26 健康診断1
ライナスは看護婦に連れられて、検査室に来ていた。
既に検尿を終えてシャワーを浴び、診察着に着替えた後である。
「林原女史は、お泊まりになる事を聞いてるのかな?」
病院に着いたのは昼前なので、賀茂達が【健康診断】だとしても、人間のやっているソレや人間ドックだと夕方には終わると思うだろう。
さらに彼女は『予防接種』としても、まさか日を跨ぐとは考えていないと彼は予想した。
「こちらに横になって下さい」
看護婦に言われてライナスが横になったのはMRIの様な装置だ。
ベッドのまま大きなリング状の中を通る検査機。
ただ少し、普通の病院で見掛ける物とは違っていた。
ライナスが言われた通りにすると、寝位置を確認して看護婦が部屋から出ていき、部屋には彼ひとりだけになる。
『全ての力を抜いて、安静状態にしてください』
その室内スピーカから男性の声が響く。
『全身の』ではなく『全ての』と言われているのは、彼が能力者だと分かっての言葉だろう。
スピーカの横などに見えるのは耐魔耐磁性センサーカメラだろうか?下手な小細工はするなと言う事だ。
低いノイズ音と共にベッドが動き、何度もリング状の中を行き来する。
最後に頭の部分だけ、その機械の奥にある装置で暫く止まって、ベッドは元の位置に戻った。
『お疲れ様でした。起きて結構です』
声と共に、ワゴンを押して看護婦が入ってきた。
「検査器を付けますので左手を出して下さい」
言われるままに手を出すと、腕時計の様なベルトを巻いた。
実際にも時計機能も付いている。
看護婦は、その後にワゴンに乗ったスイッチを押すと、表示を見ていた。
一般にも腕時計の形で、心拍数・血中酸素濃度・血圧・運動量・現在位置などを測定し無線で情報転送する器材がある。
「リンク確認、機器正常。バイタル正常」
「看護婦さん、今晩は非番?」
ビービービー
ライナスが声をかけて魅了の能力を使おうとすると腕輪がアラーム音を発した。
反射的に【清音】の力を使ったが、器材には作用しない。
「病院内では変な事はしないで下さいね」
能力をやめるとアラームは止まった。
【変な事】とは『能力を使うな』と言う事だろうが、この看護婦が彼等の能力を知っているかどうかは分からない。
邪な事を考えた時の血圧や心拍数の異常上昇に反応したのかも知れない。
「すみません(この病院内で足掻いても無駄だろうし、問題無い筈だ)」
この病院に来た時に、ライナスは【視た】のだが、幾つか見えないエリアが有った。
恐らくは賀茂の同僚である【使徒】か、最悪【精霊】が居るのは確かだ。
「(もしフルカスだったら終わりだよな?まぁ能力まで抑えられた訳じゃない様だから、いざとなれば)」
アラームは鳴るが能力が使えない訳ではないし、使徒に改造された時に生物としての身体能力が向上している。
それは、まるでアニメのヒーローの様に飛び跳ねたり、数トンの瓦礫を投げ付けたりできるものだ。
「続いて採血と細胞の採取となりますので処置室に御案内致します。細胞採取と言っても上顎に綿棒を擦り付けるだけですから」
「細胞採取?俺の遺伝子情報は軍での機密事項になってる筈ですが?」
公には否定されているが、人間の遺伝子操作は一部で行われており、そうして生まれた子供は強制的に軍に入っている。
「我々が内容を知る事はありません。AIが情報を担当エリアに送り、誤差を確認するだけです」
AIは基本的に嘘をつかないし、データを完全抹消できる。
必要がなければきれいさっぱり忘れる事ができるのだ。
例えば、公衆トイレなどでの違法行為を個室にAIカメラを設置して監視する等が一部で行われている。
人間が関与していないのでプライバシー侵害にはならないし、AIが判断して違法行為が無ければ記録から削除される。
違法行為があれば、カメラ映像は証拠として残されて通報されると言う次第だ。
AIでは判断しきれない分はモザイクを掛けて、後日に人間の判断を仰ぎ、学習して以後に役立てている。
犯罪者には元よりプライバシーも人権も与えられないし、社会に公表されるわけでもないのだから、撮影の違法性は問われない。
「(いろいろ不自由だから、健康診断は嫌なんだよ)」
