29 宗教の弊害
「警察に行ってないなら、こんな店は辞めて教会に来なさい」
「警官は辞めてないわよ!これも立派な仕事なんだから」
「嘘を仰い」
エレベーターホールから、二人が言い合う声が賀茂達に直接聞こえて来る。
彼女達がリビングに着くと、賀茂達が身なりを整えて立っていた。
先程までのラフな格好とのギャップに驚いたのか、林原が壁にもたれて放心している。
「はじめまして。ここの責任者をしている賀茂重蔵と申します」
「貴方が店長さん?若くてやり手なのかも知れないけど、うちの娘をこんな店で働かせる訳にはいかないの!辞めさせてもらいますわよ」
捲り立てて言い放つ母親に、賀茂は宮内庁の身分証を出して見せた。
「何を勘違いしておられるのかは分かりませんが、下の店は通路として使ってるだけで、私が店長ではありませんよ。娘さんが仰る通り彼女は警官で、ここは警視庁と宮内庁の特別合同捜査事務所です」
母親は、林原と賀茂の身分証を何度も見返した。
「それが本当かも知れないけど、この子は私の娘なのよ!」
「例え親子であろうと、犯罪を見逃す訳にはいかないのは御理解いただけますよね?このままだと娘さんが母親を逮捕すると言う人として不名誉な事になりますが?」
賀茂の意外な言葉に母親は目を丸くした。
「私が何をしたと言うの?」
「分かりませんか?商店への営業妨害と公務執行妨害です」
「・・・・・・・」
状況からしてコノ捜査事務所という場所は、政府の肝いりでオカルトショップに偽装した機密施設と言える。
知らぬ事とは言え、そこで騒ぎを起こしたのだ。ただでは済まない。
「林原警部補、この方を逮捕しますか?」
営業妨害は兎も角、そもそも奥に連れ込む様に指示したのは賀茂である。
確かに林原を教会に引き抜かれるのは困るし、説明して納得しなければ引き下がりはしないだろう。
娘の話を信じない母親に、他に方法が有るかと言えば否と言える。
警視庁に連れていって話をしても、『では、何故オカルトショップに?』と言う話になるだろう。
「・・・ふっ、不本意ながら、仕方ないですね。これで地方への左遷は決まりですかね?少なくとも降格して出世は無理になるでしょう」
「母親の軽率な行動が、娘の将来を台無しにするとはね」
賀茂、林原、ライナスの順に畳み掛けていく。
「母親を逮捕させるつもり?」
「林原警部補が逮捕しないなら私が両名を逮捕します。娘さんは犯人を擁護、共犯あつかいですか?私は所属が違うし他人なので替わりの警官が来るだけで痛くも痒くもないですがね」
賀茂の立場なら当然の対応と言える。
「人でなし!」
「犯罪者が言いますか?法律を守るのが公務員だと知ってるでしょ?」
「この娘が、ちゃんと教会に来て警官なんかにならなければ、こんな事には・・・」
母親は、自分の娘を仇の様に睨んだ。
賀茂とライナスは、その様を見て呆れ顔をした。
「腐った宗教団体特有の責任転嫁ですか?そもそも御両親が宗教なんかにのめり込んで『教会に通え』と押し掛けなければ、娘に迷惑をかける事も無かったでしょ?親が見たことも無い存在にカブレて、血を分けた子供に悲しい思いをさせるのが【信仰】ですか?」
団体は違えども、親の宗教を押し付けられて非合法な行為や非道徳的行為を普通の事として行う子供や、それから逃げて連れ戻されそうになり、警察と揉める事件は日本でも起きている。
「神に奉仕する事は人間の義務よ」
「そんなのは権力と金を集める為に後世の者が書き足した物でしょ?確か創世記によれば、創造主は地上を治める為に人間を作りましたよね?国や警察はソレを遂行している。教会が世界を治める為にやっている具体的な行動って何ですか?」
実際には教会に集められた献金で福祉などが行われている事もあるが、それは各国政府が行っている内容からすれば、些細なものだ。
しかし、人間は自分の信じているものを否定されると、その相手を敵視する。
