11 モンスター
翌日の林原巡査は、現場の壁際で固まっていた。
「グオォォ・・・・」
「結界は張ってるから、力場の相殺も使って下さい」
「ありがとうございます、先輩」
その、現実世界では無い様な戦いに、悟ったつもりの林原巡査も思考停止を余儀なくされていた。
それが物語の中や映画のシーンなら楽しめただろうが、火花で火傷した手の甲の痛みが、夢や立体映像でないのを知らしめ、恐怖を越えていたのだ。
彼女の目の前でライナスと怪物が、移動をしながら間合いを取りつつ、御互いに炎を放ち合っている。
未知なる異形の者が相手なら、動物園から逃げ出したライオンとかの方が数倍マシだっただろう。
怪物が放つ炎はライナスの身体を通り抜けていくが、ライナスの炎は怪物の肉体を少しづつ焼いていた。
魔法による精神感応の炎らしく、周りの可燃物に当たっても燃え上がる事はない。
林原の手を焼いたのは、その流れ弾だ。
「ひっ!」
流れ弾が再び林原をかすめた。
その戦い方もさるものながら、渡された眼鏡越しに見たモンスターが【Eレベル】表示であり、かつては【人間】だった事を示しているのが、彼女の絶望感を増す。
「林原さん。我々が処分している者達が子供を作り続けると、こういった人間が生まれてしまうんですよ」
「・・・・・」
彼女は、ただ聞き流すしかなかった。
意識は有るが、記憶や判断を拒否していたからだ。
ここは羽田からヘリコプターで移動した長野県の農村。
地元警察官の協力で村役場前に着陸し、パトカーで向かった農家の納屋だ。
この対象は、産まれた時から知恵遅れだった子供、納屋を座敷牢の様にして育てていたところ、六歳になる前に豹変したらしい。
座敷牢に入れていたのが幸いして死者は居ないが、家人が負傷をしている。
納屋から逃げ出す前に賀茂達が到着し、現在に至る。
「肢体は整って人間の形はしてますが、既に【人間】とは言えませんね、先輩」
「日本ではコレに近いのを【鬼】と呼んでいました。欧州では【ゴブリン】や【オーガ】が近いでしょうか。もっとも、ベースが人間で染色体異常なのは同じですが、原因はアレと異なります」
「【憑依】と【変化】の違いですかね」
賀茂達は、この様な現象の原因も知っているようだ。
「林原さん、そろそろ外に出て下さい。現状把握は十分でしょう?」
その異形の姿を見、叫びを聞き、身体に痛みを刻み込んだ彼女は、倒れる様に納屋から脱出した。
言葉にはならないが『やっと解放された』という事が全身の震えが物語っている。
転げて地面に手足を付き、目を大きく見開いて激しく呼吸を繰り返す。
賀茂に言われた通りに朝食を抜いていなければ、盛大に嘔吐していただろう。
捜査一課で銃弾の雨を潜り抜け、死体を引きずった事もある彼女だが、今となってはソレも【普通の事】にしか思えない。
しばらく納屋から目を背けて落ち着いた彼女は、やっと頭が回りだした。
「はぁ、はぁ、はぁ、いったい、人間に何が起こってるの?」
ここ数日で彼女に分かったのは、人間に突然変異が起こりつつある事と、ソレを監視する超常的存在が居る事だ。
「た、確かに、こんなのは警察や自衛隊が対処できる事じゃないわ」
反射的に彼女が撃った弾丸も効果があった様には見えない。
第一、見えているのに位置が正確に掴めないので、当たったかどうかもハッキリとしないし弱った様子も無いからだ。
ましてや、その原因となる劣等因子の間引きなど、人権問題が有って決して合法にはならないだろう。
しかし、その間引きをしないと、あの様な【怪物】が生まれる事になるらしい。
聞き取りでは六歳男子との事だったが、見た目では2メートル近くある様に見えていた。
刑事の林原にとって、一般市民の感じている平和で争いの無い世界が見せ掛けで、犯罪と暴力に溢れた刑事課の世界が真実だと思っていた。
「こんな化け物じみた奴が居るのが、世界の正体だったなんて」
昨日の事件は【彼女の知ってる世界が狂っていく】程度だったが、今日の体験は完全に【別世界】のものだったからだ。
「魔法とか言っても、実態は超能力だと思ってたのが、とんだ勘違いだったなんて」
林原は現実主義者だが、超能力者と言うものを否定するほど堅物ではない。
生物の進化先としてはアリなんだと考えていた。
賀茂達が【魔法】と呼んでいたものもテレパシーによるイメージ倒影や予知能力、念力と言った超能力で説明可能だと思ってたのだ、
彼女の手の甲には火傷の水ぶくれができていた。
先日の氷槍に撃ち抜かれた人物は、胸の皮膚が壊死していたと聞く。
「本当に肉体へ影響するのね」
幻覚とも思えていた事を、身をもって体験してしまえば、それは現実とかわらない。
「めんどくさいなぁ」
ボン!
