16 ソロモン王
出エジプト記のモーセがカナン地方に安住の地を得てから、そこに王国を築いたのがソロモン王と言われている。
ソロモン神殿の城跡は、今もイスラエルの地に残っている。
そのソロモン王の偉業の影には、彼が使役した72柱の精霊の働きがあると噂されて、それらしき書物も伝わっているが、真実は定かではない。
「これがグリモワール?これがゲーティア(ゴエティア)?」
帰宅後の林原はネットで検索をしていた。
現場でのノイズ混じりの会話から彼女が聞き取れたのは、ライナスが口にした『ソロモン』『72』『メリス』の言葉だけ。
そこから林原は、一般人が知りうる範囲の情報を集めていたのだ。
情報は無いより有った方が良い。
しかしながら、賀茂達に聞くと、知らなくても良い真実にまで行き着きそうなので、【人間】が知っていても問題ない範囲の情報を得ようと考えたのだ。
【グリモワール】とは【魔導書】の総称で、 ソロモン王が使ったとされる魔法を書き記したのが【ソロモンの小さき鍵】。
その一部が72柱の精霊を使役する【ゲーティア】らしい。
「【精霊】って言うか、コレは【悪魔】じゃないの?」
正義や悪、天使と悪魔の定義は、立ち位置によって変わる。
例えば警察も、犯罪者から見れば『行動の自由を奪う【悪】』でしかないのだから。
「悪魔の能力は、認識や意識の操作に確率変動。認識範囲の拡大・・確かに彼等のやってる事との重複点は有るけど、全く同じでもないわね。でも、この伝承の通りだと【悪魔】達は魔法陣から出れない筈。伝承が間違っているか、彼等がグリモワールを隠れ蓑にしているか?どちらにしても常識の通じない存在だわ」
林原が調べた範囲だと、巨大な魔法陣の中央に水鏡を置いて儀式を行い、呼び出した精霊に力や知恵を借りる様になっている。
精霊を自由に行動させたり、現代のフィクション魔法の様に呪文や詠唱で時と場所を選ばず力を発動できる物ではない。
「賀茂さん達はフィクション魔法を真似て、本当の姿を隠しているとみるべきね。いいえ、決め付けは危険よね」
林原の前で、ファイアボールとかを演じて見せたのは、わざとらしいとも言える。
「確証はなくとも予備知識が有れば、現場でフリーズする事はないわよね?」
逃げれば良いものを、立ち竦んで巻き込まれては命が危ない。
幸いにも、今回の林原の立場は、職務上逃げてはいけないものではなく、逃げても差し支えないものだ。
事態の収拾よりも、報告が優先される。
「こう言った考察も報告義務が無かったわよね?確証も無いから報告できないしね」
特殊眼鏡の画像はスマホで撮影できなかった。
全てを林原の見ている幻覚と言い捨てる事も可能なのだ。
しかし、こうして調べてみると、手段を用いれば賀茂達の様な能力が使えそうに思えてきた。
現実に、魔法の様な能力をつかった【一般人】を見たばかりなので、望みが無い訳ではないだろう。
「何かの修行や儀式、処置を受ければ、私も魔法使いになれるのかも?」
見るからに賀茂達は超常的な力を持っているし、お金にも困らなそうだった。
非人道的にも見えるが人類に有意義な仕事内容だし、何よりも後ろ楯が大きそうだ。
賀茂達に至らなくとも、昨日の犯人の様に、透明になれるだけでも色々とできる。
そこで彼女は翌日、賀茂達に聞いてみる事にした。
「賀茂さん、私も魔法使いに成れますかねぇ?」
「無理だ」
「無理ですね」
「ええ~っ!頑張りますからぁ」
ごねる林原に、賀茂は少し考える素振りを見せた。
「林原さん、無理なものは無理ですよ。初見で【エスパー】とか表現したのを覚えていますか?」
「ええ。確かに」