例えそれが事実で、否定されているものが『愛と慈悲の宗教』だったとしても。
「背信者は地獄に堕ちるわ」
「正真正銘、創造主の与えた存在理由を行っている我々を妨害してる者こそ、地獄とやらに堕ちるのでは?」
「【地獄】に堕ちる前にお母さんは【監獄】に堕ちるけどね。8時25分逮捕。国の重要案件に自分から関わってきたのだから普通の公務執行妨害じゃなく、数年は出られないわよ」
賀茂と母親の会話に割って入った林原警部補は、顔をしかめて手錠をかけた。
実の母親に。
「ライナス君。下に警官が来てる様なので、容疑者を引き渡してきてくれますか?」
「了解です、先輩」
室内にあるモニターには、一階のオカルトショップのカウンターで話を聞く警官二名の姿が映っていた。
娘に手錠をかけられ、失意した母親がライナスに連れられてエレベーターホールへと向かった。
エレベーターが下に到着しライナス達の姿が消えると、しばらくは下を向いていた林原が、何度かマバタキをして、頭を左右に大きく振った。
「か、か、賀茂さん?今、私の頭をイジリましたね?」
そう言って彼女は賀茂を睨み付けた。
今は元に戻っているが、賀茂が挨拶をした直前から彼女の頭が特定の事しか考えられなくなっており、記憶や感情の一部が欠落している様な感じになっていた。
「既に林原さんも知っている【認識干渉】ですよ」
簡単に種明かしをした賀茂達が確率や人間の精神に干渉できるのは聞いていた。
それを知らなければ、今回の不可解な自分の行動も一時的な気の迷いとか衝動的行動と思っていただろう。
分かってはいたが、それを同僚扱いされている自らが体験するとは考えて居なかったのだ。
「仕方ないでしょう?この事務所の事は国家機密に該当します。彼女の口から教会や一般に情報が漏れたら大変だ。この場で母親を殺すか、精神を崩壊させて記憶を抹消するか、今回の様に投獄するか。私としては最良を選んだと思いますよ」
「だからって・・・」
賀茂は林原の顔をまっすぐ見て更に続ける。
「自分の意思でやるよりも、他者に無理矢理やらされた方が、貴女も自責の念に苛まれなくて良いでしょ?かと言って他人に逮捕されるよりは身内で始末はつけたいでしょうし」
「・・・・・」
賀茂の言う事は、いちいちもっともだし、林原の心情を思いやっての行為なのは分かる。
何より、この騒ぎを起こしたのは自分と身内なのだから、他者を責める訳にはいかない。
林原が椅子に座って、再び俯いたところで、ライナスが一階から帰ってきた。
「あ~ぁ、めんどくさかったなぁ。余分な騒ぎは勘弁してくれよ。あの女の所属する教会関係者全員に罰を与えませんか?」
ずっと黙っていたライナスが、溜まっていた物を吐き出した。
『その娘が居るんだぞ』と彼を睨む賀茂と、じっと歯を食い縛る林原に、『済まなかったよ』という表情をして、ライナスがゆっくりと別の階に逃げた。
実質、カトリックとプロテスタントの違いは有るが、不祥事を起こしたとして一部の教区を廃止させる事も賀茂達にはできる。
また、関係者や信者達に事故死者や病死者をだしたり、経済的に困窮させる事も彼等には可能だ。
「大丈夫ですよ。ライナス君は日本での活動に監視と制限が掛かってますから」
この言葉は『賀茂がソレをしない訳ではない』と言うのを、暗黙のうちに告げていた。
自分の縄張りを荒らされた賀茂の表情は読めないが、自分の個室に見知らぬ他人が押し掛けてきた時位の不快感は持っているだろう。
研修に割り込まれた余所者のライナスでさえアノ態度なのだ。
研修を担当し、この屋の本来の主である賀茂が不快でない訳がないと林原は考えた。
「(これまで以上に彼等に従えって事なのね?優しい対応をする賀茂さんだけど、意外と要注意人物ね)」
粛清の対象にされる中には、教会に通っている林原の父親や兄妹、近所の知人も含まれるのだ。
美佐緒を教会に縛ってきた人達ではあるが、嫌いな人達ではない。