既にパトカーと救急車が来ている現場に、追加らしい救急車が到着したタイミングで納屋から破裂音がした。
窓ガラスやとびらの類いが、爆風と共に吹き飛んでいる。
煙か埃かわからない物が林原の背中にも降りかかった。
「なにっ?」
驚いて納屋の方を振り替えると、煙の中から賀茂とライナスが話ながらゆっくり出てきた。
「こんな閉鎖空間で強制真空にしたら被害が大きくなるでしょ?」
「しかし、検体として使うから炭化しない様にプラズマの類いは使えないでしょ?使徒を相手にする訳じゃないから真空が簡単じゃないですか?」
「そういう時は、ゲートに厚みが無いのを利用して、裁断機や丸鋸みたいに使うんですよ。本能的能力ではゲートに干渉できませんから。あとは動かない相手なら部分的に癌化の確率を上げたりとか」
どうやらモンスターの処置は終わったが、その方法について議論している様だ。
「終わったんですね?」
「ええ。ライナス君の初実戦としては及第点ですが」
「先輩は厳しいですね。ところでミス林原は・・・火傷をしましたか?」
「はい、でもたいした事はないです」
さっきの戦いで、ライナス達にも恐怖を感じたので、林原は手の火傷を隠した。
ガラガラガラ・・・
後方から近付く音と共に、冷気が林原の顔を撫でた。
「ストレッチャー?でも、あの救命士は?」
彼女の横を通り抜けて行ったのは、箱の様な救命ストレッチャーと三人の救命士だった。
ただ異様なのは、その全員がゴーグルとガスマスクを付けていたのだ。
「あれは、うちの支部が手配した【検体回収班】ですよ。あれは感染予防の装備ですね」
「感染?」
「大丈夫。あれはパフォーマンス用ですから。我々に感染の危険性はありませんよ」
凶暴化などの原因を細菌感染として警察の検死を逃れるのだ。
「下手に遺伝子レベルの変異を突き止められると、厄介ですからね」
報告書だけを残して遺体を焼却処分する為らしい。
「確かに一般市民が、こんな現実を突き付けられたらパニック起きますよ」
隣人や家族が、突然怪物化して暴れだす可能性があると知れわたれば、だれも平穏ではいられない。
事情やレベルを知り、特殊な眼鏡を渡されている林原でも不安を隠せないのだから。
そんな話をしている間に、ぼろぼろになった納屋からストレッチャーが出てきた。
「これが【鬼】?これが【Eレベル】?」
「全てのEレベルが豹変するわけでも特殊能力を使うわけでもないですが、そうなる可能性は大きいですね」
半透明な冷却ケースに収まっている肉体は、全身が赤黒く膨れ上がり、目玉や血管のある辺りは破裂して血が吹き出している。
体や頭部の数ヵ所から突起が出ていて、顔などは物語りの鬼の様でもある。
「周囲の気圧を真空に近くしましたから、窒息死と破裂死による出血多量ですね」
「そんな事もできるんですね?(強力なサイキック?まるでSFに出てくるエスパーじゃないの?)」
彼等が精神や肉体、確率だけでなく、物理的な現象にも干渉できるんだと、林原巡査は確信したのだった。