、人間の技術じゃあ無理だからね」
「精霊様達の力があっての事なんでしょう?」
「そうらしいよライナス君」
ウイルスによる意図的遺伝子改変については、ワクチン開発者は勿論、賀茂達の様な【使徒】にも十分に説明されていないのだった。
「林原さんには【生き残る為の進化】と説明しましたが、実際には【原初の人間】に戻す為の行為なんです」
「林原女史にソレを説明する為には、神世の時代から人間の反逆まで教えなきゃいけないですから、仕方ないですよ先輩」
いまだに林原警部補を引き込むか否かを決めかねている賀茂には、それを教える事はためらわれた。
「しかし、機能不全に陥った遺伝子を活性化させる為と言えど、伝染病の拡散とワクチンの開発って、本当に手間をかけたマッチポンプですよね?」
「仕方ないさ。風に乗って空気感染するウイルスより、注射器で送り込めるワクチンの方が大量の遺伝子を送り込めるんだから」
手間をかけるには、それなりの理由があるらしい。
「でも、精霊様達も使徒扱いが酷いですよねぇ先輩。もっと増やしてもらわないと、処置しても処置しても減りませんよ」
「そう言うなって。【完成体の人間】と違って、我々【使徒】は改造により十人程で精霊様達に対抗できる。それは精霊様達とのの上下関係を危なくするじゃないか?増長すると計画終了時に始末されるよ」
本当か、プロパガンダか分からないが、太古に増長した人間が全ての元凶だと賀茂達は聞いている。
「『出る杭は打たれる』ですか?ソレは嫌ですね」
順当に事が進めばライナス達の様な【使徒】と子孫は、精霊と人間を繋ぐ【天の使い】扱いされる予定だ。
欲を出して全てを失うのは、逆にもったいない。
「計画は、まだまだステップ6だよ。先は長いさ」
「そうですね先輩。焦る事はないですね」
彼等は完璧な結果を求められてはいない。
本来は異変で全滅する人類を少しでも多く残すのが使命なのだ。
「やがて来る【現世】が【神世】への回帰の時。その世界に一人でも多くの人間を残す為の【処置】が人類の為だよ。ライナス君」
「その話も本当か嘘か疑ってましたけど、この一年でも増加傾向にある【自然発生ゲート】を見ると、疑いにくくなりますね」
異界と人間界を繋ぐ【ゲート】は人為的にも開くが、 それ以外にもイレギュラー的に開いている。
それ故に、現世に現れる異生物や、異界に行った冒険譚の元となった事態が発生したのだ。
その様な【ゲート】を開いたり、存在を感知できる彼等からしてみれば、自然発生の頻度が徐々に増えている事を体感できるので、精霊から聞いた話を疑うのが難しい状況にある。
「遺伝子組み換えの障害になるDレベルや、暴走状態にあるEレベルを処置する事の重要性を、我々は忘れてはならないのですよ、ライナス君」
「分かりました先輩」
目先の残虐行為が、必ずしも【悪】とは限らない。
個人の利益が、その家族や子孫の利益になるとは限らない。
【社会】に依存する限り、個人の【自由】や【権利】にあぐらをかいていては、社会が崩壊するか、社会から報復を受ける事となるのだから。