健康診断が好きな者は少ないと思うのだが、そんな事に関係なくライナスは、看護婦の後を追って検査室を後にした。
林原美佐緒は、検尿・採血・診察が終わった後に、充てがわれた部屋でフテ寝をしていた。
部屋は3LDKくらいの物でホテルのスイートとまでは行かないが、一人用としては高級な待遇だ。
個別の大画面テレビにトイレ・バス、洗面所は勿論、簡易キッチンと冷蔵庫、バルコニーまである。
一応は病室らしく、ベッドには酸素バルブとナースコール、器材用の電源は付いている。
「それにしても、こんな予防接種は聞いた事がないわ」
まだ昼だと言うのに、採血や検査を終えた後に夕方までワクチンを射てないと言うのだ。
確かに、一人一人にオーダーメイドするなら、直ぐには射てないだろう。
そして、副反応の有無や程度を確認する為に、明日の昼まで入院する様にとの話だ。
勿論、林原もバイタルを把握する為の腕輪をしている。
『ワクチンの副反応で倒れられては、御仕事や御命に差し障りますから』と言われれば仕方がない。
この病院はVIPも利用しているそうなので、大臣とかが職務中に副反応で倒れられたら大騒ぎになる。
また、無理をして処置が遅れたり、車の運転中などに発熱で事故を起こされたら、命に関わる。
「確かに、私もモンスターを処置中に逃げ遅れたら、死ぬかも知れないけど。はぁ~」
看護婦に確認をとったところ、賀茂達も入院するそうだ。
夕方まではアルコールをとらなければ特に制限も無いそうなので、考える為にベッドに大の字になっていた。
「どうするかなぁ~」
ぐ~っ
一人の部屋に、彼女の腹の虫が鳴り響く。
一瞬、顔を赤らめるが、他に人が居るわけでもない。
「そう言えば、食事をしてなかったわ」
賀茂に言われて朝食を抜き、糖分の摂取を控えていたから、自分も健康診断をさせられるのかと思っていたが、『当たらずも遠からず』とはコノ事だった。
「食事も経費とか言ってたわよね?」
この病院の施設利用は、特別な物を除いて経費でおちると賀茂に聞いている。
「こう言う案内は机の引き出しか、テレビの画面に・・と、有ったわ。って、ナニ?コレ!」
案内の紙には、レストランやスパ、トレーニングルームにプール、マッサージに映画館とカジノまで書いてある。
「ここはラスベガスか何処かのホテルなの?」
施設の異様さに呆れつつ、林原は扉を出て、レストランを目指した。
「一応は病室なのにオートロックなのね?」
案内された時に、看護婦がリストバンドで開けていたので、林原も試したが、ちゃんと開いた。
停電などに備えて、専用の鍵でも開く様だ。
廊下には一定間隔で情報パネルが有り、地図と現在位置が表示されていて、施設の情報を得る事ができる。
「コレで迷う人は介護が必要ね」
レストランは地下に有り、幾つかの種類が有った。
「あぁ~っ、あっちは私には無理ね」
ドレスアップして入る様な高級レストランを横目で見ながら、林原はファミレス風の店に入る。
入り口でリストバンドをタッチすると、席番号が記入された紙が出てきた。
「あれっ?人数入力とか無いのかな?まぁ、病院だから基本的に一人か?」
自己分析で納得して席を探すと、その席には賀茂が待っていた。
「遅かったですね林原さん」
「賀茂さん?あぁ、そう言う事ですか?」
予知能力の様な物を賀茂達が持っているのを思いだし、林原は事の次第を理解した。
「このレストランには待ち合わせ機能が有るんですよ」
「確かに今は、勤務中扱いだとは思いますが・・・・一人で食べたかったです」
「申し訳なかったですね。一応は説明不足を謝罪したかったので」
名義上のコレは、会食扱いになるのだろうか。
それを断る事は、たぶん出来ない。
そして、賀茂が何を謝罪したいのかも、既にわかっている。
「で、何を食べますか?これは経費でなく、私が持ちますよ。体重を気にしないのであればデザートのフルコースでも良いですよ」
そう言って賀茂は手にしていた珈琲を置いて、注文用のパッドを林原に差し出した。
彼は神社の宗主で宮内庁の職員でもある。金には困っていないだろう。
林原は注文用パッドを受け取ると、スクロールとタッチを繰り返した。