賀茂は『魔法が嫌なら陰陽術や法力、超能力など』と言っていた。
「これは、そう言った素養が無ければ身に付かないんですよ」
「先輩の言う通りで、この能力には遺伝子レベルの才覚が必要だからね。林原女史の子孫なら可能性が無い訳じゃないけど」
ライナスが付け加えた様に、遺伝的要素が必要なら仕方がないのだろう。
天皇や神主など、血統を重視するのは家柄だけではない場合がある。
「でも、昨日の犯人は・・」
「あれは、とても危険な方法なのでお薦めしませんし、我々の側では行わないでしょう。あの事件が原因で、敵対勢力にも近々に被害がでると思います(たかだかカテゴリー6の人間が魔素を浴び続けたら死に至るからね)」
賀茂の話し方では、肉体的にデメリットが生じる様だ。
加えて組織にもデメリットでは、何処に頼んでも無駄だろう。
「そうなんですね?じゃあ仕方がないですね」
林原は話を聞いて諦めた。
少なくとも今の林原にとっては、ドーピングみたいな事をして命を削ってでも欲しい能力ではなかったからだ。
子供教育の場では『諦めなければ夢は叶う』とか『努力は嘘をつかない』とか言っているが、あれが大嘘なのは、言っている大人が一番知っている。
確かに、生きている限り何回でも挑戦ができそうだし、努力すれば能力の向上はある。
しかし、多くの挑戦や試合には年齢制限があり、加老による体力や能力の低下も有る。
そして、能力の向上速度や上限には個人差があり、同じ努力をしていても優劣が生まれるのは、チームメイトとの差を見れば歴是だ。
もし、本当に『諦めなければ夢は叶う』のなら、誰もがオリンピック優勝やノーベル賞を取れる理屈になる。
世界は誰にでも平等ではない。
神様ですら不平等だから、【運】にも個人差が有るのが現実なのだ。
フィクションの様に、頑張れば何でも叶うと言うのは妄想やプロパガンダでしかない。
確かに頑張れば、自己のレベルは上げられるだろうが、それが目標値に到達できるかは、別の話なのだ。
「林原さんは、林原さんにできる事をやってもらえれば、人並み以上のメリットを御約束しますよ」
「まぁ、確かにソレは望めそうですね」
短期間の付き合いになりそうだが、現状でも合法的に楽して大金を手に入れたし、警視監と所轄警察に顔や恩を売れた。
何より、他者に話せなくとも、世界の影に隠された動きを知れただけでも、今後の行動に役立つ。
「でも、敵対勢力があるんですよね?普通の人間の私が【魔法使い】さん達の争いに巻き込まれたら、ひとたまりもないんで、何らかの【力】は欲しいですね」
彼等がやろうとすれば、非力な人間など簡単に死ぬ。
体を鍛えようと、警備を厳重にしようと、それが無理そうなのを彼女は見て感じている。
「そんな心配は不要さ。林原女史は貴重な存在なんだ。それは【敵対勢力】にとっても同じだからね。奴等も同様な【処置】をしてるし」
「【敵対勢力】と言っても、我々の行動を邪魔したい存在って訳じゃなく、将来の覇権の為に敵対魔法使いを減らしたいって奴らですから」
確かに、林原自身は彼等が貴重としている【Bレベル】の一人らしい。
それは【敵対勢力】にとっても同じだと言う。
昨日、ライナスの命を狙った犯人ですら、それが原因で殺されなかった様だった。
「じゃあ、魔法使いに成らない方が安全って事ですか?」
「そういう事ですね」
前には誘拐された【Aレベル】の人間を救いに出向いた事もあった。
林原はリスクとメリットを秤にかける。
「そうですね。やはり私は言われた通りに『私にできる事』で頑張りたいと思います」
賀茂は笑顔で返し、ライナスは『やれやれ』といった呆れ顔で林原に返した。




